Oath -5-


予定通り午後には島を離れ、GM号はゆったりと大海原を進んでいた。
船長は羊頭の上で前を眺め、ウソップは甲板に部品を並べて便利グッズの製作に忙しく、その傍らでデッキチェアに凭れてナミとロビンは本を読んでいる。
後甲板ではゾロが素振りを続け、チョッパーは医務室に篭もって薬草の調合に専念している。
いつものGM号の風景だ。
なんら変わりない、穏やかな日常。
サンジは市場で仕入れた新鮮な野菜で簡単なサラダを作り、凝ったドレッシングを振り掛けた。夏島の近くで日はまだ高いとは言え、船長の腹時計は誤魔化せない。そろそろ夕飯時だ。
「ナミすわん、ロビンちゅわんv野郎共!飯だぞ~~~っ」
今まさに、飛び込まんと構えていたルフィを牽制するように、そう声を張り上げてラウンジの扉を開けた。
「このサラダ、風味が変わっているわね」
「そうね、私凄く好きだわこれ」
「さっすがだねお二人さん。このドレッシングにはあの島独特の果実が入ってるのさ~v」
ハートを飛ばしながら薀蓄を垂れ、旺盛な食欲のルフィにあれこれと皿をあてがいチョッパーやウソップに食いっぱぐれがないようにガードしてやる。
食事時のサンジは忙しいが手際がよい。
クルーたちには見慣れた光景だが、それでもたいしたものだと感心して、ロビンはそれとなくその様子を眺めていた。
賑やかな食卓もボケ突っ込みもいつも通りなのに、どこかに感じるちょっとした違和感。
それに気付いてロビンは首を傾げる。

―――コックさん、腕まくりをしてないわ
食事の支度をする時は、エプロンを身に着けてきちんと裾を肘まで捲り上げるのが常だった。
白くすんなりとした肘が現れると、まるで条件反射みたいにこれから美味しいものが食べられると、自然にそう思った自分に気付いて苦笑したものだ。
この船に乗り合わせてから、ロビンは少しずつ自分の中の幼い部分を自覚するようになった。
島に上陸すことば冒険の始まりだなんて、はじめて気付いて胸がときめいた。
本を読むより皆で食事をとる方が楽しいなんて知らなかった。
星を眺めながらたわいないことを話して、眠るのが惜しいなんて思わなかった。
誰かと共に過ごす時間が流れることを勿体ないとは、もう思わない。
見たこともないものを見て、知らないことを聞いて、吃驚して、哀しくなって、寂しいと感じて、楽しいと笑って―――
昔、ロビンが置き去りにしてきた感情を今から取り戻す自分を、それでも冷静に分析しながら、流れに逆らわず受け入れてみる。
生きることに、手遅れはないのね。存在に罪がないように。

あまりにも平和で暖かな雰囲気だったから、ロビンはそこで見落としてしまった。
もう少し注意深く眺めていれば或いは、気付いていたかもしれない。
サンジの少し伸びた襟足から見え隠れする青黒い痣に。
袖のカフスボタンまできっちり留めて洗い物をするから、びしょ濡れになってしまった白い手首に。



メインマストに凭れながら、サンジは星の数を数えていた。
熱を出していたお陰で、陸ではたっぷり睡眠を取っている。
体調は万全とは言い難いが、こうして一人で不寝番をするのは今の自分には丁度いい気がする。
色々考えても仕方がないが、ただ考える時間は欲しい。
今朝、ゾロと市場で買い物をした。
あれこれと撰ぶ自分の後ろでゾロは根気よく待っては、山と積まれる荷物を運んでいた。
何度か市場と船の間を行き来するのも嫌がらなかった。
それでもいつもの憎まれ口はポンポン出ていたから、適当に蹴りつけたり避けられたり、そうしながらも歩いてGM号へと帰ってきた。
気持ち悪いほどいつもと変わらない調子で。

サンジはタバコを咥えたまま、空を見つめた。
いや、まったく変わりがない訳じゃない。
ほんの少し変わった。
ゾロが・・・気安くなった?
一度寝たから馴れ馴れしくなった。そんな感じだろうか。
いや、違うと一人で頭を振る。
だって二度目のあれは、明らかに強姦だったじゃないか。
あれほど手酷く傷付けて、それで何もなかったように振る舞うなんて都合がいいにも程がある。
けれどそれに合わせて、なかったことにしようとしている自分も一体なんだろう。
まるでゾロとの関係から目を背けているようだ。
逃げているのか。俺自身が。
ゾロが好きで――でもそんなことは認めたくなくて、気付かれたくなくて。
けれど身体だけの関係でも繋げていけるなら、それはそれでラッキーだと思った。
そう思った時点で、俺はずるかったのかもしれない。
俺の態度をゾロはどう思ったんだろう。

誰とも遊べないように、俺の身体に痕をつけたとゾロは言った。
俺の動きを縛るためか。
なんのために?
子どもじみた独占欲か?

ぎしりと、見張り台が揺れて軋んだ。
派手な音を立てて心臓が鳴る。
誰かが、上がってくる。こんな時間に。
サンジが差し入れを持って不寝番の元に上がることはよくあるが、その逆は初めてだ。
まさか来るなと念じるのも虚しく、目の前に一番会いたくない男が姿を現す。
サンジは反射的にマストの後ろに隠れたくなった。
勿論そんなことができるはずもなく、ただ背を伸ばしてできる限り後退りする。

「なんだよ、なんの用だ」
見張りの邪魔だとそう続けるのに、ゾロは無視してサンジの横に降り立ち腰を下ろした。
並んで座る形になって、サンジはいよいよ肩を竦めて腰をずらした。
「なんだよてめえ」
こんなことなら、上がってくる前に蹴り落とせばよかった。
後悔しても後の祭りで真横に座ったゾロに、今更蹴りを繰り出すこともできない。
バツが悪そうに身を縮めるサンジの隣で、ゾロは無表情のままその横顔を見つめてきた。
「気色悪いな。なんだってんだ」
微妙に視線をずらしながら、ゾロの顔を窺う。
揺れるカンテラの明かりで、ゾロの顔にかかる陰影がいつもより深く見えた。
す、とその腕が掲げられて人差し指が立てられる。
唇の前に翳されて、口を噤んだ。
「黙れ」と言うより「静かに」と諭すような、優しいジェスチャーだ。
激しい違和感を覚えて、サンジは奇異の目でゾロを見返した。
何を考えているのかさっぱりわからない。
大人しくなったサンジの肩を抱くように手を添えて、ゾロは顔を近付けてきた。
「ちょっ・・・」
その胸を押し返し顔を背けて抗うのに、もう片方の手で顎を掴まれてそのまま唇を重ねられる。
あり得ないほどに優しいキスだ。
こんなことあるはずがないと、信じられない思いでサンジはゾロの口付けに応えていた。
成り行きでゾロと関係を持ったとは言え、先日のあの行為は暴力だった。
力に物を言わせ捻じ伏せるような暴挙をしでかしておきながら、被害者たるサンジが無かったことのように振る舞うのにゾロが付け入る可能性はあったが、こんな風に接してくるのは想定外だ。
まるで壊れ物を扱うかのように柔らかく抱き締め、キスを落としてくるなんて―――

戸惑うサンジに構わず、ゾロはゆっくりと確かめるように触れてくる。
襟元まできっちりと嵌められたボタンを外し、赤い歯型の残った首筋や顎の下、鎖骨へとなぞる。
息が傷に触れるだけで、噛まれた痛みが甦り肌が粟立つ。
それを悟られたくなくて、わざとじっとして抵抗しないサンジをゾロは服の上から掌で愛しげに撫でた。
恐怖のせいかそれとも仄かな期待からか、サンジの鼓動が大げさなほどに脈打つ。
それを封じ込めるように身体を曲げて丸くなると、ゾロの手がシャツをたくし上げ背中の傷を探るように撫でる。
小さな痛みに顔を顰め身を捩るのに、ゾロはそのまま床に痩躯を横たえさせて圧し掛かった。
また犯されるかと無意識に強張る身体を解くように、ゾロは優しいキスを落としていく。
白い腹や臍の周りに残った赤い跡にも唇をつけ舌を這わせた。
バックルを外して前を寛げられ、手で軽く押さえて抵抗の素振りを見せる。
そこは触れられる前からすでに熱を孕んで勃ち上がりかけていた。
ゾロに抱き締められただけで、口付けられただけで感じるなんて、知られたくない。気付かれたくはない。
そう焦って腕の力を強くしたのにあっさりとずり下げられ、衣服を抜き取られる。
もう緩く立ち上がった裸身に目を細めて、ゾロは足の付け根に顔を埋めた。
サンジには見えない奥まった部分に痛みが走る。
確かそこも酷く噛まれた。
怖くて確かめてはいないけどくっきりとした歯形や吸い跡が残っているのだろう。
白い尻頬や膝の裏まで隈なく口付けられて、その思いがけない行為に眩暈さえ感じる。
こんなことは、ありえないのに。

熱が引くようにゾロの身体が離れた。
縋るように無意識に伸ばした手を慌てて引く。
ゾロは寝そべったままのサンジの姿に一瞬目を細めると、そのまま何も言わず身を翻した。
闇に紛れるように見張り台から消えた姿を、サンジは身を横たえたままぼんやりと見送っていた。
―――なんだったんだ?
気が付けばシャツを纏ったきりの、半裸状態で放置だ。
サンジは急に恥ずかしくなって身体を起こした。
ゾロの気配はもうどこにもない。
「なんだってんだよっ・・・」
悔し紛れに呟いてみせても、火照った頬を夜風はなかなか冷ましてくれなかった。

ゾロによってもたらされた熱を発散する術も知らず、サンジは漫然と朝を迎えた。
どう考えてもゾロの行動に意味があるとは思えない。
力尽くで傷つけたその手で愛しげに撫でられても、不信は募るばかりで・・・
サンジは一人口元を歪めた。
不信、だと?
最初から、ゾロの何を信じていたと言うのか。
酔った勢いで身体を繋いで、その延長戦にあの暴力的なSEXがあったとしてもそれらは只の処理でしかない。
しかもお互いの、だ。少なくとも自分は、ゾロの処理道具になった覚えはないし、お互いに気持ちいいなら、この関係を続けていくことに異存はなかった。
正直に言うなら、それを望んだのは自分だ。
あの容赦ないまでに真っ直ぐで、直情的な熱を受けたいと願っていた。
別に惚れてる訳ではない。
ただどこまでも柔らかく優しいレディとは違う、熱をぶつけ砕かれるような力強さが欲しかった。
闇雲に捻じ伏せ欲望を叩きつけられる器になるつもりはなかったが、耐えられる自信はあったから。
けれど・・・
あの、ゾロの常軌を逸した性癖と昨夜の行為はどちらも想定外だ。
加虐心が強いのはともかくあんな、まるで大事なものでも扱うかのようにそっと撫で、唇を押し付けるあんな行為は―――

思い出すだけで胸の中が甘美な痺れに満たされるようで、サンジは慌ててその感情を振り払った。
そんなはずがない。
ゾロが、俺に固執してるだなんて。
自分がつけた傷跡を辿り、確かめて満足しただなんて、そんなこと・・・
けれどそれ以外には理由すら思いつかないあの優しいぬくもりが、今でもまだサンジの身体には残っていた。




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