Oath -2-


ゾロが目を覚ました時、太陽は既に高い位置にあった。
日陰からはみ出して、直に降り注ぐ日差しに目を細めながら甲板を見やる。
宴の後は名残すらなく、綺麗に片付けられていた。
船首に鎮座する船長の姿もない。
ゾロはこきりと首を鳴らして立ち上がり、ラウンジへ向かった。

「遅いぞゾロ」
「おはよう、お早いお目覚めね」
予想通りのからかいと嫌味の声がかかった。
ゾロは黙って頷いて自分の席に腰掛ける。
いつもどおりの風景だ。
食卓には温かな食事が用意され、船長の腕がせわしなく伸びてはあちこちで払い落とされている。
ゾロはまだ少し半眼でテーブルを見渡すと、ぼそりと呟いた。
「・・・なんか、朝から豪勢だな」
「いやもう、昼だし」
ウソップのお決まりの突っ込みに、ルフィが満足げに笑う。
「にしし、ゾロの朝飯はとっくに俺が食っちまったぞ」
お?と目だけ見開くと、ナミが呆れたように大げさにに溜め息を付いた。
「夕べよほど深酒でもしたのかしら。昼食を朝食と間違えるほど寝てたなんてね」
なるほどこれは昼飯かと、改めて食卓を見やって、それから視線を上げた。
キッチンに向かい、相変わらずの背中が忙しげに動き回っている。

「はい、ナミさんドリンクのおかわり。あ、ロビンちゃんドレッシングはこっちもお勧めだよ。 ゴム!自分の皿から先に食え!」
怒鳴りながら振り返って大皿を置くと、ゾロを正面から睨み据えてふんと鼻を鳴らした。
「いーいご身分だな、大剣豪さんよう。飯時も寝て過ごせるたあ余裕だねえ」
サンジは食事時に遅れるだけで大層不機嫌になる。寝過ごしてすっぽかしたとなったら、言語道断だ。過去二回、これで大喧嘩に発展している。
「食事時はやめてよね。後でゆっくり二人でしてちょうだい」
経験を踏まえてナミが先に釘を刺した。途端サンジの態度が豹変する。
「はあいっナミさんっv後でみっちりお仕置きします~っv」
なにがお仕置きだ。
ゾロは内心で毒づいて、それでも自分のために用意された皿に手を伸ばした。
サンジもようやくすべての皿を出し終えたのか、自分の椅子に座って食事を始める。
椅子に腰掛ける直前、ほんの少し動きに間があったようで、ゾロはじっとサンジを見据えた。
食事をしながらもナミやロビンにおべっかを使い、隙を見て腕を伸ばすルフィの足を踏ん付けている。
キッチンの様子といい、テーブルに供された食事の数々といい、いつもと変わりないようだ。
なによりサンジの態度も素振りも、なんら変わるものがない。

―――あれは、夢だったのだろうか
馬鹿げた考えが、一瞬ゾロの頭を過ぎった。
あれは全部夢で、飲みすぎてそのまま眠り込んだだけで、コックとコトに及んだ事実なんて、本当はなくて?
なんだか狐につままれたような不可解な心地で、ゾロは目を瞬かせた。
いや、夢であったはずはない。
確かに夕べ、俺はコックを抱いた。
久しぶりだったせいかえらく良くて、その辺の女より余程よくて、かつてないほど満足したのを覚えている。
何度も中で出して、意識が途切れて動かなくなったコックの上から退いた時、空が白み始めていたっけか。
それからそのまま服だけ着て、船縁に凭れて眠ったような気がする。あの後すぐに、コックは起きたんだろうか。

つらつらと考えていたゾロの頭に、おたまが当たって跳ね返った。顔を上げれば怒りで顔を真っ赤に染めたサンジが睨み据えている。
「クソ緑・・・、てめえ朝飯をすっぽかした上昼飯も満足に食いやがらねえのか!てめえなんざ、目障りだ。とっとと出てけ!」
怒りのせいかとも思ったが、サンジの声は出だしから掠れていた。
ゾロはすうと、目を細める。
「まあまあサンジ。ゾロはまだ寝ぼけてんだよ」
サンジの剣幕に驚いて、ウソップが間に入る。
「そうよサンジ君。食事時は止めてって言ったわよね」
「・・・ああ、ごめん。ナミさん」
投げつけられたおたまをそのままに、ゾロは改めて食事を始めた。
何の反論もないことが、余計腹立たしいのだろう。
サンジは黙りこそすれ、肩を揺らしてゾロを睨み付けている。
こりゃあ、食事の後にひと悶着があるなあとウソップはため息をついた。



少々険悪な雰囲気のまま食事を終えて、各々持ち場へと戻る。
当然のようにゾロは食卓に残って茶を啜り、サンジは無言で手際よく洗い物を済ませていった。
粗方片付いてしまうと、コックはエプロンを外してタバコを取り出し、一本咥えて火をつける。
深く吸い込んでゆっくりと吐き出すと、ゾロに向き直ってシンクに凭れた。
「・・・てめえに、一つだけ言っておく」
ゾロは目線だけサンジに向けた。小言ではないらしい。
「夕べのあれは、・・・まあ、モノの弾みみてえなもんだから、調子に乗るんじゃねえぞ」
「・・・?」
言葉の意味がよくわからなかった。
訝しげに首を傾けると、サンジは焦れたのか額に癇症な筋が浮いた。
「あんなのはよくあることだっつってんだ。航海が長けりゃ、そう言うノリもある。たまたま俺もそういう気分だったってだけだ。不可抗力とまでは言わねえが、お互い波長が合ったってだけで特別なことじゃねえ。だから、てめえはあれに調子付いて俺を手に入れた気でいるんじゃねえぞ」
言いながら、サンジの顔は半端でなく赤くなっていた。
それが怒りによるものなのか羞恥によるものなのか、ゾロにはわからない。
それよりなにより、ゾロの中でサンジの先ほどの台詞がぐるぐると空回りして聞こえる。

―――よくあることだと?特別なことじゃねえと。
ゾロの沈黙をどう解釈したのか知らないが、サンジは言うだけ言うと横を向いて、手だけ振って追い払う仕種を見せた。
「そんだけだ。もうてめえどっか行け。その面見てるだけで暑苦しい。朝飯すっぽかしたのは免除してやる」
話している間中、サンジはシンクに手をついたままだった。
そういえば皿を洗っているときも、殆ど身体を凭れ掛けさせていた。
本当は、立っているのも辛いんじゃねえのか。
到底慣れているとは思えない硬い身体に何度も捻じ込んだのだ。
辛くないわけがない。
それなのに、当のコックはなんでもないことだと言う。
よくあることだと。

ゾロは立ち上がり、戸口へと歩く。
ふと立ち止まり振り返った。
「たまたま、と言ったな」
コックはシンクに手をついたまま、かったるそうに首だけ向けた。
「ああ?」
「たまたま、あの場にいたのが俺だったから応えたってのか。・・・俺じゃなくても?」
こういう問いは、野暮だとわかっていた。
わかっていて、あえて聞かずにはいられない。
案の定、サンジは馬鹿にし切った顔で口端だけ上げて見せる。
「当たり前だろ。だから思い上がるなってんだ。ばーか」
紅潮した頬に反して、額や瞼が蒼いほどに白い。
ゾロはサンジの視線に負けぬほど軽蔑を秘めた眼差しで見返すと、そのままラウンジを出て行った。



ゾロの姿が視界から消えて、その足音も遠ざかってはじめて、サンジはその場に座り込んだ。
実際のところ、もう立っているのも辛い。
皆がいる時は緊張感があったし、調理や後片付けでかなり気は紛れた。
だが実際は、背中には脂汗が流れているし膝も笑ってしまっている。
酔いに任せた暴挙だったとは言え、初めての行為はかなり自分の身体にダメージを残していたらしい。

―――クソ、馬鹿野郎め
ゾロの目が、自分を見る目が耐えられなかった。
ゾロらしくもなく気遣うような、覗うような不安定な視線だった。
男に、しかも同い年のゾロにあんな目で見られるなんて、サンジのプライドが許せない。
初めて会ったときから、同じ船に乗り合わせる仲間と認識する以上にゾロに惹かれるものがあった。
バラティエにいた頃から耳にしていた海賊狩りの噂も手伝って、どうしても憧憬に似た感情がサンジの胸を占めてしまうのだ。
あんな万年腹巻のデリカシーのない男なのに、最初にあまりに馬鹿げた生き様を見せ付けられて、心の根っこが引き抜かれてしまったようだ。

サンジにとって、ゾロは最初から単なる仲間ではなかった。
それ以上の何かを感じてそれでもそれを認めたくなくて、無駄に喧嘩を吹っかけては律儀に応えられることに無上の喜びを感じていた。
サンジにとってはじめてのタメ年の仲間だ。
手加減せずにやり合える、恐らくは友人として最高の相手だろうに、そんな間柄にはなぜかなれない予感がする。
惹かれているのだ、どうしようもなく。
仲間だからとか同性だからとか、そう言うしがらみを越えてでも惹き付けられるものがあって、サンジにはそれが怖かった。
だからゾロにとって鬱陶しいほどの口うるさい相手を徹しようと、そう思っていたのに。
夕べの酒は失敗だった。
いや、あそこでゾロが手を伸ばしてきたことも予想外だったのに、そのことに動転して受け容れてしまった自分が一番信じられない。
ゾロの腕が、自分に伸ばされて背中を抱いた。肉厚の掌が肩や胸を弄って足を開かせた。
それを思い出すだけでも身体が痺れる。奥の芯が熱を持って、疼くのがわかる。
駄目だとわかっているのに、駆け上るのは悦びの感情だ。
今すぐにでもゾロの逞しい背に縋り付いて、キスを強請りたい。

サンジは己を自制するように両肩を自ら抱いた。
そんなことが、あっていいはずがない。
俺は男で、海のコックで、このままこの船で旅を続けてオールブルーを見つけるんだ。
仲間たちを飢えから守り、万全の体制で航海を続けさせる使命がある。
その為に、自分自身が何より強く、揺るぎ無い者でいなければならない。
それなのに、ゾロの手が熱が、心地良いと感じてしまった。
あの腕を、自ら求めてしまうかもしれない。
ゾロのぬくもりに身を委ねて、すべてを忘れて眠ってしまうかもしれない。
そんなことは許されないと、サンジは無意識に自らを戒しめる。
オールブルーを見つけるために旅立った俺だ。人との係わりで幸福を得るために、じじいの元を離れたんじゃねえ。
オールブルーを見つけなければ、何を犠牲にしてもゼフと共に見た夢を叶えなければ、グランドラインに出た意味がない。
その為には、何にだって囚われている暇はねえ。
例え心の奥底で恋焦がれて、思いもかけず手に入れたゾロでさえも、切り捨てて生きていく。
ゼフの恩に報いるために。
オールブルーが俺のすべてだと、自分自身に言い聞かせるために。

だからサンジは、ゾロから線を引かせるためにあえて言ったのだ。たいしたことではないと。
あの口ぶりからすれば、ゾロは自分を尻軽だと誤解しただろう。
ラウンジを出る間際の、あの冷たい目線には明らかに侮蔑の色が含まれていた。
それでいい。
ゾロが自分との仲を割り切った間柄にしようとするなら、それも甘んじて受けようと思う。
船上だけの処理の相手として位置付けられるなら、それだけで満足だ。
ゾロを愛しいと思う気持ちをひた隠して、都合のいいセフレとして付き合っていける自信は自分にはある。
あの地獄のような数十日間を耐え忍んだ自分は、もう滅多なことでは壊れない。
どんな状況だって、きっと上手くやっていける。
そう、自分自身を欺いてでも。

サンジは吸殻を灰皿に押し付けると、床の隅に丸まっておやつ時までほんの少しの休息をとった。
身体の芯に残ると疼痛が甘い痺れを伴って夕べの名残を惜しんでくれている。
昨日のことは夢じゃなかった。それだけが、ただ嬉しい。
これからゾロがどれほど自分を利用しようと貶めようと、憎みこそすれ愛することはしないだろう。
そう、俺はゾロを愛してなんかいない。
絶対に、愛さない。
自らにかける呪詛を呟きながら、サンジは目を閉じてしばしの眠りについた。




next