にょろにょろろ -1-
※虫が苦手な方はご注意!
メリー号のコックさんであるサンジは、長い航海における食材の調達方法には常に工夫を欠かさない。立ち寄った島々では、市場で保存食の作り方を教えて貰ったり、酒場で他の船のコックから船上での植物栽培法について尋ねてみたりする。それを色々と試してみるのが、サンジの楽しみでもあった。
「あら、サンジ君。コンテナ栽培するの?言ってくれたら蜜柑畑の隅使わせてあげるのに」
《勿論、コレ次第だけど》と言って、くるんと親指と人差し指を丸めるのが可愛い。ナミほどの美少女がやると、どんな仕草でも可愛いのだ。
へにゃんとした顔をしてそのままの気持ちを口にしたら、通りがかったゾロが《へっ》と鼻で嗤った。失礼な野郎だ。
しかし、今はゾロとやり合うよりもナミへの返事が先だ。早くコンテナを安定した環境に置いてやりたいのである。《あるもの》がひょこりと土から顔を出したりすると、困ったことになるからだ。
「いやァ、蜜柑と葉物野菜じゃ必要な土質が違うからさ。大事な果樹に影響出したら悪いからね」
「でも、そんなに浅いコンテナじゃすぐ潮風でやられちゃうわよ?」
葉物野菜が常在的に採れれば、船旅にとってこんなにありがたいことはない。とはいえ、海岸沿いでも平気で育つココヤシ村の果樹とは違って、葉物野菜は塩気に弱い。直接波を被らずとも、潮を含んだ風を頻繁に浴びるだけで萎れてしまう。それが深さ15p程度の土を収めただけのコンテナとあっては尚更だ。瞬く間に土壌自体が塩気にやられて、そもそも芽吹かない恐れすらある。
「うん。だから俺も半信半疑なんだけどさ…。ヤクモ島の市場で教えて貰った方法なんだ」
今日出航したばかりのヤクモ島では遠洋漁業で生計を立てている猟師が多かったのだが、彼らは一度も壊血病などの症状に冒された事がない。それは、昔からこの島に常在している、特殊な生物の助けを借りているからだ。その生物をコンテナに仕込んでおくと、潮に負けない植物を育んでくれるのだ。
サンジは頼み込んで、その生物を一匹貰い受けてきた。餌となるのは酒だが、毎日おちょこに一杯程度で十分だし、多少酒気が抜けていても構わないという。瓶の底に残っている、澱を含んだものでも良いのだから安上がりだ。しかも、上手に育てれば分裂して世代交代してくれるらしい。
ただ、それは余程主に対して愛着を覚えたときだけだから、人工飼育だと滅多なことでは増えないので、売り手も《数週間もてば良い方だね》とは言っていた。扱いには馴れているはずの島の者が飼育しても、長い遠洋漁業になると途中で生物が死んでしまうらしい。だからこんなに便利なのに、世界に広がらなかったのだろう。
そしてこの飼育には、困った事もある。種を植えたり野菜を採取するときに、どうしたって土に触れてしまうのだ。別に土で手が汚れる事が嫌なのではない。その生物…ニョロロと呼ばれる虫に触ってしまうのが嫌なのだ。
サンジは昔大きなピーマンを切ったときに、中からピーマンと同じ大きさに成長した青虫をぶった切ってしまってからというもの、この手の気持ち悪い系の虫が大嫌いだ。
サンジ個人のお財布から金を出して買った虫ではあるが、怖くてまだ姿を見ていない。騙されて、土だけ貰っていたらとんだ大損なのだが…ここは分けてくれた気のよさそうなマダムを信じるほかない。
ジャヤの密林でのサウスバード探しで、同じく虫嫌いと知れたナミには言い出しにくいので、《土が特殊なのだ》という雰囲気でぼやかしておいた。普段は地中に潜っていて滅多に出てこないと言うし、その内バレたとしても土の外に逃げ出す事は殆ど無いそうだから、ナミも我慢してくれるだろう。
『なんつっても、船旅で野菜が安定供給出来るってェ魅力には敵わねーよな』
サンジは能力の限りを尽くして野菜の鮮度を保つ工夫をしているが、どうしたって限界はある。ログポースに従って進めば、島と島の間隔が広い部分もあるから、根菜類しか料理に使えない時期もある。そうなると栄養が偏ってしまうから、仲間達に申し訳ない気持ちで料理を作る事になるのだ。ビタミン不足で肌つやが悪くなったり、口内炎が出来た仲間を見るのは辛い。
『その為には、気色悪ィ虫だってなんだって育ててやらァ!』
そう心に決めたサンジは、夜になるときょろきょろと辺りを見回して、ナミが居ない事を確認してから震える手で酒瓶を構えた。普段は全く土の外に顔を出さないのだが、酒の匂いを嗅ぎつけると土の表面に出てくるらしい。
《トタタ…》と瓶底に残ったワインを垂らしてやると、ぴょこりと虫が顔を覗かせてきた。
「ひっ!」
腰を抜かしそうになったサンジだったが、鳴り響く心臓を抱えて震えていると、《くんかくんか》と匂いを嗅ぐようにしてから、虫は酒の沁みた土の上で嬉しそうに転がり始めた。太さは1p、長さは5pくらいか。深い緑色をした身体は、どこかゾロの髪の色にも似ていた。
「…酒が好きってのも、あいつみてェだな」
そう思ったら、妙に愛着が湧いてきた。
じりり…っと近寄って見てみると、活発に動いて土に入り、せっせせっせと耕している。なかなかの働き者だ。
「へへ…頑張って働いてくれよ?明日も酒、やっからな?」
言葉が分かるわけではないのだろうが、優しく声を掛けてやると嬉しそうに顔を出して、挨拶をするみたいにピョコっと頭(?)を下げた。
「なんだお前、可愛いな!」
サンジが声を弾ませれば、虫も嬉しそうにぴょこぴょこ首(?)を上下させる。そうだ、《虫》という呼称を使わなければ、更に愛着を覚えるかも知れない。
「お前、ニョロって名前はどうだ?ちと安易だけどさ、酒が好きで緑なトコは一緒だし。へへ…でも、愛嬌があるトコは違うか」
《ニョーロ》と呼びかけてやれば、また嬉しそうにぴょこぴょこする。単に酒で興奮しているところに音声刺激が加わって反応しているだけなのだろうが、まるでペットみたいで可愛らしく思えてしまう。
翌日以降もニョロの株は上がり続けた。順調にコンテナの土が肥えていき、数日後には元気そうな芽がぴょこりと生え、更に数日後には、丁度ヤクモ島で仕入れていた葉物野菜が尽きた頃に、貴重なメリー産野菜第一号が育ったのだ。
「ニョローっ!!お前、頑張ったなァっ!凄ェ評判だったぞ!」
珍しく、あのゾロまでが《旨ェ》と呟いたのだ。実際、舌の肥えたサンジにとっても、吃驚するくらいに美味しい野菜だと感じた。酒だけで育てられたニョロが耕したとは思えないくらい土に滋味が溢れていて、野菜の味わいも深かった。
あんまり嬉しかったものだから、手を伸ばしてニョロの頭っぽい部分を撫でてやると、これが意外と気持ち良い。質感がさらりとしていて、少し硬い人の肌のようだ。ぬめぬめとした虫の感触は嫌いなのだが、これなら不快感はない。それに虫特有の冷たさが無く、触れると少し熱いくらいなのも良かった。
思い切って澱を含まない酒を掌に溜めて与えてやると、顔を浸すようにしてグイグイ飲み干していく。何処が口なのかもよく分からないのだが、被膜から吸収しているのだろうか?
「あはは。よせよ、くすぐったい」
酒をあっという間に呑みきると、名残惜しそうにすりすりと頭を擦り寄せてくる姿にも愛嬌があった。ついつい次の酒をやりたくなるが、与えすぎは禁物だ。
「そういやァ…あんまり直にやるのも良くねェのかな?」
ニョロを貰い受けるに当たって、マダムから《重々気を付けるように》と言い含められた事がある。ニョロは酒だけではなく動物の体液も好きだから、接触には注意が必要な生物だ。特に汗や涙のような漿液性体液は、場合によっては酒よりもニョロを活性化させる。体液の型がニョロの体質と合えば、激甚な速度で成長してしまう事さえあるのだという。体液の質はその元となる血液の成分によって異なるから、サンジが珍しい型であることが何か影響を与えてしまうかも知れない。
あんまり大きくなりすぎたらコンテナに収まり切らなくなって、頼み込んでナミの畑に入れて貰う事になるだろう。
野菜にとって良い土でも、蜜柑にとってはあまり良い土ではないだろう。掘り返しすぎて地盤が緩くなる懸念もある。それに、蜜柑畑の世話をするのが実質サンジなのだとしても、愛着のある畑に大きな虫が住んでいるというのは、ナミが嫌がるだろう。
しかし、《ちょうだい?》とおねだりするようにペコペコと頭を下げるニョロはやっぱり可愛くて、手ずから酒を与えるのがサンジの習慣となっていった。そのうち、ニョロの本体が掌にのっかっても、優しく撫でてやれるようになった。
手乗り緑虫だ。
* * *
「…ナニやってんだ、てめェ」
「ん?」
ラウンジから随分と弾んだ声で《良い子だなァ〜》と呼びかけているから、てっきりチョッパーが手伝いでもしているのかと思ったら、コックは土に向かって話しかけていた。とうとう眉毛の醸し出すグルグル光線が脳に達したか。
「別にィ?てめェにゃ関係ねーよ」
仏頂面で睨み返してくるコックの手をよくよく見ると、深い緑色をした虫がちょこんと掌にのっかっていて、そこから随分と良い匂いがする。これはコックが晩酌用にちびちび飲んでいる、上等なワインでは無かろうか?
「てめェ…俺には呑ませねェくせに、虫なんかにナニ上等なモンくれてやってんだよ」
「どこかの穀潰しと違って、ニョロは優秀なファーマーだもんよ。なァー、ニョロ?」
驚いた事に、コックは《ちゅっ》と音を立てて緑虫の頭っぽい部分にキスをしてやった。緑虫がえらく嬉しそうにぴょこぴょこすると、コックもにこにこと零れそうな笑みを浮かべる。
「…てめェ、虫は苦手じゃなかったのか?」
以前、キッチンの壁を黒っぽいカサカサ生物が走ったときには悲鳴を上げてゾロに飛びつき、《何でもするから助けてくれ!》と情けなく頼ってきたのだ。あれは楽しかった。《何でもってなァどこまでだ》等と焦らしてやったら本気で泣きそうになって、ぎゅうぎゅうゾロの頭にしがみついたのである。
あの時には秘蔵の米酒を一本貰って、ほくほく顔で呑んだものだ。
「気持ち悪い系の虫が苦手なだけだ。ニョロは気持ち悪くねェもん。ほら、撫でてやると喜ぶんだぜ?」
掌ごと虫を差し出してくるから反射的に指を伸ばしたのだが、頭っぽい部分を撫でても別に嫌がりもしないが、喜びもしない。
「どこが喜んでんだ?」
「あれ?俺が撫でると…ホラ!」
なるほど、コックが撫でるとぴょこぴょこして喜ぶ。しかしゾロの方はと言うと、コックがあんまりはしゃいだ風に喜んでいるものだから、何やらむかっ腹が立ってきた。
『なんだこいつ…俺にはいつも仏頂面のくせして。俺ァ虫以下かい!』
あまりにも大人げない怒りだと自覚はしているので、コックにそのままぶつけることはしなかったが、それ以上言葉を交わすことも腹立たしくて、そっぽを向くとラウンジから出て行った。
「おい、ゾロ。何か用があったんじゃねェのか?」
「ねェ。虫に興味もねェしな」
本当はコック特製のスポーツドリンクが飲みたかったのだが、《くれ》というのも癪に障って、言い出せないままラウンジを出ると、浄水槽に寄って無造作にゴクゴクと呑んだ。
「……臭ェ」
おかしい。何か変な物でも涌いているのだろうか。
よくよく考えると、海水を無理に浄化槽で真水にしているのだし、現在は夏の気候帯なのだから溜めておけばどうしたって味が落ちる。これを美味しく呑んでいたのは、コックが活性炭を入れたり檸檬汁を混ぜたりと、こまめに加工した後の水だったからだ。冷蔵庫の中には冷えたその水が保管されているとは知っているが、今から戻る気にはなれなかった。
「チッ…。舌が贅沢になってやがる」
昔は違った。たとえ雨水が地面に溜まったモノでも、喉が渇いていれば獣のように平気で呑んだ。少々泥臭かろうが、小さな羽虫が浮いていようが気にした事はなかったのに…こんな事が気になるようになったのは、今現在船の上とは思えないような生活を送っている為だろう。
そういえば、例の虫が土を肥やしているからなのか、出航してから暫く経つというのに、食卓にはしゃきしゃきとした歯触りの新鮮野菜さえ並んでいる。見た目だけではなく栄養価も高いのか、身体の調子も良い。
コックはクルー達の舌を愉しませ、栄養のあるものを食べさせようといつだって一生懸命だ。
それは分かってる。分かっている…が、やはり虫けら如きにキスなんかして、嬉しそうににこにこと笑いかけていたコックに腹が立つ。ゾロにはあんな風に笑ったりしないではないか。
「……………」
思い返してみると、ゾロはコックがにこにこ顔になるようなコトをしてやった事があったろうか?たまに街で出くわすと、決まってコックは大荷物を抱えているから幾らか担いでやる事もあるが、やる前に必ず交換条件を出している。大抵が《良い酒を寄越せ》という要求で、コックは渋々といったふうに受け入れた上で、《酒ばっかり飲むな》と肴をつけてくれたりする。
実はその肴の方が目当てになっていると、コックは気付いていないだろう。《肴を作ってくれねェか。てめェが作ったやつのほうが、その辺の酒場で喰うより遙かに旨ェからな。酒の味が際だつ》なんて言ってやったら、多分照れながらも喜ぶのだろうと思う。けれど照れくさくてとても言えないから、いつだって《酒が一番》という様式を保ち続けていたのだ。
無償の奉仕をしてやったり、料理を褒めてやったらあんな顔をしてゾロにも笑うだろうか?
『いや…待て待て待て。なんだってこの俺が、あのアホコックの為にそこまで気を回してやらなくちゃならねェ?』
先日訪れた島には《君の笑顔はプライスレスな宝物》といった煽り文句で宝飾品を売っている店があったが(彼女の笑顔のために、高い宝石を買えと言うのだろう)、アホコックの笑顔など女連中やら小動物相手には垂れ流し状態で振る舞われているのだ。
《今更浮かべさせなくたって》…と思うのに、《そりゃ筋が違うぜ》と嘲笑う第三者視点の自分がいる。
『………俺に向かわないと、意味がないと思ってるわけか?』
脳がどうにかしてしまったのだろうか?
ゾロは大して容量のない頭蓋をガクガクと振ってみた。
* * *
「ちェ…。何だよ、バカマリモ」
舌打ちしながら、サンジはニョロを優しく撫でつける。つれないゾロの代わりにニョロを可愛がっているのだとは思いたくないが、髪の毛の色合いがニョロの本体と似ているせいか、時折オーバーラップしているのは自覚していた。
「ニョロ〜…。ゾロの奴、ほんっとバカだよな。お前はこんなに良い子で、あいつらの身体の為にいっぱい土を耕してくれてんのにな」
ニョロは何も言わずにぴょこぴょこと頭を振ったり、盛んに掌へと頭を擦りつけてくる。まるでサンジが落ち込んでいるのを理解して慰めてくれているみたいだ。
「へへ…良い子だな、ニョロ」
ちゅっと最後にもう一度だけキスをしてコンテナに戻してやると、名残惜しいのか、初めて《きゅう〜きゅう〜》と、か細い声をあげた。コンテナの縁に寄りかかるようにしてサンジの方を向いているから、やはり意識的に呼びかけているのだろう。
「ニョロ…お前、こんなにちっこいのにホント賢いのな。馬鹿剣士とは大違いだ!」
けれど連れて行ってやる事は出来ない。幾ら虫の中では特別な存在になったと言っても、ニョロと添い寝をする気にはなれなかった。朝になったらシーツに緑の染みを残して潰れていたなんてシュールすぎる。
「良い子だから、一人でねんねしな。お前が潰れたら、俺寂しくて泣いちゃうぜ?」
言っている事が分かっているかのように、ニョロは鳴くのを止めた。それでも《じぃっ》とサンジの後ろ姿を見つめているようなニョロに、後ろ髪引かれるような思いでラウンジを後にした。
浴室に入ろうとすると、不意に後ろから手首を掴まれた。がっしりとした骨組みをした体温の高い手は、振り返らなくても誰のものだかすぐ分かる。
「何だよ」
「話してェことがある」
振り向いたら、そこには妙に真剣な眼差しがあった。そんな風に見つめられると、琥珀色をした三白眼に居心地が悪くなってしまう。真っ直ぐ視線を合わせるなんて、刀と脚とで大喧嘩している時くらいだ。
そのままずるずると風呂場に連れ込まれてしまう。ゾロは何故だか後ろ手に扉を閉めると、きっちり鍵まで掛けた。
なんだなんだ。リンチにでもかけるつもりか?
しかしそこまで怒らせるようなことをした覚えは(珍しく)ないし、そう簡単にやられるつもりもない。ぎりり…っと眼差しを強くして睨み返していたら、今度は両肩を掴まれた。これまた熱い体温と、肩をくるりと取り巻く大きな手の存在感に、やたらと胸がドキドキする。一体何のつもりなのだろうか?
『ふ…風呂場で俺の両肩掴むとか…ゾロに限ってナイとは思うけど、シモ関係のなんかか?』
《やらせろ》とかだったらどうしよう?
どうしようもこうしようも、蹴りをくれてやって撃沈すべきなのだが、どうしてだか脚が動かない。《やらせろ》の他にも何かこう…サンジの心をときめかすようなことを言ってくれば、《させてやらんこともない》と思っているらしい自分に吃驚した。
『させても良いの?え?大丈夫俺?もしもし?相手、マリモだぞ?レディじゃねーぞ?』
別にレディのように抱きしめたいとは思わない。むしろ…包み込むように抱きしめてくれたら…なんて考えていたら、ぽっぽと頬に血の気が上がってきた。
けれどゾロの発言は、サンジの予想の斜め上をいった。
「おい、コック。なんか俺にして欲しい事ァねェか」
「…………ハイ?」
あまりにも思いがけない台詞だったので、意味を諒解するまでたっぷり5秒は掛かった。しかも、発言の意味は分かっても、ゾロの真意は分からない。
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