野分 -3-


翌日も朝からしとしとと雨が降り続いてはいたが、荒れそうな天気ではなかった。
いつものように和々のケーキを拵え、バンの後ろに乗せて山の上のプチホテルへと向かう。
雨に濡れた山々は暖房が効くバンの中にあっても肌寒さを感じさせるくらい物寂しい雰囲気だが、それでもチラホラと色付いた樹々が目に付いた。
急激に気温が下がってから、紅葉も進んだようだ。

「おはようございます」
ウソップ達はすでにラウンジで待っていて、車がエントランスに入ったのを認めて外に出て来てくれた。
「おはよう、カヤちゃん今日も綺麗だね」
「サンジさんこそ」
どんな挨拶だよと呆れるウソップを尻目に、さっさとカヤだけエスコートして車の後部座席を開けた。
「和々さんに、開店前にお邪魔してもよろしいでしょうか」
「もちろん、普通の喫茶店じゃなくて店主のたしぎちゃん以外は年季の入った肝っ玉レディばかりだから、カヤちゃんなんかちょっと面食らうかもしれないよ」
「楽しみです。私、家のもの以外で年上の方とお話しする機会がありませんので」
特に目当ての観光も娯楽もない田舎の旅をカヤは心底楽しんでくれているようで、なんだかサンジまで嬉しくなった。



雨に濡れた山道を緩やかに下る。
「いいホテルだろ?」
「おう、都会っぽかった」
ウソップはそう言って笑い、カヤと顔を見合わせる。
「昨夜のディナーも美味しかったです。昨日のサンジさんのランチも含めて、まるでグルメ旅行みたい」
「じゃあ今夜はがくんとランク下がるかもよ。なんせ鍋だ」
「私にとってランクアップですわ。私、お鍋って食べたことないんですの」
「へえ?」
正面を向いてハンドルを操作したまま、どこまでお嬢さんだと呟いたゾロの座席にしがみ付くようにしてウソップは顔を寄せた。
「カヤは小さい頃にご両親を亡くして、ずっと使用人や執事達と暮らして来たんだ」
え、と目を瞠りサンジが斜め後ろを振り返る。
「親戚とか、お祖父さんお祖母さんは?」
「どうも私の家系は縁が薄いようで、一代で財を成した祖父の直系の孫である私しか後継者がいなかったのです。お陰でお金には不自由はいたしませんが、他に身よりはありません」
言ってから、でもと声を明るくする。
「執事のメリーを始め、家で暮らす皆さんは私にとって家族同然です。とても大切で、私のことを大事に思ってくださっている。今度のこの旅行だって、メリーはなかなか許しませんでしたのよ」
「そうだよなあ」
うへへ、とウソップは得意そうに首を竦めた。
「カヤと交際を始めて10年。ようやくカヤん家にも出入り自由になれたけど、今度は嫁入り前に外泊だなんてと、かなり説教されちまった。これでカヤを嫁に貰いたいってお願いに行ったら、俺は生きて帰れるかどうか・・・」
「そんな状況なら、結婚してこっちに引っ越すなんてことになったらそれこそ大変なんじゃないか?その人達にとって、職場がなくなることにもなりゃしねえのか」
まさか執事+使用人付きでシモツキに引っ越してくることはあるまい。
「祖父は道楽で美術品なども収集しておりましたので、私がお嫁に行った後は屋敷ごと私設美術館にしようかとも思っております。希望があれば引き続きそちらで勤めていただくこともできますし、私にも時折帰れる実家があった方が嬉しいですし」
「そりゃそうだよ、実家に帰らせていただきます!は伝家の宝刀だよ」
「余計なことを吹き込むなー」
血相変えるウソップに、その他3人が笑い声を上げた。



「さ、着いたぞ」
昨日ウソップ達が降り立ったシモツキ駅を通り過ぎ、組合の事務所裏へと回って裏口に車を寄せた。
「ごめんね、折角なのに裏口から入る形になって」
気遣うサンジに、いいえとカヤは目を輝かせながら首を振る。
「なにもかも初めて、すごく楽しいです」
お勝手のドアを開けると、声を出す前に中から一斉に挨拶が響いた。
「おはようサンちゃん、今日は遅かったね」
「ああ、お客さん?」
「おはよう〜」
いきなり賑やかな空気に触れたようで、サンジの後ろでカヤは立ち止まり目をクリクリさせている。
「昨日いらしたお友達ですね、おはようございます」
たしぎはカウンターの中から挨拶しながら出て、途中で角に腰をぶつけた。
スレンダーなのに自分の車体幅がわからないらしい。
「あたた」
「大丈夫?」
「いんやあ、可愛いお嬢さんだねえ」
「おはようさんねえ」
「おはようございます」
きちんと頭を下げて挨拶するカヤの後ろで、ウソップも元気よく挨拶している。
「また若い子が増えて嬉しいねえ」
「ゆっくりしてってねえ」
言いながら、おばちゃん達はサンジからケーキを受け取ってテキパキと冷蔵ケースの中に仕舞い始めた。

「まあどうぞ」
たしぎに促され、カウンターに4人並んで腰掛ける。
背後でシャッターが開けられ、手早く開店準備が進められた。
カーテンのドレープを整え、今日はどのタッセルにするか選ぶおばちゃん達は楽しそうだ。
「素敵なお店ですね。とても可愛い」
じっとしていられないのかカヤは立ち上がって、見てもいいですかとたしぎに了解を取った。
「勿論、みんなコーヒーでも飲む?」
「いただきます」
ぺこりと頭を下げるウソップに、黒縁眼鏡の下から笑みを返す。
「たしぎちゃんのコーヒーは絶品だよ」
「コーヒー淹れるのだけは上手いんだよな」
「『だけ』は余計よ、ゾロ」
カヤはあちこち見て回っては、気に入ったものをそっと手にとって眺めた。
秋らしくファンシーな装いの店内で、カヤの姿はまるで絵のようにしっくり来る。
「すごく綺麗な方ね」
「あ、ありがとう」
ウソップは照れたような申し訳ないような、なんだか複雑な表情で半笑いした。
「紹介がまだだったね、こいつが俺の中学ん時のダチでウソップ。んで、あちらのレディはなんと驚くなかれ、こいつの婚約者のカヤちゃんだ」
「カヤです、よろしくお願いします」
両手を前で合わせ深々とお辞儀され、たしぎのみならずおばちゃん達も揃って頭を下げた。
「なんとまあ、別嬪さんな上に上品じゃあねえ」
「お嬢様ねえ」
「お嬢様さ」
「それでこちらが、この店のオーナーでゾロと同じ会社で農業もしているスーパーレディ・たしぎちゃんだ。ここの品物を選んでるのは、旦那さんのスモーカーっておっさんだよ」
「まあ、旦那様がこちらを選んでらっしゃるのですか?」
カヤは目を丸くして驚いた。
「素敵ですね、ご夫婦でお店を経営されてるなんて羨ましい」
「いえ、夫は品物を選ぶ以外は主に農業に従事してますから。今日も、コビー達と施設に寄ってからこっち来るって言ってたわ」
後半はゾロに向けて話した。
「んで、こちらのご婦人方は向こうからお松ちゃん、すゑちゃん、おウメちゃん。和々の看板娘達だよ」
いやあだあと、一斉に華やいだ声を上げる。
「はい、皆さんコーヒー入りましたよ」
カヤは、はあいと返事をしてカウンターに戻った。
たしぎがおばちゃん達の分を運ぼうとトレイに乗せたのを、手を伸ばして受け取る。
「私が持って行きます」
「いいの?ありがとう」
ひっくり返さないように慎重に、おそるおそる歩を進めながら危なっかしい足取りでおばちゃん達がいるテーブルへと持っていく。
「どうぞ」
「ありがとうねえ」
「お客さんに、悪いねえ」
全然悪く思ってないように、ウメちゃんが言った。
実際、一生懸命運ぶカヤを見る目は、雛の巣立ちを見守る母鳥のようだ。
「今日は4人体制なの?」
サンジが問えば、お松ちゃんがいんやと首を振る。
「あたしは朝の散歩がてら顔出しただけだから、もう帰るよ。今日のお当番はウメちゃんとすゑちゃん」
「けど、あたし午後からちょっと抜けさせて欲しいんだけど」
大ばあちゃんを病院に送らなきゃ、とすゑちゃんは申し訳なさそうに手を上げた。
「いいですよ。平日ですし、こんな天気ですから、お客さんは少なそう」
私とウメさんで充分ですと答えるたしぎに、カヤがあのうと遠慮がちに切り出した。
「もしよかったら、私こちらでお手伝いしてもいいでしょうか」
「え?」
「いいの?」
明快に食い付いて来てくれて、カヤは恥ずかしそうに頷いた。
「ただ、私経験がないので足手まといになると思いますが、こんな素敵なお店で働いてみたかったんです」
お役に立てるかどうかわかりませんと殊勝に頭を下げるのに、大歓迎よとたしぎははしゃいだ声を上げた。
「カヤさんってこのお店に凄く似合うなと思ってたから、こちらからお願いしたいくらい。そう広くはない店だし、てんてこ舞いするほどお客さんも来ないから、よかったらゆっくりしてって」
「そう、お盆を運ぶのもこっからここまでくらいだから、そんなにひっくり返したりしないよ」
「たしぎでさえ大丈夫なんだから」
「だからなんで私?」
やたっと両手を合わせるカヤに、ウソップも頷いている。

裏口が騒がしくなって、ドヤドヤと人が入ってきた。
「おうっす!」
「おはよう」
「うっす〜・・・って、え?」
朝から一仕事して来たらしいコビー達が中に入り、いつものメンバー+見慣れないカップルに目を丸くしている。
「ああ、いらっしゃい」
後から来たスモーカーがのっそりと会釈した。
「この、後ろにいるのが私の夫スモーカーです。前にいる二人はコビーとヘルメッポ」
「一まとめ?俺がヘルメッポっす、よろしく」
「コビーです、おはようございます」
「サンジの友人のウソップです、そしてこっちが婚約者のカヤ」
「おはようございます」
カヤがしとやかに頭を下げると、ヘルメッポとコビーはへにゃんと相好を崩した。
「なんとまあ、この店によく似合う人だなあ」
「ほんとだ〜」
ヘルメッポは素早く回り込みカヤの横に腰掛けた。
「お嬢さん、お一人で?」
「お前今、俺の紹介聞いてなかったのかよ!」
「都合が悪い話は聞かないことにしている」
明快なノリ突っ込みで、ウソップはすぐに仲間達と打ち解けた。



「さて、そろそろ開店だあね」
「じゃああたしはこれで、カヤちゃんゆっくりしてってね」
「いってらっしゃいませ」
お松が去り、店の玄関が開け放たれる。
とは言え、すぐに客は来ない。
来るとしたら、次の電車が駅に到着する30分過ぎになるだろう。
内職的にカウンター中でメニュー表を書き始めたたしぎの手元を、カヤは覗き込んだ。
「それはなんですか?」
「うん、日曜日にレテでハロウィン・パーティするって聞いたから、サンジ君から聞いたメニューで描いてるの。
色紙を葉っぱやかぼちゃの形に切って、可愛らしく文字を書き入れている。
「すごいなあ、そんなのを簡単にささっとできちゃうなんて感心します」
「いえ、何も考えないで描いてるだけで・・・」
言いながら肘をずらしたら、横に置いてあったカップを倒してしまった。
「あっつっ」
「ああ、大丈夫ですか」
「だから傍に物を置くなと言っただろうが」
スモーカーが手早く周囲を拭いて、ついでにたしぎの肘も濡れタオルで冷やしてやった。
汚れた上着を脱がせて、背後に置いてあったエプロンを身に着けさせる。
一連の動作を見ながら、カヤは感心したように一人頷いていた。
「旦那様、とても手際がよい方ですね」
「や、これは慣れたんだろう」
「一日に5.6回こういうことがあると、嫌でも慣れるよな」
「失礼な、そんなにありません。2.3回くらいです」
抗弁するたしぎの台詞の方が説得力があった。

そうだ、とサンジが声を上げた。
「ウソップは絵本作家なんだ。そげキングってPNで5冊くらい出してんだけど、知ってる?」
たしぎを筆頭に、誰一人頷かない。
「・・・俺、やっぱ知名度に問題が・・・」
「いやごめん、でも絵本ってことはホラ、まだ誰も子どもいないし」
「つか結婚すらしてねえし」
「そげキングさんですね。わかりました、調べてみます」
ちゃきちゃきとメモをする事務的なたしぎの態度は、ウソップをさらに落ち込ませた。
「まあそういう訳で、ちょっとした芸術家だから今度のパーティ用の店の飾りつけも手伝ってもらおうかなと思ってさ」
言い出しっぺのサンジが、フォローにならないまま話を続ける。
「色紙とかなんか小物で、使えそうなもの分けてもらえるかな」
「いいですよ」
「自然素材でなんかないですか?木切れでも枝でもいいです」
「葛蔓があるぞ」
スモーカーが答えた。
「冬休みに葛工芸するかっつって、こないだ山に入って色々拾って来たんだ。よかったら好きなだけ使うといい」
「ああ、そりゃありがたいです」
ウソップは顔を輝かせた。
「ススキとか落ち葉とか松ぼっくりとか、そんなのも採取してえ」
「それなら」
ゾロは窓の外を見た。
どうやら雨は上がったらしい。
「このまま施設に行って、あとその辺うろついてなんか取って来るか?」
「おう、どうせここで一服したら施設に戻るつもりだったしな」
「ゾロ、仕事は?」
「俺の仕事の傍でするといい。どこにだってなんかある」
なるほどと頷いて、それじゃあとカヤを振り返った。
「カヤはここでお手伝いしててくれ、俺は材料集めに行ってくる」
「じゃあ、俺は一旦家に帰って飯の支度してるから、ゾロは昼前にカヤちゃん乗せてウソップと一緒に家に帰って来いよ」
「了解」
「それじゃ、行ってきます」
コーヒーを飲み終え、一斉に席を立つ。
ウメちゃんからエプロンを手渡され、カヤも表情を引き締めてリボンを結んだ。
「いってらっしゃいませ」
「お仕事頑張ってね」
たしぎとカヤに見送られ、サンジのみならず男共は皆ニヤけた表情で裏口から出て行った。
雲が切れて、晴れ間が覗いてきたようだ。







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