庭守と庭守と夜の巣箱
-9-


こんなにも空は晴れているのに、心の中はどんよりとした曇り空だ。
否、いまにも雨が降り出しそうな天気と言ってもいい。
そう自覚するほどに、胸が詰まっている。

――――なんで俺、こんなにショック受けてんだろ。
あてもなくトボトボと歩きながら、サンジは無意識にポケットを弄って煙草を探す。
今日は制服を着ていたと気付いて、一人でバツの悪い思いをした。

ゾロが、サンジに素っ気ない態度を取ったからだろうか。
一応、いるのは認めてくれた。
サンジが来ていることをなんでもないことのように、横目でちらりと見ただけで通り過ぎてしまった。
でもそれは当たり前だ。
サンジが勝手にゾロの家に押しかけているだけで、ゾロが毎回歓待しなきゃならない訳じゃない。
週末の手伝いだって、あまりに暇そうにしていたからわざと用事を作ってくれただけだ。
四六時中サンジに構っていられるほど、ゾロは暇じゃない。
わかっている、自覚しているのにそれでも寂しいと感じるのはただのわがままだろう。
――――俺って、ガキだなあ。
勝手に居場所を見つけた気になって、構ってもらえなきゃ一人でクサるなんて身勝手以外の何物でもない。
わかっているのに、この胸を満たすやりきれなさはなんだろう。
淋しいだけでなく、まるで傷付いてでもいるみたいに。

「そりゃ、あんな綺麗なお姉様見たらなあ」
チラッと見かけただけだったけれど深く印象に残る美女だった。
サンジなら、車の中だなんて密封空間にひと時でも一緒にいると想像するだけでのぼせ上ってしまいそうだ。
同僚だろうが恋人だろうが、羨ましいことこの上ない。
そう、きっと俺は嫉妬している。
あんな美女と共にいたゾロに対して―――

「…違う、気がする」
誰も聞いていないから、本音がほろりと零れた。
確かにヤキモチは妬いている。
だがそれは、ゾロに対してじゃない。
ゾロと一緒にいたあの女性にだ。
この世の全女性の味方であり、心の恋人たる立ち位置にありたいはずのサンジが、女性に対して嫉妬している。
「やべえじゃねえか」
マジもんで激やばい。
ゾロへの気持ちはいつの間にか、自覚せずにはいられないほど膨らんでいた。
ゾロは男なのに。
自分より年上の、大人な男なのに。
そもそも、自分の恋愛対象じゃないし。
っていうか、サンジが大好きなレディじゃなのに。
なんでこうなった???

混乱のあまり、一人で頭を抱えてその場にしゃがみ込みたくなった。
実際には閑散とした街中のゲーセンの片隅で、壁に額を押し付けて考え込んでるふりをしているだけだけれど。
いずれにしろ、ゆゆしき事態だ。
不良街道まっしぐらだと思っていたのに、こんな道の踏み外し方なんてあるだろうか。

「…いや、まだ一時的な気の迷いってこと、あるかもしんねえし…」
「大丈夫?具合悪いのかしら」
涼やかな声が背後から降ってきて、サンジは反射的に目をハートにして振り返った。
「いえ、なんでもないですレディ〜」
声の印象に違わぬ凛々しい美女が、口端だけを引き上げて微笑んだ。
「そう?ならヒナ安心。ところで学校は?」
はっと気付いて蒼白になるも、後の祭りだった。





「お手数をお掛けしました」
深々と頭を下げるゼフの後ろ姿を、サンジは正視できなかった。
しくじったという思いと、自分のせいでゼフに頭を下げせている罪悪感がせめぎ合い、ただただ居たたまれない。
できることなら、一刻も早くこの場から逃げ去りたい。
「今回が初めてですし、保護者の方ともすぐに連絡が取れたので注意だけで留めておきますわ」
「ありがとうございます」
ゼフはチラッと後方に視線を流す。
お前も頭を下げろと促されるかと思ったが、何も言わず前に向き直った。
サンジはぎくしゃくとした動きで腰を折る。
「すみませんでした」
「ご家族に、心配を掛けないようにね」
優しい言葉が胸に痛い。
刑事たちが立ち去った後も、サンジはその場から動けなかった。
ゼフの顔がまともに見られない。
「おい」
「―――・・・」
蹴られると思って身を固くしたのに、予想した衝撃が襲ってこない。
「なにぼうっと突っ立ってんだ、帰るぞ」
「・・・っ!」
背を向けて歩き出すゼフの、偏ったリズムの歩みを慌てて追いかけた。

「わざわざ、来なくてもよかったのに。その、電話だけで」
口をついて出た言葉は、謝罪ではなく悪態だった。
我ながらあまりにも、天邪鬼すぎると思う。
なぜ素直に、謝れないのだろう。
「店だって、開けなきゃなんねえのに。忙しいのに、こんなとこ来てる場合じゃねえだろ」
ゼフは黙って、前を歩く。
ゆっくりとした歩みなのに、追いつくのが怖い。
「俺のことなんて、放っとけばよかったのに!」

補導されるなんて、初めてのことだった。
今までは街をうろつく時も極力注意を払っていたし、喧嘩の最中でも気配を感じればすぐに逃げられた。
ゾロのことで気を取られていたとはいえ、大失態だ。
「…お前、しくじったと思ってるだろう」
ゼフは前を向いたまま、そう尋ねてきた。
「下手ァ打ったと、そう思ってやがるな」
その通りだったので、サンジは立ち止まって俯く。
「―――ごめん」
今度はちゃんと、謝罪の言葉が出た。
「俺が間抜けだった、ジジイに迷惑かけるつもりは…」
「それは、違うぞ」
ゼフは歩みを止め、振り返った。
今度こそ蹴られると思ったのに、サンジを見つめる目はいつもの厳しいだけの眼差しだ。
怒りも呆れも、蔑みの色もない。
「ボケっとふらついてておまわりに目エ付けられたのが間抜けだと、言ってんじゃねえ。そういうことじゃねえんだ」
サンジには、なにが違うのかわからない。
警察に捕まらなかったら、ゼフに迷惑をかけることもなかったのに。

きょとんと見返すサンジに、ゼフはふっと諦めたように鼻息を吐いた。
見捨てられる――――
咄嗟に焦燥感に駆られ、縋り付きそうになる。

「俺ァいい。だが、人さまに迷惑をかけるな」
「そんなの、わかって…」
「こうして街をうろついてるぐらいはまあ、いい。お前、ロロノアさんのとこに行ってたんだろう」
『ロロノア』の名前が出て、胸がドクンと大げさなほど跳ねた。
早まる鼓動がゼフに聞こえそうで、妙に焦る。
「…なんで」
「今日、常連さんに釘を刺されてな」
ゼフは再び背を向けて歩き出した。
なにを言われるのかと、びくつきながら後に続く。
「平日の昼日中に学校にも行かず、男の一人暮らしの家に通ってるのはどうなのかと心配された」
「そ、れは―――」
庭があまりに、綺麗だったから。
「お前がどうしようが、どこでなにをしていようが俺は咎めだてしねえ。学校に行く振りをして騙していたなんて思うことはねえ。そんなもの、様子を見てりゃ大体わかる。確かにお前は、ことさら嘘を吐いたり誤魔化したりもしていねえ」
バクバクと、鼓動が早まる。
ゼフの穏やかな話し方は、叱責されるよりよほど恐ろしい。
「だが、俺やお前はよくてもロロノアさんには迷惑だ。あらぬ疑いを掛けられて外聞も悪い。お前が勝手に押しかけているだけでも、世間はそう取らねえ」
ゼフは、ちらっと横目だけ寄越した。
「ロロノアさんの立ち場ってもんも、考えろ」

ガンと強く殴られたような衝撃を受け、サンジはその場で立ち竦んだ。
あらぬ疑いを掛けられて反発する気持ちと、ゼフに指摘されたことへの生理的な嫌悪感。
その一方で、常連からの忠告というのが至極もっともなことだと納得する気持ちもある。
いくら庭が綺麗だったからと言って、他人の敷地に無断で立ち入っていいはずがない。
学校をサボって、それこそ男の一人暮らしの家に頻繁に出入りする高校生なんて、男子だからと言って許される時代でもないだろう。
どんな色眼鏡で見られるか、もっと客観的に考えて自分で気付くべきだった。

なにが、自分の居場所だ。
人に迷惑しかかけられないで、存在するだけで邪魔になるただの役立たずなのに。



暗い思いが一気に噴き出して、ふらつきながら歩みを止めた。
目が眩み、気分が悪い。
先を行くゼフの後も追えなくて、ただ立ち尽くすだけだ。
どこへ行ったって居場所はないし、逃げ出す勇気すらない。

「おーい、なにしてんだチビナス!」
パティのどら声が響いた。
帰りが遅くて焦れたのか、ゼフとすれ違いに走ってくる。
だがサンジの足は、道に縫い付けられでもしたように動かなかった。
もう、どうしていいかわからない。

「心配かけやがってこの野郎」
強く背中を叩かれた。
パティなりの励ましなのだろうが、心臓が破裂しそうなほどの衝撃で息が詰まる。
「もたもたしてねえでとっとと帰って来い、店にロロノアさんが来てる」
「えっ?!」
今度こそ、心臓が口から飛び出すかと思った。







next