庭守と庭守と夜の巣箱
-10-


本気でその場から逃げ出したくなったが、その何倍もゾロに会いたい気持ちが溢れてしまった。
顔を見るだけじゃなく、声を聴きたい。
話をしたい。
会って、ちゃんと謝りたい。
迷惑をかけていたことを、今更だけど自分の口から詫びたい。

サンジはぎくしゃくとした足取りでカフェスペースに向かった。
レストランはディナー前でCLOSEの札が掛けられている。
カフェも、今日は販売だけでイートインは休みだ。



レジでゾロがカルネと立ち話をしていた。
双方ともに知っている人物が、サンジの知らないところで親し気に話しているのを見るのは不思議な気分だった。
「世話んなってる工務店の親方が、結婚記念日だってことで」
「承知しやした、いつもご贔屓ありがとうございます」
カウンター奥から出てきたサンジを見て、ゾロはカルネに向けていた微笑をそのまま流してから、ぎょっとしたように二度見した。
「どうした」
「…え」
「ひでエ面だぞ、具合悪いのか」
言われて、サンジは自分の頬に手を当てる。
酷い気分だが、それがそのまま顔に現れているとは思わなかった。

そんなサンジの頭にゾロの手がひょいと伸びて、くしゃくしゃと前髪を撫でる。
「今日は菓子を持ってきてくれてありがとうな。支払いが後になってすまん」
「や、いいよ」
頭を振って、後ずさった。
子ども扱いするなという反発心とジジイが見てる後ろめたさと、もっと撫でて欲しい欲を見透かされたくなくて、結果的にその手を払いのける。
「わざわざ、払いに来てくれたの」
「まあ、それもあるし予約も入れたくてな。ついでだ」
「ついで」の言葉に、また胸がズキンと痛む。
ゾロの一挙手一投足に振り回され、細かな傷がいくつも刻み付けられた。
こんな自分が一番面倒くさいと思う。
ゾロはなんにも、感じていないのに。

「いつも、うちのクソガキがお世話になっております」
慇懃に挨拶するゼフに、ゾロも頭を下げた。
「こちらこそ、先週はうちの片づけを手伝っていただきました」
傍らでぶすくれた顔をしているサンジを見やる。
「素直で優しい、働き者のお子さんですね」
「なっ?」
思いがけない言葉に、サンジは顔を赤くして動揺してしまった。
「そうですか」
なにがおかしいのか、ゼフは仏頂面のまま肩を震わせている。
「邪魔ばかりして役立たずの上、ご迷惑をおかけしました」
サンジが謝りたかったのに、ゼフに先を越されて軽くショックを受けた。
「迷惑なんてしてませんよ」
返すゾロの言葉が如才なくて、二人の会話に割って入れない。
自分がとことん子どもだと思い知らされ、気持ちだけが焦る。
思わず縋り付くような目でゾロを見たら、目が合った。

「美味しい食事をご馳走になりまして、さすがレストランの跡継ぎだと褒めたら怒られましたが」
「いやあ、まだまだです」
ゼフの答えに、ぎょっとして目を見張る。
跡継ぎなんかじゃないとか、料理を教えたことはないとか、否定的な言葉が出るかと思っていたのに。
「最近ようやく、掃除や皿洗いを任せられるようになってきたところです」
「さすが、しっかりと基本を抑えていらっしゃる」
ゾロはサンジの目を見据え、しっかりと頷いた。
「これからたくさん、学ぶことがあるな」

―――――ああ。
サンジの胸を貫いた痛みは、鈍いけれど深く染み入り中で留まった。
ゼフとゾロ、それにカルネも達も。
みんな大人なのだ。
サンジ一人が子どもで、自分のことしか考えていなくて周りがまったく見えていなくて。
空回りして甘やかされて、守られていたことすら気付いていなかった。
今この場で、ゾロのこの一言で、決定的な差を見せつけられた気がする。
自分はあまりに幼過ぎたと。

ゾロは、サンジが学校に行っていないことなどとっくに気付いていた。
ゼフの元に子どもが引き取られたことだって知っていただろうし、平日の昼日中に他人の庭で煙草を吸っていたら、問題児だと一目で看破するだろう。
それでも咎めずに放っておいてくれたのは、ゾロの優しさだ。
学校はどうしたとか家に帰れとか、口うるさいことは何一つ言わなかった。
こっちが寂しくなるくらい、干渉してこなかった。
それもこれも、ゾロがうんと大人だからだ。

色を失くして立ち尽くすサンジの背を、パティが軽く叩いた。
「立ち話もなんだ、ロロノアさんコーヒーいかがです?」
「いただきます」
遠慮なく、明快に答える。
「店に戻るぞ」
「へいっ、お疲れさんでやす!」
「こちらにどうぞ」
カルネはゼフに続いて厨房へと向かい、パティはゾロに空いたカフェスペースを案内した。
「チビナス、おめえもちょっと座って休め」
「…俺は」
「俺も店に行くからな、適当に食ってろ」
乱暴な口ぶりに反して繊細な仕草でコーヒーを淹れ、サンジにはカフェオレにして持ってきてくれた。
テーブルの中央には焼き菓子の盛り合わせも置いて、「じゃあな」とそそくさと立ち去る。
向かい合わせに座って、二人だけが取り残された。

「いただきます」
ゾロはカップに口を付け、「うん美味い」と呟く。
「今日、さっそくご近所さんに挨拶回りしてきた。手土産のロゴを見て、喜ばれたぞ」
「――――そう」
よかったと呟いて、サンジもカップに口を付ける。
スッキリとしてまろやかで、ほんの少し苦い。
「天気もよさそうだし、来週早々に解体する」
「どのくらい、日数かかるんだ?」
「多分2日かからないんじゃねえかと、親方は言ってたな」
「親方…」
そういえばさっき、カルネと親方の結婚記念日がどうとか言っていたっけ。

「俺もずっと一人で仕事を請け負ってる訳じゃなく、工務店を通した依頼なんかもあって共同で作業したりしている。カティフラム・カンパニーってエとこはなかなかいい腕をしてるし、仕事の幅も広くてな」
「ふうん」
「さっき、俺を家まで送ってくれた車あったろ?あれ運転してたのが、そこの嫁さんだ」
「――――・・・」
ごくんと、音を立てて飲み込んでしまった。
「あ、そう」
気にしてない。
全然気にしてない。
なーんにも気にしてませんよと、意識して表情を崩さなかったら逆に顔が強張ってしまった。

「あれは、仕事先の奥さんだからな」
「なんで念を押すんだよ」
「言っとかなきゃいけない気がしたからだ」
動揺を必死で押し隠すサンジとは真逆に、ゾロはなぜか真剣な顔つきをしている。
「お前は、なんかすぐにいらんことを考えそうだ」
「いらないことってなに、別に俺なんにも気にしてなんかいないからな」
考え過ぎはそっちだろうと、抗議する口先が尖ってしまう。
「ゾロが、あんなすげえ美人と一緒に車の中で二人きりとか、羨ましい以外になんにも思わないから」
「そうか?」
「俺のこと無視してまっすぐ家に入ったのも、なんとも思ってないし」
「お、って言っただろうが」
「認識してくれただけじゃねえか」
「急いでたんだよ」
「わかってるよ」
二人、同じタイミングでカップを傾けた。
すぐに飲み干してしまって、物足りない気分でカップを置く。
そして一人で、ふっと笑いを漏らした。

こんな風に、思っていることを口に出すのは久しぶりかもしれない。
わざと横柄な態度を取りながら、その実ずっと誰かに遠慮して生きてきた。
絡んでくる不良達にも虚勢を張って、保護してくれた大人達には反抗して。
好きなものを好きとも言えず、綺麗なものを綺麗だとほめそやすこともできず、ずっと自分を殺して生きてきた。
そのつもりだったのに。

「ほんとは、ちょっと傷付いた」
吐息とともに、ほろりと本音が零れ落ちた。
「無視されたと思ったからか?」
ゾロの言葉に、うつむいたまま首を振る。
「俺の知らない、綺麗なお姉様と一緒だったから」
「・・・」
「ゾロは大人で、俺が知らない世界をいっぱい知ってて、世間も広いってわかってるのに。でもやっぱり、嫉妬したっていうか」
綺麗な、あまりに綺麗なお姉様だったから。
「ゾロ、俺――――」
つ、と唇に焼き菓子が当たった。
いつの間にか菓子を手に取ったゾロが、サンジの口元に押し当てている。
「美味いぞ」
「ゾロ?」
「まあ食え」
ゾロも焼き菓子を口に含み、モグモグと咀嚼しながら一人で頷いている。
「その先は、後で聞く」
「後って…」
「そうだな」
ゾロは二つ目の焼き菓子に手を伸ばして、中空に視線を漂わせた。
「お前が、大人になったらな」

サンジは焼き菓子を口元に押し当て、黙った。
今は、口に出しちゃいけない。
迷惑をかけたと反省したばかりなのに、またゾロを困らせるところだった。
今の自分では、しかもこの年齢では何をどう真剣に伝えようともゾロが受け止めることはできないだろう。
それはゾロが、大人だからだ。

「ゾロ」
「ん?」
「俺、学校に行く」
さして考えていたわけではないのに、するっと言葉が滑り出した。
「もう3月だけど、今からでもちゃんと学校に行く」
「おう」
「あのな、確かハナップっとかいう奴が、俺が休んでる間プリントとか持ってきてくれたんだって」
「へえ」
「そいつと今朝、偶然駅で会ってさ。割といい奴で、あいつがいるなら学校も悪かないかなとか思ってさ」
「ああ、そりゃいいな」

本当は学校なんてとっとと辞めてしまって、専門学校に入るという選択肢もあるだろう。
だがサンジは、学校に行きたいと思った。
一度だけ義理でしか行ったことない学校だけれど、ここで逃げたら何も始まらない気がしたからだ。
通ってもいないのに勝手に怖気づいていたのは、自分だけだ。
「行ってみて、合わなきゃ行かないでいいし」
「うん」
「行ってもないのに見切り付けるなんて、それもどうかと思うし」
「うん」
「だからさ、だから」
サンジはずっと握りしめていた焼き菓子を、パリンと指で砕いてしまった。
「待ってて、くれる?」
ゾロの目をまっすぐに見て、勇気を出してそう言ったのに即答だった。
「ああ」
「俺が、大人になるまで」
「ああ」
「俺、早く大人になるから」
「ゆっくりでいいぞ」

ゾロの眼差しが温かい。
甘やかされていると思うし、大人な分だけ差を痛感せずにはいられない。
でもゾロが約束してくれるなら、きっと頑張れる。

「いつか大人になったら、あの庭にまた行くよ」
だからしばらくは、庭ともゾロともお別れだ。
そう言うと、ゾロは驚いたように片目を瞠った。
「それまで、遊びにも来ねえのか」
「ああ、けじめだ」
「そんなに極端な行動しなくてもいいんじゃねえか」
「いいんだ、俺が決めたんだから」

中途半端にかかわっていたら、きっとすぐに気持ちが高まって暴走する。
自分への戒めとハッパを掛ける意味でも、庭断ちしなくては。
「それに、人生にはわかりやすい目標があった方がいいだろ」
そうと決めたら、いろいろ気持ちが吹っ切れた。
晴れやかに笑うサンジとは対極に、ゾロはなんともつまらなそうに肘を着いている。
「それまで、お前の飯はお預けかよ」
「待ってろって、今より何倍も美味い飯いつか食わせてやるからさ」
まずはコーヒーのお代わりからな、とサンジは立ち上がった。






next