庭守と庭守と夜の巣箱
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自分が慣れ親しんだカフェで、ゾロと差し向かいで話をするのは不思議な心地だった。
先ほどの、カルネと親し気に喋るゾロを見た時の複雑な想いが胸に蘇る。
サンジが知っているゾロが、ゾロのすべてではない。
ゾロだって他の誰かに、サンジが知らない顔を見せる。
自分が見たもの、触れたものを世界のすべてだと勘違いしていた。
それほどまでに視野が狭かったと、改めて思う。
自分自身が身に纏った殻を破くためにも、いまここでゾロ断ちをするのは必然なのだ。

「気が変わったら、いつでも来いよ」
ゾロはどこまでも、サンジを甘やかしてくれる。
ゼフ…はあり得ないが、パティ達に甘いことを言われると無条件で反発するのに、ゾロにはつい素直に頷きそうになった。
そこをぐっと堪え、やせ我慢で笑みを返す。
「俺がいないからって寂しがるなよ、すぐにクソ美味い飯食わせてやっから」

ゾロが約束してくれたのなら、どんなことでも頑張れる気がする。
それほどまでに、サンジの中ではもうゾロの存在が強くて重い。

「じゃあ、な」
いつまでも引き留めていられないと、サンジの方が先に席を立った。
飲み物の代金を払おうとするゾロを、いいから帰れと蹴り飛ばすジェスチャーをした。
「あ、そうだ」
不意に思い出して、戻りかけたゾロを引き留めた。
「あのさ、庭のなんとかって木に括り付けてある、底のない巣箱」
「あ?ああ」
「あれ、取っちまった?」
家を撤去する際、あの庭も手を加えてしまうだろうか。
「ああ、ついでに外そうと思っていた」
ということは、まだ外していないということだ。
「あれ、あのままにしとけないかな」
サンジの言葉に、ゾロは不思議そうに見返す。
「あれをか?まあ、別にいいが」
「庭も、随分変えちまう?」
「樹木に手を加える気はねえよ。ついでにあの巣箱も取り外そうと思っていただけで、別にくっ付けといたって構わねえ」
ゾロはそう言って、サンジを安心させるように頷く。

「あれを取り付けたのは随分前で、しかも平ゴムで巻いてあるから樹皮が取り込んじまってて傷をつけないと取り出せないところだった。あのまま置いとく」
「そうしてくれる?」
サンジはほっとして、表情を緩めた。
「しかし、なんであんなもん気にしてんだ」
素朴な疑問に、サンジは「うーん」と言葉を濁した。
「もしかしたら…って思ってんだけど、確認してねえしさ。ほら、俺、大人になるまであの庭行かないって今決めたし、確認のしようがねえから。また、それも先の約束で」
「なんだ、気になるな」
「じゃあ気にして待ってろよ、俺が大人になるまで」
サンジはへへっと笑って、カフェのドアを両手で押さえた。
「それまで、元気で」
「ああ、お前も無理すんな」
「仕事がんばれよ」
「お前もな」

サンジの決意が固いと見て取ったか、ゾロは軽く手を掲げそのままあっさりと立ち去った。
振り返らない後ろ姿を見送り、サンジの中に寂しさがこみ上げる。

ゾロと出会ったのはほんの10日ほど前のことで、ゾロの家で過ごした時間は数日だ。
なのにもうこんなにも、サンジの中でウェイトを占めている。
一時の気の迷いだと、大人たちは思っているかもしれない。
学校に行って友人を作って、勉強に部活にと忙しくなれば自然と忘れるかもしれないと、思っているかもしれない。
サンジだって、自分の気持ちがこの先どうなるかだなんてわからないし、自信もない。
でもいまはただ、ゾロの存在が心強かった。
それだけで、一歩前に踏み出せる勇気が持てる。

「がんばれ」
見えなくなったゾロの影に、そして自分自身に向かいサンジはそう呟いた。







「いらっしゃいやせ!イカ野郎!」
威勢のいいどら声に迎えられ、フランキーはドアに片手を置いてロビンをエスコートした。
「ゾロ推薦の、上等な店だ」
「ほんと、素敵なお店ね」
シックな色のワンピースを纏ったロビンは、取り立てて着飾っていないのにその美しさが際立っている。
フランキーも、いつもは真冬でも海パン一丁でウロウロする自他ともに認める変態だが、今日はお仕着せのスーツ姿だった。
「肩の辺りが窮屈だ」
「よく似合ってるわよ」
「おめえさんは、いつ見てもどこから見ても別嬪だなあ」
フランキーは、ロビンを褒めるのにてらいがない。
独身時代も結婚してからも、彼の姿勢には一切ブレがなかった。

「いらっしゃいやせ、ご結婚記念日おめでとうございやす!」
「それもゾロから聞いてんのか、照れるなあ」
大きな体を屈めて、個室のテーブルに着いた。
レストラン・バラティエはフランキーの師匠がデザインを手掛けていて、フランキーにとっても思い入れのある建物だ。
「庭が眺められるわ」
「ゾロんちの庭を見慣れてるとちと狭い気もするが、夜の眺めもなかなかだ」
シェフお勧めのワインを頼もうとして、ロビンに断られる。
それならばとフランキーはコーラを注文し、ロビンは天然水で乾杯した。
心づくしのコース料理を、ゆっくりと堪能する。

「ゾロといやあ、ここんちの坊主が随分懐いてたようだが」
「私、先日お見掛けしたわ。綺麗な金髪の、とても可愛い子」
ロビンはフォークを持つ手を止めて、さりげなく気配を探った。
「ここは開放的に見えて防音を施してある、密会には最適だ」
「密会じゃないでしょう」
苦笑しつつ、そっと声を潜める。
「オーナーの遠縁のお子さんと聞いているけれど」
「ああ。俺も詳しくは知らねえが、子どもや孫ってこたァねえらしい。オーナーもあの年で反抗期の子ども相手は大変じゃねえかって、話は聞いてた」
「反抗期なの?とてもそうは見えなかったわ」
「ゾロには懐いてたってこった。最近、真面目に学校にも通い出して、周囲も安堵してるって話だ」
フランキーはグラスを置いて、ふっと息を吐いた。

「まあ、扱いが難しい子だってのは俺も噂で聞いてたがな」
「それは、仕方がないわ」
ロビンは悲しげに瞼を伏せた。
「詮索するつもりはないけれど、こんな小さな街では嫌でも耳に入ってしまうもの。意識しないでおこうとしても、どうしても気を遣ってしまうから」
「まあな。実の兄弟に虐待され、しかも実の親がそれに加担してたってエむごい話だ。ガキん時からろくすっぽ学校にも行かせてもらえねえで、飯だってまともに食わせて貰えなくて発達が遅れてたと聞いてる。実の子どもに、なんだってそんな真似ができるかねえ」
世も末だと首を振って、フランキーは切り分けた肉を頬張る。

「せめて、今までのクソみてえな子ども時代を取り戻せたらいいんだろうが、オーナー達だってどう接したらいいかわかんなかったろ。学校でも腫れ物に触るような扱いだったようだし、そういう状況だったからなおのこと、ゾロの傍にいるのは存外心地よかったんじゃねえか」
「ゾロは、いい意味で無頓着だから」
ロビンも薄く微笑み、グラスを口に運ぶ。
「過度に気を遣われず自然に接してくれる大人が、彼にはちょうど良かったのかも。カウンセリングを受けても専門医が丁寧に説明しても、どこか噛み合わないままだったと聞いたわ」
被虐待児であるが故にか、彼はすべての元凶が自分だといまでも思い込んでいる。
兄弟を苛立たせたのも、父親を怒らせたのも、母親が病気で亡くなったのも。
「兄弟より劣って生まれ、誰よりも弱く育った自分がいけなかったのだと責任を感じて、ずっと負い目を抱いているそうよ」
「そんなバカな話があるか」
フランキーは吐き捨てるように言った。
「親が子どもを虐げるたァ、なにがあったって許されることじゃねえ。思うように育たなかったからってそれがなんだ。ほかの兄弟と比べてどうする。子どもに何一つ、罪なんかねえよ」
「そうね」
静かに激昂するフランキーを、ロビンは艶やかな眼差しで見つめた。
「私、貴方のそういうところが好き」
「ん?ほかにもあるだろ惚れてるとこは」
「どうかしら」
「なによりスーパーな俺だからな」
椅子に座ったまま両手を挙げてポーズを決めたところで、パティ特製の記念日ケーキが運ばれてきた。

「とても美味しい」
切り分けられたケーキをいつもよりたくさん食べるロビンに、フランキーは軽く目を瞠ってみせる。
「珍しいな、甘いもんはそう食わなかったのに」
「だって美味しいじゃない」
幸せそうなロビンの笑顔が、いつにも増して輝いて見える。
フランキーは眩しさに目を瞬かせて、へらりと相好を崩した。
「いいぞ、どんどん食べろ」
「調子に乗っちゃったわ。これ以上はもう、お腹いっぱい」

いつも好んで飲むコーヒーを断ったロビンに、さすがのフランキーも気が付いた。
「おい、まさか…」
「あら、まさか?なの」
心当たりがないとは、言わせないわよ。
いたずらっぽく笑うロビンに、フランキーは声にならない雄叫びを上げかけて慌ててナプキンで口を覆う。
それからおいおいと男泣きをし始めたので、ロビンはまだ目立たないお腹を両手で抱きながら囁いた。
「子どもみたい、でもそういうところも好きよ。素敵なパパね」



ちょうど厨房で皿洗いに勤しんでいたサンジは、号泣しながら会計を済ませる大男を目撃してしまい、一人で首を傾げた。




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