庭守と庭守と夜の巣箱
-8-


月曜は朝から晴れて、良い天気だった。
学校へなど向かう真似すらしたくなく、このまままっすぐゾロの元へと急ぎたくなる。
が、一応体裁だけは考えないといけない。
サンジなりに逡巡してから、とりあえず制服姿で最寄り駅までは向かった。
適当に電車に乗ってどこかで降りて、戻って来よう。
そんな甘い気持ちでホームに立っていたら、同じ制服を着た男子高校生がチラチラと視界の中に入り込むようにわざとらしく周囲をうろつく。
男に一切興味はないので、目の前に近付くまで気付かなかった。
「お、おはよう」
ぼうっとしていたサンジの視界を長い鼻が遮って、初めて振り向いた。
「誰?」
サンジのつっけんどんな言い方に怯みはしたものの、若干後ずさりしつつも踏みとどまっている。
「俺、ウソップっての。同じクラス」
「え?」
素で、驚いてしまった。
サンジが驚いたことに驚いたように、どんぐりみたいな丸い眼を見開いている。
「クラスって、俺のこと知ってるのか」
「知ってる。転校してきたって、挨拶に来ただろ」
ゼフの元に引き取られ、当時の担任に引きずられるようにして一度だけ教室の中に入った。
あれ以来、ろくに登校していないのに覚えているなんて、もしかしてすごい奴かもしれない。
「なに、学級委員か生徒会長か何かなのか?」
「ちげえよ、俺近所に住んでるから時々プリントとか持ってってんだけど」
「え?」
「え?」
知らなかった衝撃の事実に軽く驚いている間に、風を切りながら電車がホームに滑り込んできた。
成り行きで、ウソップと話しながら乗ってしまった。
「呼び鈴押しても出てこないしさ、店の方に行くのも悪いしポストに入れてたんだけど」
「そうなのか、日が高いうちはどっかウロウロしてるか居留守使って寝てたしなあ」
「ウロつくって、行くとこねえだろ」
ウソップがもっともなことを言うので、つい素直に頷いてしまった。
「そう、行くとこねえんだよここ」
「だろうな、俺らが買い物行くんでも西町まで出て電車乗るし」
「いいとこ知ってるのか?」
「買い物だけだぜ、繁華街とかねえし」
「あーやっぱり?」
ガタンゴトンと揺られながら、サンジは自分が普通に喋っていることに驚いていた。
ここ半年ほど、ゼフやパティ達以外でまともに会話した相手は、ゾロしかいなかった。
なのに今、初対面の(違うらしいけど)同級生と喋りながら、電車に乗っている。
しかもこの流れで行くと、もしかして登校してしまうかもしれない。
学校に行ってしまうかもしれない。

「一度見たぐらいで覚えるとか、お前すごいな」
「いやー、覚えるだろ特徴あるし」
「そうか?」
内心、お前が言うか?と思いながら、つい不躾な目で相手の鼻を見つめてしまった。
これぐらい特徴があれば自分も覚えるかもしれない。
男に興味はないから、確信はできないが。
ウソップもまじまじと、サンジを見返した。
「髪の色とか体格とか、目立つぞ」
「え、俺がか?」
「自覚ないのかよ」
そんな目立つようなマッチョな体格ではないと思うし、髪の色はむしろ地味だと思っていた。
「やー、前居たとこでは、街歩いてるとよく喧嘩売られるなァとは思ってたけど」
「いや、喧嘩売ろうとか思わないよ。俺はね」
まあまあとでもいうように、大げさなジェスチャーで両手を振る。
「全然学校来ないし、気にはなってたんだ。今日会えてよかった」
「そうだな、じゃあな」
そろそろ次の駅に付きそうなので戸口に立つと、「ちょっと待てーい」とウソップが肘を掴んでくる。
「どうせなら、このまま学校行っちまおうぜ」
「えー」
「なんで不満そうなんだよ」
「いや、なんかいまさら…」
来月には春休みに入るのだし、このままバックレてもいいかなとか思わないでもなかった。
「さすがに出席日数稼がないと、やばいだろ?」
「もう別にいいし、一年しようが二年しようが」
すでに一年ドロップしているので、同級生とはいえこのウソップはサンジより一学年下だ。
なのに、随分と親身になって食い下がってくる。
「最初は、保健室登校とかでもいいからさ」
「それこそおかしいだろ、身体の具合悪くないのに保健室使うとか」
サンジが真顔で言うと、ウソップはきょとんとした。
「なに?真面目か」
「え?」
「なんか、話に聞いてるのと全然違うな」
くしゃっと破顔して、屈託なく笑う。
その表情に誘われて、つい途中下車し損ねてしまった。
「話って、どうせどうしようもない不良だから近づくなとか、そんな感じだろ」
「いや、今どきそんなベタな指導はしないって。かといって、先生とかも率先して深入りして、なにがなんでも登校するように努力するとかそういうのもねえんだけどよ」
ウソップは腕を組みながら、苦笑する。
この男と話していて楽なのは、どこか客観的に物事を見ているのが伝わるからだ。
妙に熱くなったり下手に同情されたりすると癇に障るが、ウソップにはそんな気配が全くない。
「でも、せっかく同じクラスになったんだから一緒に進級してえじゃねえか。ご近所だし」
「――――・・・」
「袖すり合うも、他生の縁ってやつ?」
「野郎とご縁は遠慮してえよ」
物好きなんだなと思う。
お人好しで面倒見がよくて気のいい、善良な男。
もし友人になれたなら―――
でも、ダメだ。
「俺、教科書持ってねえし」
「一緒に見ようぜ」
「弁当もねえし」
「学食があるぞ」
「体育とかあったら体操服ねえぞ」
「見学すりゃ、いいじゃねえか」
そもそも、時間割を意識していない。
「とにかく、一緒に行こうぜ」

小声で話している間に、学校の最寄り駅に着いた。
人波に押されるようにして、電車を降りる。
通学時間帯は、同じ制服を着た生徒達で溢れていた。
ウソップの長い鼻も、目立つと言われたサンジの金色の髪も様々な人の中に埋もれて目立たない。
前を向いて歩き出すウソップに背を向け、サンジは踵を返した。
ウソップが気付いて振り返るのと、ドアが閉まるのは同時だった。
「―――あっ」
目と口を開けてポカンと立ち尽くすウソップに、なぜかしてやったり感が湧いてきて笑顔を見せてしまった。
そのまま軽く手を挙げれば、諦めたように半笑いで手を振り返している。
流れていく景色と一緒にウソップの姿も消えて、サンジは空いた電車の中でほっと息を吐いた。
本当に、あのまま学校へ行ってしまいそうだった。
行けばよかったのかもしれないけれど、まだ踏ん切りがつかない。
ウソップを頼ったとしても四六時中一緒にいられる訳でもないし、迷惑はかけたくなかった。
どこでだって一人で過ごせる自信はあるのに、なぜ居場所がないと怖気づいてしまうのだろう。
――――難しい子だから。
担任が他の教師に零していた言葉が、耳に蘇る。
手に余る、扱いに困る生徒はきっといない方がいい。

窓の外を眺めれば、空はどこまでも青く高く澄み切っていて一段と春めいて見える。
今日はずっとあの庭を、眺めていたい。
そう強く思って、反対方向の電車に乗り換えた。





預かった菓子箱は駅のロッカーに仕舞ってあった。
それを携え、ゾロの家へとまっすぐに向かう。
今日は平日だから、もしかしたら事務所とやらに出勤しているかもしれない。
留守でも多分、鍵は開いているだろうし庭には自由に出入りできる。
ゾロがいなくても、あの庭さえあればそれでいい。

午前中の住宅街は人けがなく、ひっそりと静かだった。
敷地内では洗濯物を干したり掃除をしたりする人がいるのだろうが、表を歩く人影はない。
平日なのでなんとなく後ろめたくて、塀の影に沿うようにして速足で歩く。
遠目に見ると、鎮守の森かと思えるほど緑濃い一角がゾロの家だ。
庭が目立ちすぎて平屋の存在感が薄いが、これももうすぐ取り壊されるかと思うと他人事ながら寂しい。
一応玄関の引き戸を開けて声を掛けたが、応答はなかった。
やはり留守らしい。
上がりかまちに紙袋を置き、そのまま庭へと回った。

先日の雨模様の風景もよかったが、やはり天気がいいと緑の輝きが格別で華やかだ。
石畳に沿って植えられた小さな花々も、この間とは違う品種が色鮮やかに咲き乱れていた。
いつでも花を絶やさぬよう、咲く時期をずらして配置してあるのだろう。
「…らしくえねなあ」
ゾロは見た目ゴツイし目つきもきついし、強面で繊細さなんてかけらも持ち合わせて風なのに、この庭は見るものの心を和ませる優しさと安らぎに満ちている。
最初に庭を造ったのは、おじいさんがおばあさんを思ってのことだっただろうけど、こうして美しさを維持したまま整備しているのはゾロ自身だ。
多分、彼の内面がそのままに映し出されている。

梢の間に時折り名も知らぬ鳥が舞い降りて、長い尾を上下にフリフリと揺らしていた。
あの、底がない巣箱の上にもちょんちょんと飛び移って、忙しなく首を揺らしている。
枝がしなり、重なった葉が揺れた。

サンジは犬走に腰を下ろし、カーテンが開け放たれた室内へと目をやった。
廊下の隅に積んでおいたゴミも新聞・雑誌類もすべて持ち出されていて、ガランとしている。
いつでも取り壊せる準備が整っているようで、寂しさしかない。
ここが平地になったら、今見ている以上に狭い敷地になるだろう。
ただの空き地になって、でもそこにこれからゾロが樹を植えて。
その時自分はどこに腰を下ろしてこの光景を眺められるだろうか。
今の自分には唯一の、居場所なのに。

もしゾロがいたら、話したいことはたくさんある。
ジジイのレストランの、手伝いをしたこと。
下働きは、結構嫌いじゃないこと。
働いている方が、時間が早く経って割と楽しかったこと。
今朝は思いもかけず、クラスメイトに話し掛けられたこと。
自分は知らなかったけど相手は知っていて、実は気にかけてもらっていたこと。
ハナップとかいったっけ。
あいつがいるなら、学校も悪くないなと思わなくもないなって。
実は学校には行っていなかったこと、ゾロには告げてみようか。
もう気付いているかもしれない。
平日関係なく、この場所にいたから。


ふと、表に車が停まる音がした。
車庫には入ってこないで、玄関に横付けしたようだ。
バンとドアを閉める音がして、助手席からゾロが降りてくる。
車は停まったままだ。
忘れ物でもしたのだろうか。
「お、来てたのか」
庭から顔を出したサンジに気付き、片手を挙げた。
「なに、忘れ物?」
「ああ」
相変わらず施錠されていない玄関の戸を開けて、ゾロは中へと飛び込む。
何の気なしに車へと目をやると、運転席の女性と目が合った。
「…うっわあ」
思わず、感嘆の声が出る。
艶やかな長い黒髪、頭上にサングラスを乗せてにこっと微笑むのは類稀なる美女だった。
遠目にも大人の色気が立ち上っていて、くらくら来る。
ぼうっと逆上せるサンジの脇をすり抜け、ゾロが車へと戻る。
「じゃあな」
バタンとドアを閉めると、運転席の美女は軽く会釈してから車を発進させた。
形の良い顎やしなやかな首が綺麗なシルエットを残して、立ち去っていく。

主がいなくなった庭にたたずんで、サンジは一人でドキドキと鼓動を速めていた。
ゾロはきっと、仕事なんだ。
仕事だから、忘れ物をしたから慌てて家に立ち寄って、また戻っていった。
あの綺麗な女性は、同僚だろうか。
それとも、恋人だろうか。
仕事じゃなくて、デートかもしれない。
仕事でもデートでも、どちらでも俺は単なるお邪魔虫だ。
ここは、俺がいていい場所じゃない。

唯一の居場所なんて、なんで勘違いしてた。


勝手に庭に迷い込んで、ゾロが咎めないから入り浸って、ゾロの都合なんて考えないで通いつめた。
ゾロが優しいから、無頓着だから、その懐の深さに甘えていただけだ。
俺の居場所はジジイのレストランだったり、ウソップがいる学校だったり。
そこが本当のいるべき場所なのに、ただ逃げていただけだ。
俺の居場所は、ここじゃない。


サンジは、尻の汚れを払ってポケットに手を突っ込んだ。
玄関に置きっぱなしの手土産には、納品書が入れてある。
ゾロは大人だから、後は自分で何とかするだろう。
俺の役割は終わった。
そう思って、ゾロの家を後にした。










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