庭守と庭守と夜の巣箱
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名前も今日知ったような赤の他人に自宅を明け渡し、ゾロは仕事に出かけてしまった。
大丈夫かよと危惧しつつ、特に悪さを働く気にもなれないのでサンジは片付けの続きに取り掛かる。
そもそも名うての不良だったと自認していても、特定の仲間とはつるまずに夜の街を徘徊しては通りすがりに売られる喧嘩を積極的に買っていただけのことで、通報されればお互いに逃げていた。
窃盗や恐喝は倫理にもとるし、理不尽な暴力(特に女性に対して)は生理的に受け付けられないので、人の暴力を止めたことはあっても自分から仕掛けることはない。
故に、放蕩期間は長かったが補導歴はなかった。
ただ悪い噂だけが独り歩きして周囲からは腫れ物に触るような扱いを受け、家族からは恥≠ニ忌み嫌われただけだ。
自分でも随分と中途半端だと思う。
普通でいたかったのに普通ではいられず、特別にもなれなかった自分に存在価値などないに等しいのに。

ふと思考が沈みかけて、一人で頭を振る。
傍らに目をやれば、燃えるゴミ・燃えないゴミ・リサイクルにきちんと分けられた不要物が並んでいた。
そう、ともかく今は自分にはやるべきことがあるし、やった結果が形になって残っている。
決っして、役立たずじゃない。
そう思い込もうしてるだけじゃないかと、自身を嘲笑う声から逃れるように掃除に精を出した。
傷付いた柱、破れた壁紙、シールが貼られた箪笥。
古ぼけて汚れた内装を辿れば、自分の家でもないのになぜか懐かしいような気分になった。
ただ掃除しているだけじゃなく、もうすぐ取り壊されるこの家の記憶を整理しているのかもしれない。



元々さして荷物もなかったので、一心不乱に片付けていたら予想外に捗ってしまった。
平屋建てだから二階はない。
台所に居間に和室、風呂場やトイレはスルーして、残すはあの庭に面した部屋だけだ。
そこも、電動ベッドと箪笥以外家具もなかった。
箪笥の中は空っぽで、押し入れも片付けられている。
電動ベッドはリサイクルに出せるだろう。
「片付いちゃったなあ」
サンジは独り言を呟き、日が傾いた夕暮れ時の庭を眺める。
昼間でも夕方でも、それぞれ日の射し方で少しずつ違う顔を見せる、見応えのある風景だ。
いつまでだって飽きずに眺めていられる。
庭を拡張するために古い家屋を取り払うのは仕方のないことかもしれないが、この光景が失われるのは他人事ながら惜しいと思う。

日暮れとともに、少し風が出てきた。
背の高い樹の梢が、さわさわと枝をしならせ揺れている。
緑の間から見え隠れする巣箱に、鳥は来ていないだろうか。
格好の巣作り場所じゃないかと思って見上げていたら、玄関の方でエンジン音がした。
時計を見れば、まだ17時前だ。

「え、おかえり」
「おう、ただいま」
家に帰ってきたゾロに、自然に「おかえり」と言葉がついて出てしまった。
普通に「ただいま」と返されると、なんだかむず痒い。
「すっかり片付いたな」
分別され廊下にずらりと並べられたゴミを見て、ゾロは感心している。
「いや…まだ判断できないのは置いてあんだけど」
「助かった、ありがとう」
「――――・・・」
あまりの気恥ずかしさに、全力でこの場所から逃げ出したくなってしまった。
なんだろう、ゾロはなんでもまっすぐでてらいがない。
一緒に暮らしているゼフとは、ある意味自分と似た部分があって反発し合うことが多い。
年の功であっちがもう少し柔軟になればいいのにと思わないでもないが、意地の張り具合が似ているのだ。
対してゾロは、サンジが少し臆したりためらったりする部分を平気でヒョイと飛び越えてくる。
「帰ってくるの、早くね?」
「打ち合わせが早く終わってな、これ」
そう言って差し出したのは、ケーキの箱だった。
「お、それ駅前の」
「もしかしたらまだいるんじゃねえかと思って、買ってきた」
そう、掃除なんてやってらんねえって、サンジがさっさとこの家から出ていた可能性だって高かったのだ。
お土産にケーキを買って帰っても無駄だったかもしれないのに、ゾロは買ってきてくれた。
その気持ちが、とても嬉しい。
「…コーヒーでも煎れようか」
「ああ」
「その前に、外から帰ってきたらちゃんと手を洗えよ」
「ああ」
サンジに箱を渡して、ゾロは素直に洗面所に向かう。
両手で大切そうに抱えて、サンジはそそくさと台所に戻った。
自然と浮かんでくる笑みを、抑えられなくてニマニマしてしまう


「なんで三種類もあるんだ?」
「どれがいいかわからんから適当に選んだんだ」
「ゾロはどれがいいんだよ」
「俺ァどれでもいい。そもそも甘いものは得意じゃない」
そう言っていたはずなのに、わざわざケーキ屋に寄って買ってきてくれた。
サンジのために。
あ、やばい。
またニヤニヤが止まらなくなる。

「つまり、俺は2つ食えるってことだな」
「3つでもいいぞ」
「さすがにそこまではいい」
どんな顔をしてショーケースから選んだんだろうと想像しつつ、ありがたくケーキを取り分けた。
甘いものが苦手だというゾロには、色とりどりのフルーツが飾られたタルトを残してやる。
どっしりと甘いショコラカライブとクリームたっぷりのフレジェはありがたくいただく。
「いただきます」
濃い目に煎れたコーヒーと甘いものはよく合う。
サンジの好みではコーヒーより紅茶だ。
明日は茶葉を持ってこようか。
そう考えてからおいおいおいと脳内でツッコミを入れた。
そもそも、今日で片付け終わっちまったじゃないか。
明日、ここに来る理由なんてなくなってしまった。
サンジはフォークを口元に当てたまま、愕然とした。
俺のバカ。
張り切って片付け終えるんじゃなくて、仕事は残しておくべきだったのに。

「どうした、口に合わないのか?」
動きを止めてしまったサンジに、ゾロが少しだけ顔を下げて覗き込むように首を傾ける。
「え、いや、美味いよ」
二口目を切り分けて、口に運ぶ。
こくのある甘さが、じんわりと染みた。
「…うまー」
「疲れてんのか」
ゾロは笑いながらコーヒーを啜り、タルトを手づかみで頬張った。
「お、いけるな」
「たまには、甘いものもいいだろ」
頬袋を膨らませると、ガキ臭いなあ。
つい微笑ましく眺めてしまい、我に返ってはケーキを食べる。

「ゴミ、ここいらの収集日はいつだ」
「明日は燃えるゴミの日だ」
「あ、じゃあ出すの手伝おうか?」
これだけの量、一人じゃ大変だろう。
「それくらい大丈夫だ、収集場所はすぐそこだし」
あっさりと断られてしまった。
目に見えてシュンとしてしまったサンジの前で、ゾロは指に付いた菓子くずをシャツで拭いた。
「こら、ガキじゃねえんだから」
「また、暇なら手エ貸してくれ」
「え」
ぱちくりと瞬きをするサンジを、ゾロは正面から見つめる。
「明日は土曜日だろうが、どっか遊びに行く予定とかねえなら手伝っちゃくれねえか」
うっかりしていた。
明日は土曜日か。
曜日関係なくふらふらしていたから、平日かどうかもわからなくなっていた。
土曜日なら、堂々とぶらつける。

「…まあ、いいけど」
休みならば遠出をすることも可能だが、特に行きたい場所もない。
それより、ここで綺麗な庭を眺めながらなにか手伝ってる方がぶっちゃけ楽しい。
「何時に来たらいい?」
「何時でもいい、明日は出かける予定がない」
「仕事ねえのかよ、大丈夫かよ」
「余計な世話だ」
サンジの生意気な口調にも、ゾロはさして気を悪くした風でもない。
余裕があるところが癪に障るけど、大人だなあとも思う。
ゼフに対するような反発心が湧いてこないことが、自分でも不思議だ。

「じゃあ、また明日」
「ああ」
カップや皿はシンクに置いておけと言われ、大人しく従った。
本当は今夜の夕食の献立まで頭の中で考えていたりもしたけれど、案外と自分の中の和食レパートリーが少ないことに気付いてがっかりもしていた。
思えば、自分が得意なのはほぼ子ども向けの洋食メニューばかりだ。
明日用にちゃんと、考えてこなければ。
「気を付けて帰れよ」
「ガキじゃねえんだから、大丈夫だ」
「ガキだろ」
玄関まで見送りに来てくれる、ゾロの影がアスファルトに長く伸びている。
これからどんどん、日の入りが長くなっていく。
まだ冷たい風に首を竦ませながら、サンジはポケットに手を突っ込み背を丸めて家路に急いだ。
今日の午後は一本も煙草を吸っていなかったことに、今さら気付いた。








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