庭守と庭守と夜の巣箱
-3-


一人でひっそりと落ち込んでいると、当主は湯呑を置いて立ち上がった。
しゃがんだままのサンジの旋毛を見下ろす。
「あんた、今日時間あるか?」
「…ある、けど」
時間があるどころか、毎日が暇で暇で死にそうだ。
そんなことを口にでもしたなら、学校はどうしたと言われそうだから言えないけれど。
「だったら、ちと手ェ貸してくれねえか」
思いがけない申し出に、サンジは反射的に頷いていた。
「いいよ」
命令されるとどんな内容でも頑として言うことを聞かないのに、頼まれると絶対に嫌とは言えない性分だった。
我ながら天邪鬼だと思う。
「悪いな、昼飯はなんか奢る」
「・・・いいよ別に、気が向いただけだから」
サンジも立ち上がり、尻を叩いて土埃を払う。
青い草の匂いがした


「家の中を、片付けて欲しい」
そう言われて、さすがのサンジも「はあ?」と思った。
いくら暇そうにぼんやりしているとはいえ、自分の家を片付けて欲しいとは随分と厚かましい申し出だ。
まあ、別にいいけど。
見た目では分からないけれど、もしかしたら内部はゴミ屋敷なのかもしれない。
そう戦々恐々としつつ、招かれるまま家の中に入った。
一人で住んでいるそうだが、なんとなくガランとして殺風景で、生活感はない。
外観からは小さめの古い家という感じだったが、中に入って見れば案外と広かった。
片付けるというほど物は置いてない。
床や柱は摩耗しテカテカに光っていて、土壁がところどころ剥がれている。
「来月、取り壊すんでな」
「え、壊しちゃうの?」
靴を脱いで上がると、床板がギシリと鳴った。
「ここに住んでんじゃねえの」
「ああ、だが俺一人だしこんなに広い家は必要ねえ。更地にして樹を植える」
「そっか・・・」
それもいいかもな、と思う。
今でも広くて綺麗な庭なのに、この家がなくなって新しく樹を植えたらまるで森みたいになるんじゃないだろうか。
でも――――
「ここの家がなくなったら、あの庭の眺めはどうなるんだ?」
サンジの呟きに、当主は足を止めて振り返った。
「眺め?」
「あ、や、なんとなく・・・」
あの、庭全体を眺められる大きな窓がある部屋を、勝手に見つけてしまったのだ。
後ろめたさが先に立つ。
「この庭って、家の中から眺めるのが一番綺麗なんじゃね?」
「わかるのか?」
怪訝そうに問われ、ぶんぶんと首を振った。
「だから、なんとなくそんな感じがしただけだって」
「そうか・・・」
当主は踵を返して、サンジを誘うように襖を開けた。
何もない和室を突っ切って、引き戸を開く。
後に続いて部屋に入ったサンジは、思わず「あ」と声を上げた。

さほど広くない部屋の、真向いが全面ガラス張りの窓だった。
まさしく庭を一望できる眺めだ。
縁石を彩る可憐な花々も、点在する石の配置も聳える橡もトネリコも、遠方に連なる山の稜線もすべてが一枚の絵のように美しい。
「あ―――ここが…」
「そうだ、ここが庭を眺める場所だ」
庭があまりに光に満ちて眩しいため、却って室内の暗さが際立つ。
大きすぎる窓以外に、電動ベッドとタンスが置いてあるだけの部屋だ。
「見たかったら自由に眺めてればいい、どうせ俺しか住んでねえ家だし」
「あ、いや、いいよ」
サンジは遠慮して、すぐに部屋を出た。
秘密の場所に立ち入ってしまった気がする。

「それで、俺が片付けるのってどこだ?別に片付ける必要もなさそうだけど」
「押し入れの中とか台所か、引っ越しの準備みてえなもんだ」
「なるほど、それならわかる」
掃除機と荷造り紐を用意してもらって、荷物の置き場所も指定された。
「俺ァ外で作業してっから、なんかわからねえことあったらあの窓から声掛けてくれ」
「了解」
赤の他人に家の中を任せる神経がよくわからないけれど、当主は初対面の時の印象通り大雑把な性格らしい。
サンジに任せてさっさと庭仕事に戻ってしまった。

勝手は全然わからないが、とにかく部屋ごとに綺麗にしていけばいいのかと遠慮なく押入れを空ける。
引き出物等の貰い物らしき古い食器セットや年代物の扇風機、丸めた包装紙に緩衝材などが出て来た。
「取っておきたくなる気持ちもわからなくもねえけど、大抵使わねえんだよなァこれ」
この街は、以前サンジが住んでいたところよりゴミ分別の基準が緩い。
燃えるモノ、燃えないモノ、リサイクルで出せるモノに分けて廊下に出す。
量はさほど多くないので、どんどん片付けが進んだ。
「台所も、やっちゃうかな」
使用感があまりない古い台所にちょっと臆して、こわごわ収納棚を開けた。
焦げ付いた鍋やテフロン加工が剥がれたフライパンなどが、最近使われた様子もないまま突っ込まれている。
片隅には酒の空瓶が無造作に積まれ、コンビニの弁当殻が山になっていた。
「・・・これは、どの部屋よりもヤバい」
独り言を呟きながら、恐る恐る冷蔵庫を開けた。
こっちは、意外なほどに物が揃っていた。
調味料に野菜、卵。
ただし、なにもかもが一緒くたに並べられている。
野菜収納庫だろうがチルドだろうが、考えずに適当に大きさで入れた感じだ。
「玉葱やじゃがいもは、冷蔵庫に入れちゃダメだろ」
ブツブツと文句を言いながら、冷蔵庫内の整理に取り掛かる。
勝手口が開いて、当主が顔を出した。
「昼飯の注文するが、なにを食う?」
「注文?出前取るのか」
「ああ」
当たり前みたいな顔をしているので、サンジは冷蔵庫を閉めて立ち上がった。
「食材がこんなにあるんだから、俺が何か作ろうか?」
「あ?」
驚いたように目を眇めるのに、比較的綺麗な調理鍋を掲げて見せる。
「食材揃ってるのに料理してる形跡ねえし、どうしてんだ?」
「それは実家から勝手に送ってくんだ。しょうがねえから生で齧ったり、茹でて食ったりしてる」
「うわあ」
冷蔵庫内のランダムな配置は、そのせいか。
「勿体ねえな、適当で良けりゃ調理するぞ」
「助かる、さすがレストランの跡取りだな」
その言葉に、サンジは思わず目を剥いた。
「関係ねーし!俺レストラン手伝ったこともねえし、跡取りとか全然違ェし!」
サンジの勢いに気圧されて、当主はドアノブを握ったまま瞬きしている。
「そうか・・・それじゃあ稼業でもねえのに飯作れるとか、お前すげえな」
「え、おっ・・・」
「なんか作ってくれ、食いてえ」
「お、おう」
真正面から頼まれると断れない性分なので、サンジは振り上げた拳を握りしめたまま頷いた。

米だけは炊いているようなので、炊飯器をセットして水廻りだけ手早く掃除する。
ポテトサラダにスパニッシュオムレツ、いつからあるかわからない未開封の食用油を消費すべく鯖缶を唐揚げする。
家がレストランだから料理ができるとか、思われるのは心外だ。
ましてや跡取りだなんて。
縁あって厄介になっているだけの、ただの居候なのに。

食器棚に仕舞われていた皿も、とりあえず全部出していったん洗い直した。
適当に探せば新品の布巾も見つかる。
ついでに食器棚の中も全部取り出して洗い直した。
「…食器棚シート、欲しい」
そう思ったが、そもそも引っ越すために片付けるのだったと思い出した。
モノを増やしてどうする。

昼食の準備ができたので、当主を呼ぶべく玄関に行こうとして立ち止まった。
そうだ、あの部屋からのが早いかもしれない。
昼間でも薄暗い部屋の中で、窓だけが別世界のように光り輝いていた。
日差しを受けて夢のように広がる庭の緑の中で、部分的に揺れている場所を探す。
よくよく見れば、新緑に似た緑頭を見つけることができた。
てっきり樹の上にいるかと思えば、しゃがんで繁みの中に隠れていた。
保護色にもほどがある。

声をかけようとして、動作を止める。
こちらに向けられた背中は、作業服越しにも筋肉が隆々として美しい姿勢だった。
捲られた袖から伸びる腕も、しゃがんで横に曲げられた膝も惚れ惚れとする男ぶりだ。
そうして、手際が良い。
なにをしているのかわからないが、彼の作業はずっと見ていても多分飽きない。
――――あれ?
そういうことかと、不意に気付く。
この部屋は眺めのいい窓があるけれど、これは庭を楽しむためだけじゃなく、庭いじりをする人を見つめる窓でもあったんじゃないだろうか。
ちょうど今の自分のように、美しい庭で働く愛しい人を見つめるための――――

「ちょっと待て」
唐突に声に出して自分に突っ込んでしまった。
今、なにを思った自分。
サンジは降ってわいた考えを振り切るようにして、サッシのカギを開けた。
「マリモのおっさん!飯ができたぞ!」
そう叫ぶと、当主は手を止めて振り返り「俺か?」と聞き返してきた。



「俺の名はロロノア・ゾロだ。ゾロでいい」
マリモのおっさん′トびはさすがに傷付いたらしい。
憮然として家の中に入ってきたので、まずは洗面所で手を洗うように促す。
「俺はサンジだよ。もう知ってると思うけど」
「名前までは知らなかった」
手を洗うついでにじゃぶじゃぶと顔も洗って、ゾロはタオルで乱雑に拭う。
名前も知らない子どもに、家の中の掃除を任せたのか。
「まあいいや、…どうぞ」
口に合うといいけど、と言いかけて止めた。
食事を作ったのは、あくまでボランティアだ。

ゾロの分は大盛にご飯をよそって、向かい合わせに座る。
行儀よく手を合わせ「いただきます」と唱えた。
それから味噌汁椀を手に取り、一口啜った。
なんだかどきどきして、その動作を見守ってしまう。
だしの素を使っているから、よほど味噌の加減を間違えない限りは普通の味だと思う。
さっき味見したら、大丈夫だったし。
ゾロは味噌汁を飲んでから椀を置き、鯖のから揚げに箸を伸ばす。
口に入れるとサクサクと小気味よい音がした。
一人で頷いて、ご飯を頬張った。
それからもう一度味噌汁を啜る。
ポテトサラダを食べ、ご飯を食べてからまた鯖のから揚げを摘まむ。
味噌汁を飲んで、オムレツを箸で切り分けた。
食べてからまた頷き、ご飯を食べる。
味噌汁を啜りながら、目線だけこちらに寄越した。
「食わないのか?」
うっかり、ずっと見入ってしまっていた。
「食うよ」
慌てて箸を取る。
オムレツを一口大に切り分け、口に入れた。
「うん、美味い。さすが俺」
自画自賛すると、ゾロは目尻に皺を寄せて笑った。

たぶん、口に合ったんだろうと思う。
ご飯を三杯もお代わりしたし、料理はすべて綺麗に空になった。
「ご馳走様でした」
きっちりと手を合わせてから、顔を上げる。
「美味かった」
「…そう」
もっと早く言えよ。
お陰でずっとドキドキしっぱなしで、味がよくわからなかった。
ほっとして気が緩み、無意識にポケットに手を入れて煙草を取り出していた。
火を点けようとして、「やべ!」と気付く。
さりげなくポケットに仕舞い直し、どう胡麻化そうかと別の話題を振る。
「今日、午後から仕事行くとか言ってたじゃね」
「ああ」
「俺、どうしよう」
昼食を作るまでに手伝ったのは、小一時間程度だ。
午後も、暇と言えば暇である。
「引き続き片付けてもらっていいか?」
「ん…まあしょうがねえな。乗り掛かった舟、ってやつ?」
あくまで仕方なく手伝ってやる…というスタンスを崩さない。
「手伝ってもらえれば助かる。俺の帰りは18時頃になるから適当なところで切り上げて帰ってもらえばいい」
「わかった、でも鍵はどうする?」
「鍵はかけなくても、扉だけ締めといてくれればいい」

やっぱり、このおっさんなにかと危なっかしいぞ。
サンジは今更ながら、心配になってきた。
そもそも、サンジは恐らくご近所界隈でもちょっとよろしくない噂が立っているであろう、不良である。
以前住んでいた場所では割と名うての不良だったが、ここでは大人しくぶらついているだけだ。
それでも、この住宅街では悪目立ちしてよい印象は持たれていないだろう。
そんな不良少年に留守宅を任せるとか、危機管理なさすぎじゃね?

サンジの危惧など気付きもせず、ゾロは「じゃあ」とあっさり仕事に出かけてしまった。








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