庭守と庭守と夜の巣箱
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貰った花が気になって、思いがけず早く家に帰ってしまった。
店舗兼住宅の勝手口へ向かおうとして、プレートを裏返しに出たパティと鉢合せする。
「なんだチビナス、今日は随分明るい内から帰ってんじゃねえか」
「チビナス言うな!」
勢い、手にした花を隠すように後ろへと持って行く。
「お、花でも貰ったのか。チビナスも隅に置けねえな」
「だから、そんなんじゃねえってえの・・・」
この家に引き取られてから、どうにも調子が出ない。
店で働くスタッフはいずれも大柄で腕っ節の強いおっさんばかりなので、サンジをまるで子ども扱いだ。
実際、高校生とはいえまだ15歳で、子どもに違いないのだけれど。

「うるせえ!」
サンジは新聞紙にくるまれた花束を、パティに向かって投げつけた。
「それ、どうにかしろ!」
「おいおい、綺麗に包んであるもんを・・・」
そう言いながらも、パティは丸太のような太い腕で大切そうに花束を抱えて店の中に入っていく。
花を渡してしまったら用がなくなって、サンジはまたどこかへふらふらと出かけようかと思った。
が、なにせこの界隈には遊ぶところがない。
サンジが『遊ぶ』と言っても、所詮、繁華街をうろついたり隠れて煙草を吸ったり誰かの喧嘩を買ったり売ったりする程度のものだ。
そんな風にいきがってうろつく場所が、そもそもここにはない。
片田舎だから町内誰しもが顔見知りで、越して来たばかりのサンジが存在を知られるのに丸一日にもかからなかった。
だから、どこで何をしていても保護者たるゼフ耳に容易に入る。
ゼフはことさら口喧しくサンジの素行について糺したりしないけれど、いつも意味ありげに冷たい目で睨み据えて来るから正直苦手だった。
父や兄弟達から注がれる嘲りの眼差しとはまた違うように思うが、どう違うのかサンジにはわからない。


部屋に上がって制服を脱ぎ捨て、ベッドに転がった。
階下からは、開店を迎えたレストランから客たちを出迎える声が聞こえる。
フレンチレストランだというのに、まるで漁場の競り市みたいに賑やかなのだ。
パティを含めスタッフ達はいずれも強面で、銅鑼声で客を出迎える。
そんななのに、やけに人気がある店のようで半年後まで予約で満杯なんだそうだ。
あんなに無愛想なジジイが作る料理なのに。
カーテンの隙間からそっと食事帰りの客達の様子を伺うと、みんな一様に幸せそうな顔で笑っていた。
なにがそんなに楽しいんだと不快に感じる反面、ほんとに美味い料理は人を笑顔にさせるんだなと納得もする。
そんなジジイの料理を、サンジはまだ味わったことがない。


しばらくウトウトとベッドでまどろんで、目が覚めたら夜10時を過ぎていた。
もう、店は閉店している。
朝から何も口にせずずっと街中をうろついていて、さすがに腹が減った。
常に空腹状態に慣れてはいたが、そろそろ何か食べないと身体に力が入らない。
ゆるゆるとベッドから降り、足音を消して階段を下った。
キッチンに灯りが点いている。
ジジイと鉢合せするのは嫌だなと思ったが、コソコソ避けるのも悔しい気がして思い切って足を踏み入れた。
「――――・・・」
夜食を食べ終わったらしいゼフが、空の皿をシンクに運ぼうと立ち上がったところだった。
その存在を無視するように、サンジはスタスタと冷蔵庫に向かう。
実家では三食すべて使用人が準備してくれていた。
だがここでは、自分の食事は自分で作る。
祖父は料理人だが、サンジのために食事を用意してくれたりはしなかった。
サンジもその方が気が楽で、自分で食べる分くらい自分で作った。
見よう見まねの独学だからさほどうまいとは思わないが、誰かに食べさせるために作るんじゃないからそれでいい。
ただ、冷蔵庫の中は常に何がしかの食材が揃っていて、不自由したことはない。
今夜は何を作ろうかと思案していると、珍しくゼフが話しかけてきた。

「今日のあの、花はなんだ?」
「ん、ああ…丘の上に緑がいっぱいの家が、あったんだ」
自分から話しかけはしないが、質問されたらちゃんと答えるぐらいはしてやってもいい。
「そこの庭師が、勝手に庭の花切ってくれた」
そう言ってから、ちょっと言い訳めいていたかなと思わないでもなかった。
決して他所様の庭から、勝手に花を切って来た訳じゃないのだ。
自ら非行に走っているのに、そんな抗弁をしそうになる。
「庭師じゃない、ロロノアの孫だろ」
意外な言葉に、サンジはハムを手にしたまま「え?」と顔を上げた。
「冷蔵庫の中のもんは、取ったらとっととドアを閉めろ」
「おっと」
慌ててぱたんと扉を閉めた。
まだハムしか手にしていないけれど、後で物色すればいい。
「孫って?」
確かに、門柱には『ロロノア』の表札があった。

「あそこは前から、見事な庭があるんだ。だが外から見てもわからんがな。爺さんが一人で庭を作っとったようだが、その後を孫が継いで造園業を営んでる」
「造園業・・・」
「敷地が広いから苗木を育てて売ったり、他所の家の庭を作ったりしとるようだ」
「そうか、だからあんなに大きさが色々の木があったり、冬なのにすっげえ綺麗な花が咲いたりしてたんだ」
サンジはあの光景を思い出して、うっとりと目を細めた。
それは綺麗な庭だった。
温かな春の園みたいに、光に満ちていた。

「今度行ったら、花の礼を言っておいてくれ。いいストックだ」
「あ、うんって・・・え?」
今度行ったらって、もう行くことないと思うんだけど。
たまたま、彷徨ってて行き着いただけなんだけど。
皿を洗おうとシンクに立ったゼフの背中に、思わず声を掛ける。
「俺、今から飯食うから、ついでにそれも洗っておくぜ」
こんなことを言ったのは、初めてだった。
頑固ジジイのことだから「てめえのことはてめえでする」と突っぱねられるかと思った。
だが、ゼフはあっさりと蛇口をひねった。
「そうか、じゃあ頼もうか」
そう言って手だけ洗って、ぎこちない動きで身体を空ける。
ゼフは片足が義足だ。
仕事中は不自由さを感じさせない動きだが、一日が終わった後は動きもゆっくりになり、歩くリズムも違って聞こえる。
「先に風呂に入るぞ」
「ああ、おやすみ」

サンジは半ば呆然と、ゼフの背中を見送った。
ここで暮らし始めてから、自分でもぎくしゃくとした日々が続いていたと思った。
けれど今日は、普通に会話できた。
しかも皿洗いを頼むだなんて、ゼフが自分に何かものを頼むだなんて初めてのことだ。
誰かに「頼まれた」ことも、サンジにとっては初めての経験で。
それが満更でもないことが、それよりもむしろものすごく嬉しいと感じてしまっていることに、内心で戸惑っている。
「・・・ま、しょうがねえな」
自然と緩む口元を意識的に引き締めながら、とりあえず夜食を作った。






ゼフに伝言を頼まれたのが口実になると、思わないでもない。
言われたとおりに行動するのは癪だが、どうせ学校をサボっても行く場所がないならもう一度あの光景を見に行くのは悪いことじゃない。
自分の行動に一々理由を付ける癖が、いつの間にかついてしまった。
それは誰かに対するものじゃなく、自分への釈明だと自覚もある。

昨日のように裏口からじゃなく、表門へと回った。
あの庭師が雇われ人じゃなく当主だったのなら、切り花を貰ったことも後ろめたくはない。
門はいい感じにツタが絡まって、古色蒼然として見える。
古ぼけた呼び鈴を押してみたが、反応はなかった。
そもそも家屋から門までそれなりの距離があったから、鳴ってからこっちに着くのにもタイムラグがあるだろう。
門扉は鍵などないし、押せば簡単に開く。
サンジは勝手に、中に入った。
昨日辿った庭石を逆に踏みながら、ぶらぶらと景色を楽しむ。
目を凝らして注意深く見渡していたら、早々に見つけた。
今日は、太い幹からいくつも枝分かれした大木で作業をしているらしい。

「ちは」
一応人様の敷地に無断で入っているのだから、当主に挨拶だけはすべきだろう。
そう思って、木の根元に立ち見上げて声を掛ける。
「おう」
こちらも、必要最低限で無愛想なものだ。
サンジが勝手に入ってきたことを相変わらず咎めもせず、パチンパチンと鋏を鳴らしている。
仕事の邪魔しちゃいけないな…と思いつつも立ち去りがたく、サンジは庭のあちこちをぶらぶらと眺めまわって、昨日と同じ場所に腰を下ろした。

当主は相変わらず、樹の上で作業を続けている。
自分に関心が向けられないのが正直寂しくて、サンジはポケットから煙草を取り出し火を点けた。
軽く吹かして、ふーっと鼻から煙を吐く。
綺麗に敷き詰められた庭石に沿って、色とりどりの花が咲き乱れる様を眺めた。
気のせいか、昨日よりも花数が増えている気がする。
一日で蕾から花開いたりするのだろうか。
赤いのや黄色いのはよく目にするけど、薄紫色とか、あの鮮やかな青い花はなんだろう。
あれ、花だよな。
なにかの実じゃ、ないよな。

芝生に手を着いて背を伸ばし、身体を屈めて草丈の低い花を繁々と見た。
やっぱり花だ。
小さくて細長い花が、いくつも連なって咲いている。
丸まってうなだれているのは蕾だろうか。
それとも咲き終えて、種になる途中だろうか。
じっと見ていたら、指先が熱くなってきた。
いつの間にか煙草が短くなっている。
押し潰そうとして、動きを止めた。
煙草、どこに捨てたらいいだろう。
こんなに綺麗な庭、どの場所にだって煙草の灰を落としたくない。
なのに、煙草はどんどん短くなっていく。
「・・・やっべ」
脚立を畳む音がした。
いつの間にか、当主は剪定を終えていたらしい。
ワタワタするサンジの隣をすり抜けて、縁側に半身を突っ込んだかと思ったら空のコーヒー缶を持って戻ってきた。
無言で差し出してくれたので、ありがたくそこに押し潰す。
「すんません」
揉み消した煙草特有の匂いが、鼻を突いた。
用意してあった薬缶と湯呑を持って、サンジの横に並ぶようにして腰を下ろした。
まだ温かいのか、湯呑に注ぐと湯気が立つ。
「飲むか?」
「いや、いいです」
湯呑には茶渋が付いていて、しかも多分当主が飲んでいただろうから遠慮しておいた。
断るサンジに気分を害したようでもなく、喉を鳴らしてごくごく飲んでいる。

今かな・・・と思って、サンジはもう片方のポケットから包みを取り出した。
「昨日貰った花、今日綺麗に咲いて、ありがとうございました・・・って」
我ながら、実にたどたどしい物言いだ。
恥ずかしく思いながらも、そうっと包を当主に差し出した。
「これ、甘いもん、嫌い?」
「得意じゃない」
「あ、そう」
あっさり言われて、取り出したより速いスピードで仕舞おうとした。
その手を、当主がガシッと掴んで止める。
「だが、貰う」
ほとんど奪われるようにして、受け取られてしまった。
「礼を言ってたのは、ジジイなんだけど」
サンジは躊躇いながら、言葉を続けた。
「それ作ったの、俺だから」
だから多分、美味しくない、と思う。
そう言いきる前に、当主は封を切って取り出したマフィンを口に放り込んだ。
頬袋を膨らませ、モグモグと咀嚼する。
「・・・どう?」
「まあまあだ」
随分と横柄な言い草だが、不思議と腹は立たなかった。
それよりちょっと、こそばゆい。
「じいさんってのは、バラティエのオーナーだろ?」
「知ってるのか?」
そう言ってから、そりゃそうかとも思った。
なんせ小さな街だ。
こんな、何事にも無関心で唐変木っぽい男でも、サンジの存在ぐらい知っていてもおかしくない。
「あそこは美味いし安い。たまに昼飯を食いに行く」
「え、なんか意外」
「そうか?」
きょとんとして、サンジを見返す。
あれ、この人思ってるより若いんじゃないかな、とサンジは気付いた。
「だって、なんとなくあんた和食とか、好きそう」
「ああ、確かに好みはそうだがなんでも食べる」
「甘いものも?」
空になった包みを丸めて、当主はポケットに入れた。
「美味けりゃ、喰う」
これは遠まわしに、サンジが作ったマフィンが美味かったと言っているようなものだ。
そう気付いて、ちょっと頬が熱くなった。

「ここには、一人で住んでんのか?」
「ああ」
「一人でこんな広い庭手入れするの、大変だろ」
「仕事だからな」
そう言えば、造園業を営んでいるとか言っていた。
「他所の庭とか、作りに行くの?」
「ああ、今日も午後出掛ける」
「儲かってる?」
「ぼちぼちだ」

無愛想に見えるが、サンジの問いにはどれも真摯に答えてくれた。
やり取りが楽しくて、いつもよりたくさん喋ってしまう。
「ここは元々、おじいさんが作った庭だとか?」
「ああ、俺の祖父だ」
あんまり立ち入ったことを聞くのもなあと思いつつ、同じ祖父と孫の関係性があることに親近感を抱いてしまった。
「親御さんとか、兄弟とかは?」
「都内に住んでる。祖父母が亡くなってこの家を売る話も出たんだが、俺が残って継いだんだ」
「そういうことか」
なんだ、じゃあ幸せな家庭の話じゃないか。
ちょっとだけ落胆してしまった自分が、厭わしい。







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