人魚の涙と呪われた怪物のおはなし 5



生まれて初めて、飲み慣れない量の酒を飲んだ。
酔っぱらうことはよくあるが、大体それは一滴の酒を口にしたからだ。
人間にはただの一滴でも、サンジにとっては顔を洗えるくらいの量がある。
文字通り浴びるほど飲んだら、小さな体はアルコールが回るのも早い。
そう言う意味で酒に弱い体質のサンジだったが、それは身体が大きくなっても同じだったらしい。

「う〜〜〜目が回る」
賑やかな宴が終わり、静かな寝室に通されたサンジはよろめきながらベッドに倒れ込んだ。
その後ろを当たり前のような顔をしてついて来たゾロが、扉を閉めてテーブルに置かれた水差しを手に取る。
「顔真っ赤だぞ、水飲め」
「んー…」
ともすれば、うつ伏せたまま寝入りそうになるサンジを抱き起して、口元にコップの縁を押し当てる。
サンジは目を閉じたまま上唇を尖らせて、コクコクと飲んだ。
濡れた口端を舌でぺろりと舐めてから、ふうと熱い息を吐く。
「あー酔っぱらった」
「ペース早かったな」
「だってよう、俺初めてなんだぜ」
同じ大きさの女性達と、同じグラスをかち合わせて杯を傾ける。
いままで憧れて憧れて、夢にまで見た“普通”が現実のものとなったのだ。
これがはしゃがずに、いられようか。
「…寝たく、ねえな」
サンジは、とろりと眠そうな瞼を擦り、緩く首を振って見せる。
「眠って、目が覚めたら元に戻ってたらと思うと、哀しくなる」
「大丈夫だろ」
あっさり言い切るゾロに、ムッとして口を尖らせた。
「なんの根拠もなく、無責任に言うなよ」
そう言ってから、「あ」と一人で表情を改めた。
「もしかして、根拠あんのか?聖獣王だから、なんでもお見通し?」
「訳ねーだろ、あくまで希望的観測だ」
ゾロに突っ込まれて、だよねーと肩を下げる。

俯いて頭をふらふらさせていたが、ふと思い付いたように顔を上げた。
「っていうか、お前聖獣王って、なに?マジ?」
「ああ」
「てか、なんだよ聖獣王って。龍とか麒麟とかの、あの聖獣の王様」
「そうだ」
ゾロの返事はいつも端的で、要領を得ない。
それでいて、いざ口を開くとやたらと饒舌になることもある。
よくわからない人間だと思っていたが、実は人間じゃないと聞かされて驚きだ。
「ってか、ゾロも聖獣なのか?もしかして、人間に化けてんのか?」
「俺は聖獣の人間だ」
まったくもってよくわからない。
サンジが疑問符を頭上にいっぱいにちりばめて「???」となっているのを察したか、ゾロは居住まいを正してサンジに向き直った。

「聖獣は、魚人達とよく似ている。例えば、海王としらほしは大きさが同じだが、兄王子達は違うだろう。恐らく先に亡くなった母親も、種族や大きさが違うと思う。魚人は、祖先の種族が生まれた子にランダムに遺伝するんだ。魚人であったり人魚であったり、サメだったりタコだったり烏賊だったり貝だったりするだろう。聖獣も同じだ」
「種族がランダムに?」
人間が人間を生むというのが当たり前に刷り込まれているサンジにとって、ゾロの説明はピンと来なかった。
「例えば、俺の父親は白龍だ。そして母親は不死鳥だ。この二匹が番になって俺が生まれた。聖獣王は一子相伝で、どのような種族でも一番最初に生まれた子が王を継ぐ。ちなみに俺の弟はフェンリルで妹はメリュジーヌだ」
「…はあ」
龍パパとフェニックスママに狼と水蛇兄妹の一家団欒とか言われても、まったくもってピンと来ない。
「母は最初、俺の誕生を嘆いたらしい。よりにもよって、世界最弱の種族に生まれついたことを。鋭い牙も爪も持たず、高く飛ぶことも速く駆けることもできぬ短命の“人間”が、聖獣王を継ぐことにな」
「うーん、確かに」
人間としては堂々と見えるゾロだって、立派過ぎる聖獣達と比べたら正直見劣りするだろう。
「だが、一子相伝は違えない。父は隠居し、俺は聖獣王となった。俺にはさしたる力もないが、人間特有の“言葉”がある。その言葉を持ってして、俺は王の座にいる」
「そうだったのか」
サンジには計り知れない、様々な労苦を経てゾロはいまここに在るのだ。
言葉を司るがゆえに、聖獣にも人間にも多大な影響力を持つ“王”が。

「って、言葉って…」
サンジは思い出して、眉を潜めた。
「お前、真名がどうとか言ってたじゃねえか。前の、砂の国でクロコダイルがお前の名を呼んだとき、あれだって魔力がありそうなのにお前に作用してなかったのは、お前が聖獣王だからか?それとも、ロロノア・ゾロってのも、お前の本当の名前じゃねえの?」
サンジは自分のことを棚に上げ、ゾロが自分の真実の名を名乗ってないのではないかと、一瞬疑いを持ったのだ。
ゾロは、その疑問はもっともだとばかりに頷いて見せた。
「俺は確かにロロノア・ゾロだが、真名は発音が違う。名を付けたのは父だから、人間の声帯では発音できない」
そう言って、ゾロの口から不思議な音が漏れた。
声や言葉と言うよりも、まるで風に煽られた樹々が梢を擦り合わせるような、不思議な音だった。
ゾロと旅を続けていて、時に森の中でもないのに風の声が聞こえる気がしたのは、もしかしたらこれだったのかもしれない。
「お前の名を、呼んでいたのか?」
「さあな」
ゾロはそう言って、柔らかく微笑んでみせる。
真実を知ってなお、サンジには実感が湧かなかった。

ゾロは、人間ではあるけれども人間ではない、聖獣の王なのだという。
それは一子相伝で、いずれゾロの子どもが後を継ぐのだ。
人間であろうが他の聖獣であろうが、間違いなく子が後を継ぐということは、ゾロは必ず子を儲けなくてはならない。
サンジは乾いた笑い声を立てて、自嘲に顔を歪めた。
「聖獣の王様なのに、無責任に俺を番に選んでどうすんだよ」
その言葉に、ゾロはらしくなく表情を歪めた。
まるで、悔いているかのような顔だ。
「それについては、無責任なことを言ったと思っている」
「だよな。いくら番っつっても、子孫を残すとなりゃあ話は別だ。それぐらい俺だってわかってっから、お前が気にすることじゃねえ」
「そうか、お前ならそう言ってくれると思った」
ゾロはあからさまにほっとして、サンジの肩に手を掛けた。
「改めて誓う、俺の伴侶は生涯お前だけだ」
「だから、無責任に誓うなよ。俺の言ってる意味、わからねえ?その言葉は、将来お前の子を産むレディに捧げるために取っておけって」
「お前こそ、俺が言ってる意味がわからねえのか」
ゾロは一転して不満そうに、眉を寄せた。

「聖獣王は一子相伝だ。だからこそ、王は必ず子を儲ける。相手が雄であろうが雌であろうが関係ない」
「―――――は?」
サンジはぽかんとして、口を開けた。
「だから、お前もそれなりの覚悟をしてくれ。お前ならできる」
やればできる子宣言されても、今度こそ頭がついて行かない。
サンジは目と口を目いっぱい見開いてから、「はぁああぁあ?」と雄たけびを上げた。

ゾロが言わんとすることを理解した途端、酔いが醒めた。
声を上げて立ち上がったサンジは、混乱ぶりを表すように両手を闇雲に振り回しながら言葉を探す。
「えーとちょっと待て、ちょっと待てよ、どういうこったそら」
ゾロは、黙ってずっと待っている。
「一子相伝で、絶対後継ぎができるって、つまりそれは子ができるってことだよな。つまり妊娠」
いちいち確認してくるサンジに、ゾロは大真面目な表情で頷き返した。
「妊娠、おめでた、つまり孕むってことだ。それはええと、種族はなんでもいいってこと?オヤジさんが白龍でお袋さんが不死鳥だってんなら、まあつまりは龍と鳥だ。それで夫婦になったんだから、まあ異種族でもできないことはないって、ことだよなあ」
できないどころか、聞いてるだけでもゾロは3兄妹だ。
もしかしたら、ほかにも兄弟はいるかもしれない。
つまり子だくさんで、仲睦まじい夫婦。
「百歩譲って異種婚もありってのは、わかるぞ。わかるがしかし、さらに上行って雄雌関係なしとか、どうよそれ。つまりなにか?雄にも子どもできるって?」
「できる」
至極あっさり肯定され、サンジははわわわわ〜?と一人で焦った。
「え、ちょっと待って、ちょっと待って?」
ゾロはずっと、大人しく待ってる。
「え?マジで、マジで?俺子ども産むの?ってか、男同士で子どもできるの?」
「龍と鳥でも子どもができてる」
「それとこれとは話が違―う!種族の壁を乗り越えるってのは百歩譲っても、性別の壁は違うだろ?」
「俺たち一族にとっては、そんなもん壁でもねえ」
しれっと言い切ったゾロに、サンジは頭を抱えた。

いくら人類を超越した人間型聖獣王様でも、それはいくらなんでも無理やりじゃないですか。
自然の摂理に反してんじゃないですか。
同性同士で子どもできちゃったりしたら、それこそ繁殖に歯止めが効かないよ?
いくらでも繁殖しちゃうよ。
世の中聖獣でいっぱいになっちゃうよ?
「もちろん、種別性別関係なしってのは聖獣王を継いだ個体だけに限られてる。なんでもかんでも、聖獣ならやりたい放題って訳じゃねえ」
「…あ、そう」
考えを見透かされ、サンジは顔を赤らめてそのままストンとベッドに腰掛けた。
あまりのことに動転して一人で慌ててしまったが、冷静なゾロの態度を見ているうちに我に返って、急に恥ずかしくなってしまった。
自分を番にと選んでくれたゾロに対しても、あんまりな反応だったかもしれない。
「…悪ぃ、俺ちょっと慌てた」
「無理もねえ、いきなりガキができるって聞いたら誰でも驚く」
こんな風に優しい口調で労わるように言われると、自分の不甲斐なさが余計に際立つようで居た堪れない。
ゾロは自分のことを考えて、こうして気を遣ってまでくれているのに、己のことで手いっぱいで醜態をさらしてしまった。

サンジはゾロと並んでベッドに座り、しばらく無言で膝の上で組んだ指を所在なさげに動かしていた。
ゾロも、ちょいちょい動くサンジの指を黙ってじっと見ている。
「あー、えーとよ」
「うん」
「俺が、産むのか?」
「そうだ」
「お前、産めねえの?」
「やってやれねえこともねえだろうが、お前は俺に種を仕込みたいのか」
ずばりと返され、サンジはうっと詰まってしまった。
そんなこと、具体的に想像すらできない。
「仕込み…たくない」
「俺は、てめえに仕込みたい」
ズバズバっと追い詰めてくる。
「てめえを抱きてえし、てめえの全部を俺のモンにしてえ」
ベッドに手を着いて、真横からずいっとサンジに顔を寄せてくる。
座っているベッドが深く沈み、勢いでゾロの方に傾く身体を必死で仰け反らせ、体勢を立て直した。
「俺は、モノじゃねぞ」
「んなこたァわかってる、だからこっちだって必死こいてんじゃねえか」
眉間に皺を寄せ額に青筋まで立てて、凶悪とも呼べる形相で至近距離から睨み付けてきた。
まるっきり威しているようにしか見えないが、確かにゾロの言う通り必死さは窺えた。
というか、世界中の生きとし生けるものすべてを統べる聖獣王が、たった一人の人間に、しかも男にここまで必死になるなんて。

サンジはくすっと笑い掛けて、口元がこわばり中途半端な表情のままゾロを見返した。
滑稽なのに、笑えない。
むしろなんでだか、視界が歪む。
「お前、俺なんかになんで必死になんだよ」
「てめえだからだ」
「今さっき、やっと人並みの大きさになったってのに?」
「んなもん、ずっと前から必死だった」

掌に収まるくらい小さな身体で、それでもゾロはずっとサンジを大事にしてくれていた。
最初は愛玩動物くらいに思われていると感じていたけれど、いつしかゾロの瞳には明らかな情欲を伴った色もちらついて見えていた。
「けどよ、今回たまたまこうして俺も大きくなれたけど、もしずっと小せえままだったらどうするつもりだったよ」
「どうもしねえ、そん時はそん時だ」
「だって、物理的に無理だろ」
モジモジしながらそう言うと、ゾロはなぜか偉そうに胸を張る。
「なんとかなる、問題ねえ」
「あるよ馬鹿」
下手したら、サンジの身体より大きいかもしれないじゃないか。
なにが。

「だが、確かにてめえを本気で意識したのは砂の国からだな」
ゾロは少し照れたように、視線を外してそう呟いた。
「あそこで、一時だけだったがでかくなったてめえを見て、俺ァ血管切れるかと思った」
「え、あ…そうだったのか?」
確かに、宴会の最中にゾロの表情がガラリと変わった。
この大きさは今だけだと告げた途端、俄かに焦ったような顔つきでサンジに向かって手を伸ばしたっけか。
結局間に合わず、その後すぐにサンジの身体は元に戻ってしまったのだけれど。
「あれ、もうちょっと時間あったらあの場で押し倒してたな」
「やめろよ〜〜〜〜」
想像して、ぞわっと鳥肌が立ってしまった。
ある意味、危機一髪だったんじゃないか?
「公衆の面前で暴走は止せ」
「しょうがねえだろ、一時のことだってえなら、チャンスを逃すわけにはいかねえだろうが」
もしかして、今こうしてグイグイ来てるのもこの機を逃すな!って意気込みからだろうか。

「なに、お前そんなに俺としてえの」
「生涯の番だからな、いつでもしてえ」
甘い言葉を囁く雰囲気など全部すっ飛ばして、ゾロはストレートにガンガン攻めてくる。
「し、したらすぐ、ガキできたりするのか?」
サンジがドキドキしながら聞いたら、ゾロはあっさりと否定した。
「いや、それはねえ」
「え、そうなの?」
思わず拍子抜けだ。
「ガキができるかできねえかは、他の生き物と同じでわかんねえ。ただ、必ず後継者ができる“宿命”がある。だから、いずれ俺らの間にガキができるのは決まってんだ。だが俺達は寿命が長い、次世代の聖獣王が生まれるのは数百年単位で先の話になる」
「数百年?」
サンジは裏返った声を出した。
「なにそれ、そんなん俺生きてねえよ」
「生きてるだろうが」
しれっと言い返され、あっと遅まきながら気付いた。
そう言えば自分は、魔使いになったのだった。
「魔女って長生きだよな、いつまでも若くてお美しいし」
「その辺のこたぁ、あとでじっくりロビンにでも聞いておけ。どうせ俺の寿命も人間とは桁が違うんだ、同じ速度で年とっていきゃあいい」
言われても実感が湧かず、そうだよなあと他人事みたいに頷き返すしかできない。
「そうか…なんか、現実感がなくて夢みてぇだ」
「先のこと話てっと、そうなるだろ」
ゾロは口をへの字に曲げて、サンジの横にひったりとくっ付くように座り直す。
「俺にとっちゃ、先より今だ。もう限界だ、抱かせろ」
「…う、いきなりじゃね?」
「いきなりじゃねえ、これでも相当堪えてんだ。いい加減にしねえとキレっぞ」
すでにキレた感満載で、ゾロは目を血走らせサンジに向かって手を伸ばした。






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