和草 -4-


まだ夜も更けていないのに早々に眠いとサンジが転がってしまったので、ゾロは風呂を沸かして飯を炊いた。
隣のおばちゃんに貰った佃煮と梅干しで、軽くお茶漬けにする。
「いつでも料理できると思うと、油断していけねえな」
サンジは瞼をとろんとさせて口だけもぐもぐ動かしながらそんなことを呟くから、ゾロは肩を揺らせてクスクス笑った。
「なんかお前、よく笑うなあ」
こんなに笑う奴だったっけかと首を傾げれば、「お前がいるからだろ」と即座に返された。
「ばか」
そう呟きながらも、口元がにやけてくるのを止められない。
二人して顔を見合わせてヘラヘラしてるのは実に不気味だろうけど、誰も見てないからまあいいか。

「明日は早えから、もう寝るぞ」
「早いのか?」
せめてもと食器洗いをしているサンジの背後で、ゾロはせっせと布団を敷いている。
「施設じゃあ、毎朝5時から自主的に勉強会してんだ」
「勉強会?」
「おう、たしぎが大好きな生物学とか発酵学から生産計画の策定までな」
「へえ」
「明日からまた、ちと参加してくっか」
ゾロは、たしぎに基礎を勉強し直せと言われたことを重く受け止めているのだろうか。
殊勝なことだが、きっかけが自分だと思うとどうしても気が引ける。
「これから忙しい時期なんだろ、あんまり無理はすんなよ」
「俺はいつだって無理はしねえよ。やりたいことをするだけだ」
今は珍しく勉強もしてえ気分なんだと、先に横になって掛け布団を捲り上げた。
誘われるまま、後片付けで濡れた手を拭いてゾロの隣に潜り込む。

「勉強と言えばさ」
腰まで潜ってから腕を伸ばし、リュックの中を探って本を取り出した。
「今日、電車ん中で読んでたんだ」
野菜の栄養成分を解説した小冊子だ。
副題に「食べものはクスリ」とある。
「野菜って、つくづく栄養の宝庫なんだよな、自然のサプリメントって言ってもいいかもしんねえ。安全で旬のものを毎日食べられるって、実はすんげえ幸せなことかも」
「そう言われれば、そうかもな」
実際、ゾロはそういったことを頭の中で考えたことがないから、相槌も曖昧だ。
どちらかと言えば、余りモノばかり仕方なく食べていた節がある。
「食う野菜自体に生命力があればさ、多分そんだけバカ食いしなくても腹が満たされるんだ。枯れた素材は食っても食っても食い足りない」
それは、とゾロにもなんとなく思い当たった。
都会で暮らしていたときは三食すべてに肉類が含まれていないと物足りなかったのに、こちらに移り住んでからほとんど野菜のみでもそこそこ腹は満たされている。
「美味い飯を出すレストランってのは勿論だけど、食いに来てくれた人が満たされて、しかも健康になってくれたらそんなに嬉しいことはねえなあ」
サンジは閉じた本の上に頬を乗せて、ゾロに背中を預けた。
傾けた頭から流れ落ちた金糸が、ゾロの肩に触れる。
「お前になら、できるだろ」
「それにはまず、お前の野菜な」
仰向いて挑発的な瞳で見上げれば、ゾロは任せとけとサンジの腹に手を回した。
「クソ美味え野菜、いっぱい作ってやる」
ぎゅっと抱き締めて、サンジの首筋に鼻先を突っ込んだ。
腹に回した腕の体温が若干上がった気がする。
ゾロの熱か、それともサンジの熱なのか。

「あ、そうだ」
サンジが首を打ち振って、身体を反転させた。
髪に頬を打たれ、僅かに仰け反った隙にサンジの身体がするりと腕の中から抜ける。
「これもさ、飾っときたくて」
リュックの中から小さな風呂敷包みを取り出し、丁寧な仕種で解いた。
その中にあったのは、フォトフレーム。
「これ、俺の両親」
はにかみながらけれど少し誇らしげに、ゾロに見えるようにと目の前に翳す。
「へえ」
そこに映っていたのは、日本人離れした顔立ちの夫婦と幼いサンジだ。
今の面影を残しながらも、全体に小さくて丸っこい輪郭が実に可愛らしい。
「これお前か、チビっけえな」
「だろ」
「おやっさん、いい男じゃねえか」
「うん」
「お袋さん、飛び切りの別嬪だな」
「おうよ」
「どっちに似てるっつうと、どっちにも似てるんだな」
ゾロはフォトフレームをサンジの顔の横に持ってきて、繁々と見比べた。
「うん、おやっさんにもおふくろさんにも、どっちにも似たとこある。見事なミックスだ。けど・・・」
眉毛が巻いてねえ。
そう呟くと、サンジはぷっと頬を膨らませてゾロの手からフォトフレームを取り返した。
「これは、父さんの親父さんに似たんだって」
「隔世遺伝か」
なるほどーと感心するゾロを尻目に、サンジは立ち上がり茶箪笥の上にフレームを置いた。
「ここ、いいかな」
「ああ」
サンジが自分の両親のことを話してくるなんて初めてだったから、ゾロとしては少し嬉しかった。
父親が今年亡くなったことは聞いているが、母親はどうしたのだろう。
そんな疑問は自ずと湧いてくるが、尋ねることではないとなんとなく思う。
過去にひどい屈託を抱えていたようなのに今のサンジはどこか吹っ切れた様子で、余計な口を挟みたくはない。
これは、いい傾向なのだろう。

「うし、んじゃ寝るか」
一歩下がって写真の位置を確認してから、サンジは改めてゾロの隣に潜り込んだ。
先ほどと同じように布団を捲ってやりながら、今度は肘をくっつけるだけにして身体を寄り添わせる。
それでも充分にサンジの匂いが鼻腔を満たして、合わせた肌が温かい。
「おやすみ」
「おやすみ」
これから毎日こうして眠るのだと、そう思うと自然に口元が綻んだ。





ウトウトとまどろんでいたら、けたたましいベルの音に叩き起こされた。
サンジは驚いて反射的に手を伸ばし、騒音の元である旧式の目覚まし時計を適当に押してみる。
なんとか音が止んで、静寂が戻ってきた。
時刻は4時40分。
まだ夜が明け切っておらず、鳥の囀りも聴こえない時刻だ。
自力で起きようとゾロがセットしたのだろうが、これほどでかい音を立てていたのにゾロ自身はまったく目を覚ます気配がない。
「起こした方が、いいんだろうな」
せっかくやる気になってるんだし、目覚ましをセットしたということはこの時間に起きる気だったんだろう。
「おい、起きろ」
とりあえず、厚い胸板に両手を添えてぐらぐらと揺すってみた。
ぐーとか、大きな寝息が返ってくるのみだ。
「起きろって、朝だぞー」
そうは言っても朝日が差し込まないから部屋の中はまだ暗く、体内時計も自然に目覚めそうにはない。
「起・き・ろ」
肩を掴んで大きく揺さぶり、それでも起きないとなると持っていた両手をぱっと離した。
布団の上に上体がごろんと落ちても、ゾロはすかーとか健やかな寝息を立てている。
元来気が長い方ではないサンジは、仕方ないとばかりにその場で立ち上がった。
「起きろっつってんだよ!」
肩甲骨の上辺りを軽くぽんと蹴り上げてみたら、なにかのツボに入ったのか、ゾロの身体が面白いように跳ね上がった。

「いってー」
「悪い悪い」
即座に目を覚まし、腕を捻って届かない背中の辺りを必死に擦ろうとしているゾロの代わりに、広い背中を撫で撫でしてやった。
「だってお前、全然起きねえんだもんよ」
「ああ、起こしてくれて助かった。けど効くなあ」
一発だと、片目がまだうまく開かない寝惚けた顔でへらりと笑っている。
短い髪の片側だけが押し潰れ、そこから放射状に毛先が立っていて間抜けだ。
「ともかく寝癖直さねえと」
「帽子被るからいい」
ゾロの頭を抱えて撫でるサンジの手首を、体温の高い掌が包み込んだ。
そのまま引き寄せて、手首の内側に唇を寄せる。
えっと驚いて屈んだサンジの後ろ頭を抱いて、その頬にも唇を押し当てた。
ゾロの乾いた唇と濃い吐息が耳に触れ、サンジの心拍は一気に高まる。

ジリリリリリリリリ・・・
再び鳴り響いたけたたましい音に、文字通り二人して飛び上がった。
目を見開いたままお互いに顔を合わせ、ゾロがあーと大きく嘆息しながら後ろに引っくり返って目覚まし時計を鷲掴む。
「わり、止まってなかった」
「や、ちゃんと自分で起きれるよう何度でも鳴るんだこれ」
もう鳴らないようにきっちりとロックしてから、腕を伸ばして枕元にしっかりと置き直した。
振り返り、はははと乾いた笑い声を立てる。
サンジも釣られて、肩を揺らしながら笑う。
「さて、んじゃ顔洗ってくる」
お前は寝てろよ、と片手を振って洗面所に消えた。
その後ろ姿を見送ってから、サンジは捲りあがった掛け布団の中にもう一度身体を潜り込ませた。
ゾロの熱が布団に残っていて、とても温かくて気持ちがいい。
枕に顔を押し付けると、さっきのゾロの少し濃い息が思い出され勝手にまた心臓の鼓動が早くなる。
しかもなんだか、身体の芯の辺りが疼いて熱い。
「・・・いてて」
己の動揺を誤魔化すようにうつ伏せに寝直したら、顔を洗って着換えたゾロが出てきた。
髪の毛は相変わらずおかしな方向に曲がっているが、トラクターのロゴが入った帽子を被ればわからない。

「収穫してから帰るから、朝飯7時ごろになる」
「了解、準備しとくよ」
サンジの言葉に嬉しそうに笑って、じゃあなと手を振った。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
布団にうつ伏せて枕を抱いたまま、手を振って見送った。
まだ薄暗く天気も晴れだか曇りだかわからないけれど、なんだか幸せな朝だ。


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