和草 -3-


旧キャンプ場の花見はサバイバルだとコビーが生真面目な顔で言っていたが、あながち冗談でもなかった。
山道から林道に入ると、舗装してないとかそんなレベルではない、ほとんど獣道としか言えない勾配が続いている。
草地に辛うじて轍が残っているから方向はわかるが、なるほどこれでは誰でも気軽に登ろうとは思わないだろう。
「マジこの先にも道あんの?」
「ある、道なき道が」
「岩!岩落ちてるし!」
「黙ってねえと舌噛むぞ」
分乗するということで、スモーカーが運転するワゴンの後部座席にゾロ達と一緒に乗り込んだ。
運転しなくていい分、周りが見え過ぎて却って恐ろしい。
広くない道幅なのにあちこちに岩が落ちていて、折れた枝や伸び過ぎた木々が無遠慮に通り道を阻んでいる。
バシバシ音を立てて車体を打ち付ける枝に、サンジは自分が打たれでもしたように首を竦め隣のゾロの腕を掴んだ。
「大丈夫なのか?」
「ああ、どうせ中古だから傷ついても気にしねえよ」
「そうじゃなくて!」
あら?と助手席からたしぎの声が上がった。
「倒木があります、注意してください」
場違いな冷静さに、サンジの方が首を伸ばしてぎゃっと声を上げた。
「でかい…」
確かに倒木だ。
木が横倒しになって道を殆ど塞いでしまっている。
「通れますか?スモーカーさん」
さすがにコビーも不安そうな声を出した。
「大丈夫だ、これが通れたら後ろのも通れるだろ」
「そうですね」
いやそうじゃなくて!
サンジは胸の内で突っ込んで、前の座席にしがみついた。
見てたら怖いが、見てなくても怖い。
手入れされていない林道にガードレールなどあるはずもなく、どこまでも幅寄せできると言われればそれまでだが、落ちたら一巻の終わりであるのもまた事実だ。
スモーカーは車幅ギリギリのところで上手に迂回し、倒木をやり過ごした。
「し、心臓に悪い・・・」
「後ろ、ついて来てるか?」
「OKっす」
なんでこんな、命がけで花見なんて!
思わずぼやきそうになる口を閉じて、なるべく周囲を見ないようにただひたすら正面の座席を凝視した。
隣でゾロが笑いを噛み殺している気配を感じたが、噛み付く余裕もありはしない。
しばらくガタンガタンと大きく車体が揺れていたが、やがて振動が弱くなった。

「まあ、綺麗」
たしぎの声に促されるように恐る恐る顔を上げると、先ほどまでの鬱蒼とした樹々はどこへやら、いきなり眼前に平野が広がり青空が飛び込んでくる。
「・・・わあ」
声を失くしたのはサンジだけではないようで、ゾロもぽかんと口を開けて目を輝かせた。
「こりゃあ、見事だ」
「すげー」
山頂を切り開いて作られたらしいキャンプ場は、連なる山脈が見渡せる絶景の場所だった。
午後の風は少し冷たかったが、降り注ぐ陽の光に和らげられて優しく肌を撫でる。
気温が低いからこそか、遅咲きの山桜は広場を取り囲むように木立を成して、今を盛りに咲き誇っていた。
ここまで荒れ果てた林道を通って来たというのに、何故か頂上は綺麗に整備されたままだ。
広場の敷地には芝生が根付いて、バンガローも洗い場もすべて綺麗に残っている。
「えーこれ、営業してねえの?」
「してねえだろ、さっき通ってきた道を思えば」
「けど、勿体ないわねえ」
誰しもが同じ思いで車から降り立った。

「すげえ、綺麗だ〜」
「いいとこだろ」
まるで自分の手柄みたいに、スモーカーが胸を張る。
「知る人ぞ知るってえ、穴場だからな」
「けど、マジ命がけじゃね?林道整備してくれたらいいのに」
「今は金にならねえことに手えつけてる余裕はねえんだよ。山だって荒れ放題だ」
一時は、植林された杉の木の価値を見越して多くの山が売買された。
けれど下草刈りや間伐の手間だけでも相当な維持費が掛かり、しかも木を売ったところでたいした儲けにもならないことがわかってからは、文字通りお荷物になってしまっている。
「こんなに素晴らしい場所なのに、勿体ないな」
「キャンプ場がオープンした当初はそれなりに利用者もあったらしいが、こんな上まではそうそう続けて来てくれるもんもいねえし、管理してる採算が取れなくなったんだよ。まあ、どうせ村の所有だから、こうして遊ばせといたって損にはならねえが」
「却ってここまでの林道を整備するだけで、莫大な赤字なんすね」
「そういうことだ」
それにしても勿体ないなと、それしか言葉が出て来ない。
都会暮らしのサンジにとっては、ここシモツキは自然豊かで宝の宝庫のような気がするのに、元から暮らしている人々にとってはあって当たり前で珍しいものではないのだろう。

「さて、とにかく花見だ」
「もう広げてまーす」
サンジが景色に見惚れている間に、たしぎ達はさっさと敷物を敷いてビールを取り出していた。
簡単なつまみやおにぎりなんかが並べられている。
「俺も何か作ってこれたら、よかったな」
サンジが言うと、コビーは笑って首を振った。
「それは来年の楽しみにしといてください。今日はサンジさんの歓迎会だ。おにぎりは研修生達が作ってきてくれたんですよ」
「つまみは適当に買ってきたんだけどな」
「桜と酒があれば、なんだってご馳走だって」
運転手にはウーロン茶が渡され、後はビールで乾杯となった。
「まて、俺もウーロン」
「おうそうしとけ、ゾロに飲ます酒が勿体無い」
どんなだよと笑いながらペットボトルを受け取るゾロに、サンジは横から袖を引っ張った。
「飲まなくていいのか?」
「ここまでは乗せてもらったが、帰りは駅前から軽トラで家帰るだろうが」
「あ、そっか」
つい失念していた。
「ゾロさんなら、多少飲んだって平気でしょう」
「酔う酔わないの問題じゃねえ。乗るなら飲むなだ」
「かっこいー」
それでは改めて乾杯と、各々が手にした缶やボトルを高く掲げた。



クーラーボックスに詰め込まれていたビールはよく冷えて、実に美味かった。
大きすぎていびつなお握りもなんとも旨くて、なぜか酒のつまみにどんどん売れていく。
「酒と握り飯って、どうよ」
「旨けりゃなんでもありだ」
晴れた空の下、桜並木を愛でながら賑やかに杯を交わす。
サンジにとって、こんなに楽しくて美味しい花見は初めてだ。
「ゾロさんの分まで、飲んでくださいね」
ビール系はあまり飲まないサンジだったが、あんまり気持ちよかったからつい勧められるまま空けてしまう。
吹き抜ける風が頬の火照りを覚ましてくれるみたいで、それほど酔いが回りそうにない。

「さっきちょっと小耳に挟んだんですが、サンジさんレストランを始められるんですか?」
コビーが子どもみたいに目を輝かせながら聞いてくる。
なんにでも興味を持って誰に対しても好意的な、よく懐く犬ころみたいな男だ。
「うん」
対してサンジは、少しはにかみながら応えた。
このメンバーの中で夢を語るには、自分のそれは単なる思いつきの産物のようで気が引ける。
「すげえな、これからサンジさんの料理が食べられるんですね」
「ちゃんとお金払わないとダメですよ。ビジネスですから」
「わかってるって、けど試食はありだよな」
「こら」
どこそこの空き家がいいとか、勝手に盛り上がる研修生達を尻目に、たしぎが腰をずらしながらサンジの横に場所を移動した。
「遅ればせながら、ようこそシモツキへ。新生活スタートおめでとうございます」
「ありがとうございます」
たしぎちゃんもと返せば、ふわりと花が開くように微笑まれた。
「お店、どう?」
「うーん、予想通りボチボチよ。オープン前から純粋なお客さんはいないってわかってたからそれほど落胆はしてないけど、やっぱり来る人みんなが顔見知りってのは、商売としてはし辛いわね」
そうかもしれない。
「観光客とか、来るような場所でもないし。GWに帰省してくる親戚とか、夏休みやお盆が狙い目かなあ」
「そんなんで採算は取れるの?」
「元々駅前の活性化計画に乗っただけだから、場所代は殆どただみたいなものだし、商品の仕入れは結構掛かったけど基本腐るものでもないしね。あの雰囲気でカフェだけ回転させられたらとんとんかなあ」
これから田んぼの方が忙しくなるので、直売所のおばちゃん達が店番をするのだという。
「じゃあ、あの可愛いお店のお留守番はたしぎちゃんじゃないんだ!」
「そうよ」
何故か絶望的な呻き声を上げるサンジに、たしぎはケラケラと笑い声を立てた。
どちらもかなり酔っ払って来ている。

「サンジさんがレストランするなら、きっとゾロも張り切って野菜作りに精を出すわ」
「そうしてくんないと困るよ、巻かないキャベツとか大きくならない人参とか」
「まあ」
たしぎがキランと眼鏡を煌かせた。
「ゾロ、貴方やっぱり基礎がなってませんね」
「ああ?いきなり絡むなたしぎ」
「土壌分析をきちんとしろと、あれほど忠告したのに」
「分析やら解析やら頭でっかちな理論だけ立ち上げて、ピーカンにハウス開けなかったのは誰だったか・・・」
「あれヤバかったっすよねー、スモーカーさんが気付かなきゃ全滅だった」
「またその話を蒸し返す!」
自分の一言で思わぬ方向に話が転げて、サンジは内心焦ったがどこにも口を挟めない。
「でも、大概勘だけで適当なもん作ってるのもどうかと思うぞ。一人で楽しむ分には構わんだろうが、これからはサンジとの生活が掛かってんだ」
これからたしぎとの生活が掛かっているスモーカーの言葉は重く、ゾロは神妙な顔付きで頷いた。
「肝に銘じる」
「いつになく素直だな、やっぱり結婚って男を変えるんかね」
「そりゃあ、責任感ってものが生まれますから」
「あのー、もしもし」
「お前らも早いうちに相手探しておいた方がいいぞ」
「スモーカーさんに言われるとマジむかつきます!」
「俺らのたしぎさんを、横から掻っ攫っておいてー!」
「そうだそうだ!」
「・・・あのー、もしもし」
やはり、サンジの控え目な突っ込みなど入る余地もない。
花見の酒盛りは、後半乱闘へと姿を変えた。



「さぶっ」
少し陽が傾いただけで、山頂を吹き抜ける風の冷たさがぐんと増した。
「そろそろ帰るか、陽が翳る前に」
「そうだな」
ぐちゃぐちゃの敷物の上に、死屍累々と横たわる屍を足で転がしながら、素面のゾロ達は片付けを始めた。
ここに来て僅か2時間ほどしか経っていないのに、随分と長く宴会をしていたような気がする。
「帰りにあの道、また通るのか」
サンジが酒臭い溜め息を零したら、コビーもうわあと絶望的に呻いた。
「力有り余ってるスモーカーさん達が、退けて帰ろうとか言うんだ絶対」
「一旦止まるとアウトっすよね」
すっかり酔いが回ったサンジとコビーは、片付けを手伝いたくとも足が立たない。
せめて邪魔にならないようにと隅っこに座ってふらふらと上体を揺らしていたら、不意に背後でがさりと音がした。
二人してビクンとその場で背筋を伸ばし、目線だけ動かし視線を合わせる。
「・・・今、なんか音した?」
「し・・・ましたね、なんか」
「なんか・・・い、る?」
いつ振り返ろうかとタイミングを計っていたら、またしてもガサガサと音が立った。
「ひゃあっ」
コビーの悲鳴が切っ掛けになったかのように、一斉に立ち上がり足を縺れさせながらゾロの元へとダッシュする。
「なんか出たー!」
「なんだなんだ」
いきなり駆け寄られたゾロは、走り抜けようとするサンジの身体を横抱きにして、もう片方の腕を伸ばしコビーの首根っこを捕まえた。
「逃げるな、追ってくるぞ」
「なお怖いー!」
「なんも見ないうちに、退散だな」
まだ繁みはガサガサと揺れていたが、全員気付かなかったことにしてそそくさと車に乗り込んだ。
「なんで?クマじゃねえの?」
「クマだったら報告しなきゃならんだろ」
乱暴にハンドルを繰って、スモーカーは葉巻を咥えアクセルを踏み込む。
「報告すると猟友会出動しちゃいますからね、クマ注意報も流れちゃうし」
「こっちがクマのテリトリーに入っちまってんだ、山を荒らしちゃなんね」
「・・・なるほど」
納得はしたものの、サンジはなんとなく未練がましく後部座席から振り返った。
さきほどコビーといた場所の繁みはまだ揺れていたが、何かを確認するまでに車は山道を下り始め視界から消えた。




「今日はお疲れさんでした」
「いいお花見だったねー」
人里まで降りてくる頃には気持ちも落ち着いて、今度は躁状態でヘラヘラと笑いながら駅前まで戻った。
「こんな楽しい花見は、初めてだったよ」
「よかったなあ」
「また来年行こうな」
「・・・それは、どうしよう」
本気で困惑するサンジに笑いを返し、お疲れ様でしたと研修生達が帰っていく。
「俺たちは店に戻る」
スモーカーとたしぎの横に、ヘルメッポとコビーが並んだ。
「またお邪魔してもいいっすか?ちょっと酔い覚ましに」
「構わねえよ」
「丁度いいから、法人化のお話をもっと詰めましょう」
酔っ払いから経営者の顔になったたしぎに、はいっと神妙に腰を折ってコビーとヘルメッポが着いていく。
「じゃあまたな」
「ああ、また明日」
軽く手を挙げて、ゾロはサンジと一緒に裏の駐車場へと足を運んだ。

「事務所の方、ちゃんと見られなくて悪かったな」
「別に、こんなんだってわかってもらえればいい。一応ここを拠点にして仕事するから、場所を押さえたことは無駄になんねえし」
それよりと、エンジンを掛けながらサンジを振り返った。
「俺はもう田植えの準備に入るから結構忙しいし、レストランの話とかには本腰入れられねえけど」
「それは大丈夫だ、俺なりに色々動かせてもらう」
「顔つなぎは俺がしてやるから、かえってちゃんと話し合おう」
急ぐ必要はない。
これからずっとこの地に住んで、ゾロと寝食を共にするのだ。
話はいつだってできるし、長期の計画も一緒に実行していける。
そのことにまだ現実感が湧かなくて、サンジは赤い顔のままほうと長い息を吐いた。
「どうした?」
「なんか、俺ここに住むんだなあ」
ここに住んで、ゾロと暮らして、二人で夢を形にして行って―――
「まだ、実感が湧かねえ」
「俺もだ」
え?と返したら、ゾロは照れたように笑った。
その顔を見て、サンジの頬が益々赤くなる。
「嬉しいと思うことには、いつまでも慣れたくねえなあ」
「・・・そうだな」
こっ恥ずかしいと思うのに、つい素直に同意してしまうのはやっぱり酒のせいだろう。
そう思うことにした。





next