和草 -2-


ゾロが作ってくれたラーメンは豪快で旨かった。
即席ラーメンの上に胡麻油で炒めた野菜をてんこ盛りにして卵を割り入れただけだが、二人して顔を突っ込むようにガツガツ食べた。
「けど、なんでラーメンにご飯?」
「なんで、ラーメンライスだろ」
夕べの冷や飯をラーメンをおかずにして食べるゾロを、サンジは珍しそうに見やる。
「百歩譲って、付け合わせとしてのチャーハンならわかるかな」
「じゃあ何か、お前は焼きそばライスとかお好み焼きライスとかたこ焼きライスも食べねえのか?」
「食うか!」
旨いのになあと呟きながら、ゾロはどんぶりを持ち上げて汁の一滴まで残さず飲み干した。
その健啖ぶりに見とれながら、サンジもちょっと真似をして汁まで飲んでみる。
味は濃いけど、粗雑な旨みが腹いっぱいに染み渡ってなかなかオツだ。




「先に、駅前に寄って行こうぜ。たしぎの店はもう開いてる」
ゾロの提案に、サンジは目を輝かせた。
「そうか、開店のお祝い言い遅れたな」
「改装は終わったから、結構印象が変わったぜ」
二人して軽トラに乗り込み、再び春色に包まれた農道をひた走った。
煙るような菜の花の黄色が、流れる景色の中でも一際鮮やかだ。
「産直の方は、どうだ」
「うん」
正面を向いたままハンドルを操るゾロの横顔は固い。
「今年は地方発送に回すほど、野菜が採れねえかもしれねえ」
下手だから?とか言う突っ込みを危うく飲み込んで、そうかもなあと相槌を打った。
「東京でもめちゃくちゃ野菜、高えもん」
「天候に左右されっからな、こればっかりはなんとも」
「まずは安定供給から目指すってのは、無理か」
「施設から整えなきゃならんからな。元金がありゃ水耕栽培でも、でかくて頑強なハウスでも建てられっだろうけど」
「そりゃ無理だ」
はははと乾いた笑い声を立てて、窓を開け煙草に火を点けた。
「生産量が不安定だからこそ、産直ってのは逃げ道になるのかもしれねえなあ」
「だからって産直を始めるに当たって『豊作の時だけやります』って訳にはいかんだろうし」
「そりゃずりい」
これからの二人の生活がかかっている話ではあるが、のどかな景色に釣られてつい暢気な会話になってしまった。
「最低、食うものには困らんだろうが」
「それだけで充分だ」
サンジの眼から見れば、シモツキはその辺に生えてる葉っぱでも充分美味しそうな食料の宝庫だ。
「まあ、なんとかなるだろ」
話しているうちに、軽トラは駅前の駐車場へと入った。



「こんにちは」
「あ!サンジさん」
たしぎが弾んだ声で振り返った。
黒縁の眼鏡を指で押し上げ、輝くような笑顔で暖簾を上げる。
「いらっしゃい、シモツキへようこそ」
「お世話になります」
ぺこりと頭を下げてから、改めて店の中を見渡す。
「想像以上に可愛いお店だね、ここだけぱっと花が咲いたみたいだ」
駅前とは言え古い旅館や写真館しかないような通りに小さな雑貨屋ができたことで、ぐんと華やかさが出た。
木造の建物や古い柱などはそのままだが、花柄やチェックの小物がバランスよく配置されセンスの良さが感じられる。
ワゴンも表に出ていて賑やかだ。
ゾロの事務所に隣接する方角は和風で統一されていて、一つの店でもコーナー別に雰囲気が変わっていて面白い。
「こんにちはサンジさん。お菓子ご馳走様でした」
奥でコーヒーを飲んでいたコビーとヘルメッポが顔を出した。
「こちらこそ、いつも丁寧な感想をありがとう。助かったよ」
「オレは美味かったしか言えなかったけどな」
チンピラメガネを掛け直すヘルメッポに、それで充分と笑顔を返す。
「これからはサンジさんの料理をいつでも食べられるんですね」
「おう、いつでも来いよ」
「ちょっと待て」
話の展開に待ったをかけるゾロを無視し、サンジは店の中をあれこれ眺めながらぐるりと回った。

「さすがたしぎちゃん、どれもセンスがいいなあ」
感心するサンジに、ヘルメッポがそっと囁く。
「いや、実はこの商品選んでるの全部スモーカーなんだと」
「ああ見えて、スモーカーさんって可愛いもの大好きなんですよね」
苦笑するコビー達に、サンジはへえと目を丸くした。
「だからたしぎちゃんをGETしたんだな、さすが」
「・・・」
「俺は、サンジさんのがさすがですけど」
「ん、なに?」
売り物のデミタスカップを掌に包み込んでいたら、奥から声がかかった。
「コーヒーが入りましたよ」
「はーい」
くるりと踵を返して、踊るように店の中に入る。

「案外、奥行きがあるんだね」
「間口は狭いんですけど、まさに鰻の寝床ですね」
店の奥にキッチンとカウンターがあり、棚には種類の違うカップが並べられていた。
「じゃあ、隣のゾロの事務所もこんなの?」
「殆ど一緒だ、前に図面送ったろ」
「確かに細長い家だとは思ったけど、実際見るとなんかすげえ」
いただきますとカップを傾け、温かなコーヒーを一口含む。
「美味しい」
「コーヒーを煎れるのだけは上手いと、褒められました」
少し得意そうに胸を張るたしぎは、まさに看板娘ぴったりの可憐さだ。
「そんかわり器物破損が酷いですけどね」
「開店前だってのに、もう皿を何枚割ったことか・・・」
「そこ、うるさい」
サンジはえ?と顔を上げて、背筋を伸ばし店内を見渡した。
「お店、もう開いてんだろ?」
「喫茶コーナーはまだなんです」
「なのにもう、美味そうな匂いさせてるよなー」
「いつも入り浸ってるんだから」

表から差し込む陽が翳ったと思ったら、のっそりと大きな身体が入ってきた。
「おう」
「お帰りなさい」
弾けたように振り返るたしぎに目を細め、サンジは声の主にゆっくりと向きを変えた。
「こんにちは、お邪魔してます」
「ああ、いらっしゃい」
眼光鋭い目を眇め、葉巻を咥えた口端を少し引き上げた。
傍目には極悪っぽいが、これはスモーカーなりの笑顔かもしれない。
「いい店だな」
「まあな」
スモーカーが腰を下ろすと同時に、灰皿とコーヒーが置かれた。
たしぎはカップを持っていそいそとカウンターから出て、その隣に座る。
「結局、隣の事務所には喫茶置かないんですね」
前半はゾロに、後半はサンジへと首を振って尋ねた。
「うん、こっちで雑貨と一緒にした方が見栄えもするしいいでしょ。事務所はこれからどうなるかわからないし、食べ物出せる環境になるかがそもそも怪しいから。こっちにケーキだけ卸すよ」
「サンジさんの手作りケーキなら出すこちらとしては安泰ですけど、いいとこ取りしてるみたいで気が引けるなあ」
「とか言いながら、大張り切りで食器揃えたんですよね。スモーカーさんが」
余計な一言を咥えるコビーの頭を小突いて、スモーカーは鼻から煙を吐いた。
「早速だが、来週の水曜日に保健所の検査が入る。立ち会ってくれるか」
「お安い御用だ」
「プロがいるって、心強いわ」

和気藹々と今後の計画を話し合うサンジを、ゾロは一歩引いたところから眺めていた。
もうすっかりシモツキに馴染んでいるように見えるが、今この場所にいるのはいずれも余所から来た者同士。
本当の意味でサンジがこの地に定着できるのは、まだまだ先のことだろう。
けれどこんな風に同じ境遇の仲間を得て、染まるだけでなくサンジ自身がその色を発揮できるような事柄もきっと生まれるに違いない。
変わるだけでなく、人を変えられる力があるはずだ。
サンジに出会えて、ゾロの景色が変わったように。
その時が来るのが楽しみなような、少し寂しいような複雑な気分だ。

「でね、雰囲気を変えないためにもメニューはコーヒー各種と紅茶、ハーブティーにケーキの組み合わせだけにしようと決めてるんです」
「それがいいだろうね、あれこれ手を広げすぎると雑多になるし」
「村の人達の要望を受け入れてると、何のお店かわからなくなるからな」
「昨日は源さんに、おにぎりセット入れてくれって言われたし」
「カップラーメン揃えといてとかも言われたわ」
憤慨するたしぎにそりゃダメだとサンジも頭を抱え、あっと顔を上げた。
「お店の名前は、『わわ』って読むの?」
コースターに「和々」と書かれているのを見て、そう言えば表の木の看板にもあったと気付いた。
「ああ、これ『にこにこ』って読むんです。当て字なんですけど」
「にこにこ?」
確かに、よく見れば漢字の「和々」の下に小さく「nikoniko」とローマ字が打ってある。
「『和草』って書いて、『にこぐさ』って読むんですって、にこは柔毛にも通じるんですけど、柔らかいとか若いって意味で、にこにことかにっこりの語源もこれだとか」
だから、和々ならにこにこと読めるだろうと。
「ほんとかどうか、わからないんですけど」
「そうか。うん、お店の雰囲気にあってて凄く可愛いよ。さすがたしぎちゃん」
「小物選んでるのはスモーカーだけどな」
ヘルメッポの突っ込みにスモーカーの手刀飛んできて、それを避けようとして木のイスごと引っくり返った。
大騒ぎしているコビー達を横目に、ゾロはカップを飲み干して立ち上がる。
「それじゃ、一旦こっちの事務所に行くか。後でな」
「あ、お花見」
「2時に研修生のみんなも来るから、また後で」
スモーカーとたしぎにご馳走様と会釈して、サンジ達は一旦表に出てから隣の事務所へと足を運んだ。

「へえ、綺麗だ」
古い家屋を改装したとは言え、隣と一緒で柱や梁などは変わっていない。
けれど内装は板張りで、土間もコンクリートで綺麗に固められている。
事務机の上にはすでにパソコンが設置されていた。
奥の間は作業台らしきものが置いてあるのみで、がらんとしている。
「全部あちこちからの貰いもんだが、一応事務所っぽいだろ」
「うん、上等」
「裏の勝手口を広く取ってあるから、野菜はそこから運べるようにしてあんだ。んで、箱とか緩衝材のストック置き場にスペース取って・・・」
サンジはさくさく歩いて裏口から外を確認した。
「駐車場になってんだな。ってことは、こっから集荷にも来てくれる」
「動線としてはOKだろ」
「うん、上出来」
「箱のロゴとか、決めたのか」
「まだだ。一応今月からデモ発送しようとは思ってるんだが、本格的に箱の印刷するほどには至ってねえ」
「発送するモノ自体が、どこまで供給できるかだよな」
うーんと二人して顎に手を当て、しばし唸る。
「去年なら、もっと明確な目処がついたんだが」
「仕方ねえよな、これが自然相手の商売か」
ゾロはパソコンを立ち上げて、昨年度の収穫量と出荷量、出荷先を記入した表を出した。
それをさっと見て、サンジは笑いを漏らした。
「見事に行き当たりばったりの丼勘定」
「わかるか?」
「わからいでか、収穫が多いモノを売れるだけ売っちまおうとしてるから値が安いし、ない時は全然出荷してねえ。価格もその時に応じてバラバラだ」
「時価って奴だな」
「言ってろ、確かにこりゃあやりがいがある」
サンジはしばし数字とにらめっこしていたが、意を決したように厳しい表情でゾロを振り返った。
「産直、今年から始めないとダメか?」
「ダメじゃねえ」
即答だ。
「なら、もう一年計画を練り直した方がいい」
そうじゃないかとゾロも思っていた。
サンジの言葉に背中を押されて、うんと素直に頷く。
「そん代わりって言っちゃアレだけど、この期に及んで俺のしたいこと言ってもいいか」
「ああ」
そっちの方が聞きたいと、ゾロは柔らかく笑んで先を促した。

「俺な、お前が作る野菜を使った農家レストランをしてえ」
ああ、と胸を突かれた思いでゾロはサンジの顔を見つめ直した。
ほとんどプロポーズ並みの勢いでこの事務所の話をした時、他にも農家の空き家があると言ったことをサンジは覚えていたのだ。
「お前が作る野菜ってさ、こうやって出荷するのはまともなもんだけど・・・うちも一杯貰って重宝させてもらったし。けど、多分いわゆる規格外って奴も腐るほど出るんだろう」
「まあな」
ゾロはバツが悪そうな顔で、後ろ頭をボリボリ掻いた。
「俺はそういう、ちょっと出来損ないだけど力強い味のする、お前の野菜を使って料理をしてえんだ。そしてそれを、他の奴らにも食わせてやりてえ」
サンジは自然と拳を握りしめ、熱っぽい瞳でゾロを見つめた。
「美味いモノが採れるこの土地で、美味いものを作りてえ。俺がこの地に来て、お前の傍にいてできる精一杯のことだと思う」
「いいな」
ゾロも釣られるように目を輝かせて、大きく頷く。
「お前の手に掛かれば、俺の野菜でも一流の料理に生まれ変わるんだろう。そうやって最高に美味い状態で食べてもらえるんなら、農家冥利に尽きるって奴だ。もしかしたら、美味いって言って食ってくれる人を間近で見ることだってできるんだろうし」
「あたぼうよ」
俺に任せろと、サンジは胸を張った。
「最高に美味い料理を作って見せる。お前が作った野菜だと思ったならなお更だ、だから俺にレストランをやらせてくれ」
「ああ」
即座に同意したゾロに、サンジの方が却って不安げな表情を見せた。
「おい待てよ、そんな簡単にOKしてくれて大丈夫なのか?」
「なんでだ」
「だって、そう簡単に店開ける訳ねえだろ、資金とか」
「俺が産直するために貯めといた金、使えばいいじゃねえか」
「いや、それは1年延ばすだけだ。お前の金を使うつもりはねえ」
急に他人行儀なことを言い出したサンジに、ゾロの方がむっとする。
「今さら何言い出しやがる、水臭え」
「いやいやだから、一応俺も今までの貯金とか持って来てっから資金面ではなんとかなるかと思うんだけど・・・あくまで俺がしてえって希望だけで、確かな展望とかはねえんだぜ」
「だから、今さらだ」
「だけどよ、店開いたところでお客さん来るかどうかわからねえし」
「けどお前は美味いもんを作る、そうだろ?」
「おうよ、それは自信がある」
「なら、大丈夫だ」
お前のその楽天さが心配なんだよ!
そう突っ込みたかったが、サンジの腕だけに絶大な信頼を寄せているゾロに悪い気はしない。
「いざ施設整えて店をオープンさせても、ここいらになんのツテもねえから宣伝とかも難しいかも」
一転して弱気になったサンジの背中を、ゾロは強く叩いた。
「何言ってやがる、農家レストランするなら空き家の当てはいくらでもあるし、ちょっと改装するぐらいでそんだけ費用は掛からねえ。町の補助も利用できっし、タウン誌の取材は施設でしょっちゅう受けてっから近場のPRはお手のもんだ」
「え?そうなの」
「隣の和々だって、フリーペーパーで3社くらい、今月号に乗るんだぜ。施設のHPからも宣伝してもらうし、うちのHPももっと改装して派手にやる。後、連絡すればケーブルネットやローカルテレビの取材も来るぞ」
「え?!」
「基本的に狭いコミュニティだから、俄かツテでも結構あるもんだ。そこいら辺は心配するな」
楽天家が急に頼もしく見えてきた。
「そう、か。それならいけるかも・・・」
なんせ、競争相手がいない。
そういう意味ではなんでもチャレンジできそうな環境だ。
「それに、レストランの方が人気が出て常連客が着いたら、今度はそのお客さん相手に俺の産直が生かせるんじゃねえか。相乗効果だ」
「そうか、そうだな」
そう言われれば、そうかもしれないって気になってきた。
「お前が作って味を広める。そのことで俺の野菜も人に知られていくようになる。なあ、野菜なんて誰でも真剣に作ればそこそこ美味いもんができるんだ。だが、それを美味い料理として作り上げるのは、てめえにしかできねえ技術だ。そうだろ?」
ウン、とサンジは力強く頷いた。
「俺にしかできねえ、お前の野菜を生かせるのは俺しかいねえよ」
「上等だ」
ゾロはにかりと笑って、サンジの頭をぐりぐり撫でた。
まるで子どもを褒めるような仕種だったが、サンジは嫌がらず敢えて甘えて見せる。
「俺、頑張るぜ」
「ああ、俺も頑張る」
それならば、庭先で採れた野菜だから不十分でも仕方ないと思っていたことも、これからはしっかり改善していかなければならない。
種の一粒が、苗の一本が、この先はサンジの大切な食材となるのだから。

二人して手を取り合う勢いで向かい合っていたら、コホンとわざとらしい咳払いが聴こえた。
「あのーお二人さん。そろそろ時間なんですが・・・」
気が付けば、表にはスモーカーやコビー達だけでなく若い研修生達も、興味津々な様子でこちらを覗き込んでいた。
「あ?もうそんな時間」
「早く行かねえと日が暮れるぞ」
「それならそうと、早く言え!」
慌てて立ち上がった二人を置いて、スモーカー達は笑いながらそれぞれの車に分乗した。




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