和草 -1-


春色ってのは、緑と黄色なんだな。

流れる車窓を目で追いながら、サンジはなんとなくそう思った。
春といえば桜やスミレ、可愛い花なんかを想像するからついピンクとか思いがちだけれど、実際に目にした色は一面の緑と咲揃う黄色の菜の花だった。
これが一番春らしく、芽吹きのエネルギーに満ちている。

ガタンゴトンと小気味よく揺れるリズムに身を任せながら、開いていた本を閉じてリュックに仕舞う。
河川敷を渡る橋の向こうは、もうシモツキだ。
車内のアナウンスから聴こえる「シモツキ」の音を、なぜだか懐かしく感じながらリュックを背負った。
ドアの開閉は自動ではないため、ドアの横の開ボタンを押すことにも慣れた。(最初の頃は開くまでぼうっと突っ立っていて、横に座っていた人が立ち上がりわざわざ押してくれたりもしたものだ)
ホームに降り立つと、風とともに錆びたレールの鉄臭さとか、仄かに甘い花の匂いがごっちゃになって吹き抜けていく。
晴れた空の下、僅かな平野とそれを囲うシモツキの山並みが、まるでサンジを歓迎してくれているかのように様々な春色に染まっていた。



「やあ、らっしゃい、サンちゃん」
切符を受け取る手で、駅員のおじさんがぽんぽん肩を叩いて激励してくれた。
「どうも、お世話になります」
ぴょこんと頭を下げて改札を通過し、ちらりと横目でおっさんの顔を確認する。
前に駅にいた三セクのおっさんとは、明らかに違う人だ。
つか、ぶっちゃけ知らない人だ。
客商売がてら人の顔を覚えるのが得意なサンジだけに、これだけは断言できた。
シモツキに来てから、こちらが知らない人でも(むしろ相手も初対面のはずなのに)きさくに声を掛けてくる人のなんと多いことか。
金髪=サンジとかいう、引継ぎ事項でもあるのかもしれない。
朝礼の打ち合わせで「金髪の子が来たら、それはゾロんちのサンちゃんだから」とか伝達されてたら、どうしよう。
妙な方向に心配していたら、駅舎前に横付けされた軽トラからゾロが下りてきた。
「悪い、遅くなった」
「いんや」
喫煙室に入りかけていたサンジが、仕方なく引き返してくる。
「忙しいんだろ、ゆっくりしてくりゃよかったのに」
「その間に一服ってか」
「まあな」
ゾロはサンジの格好を眺めて、荷物はそれだけかと聞いてきた。
「粗方そっちに送ったもんよ」
「あんで全部か?ダンボール3箱しか着いてないぞ」
「そんで充分、いるもんはその都度取りに帰るし。それより箱、邪魔になってねえか」
「あれぐらいなんてことねえ、座敷の隅に積んである」
「そっか、よかった」
田舎の家は、元町営住宅でも結構な広さとそれなりの間取りがある。
狭いアパートに送りつけるわけではないから、そう気が咎めはしなかった。

「おやサンちゃん、いらっしゃい」
また知らないおばちゃんから声を掛けられてしまった。
「ゾロさんちに一緒に住むんだって?よろしくね」
「こちらこそ、お世話になります」
背筋を伸ばして向き直り深々とお辞儀するサンジに、あれまあと笑いながら手を振った。
「やっぱり都会の人はきちんとしてなさるねえ、お似合いだあさ」
「・・・はい?」
「うし、行くぞ」
そそくさと軽トラに乗り込んだゾロを追って、サンジはせっかく取り出しかけていた煙草を箱に戻した。



「とりあえず家帰って荷物片付けるか。今夜はスモーカー達が歓迎会するっつってっから、午後は施設行くぞ」
「ええ、いいのかなあ」
「宴会好きだから、なんのかんの理由つけて騒ぎてえんだろ」
「へへ」
サンジはくすぐったそうに笑いながら固いハンドルを回して窓を下げ、煙草の煙を吐き出すために頭を外に出す。
びゅうびゅう風切る音と一緒に火花が散ったが、気分は爽快だ。

「あー、やっぱ綺麗だなあ」
「なにがだ?」
「景色だよ、すげえ色」
駅の裏手から農道に入り、そのまま河原添いをひた走る。
まだ苗の植えられていない田んぼには、一面菜の花畑になった区画がいくつかあった。
畦道は青々とした草が生い茂り、整備された小川の土手にはびっしりと芝桜が根付いて鮮やかなピンクと白の模様を形作っている。
「あれなんだ、あの白いの」
河原の土手には可憐な白い花が咲き乱れ、白い絨毯のようだ。
「ああ?雑草だろ」
「黄色いのは菜の花だってわかるんだけどな。カスミ草みたいでキレイだなあ」
「雑草でも、たくさん生えて遠目に見るとそうだな」
言われてみると、確かに綺麗だ。
ゾロ自身、何度もこの道を通っているのに、今までそんなことに気付きもしなかった。
「まだ山に桜咲いてんだな」
「山桜はこれからだぞ、この辺は気温が低いから。午後歓迎会がてらキャンプ場に花見に行こうって話しも出てる」
「キャンプ場?あんのか」
「昔な、山の上にあったんだ。今はもう閉鎖されて林道も手入れされてねえから、遭難覚悟で出かけねえとな」
「どんなとこだよ」
突っ込みながらも手を打って喜んでいる。
この笑顔がこれから毎日間近で見られるのかと思うと、ゾロの顔も自然に緩むというものだ。

二人して箍が外れたみたいにヘラヘラ笑っている内に、お隣さんの家に差し掛かった。
速度を緩めた軽トラを迎えるみたいに、川戸にしゃがんでいたおばちゃんが腰を伸ばして、頭だけ覗かせた。
「あんれえ、サンちゃんいらっしゃい」
「こんにちは。これからこちらでお世話になります」
窓から身を乗り出して、深々と頭を下げる。
「そうね、ずっといてくれるんねぇ、嬉しいわあ。よろしくねぇ」
おばちゃんのぷっくりとした手がひらひら舞った。
まるで緑の風にそよぐモンシロチョウのようだ。
橋を渡る車から手を振り返し、懐かしいゾロの敷地へと入った。
今日からここが、我が家になる。



「ただいまー」
車から降りて勢いよくドアを閉めた後、サンジは改めて声を掛けた。
「誰に言ってんだ?」
「家に」
「なるほど」
がたつく木枠の引き戸を開けると、いい匂いがした。
「水仙か」
下駄箱の上にほんの数本差してあるだけなのに、なかなかの存在感だ。
「これ、お前が飾ったの?」
「他に誰がいる」
憮然と返されて、いやまあと苦笑いする。
「ワンカップの瓶が花瓶代わりだから、そうだろうとは思ったよ」
いい匂いだと鼻を近付けるサンジを残して、ゾロはリュックを持って先に家に上がった。
「庭に花の球根とかもごっちゃに植えたから、色々咲いてんぞ」
「春だなあ」
廊下を横切って座敷先から庭を眺める。
旺盛に生え揃うのはチューリップの葉だとわかるが、肝心の花が見当たらない。
「チューリップ、やたらとあるな」
「ああ、だが花がつかん」
「・・・意味ねえ!」
「球根も植えっぱなしで掘り出してねえからな、どんどん消えてく」
それでも、一面に生えたムスカリの青や所々に咲く色鮮やかな赤いアネモネが、それなりに庭を華やかに見せていた。

「本格的に庭の手入れ、してえなあ」
「お前は、してえことだらけだな」
あたぼうよとなぜだか胸を張り、サンジはにかりと笑った。
「まずは、引越しの片付けからだ」





ゾロの家は座敷と居間の二間しかないから、独立した部屋はない。
サンジの引越しに備えて、ゾロは押入れを半分に分けてスペースを作った布団は相変わらず一組だし必然的に生活用具もすべて共有となるが、サンジは今更頓着しなかった。
すべてわかっていてこの家に来たのだ。
ゾロにも今までとは違う不自由を感じさせることになるだろうが、変な遠慮は見せないでおこうと思う。
「やっぱ、衣装ケースくらいは新しくいるだろ」
「さすがにな。他にも色々欲しいもんあるし、後で買いに行くか・・・つっても歓迎会が・・・」
「明日でいいだろ」
急がなくていいんだと改めて気付いて、サンジはぺろりと舌を出した。
つい、帰る日を逆算して計画立てるクセがついてしまっている。
「しばらく段ボールに入れたまま仕舞っとくか」
「昼飯、ラーメンでいいか」
「おう」
サンジが来たときは、三食必ず台所に立つ習慣みたいなものがあったが、それも前回からなしだ。
無理に家事分担を決めなくても、できる方ができることをすればいい。
ゾロだってずっと一人暮らしを続けてきたのだから自炊ぐらいできるし、これから二人で暮らしていくならそれなりにお互いの気遣いと努力も必要だろう。
サンジは昼食をゾロに任せて片付けに専念するつもりだったが、なんとなく気になってつい台所に目を向けてしまった。
自分のために料理してくれるゾロってのも、珍しいしちょっと嬉しい。
背中越しに盗み見れば、まな板の上に色々な野菜を乗せて危なげない手つきで包丁を操っていた。

「それなに?」
ぱっと見、青梗菜のようだがちょっと違う青々とした葉物。
新種の野菜だろうか。
「あ、キャベツだ」
「・・・は?」
立ち上がり近寄って、もう一回野菜を見て、は?と繰り返す。
「キャベツ?新種の」
「ちげーよ、巻かなかったんだよ」
ゾロはむっと下唇を突き出して反論した。
大葉を掻き分けていくと、なるほど真ん中に芽キャベツみたいなものがある。
キャベツは巻かないと、こんな葉っぱになるものなのか。
「ええと、もしかして・・・失敗?」
「まあな」
レアだ。

サンジはまな板の上に転がっている人参に視線を移した。
「わお可愛い。なにこれミニ人参?」
「普通の人参だ」
「・・・は?」
「5寸人参。本来なら」
「えーと」
どれもこれもがとても小さくて、まるごと縮小したみたいなウサギサイズ。
ピーターラビットが持ったら似合うよ、みたいな。
「・・・失敗・・・した?」
「なんでか、庭で作るとこのサイズにしか育たねえんだよ」
土かなあとぼやきながら、ゾロはミニ人参も千切りにして手早くフライパンで炒めはじめた。

―――もしかして、ゾロって野菜作り・・・下手?
うっかり漏れそうになった質問を危く飲み下し、サンジは大人しく片付けへと戻った。



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