眠れぬ夜は君のせい 1

春島が近づいて、海を渡る風もどこかのほほんと吹いていく。
「もう春ね。」
軽くハミングしながら、ナミはティーカップを置いた。

来たる春。
雪が解けて新芽が芽吹き、弥栄に生い繁る。
生命の息吹。
大地の鼓動。

「こんな時は、早く上陸したくなるわ。」
うんと伸びをした、しなやかな腕に見蕩れながら、サンジも無意識に先程ナミが奏でていた
鼻歌の続きを口ずさんでいる。

もう、市場には苺が出回ってるだろう。
gで安売りされてっといいなあ。

「ナミさん、次の上陸はいつごろになる?」
「この速度で行くと明後日には着きそうよ。3月2日ね。」

ナミの言葉に、一瞬サンジは固まった。
が、直ぐにそうですかと曖昧な笑みを浮かべて鼻歌の続きを始める。
3月2日。
サンジの、誕生日。






常ならば、クルーの誕生日には盛大なパーティが催される。
航海中なら船で、上陸中なら陸で。
それが慣わしだった筈なのに、なぜか去年のゾロの誕生日は違っていた。
誕生日だとわかっていたのに、島についた当日船番のゾロを置いてみんな上陸してしまった。
サンジは少し焦って、それとなくゾロの誕生日だと匂わしたのだが、ことごとくかわされて―――
結局、一人でお祝いに行ったのだ。
いや、正確にはお祝いに向かったのだが、祝いの言葉は言えなかった。
言う前に食われた。



ナミに背を向けたまま、皿を抱いて赤面する。
あの時は酔いもかなり廻ってたから・・・
自分自身に言い訳するも、思い出すと恥ずかしくて死にそうになる。

結局俺、言ってねえんだよな。
「誕生日おめでとう。」
これだけの言葉が言えなかった。
いつ言おうかと逡巡している間に、緊張のせいかペースが速くなって結局有耶無耶になってしまった。
思い出したのは翌朝で、完全に期を逃した言葉は二度と紡がれることなく、結局ゾロの誕生日は流れた。
ゾロは一度もおめでとうと言われなかった。

恥ずかしさの後を追ってこみ上げる自己嫌悪。
共に生きる仲間達から、成り行きとは言えそうなった、こ、ここここ恋人の俺からすら祝福されなくて、
あいつはどう思ってるだろう。
怖くて今更聞けもせず、かと言って自分が忘れられる筈もなく、サンジはただ虚しく同じ皿一枚を
拭き続けていた。





クルーの誕生日が近づくと、早い頃では1ヶ月前からその話題が会話の端々に上るようになる。
ご馳走は何が言いか。
プレゼントは何が欲しいか。
デザートの希望は?
なのに、今回のサンジの誕生日前もなぜか全員、何も言ってこない。

―――忘れてんのか。

ゾロのときもそうだった。
見かねてナミにこっそり知らせると、何してやっても甲斐のない男には必要ないとばっさり
切られたのだ。

・・・俺も、かな。

自分のことなので尚更いいにくい。
予定通りなら自分の誕生日当日に上陸するようだから、パーティの準備は必要ないとしても、
何かアクションが欲しいところだ。

別段いつもと変わった風でもない仲間達は、サンジの心中など知る由もなく今度着く島の話題で
盛り上がっている。
それとは逆に、珍しく何か考えているふうな剣士の方が又サンジは気になった。

頼むから、俺の誕生日をお前が覚えていてくれるなよ。
なんせ自分はゾロの誕生日をスルーさせてしまったのだ。
そんな相手から祝福されたり、ましてやプレゼントなど貰ってしまった暁には、自己嫌悪で
立ち直れない。



サンジが余計なことを悶々と考えつづけ、程よく煮詰まった頃GM号は港に着いた。











「ログが溜まるのは一週間よ。皆くれぐれも気をつけて、無駄な騒ぎを起さないように、
 無駄使いをしないように。」
お決まりのナミの注意事項は誰も聞いていない。
新しい島を目の前にはしゃぎまくっている。
「それから今夜の船番はロビン、なんだけど・・・」
そこでナミはチラッとサンジに思わせぶりな視線を流した。
「どうか、しましたか。」
気配をを察してそっと近づくサンジ。

「実は、ロビンちょっと具合悪いみたいなの。」
「え、それはいけませんよ。」
あ、と口に手を当て周りを見回す。
ルフィたちは気がついていない。
「できれば私が付き添って行きたいんだけど、あいつらにはあまり言いたくないのよね。
 ほら、女性特有ってのもあるじゃない。」
サンジは黙ってこくこくとうなづいた。

自分以外の野郎は、デリカシーのかけらもない野蛮人ばかりだ。
いくら船医とは言え、仲間で男(オス)のチョッパーに知られたくないこともあるはず。

「そこでお願いなんだけど、今日の船番ロビンと代わってもらえないかしら。」
「もちろんです!!」
サンジはがしっとナミの手を両手で挟んだ。
「船番でも何でもさせていただきますから、ナミさんは早くロビンちゃんを連れて行って
 あげてください。」
「・・・わかったわ。」
ナミはちょっと身を引いて、それでもサンジににこやかに笑いかける。
「ありがとう。こんなこと、サンジ君にしか頼めないし・・・」
スマイル代5万ベリーと値段をつけられそうな、極上の笑みを向けられて、すっかり舞い上がった
サンジは、横を向いてほくそえむナミの背後の黒い尻尾には気づかなかった。








騒々しい連中が行ってしまうと、船の中はいきなり静かになってしまった。
「しかし、いー天気だなあ。」
声に出して呟いて、サンジは空を振り仰いだ。
「いっちょ、掃除でもすっか。」

男部屋を開け放してシーツを洗い、片っ端から片付けていく。
甲板の隅々までブラシをかけ、倉庫を整理し、シンクを磨き上げた。

「やっぱ春はいいねえ。なんか浮かれ気分になるよなー」
海を眺めながら一服するサンジの頬を、撫でる風は柔らい。

一休み、すっか。

冷蔵庫に残してあったパイの切れ端にシナモンシュガーをまぶして軽く焼き、熱い紅茶とともに
一息ついた。
買出しリスト、作っとこう。
それからレシピの整理もして――――
たまには一人の誕生日も悪かねえ。

遠くで鳴くウミネコの声を聞きながら、サンジは机に手を組んで顔を伏せる。
春の陽射しを背に受けながら、いつの間にか、うとうととまどろんでいた。







かさりと、紙の舞い落ちる音で目が覚めた。
顔を上げると、きつくなった風が吹き込んで肌に冷たい。
海から差す影が長くなっている。

やべ、俺、転寝してた。
ふるりと身を震わせて立ち上がり、干しておいたシーツを取り入れる。
水平線に落ちる夕日の見事さに、しばし見蕩れた。

「ああ、ナミさん。君の笑顔はまるであの夕焼けのように俺の身を焦がし心を焼き尽くす・・・」
口に出して唱えても、帰ってくるのは波の音だけ。
つれないよなあ。
いや、ロビンちゃんの具合が悪いんだ、我慢我慢。


それにしても、この状況は去年のゾロの誕生日とよく似ている。
誰もいない船。
二人だけの誕生日。

思い出して、サンジはぶんぶんと首を振った。
まさか、な。
そんなこと――――
作為的でなければありえないこと。
作意であるとしたら、それは自分達の関係が誰かにばれているということで・・・
ありえねえ。
やや希望的観測で、頭に浮かんだ考えを否定する。
悶々とした思いを抱えつつサンジはキッチンに引っ込んだ。



その日作った夕食は、なぜだか一人分にしてはやけに多くて――
「やべえ、作りすぎた・・・」
いつも半端じゃない量を作っているから、カンが鈍ったのだろうか。
サンジは舌打ちしてパックに詰め始める。

かたん、と音がした気がして、慌てて甲板に出た。
誰もいない。
すっかり日の暮れた街には灯りがともり、海の闇を一層引き立てている。
夜、だな。
ばかばかしい、俺は誰を待ってる。
甲板に明かりをともして中に入る。

作りすぎた食事は明日の朝にでも食べよう。
腹は減っているはずなのに、食事をする気にならない。
腕を組んで、残るであろう夕食の明日のバリエーションを考えた。

ちゃぷちゃぷと寄せる波の音に混じって、水しぶきの音が聞こえる気がする。
・・・また、空耳か。
ばしゃんと音がして、今度は重い靴音が・・・
空耳じゃ、ねえ。
聞き慣れた足音なのに、サンジは思わず身構えた。
きい、とキッチンの扉が開く。
現れたのは、何故か全身ずぶ濡れの、ゾロ。





「なに、やってんだてめえ――――」
思わず銜えた煙草を取り落としそうになる。
しとどに濡れたゾロは白い箱を大事そうに抱えたまま所在なげに立っていた。
肩から海草が垂れ下がっている。
「お前一体、どこまで泳いだんだ?」
恐る恐る聞いてみた。
「さあな。」
首を傾げてゾロは箱をテーブルに置いた。
「ちょっとシャワー浴びてくる。」
「おう。」
立ち去った後には、大量の海水で濡れた床。
「ったく、また拭かなきゃならね―だろうが」
悪態をつくサンジの口元は、綻んでいた。

喰いもんが無駄になんなくてよかったぜ。
俺の野生のカンって奴?
現金なこと考えながら、サンジは夕食を準備する。
多分どこかで彷徨っていたのであろう大きな迷子に、無理やりにでも食わせてやるつもりだ。

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