ネクタイの結び方がわからない
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名店の評判に相応しく、さほど味にうるさくないゾロでも「美味い」と唸るような料理だった。
ここで学べば、元々筋の良いサンジだからすぐに一流の料理人になれるだろう。
良い師匠に行き逢ったと、感じ入りながらコース料理を味わう。

金曜の夜で賑わう店内を、サンジがきびきびと立ち働く。
動作は早いが決して忙しなく感じさせない、無駄のない動きだ。
他のスタッフ達も身体が大きかったり顔がいかつかったりと、とても洒落たレストランのウェイターとは思えない外見ながら、立ち居振る舞いにそつがない。
それを倣い、なおかつ洗練された身のこなしのサンジは嫌でも目立った。
ゾロじゃなくとも視線を奪われるだろう。
他によからぬ輩が目を付けていないか、ゾロは常に目を光らせていた。

そうして、働くサンジの姿を肴にゆっくりと食事をしたので、気が付けば軽く2時間以上経っていた。
ラストオーダーも過ぎ、一人また一人と客が会計を済ませていく。
テーブルで先に精算を済ませていると、厨房からオーナーが姿を現した。
客がすべて引けたのを見計らって、出て来てくれたのだろう。

ゾロは席を立ち、改めて頭を下げる。
「ご無沙汰しております」
「こちらこそ、いつもちびナスが世話になってます」
〝チビナス〟と呼ぶと、いつも反射的に「チビナス言うな!」と叫ぶサンジは、今はフロアにいない。
恐らく厨房で、片付けに駆り出されているのだろう。

しかしつくづく、「チビナス」という呼び名は愛に溢れているなと思う。
自然と綻んだゾロの表情に、ゼフは怪訝そうな顔をした。
「なにか?」
「いえ、貴方あってのサンジだと、改めて思っただけです」
ゾロの台詞に、ゼフは苦虫でも嚙み潰したような顔をした。
「そう言われるのは、心外だ」
「そうですか?お気を悪くされたらすみません。しかし俺は、貴方はサンジにとって恩人である以上に、父親のような存在じゃないかと思っています」
そう言って、ゾロは両手を太ももの横に揃えて腰を折った。
「改めてご挨拶に伺いました。サンジとお付き合いさせていただいております」
ゼフは面倒くさそうに、顎を上げて片手を振る。
「今更なにを言ってる。一緒に暮らしてるんだろう」
「はい」
「あれももう、成人した立派な大人だ。赤の他人の俺が、どうこう言うもんじゃねえ」
そう言いながらも、長く蓄えた髭を思案気に撫でた。
「ただ…」
「はい」
生真面目な顔で続きを待つゾロに、ゼフはフンと鼻息を吐いた。
「あれは、自分の痛みに鈍感なところがある。そこは、気を付けてやってくれ」
「―――わかりました」
再び頭を下げたゾロに、ゼフは背を向けてさっさと歩き去ってしまった。

入れ替わるように、着替えを済ませたサンジが姿を現す。
「ゾロ、待たせた」
「もういいのか?」
「ああ、今日はもともと早上がりだったんだ。でもゾロが来てくれたから、これでもたっぷり働いたんだぜ」
研修最終日だが、この先も場所は違えど共に働く仲間達だ。
特に別れを惜しむこともなく、あっさりと「お疲れ様でしたー」と声をかけている。
「ありがとうございました」
サンジに並んで、ゾロもスタッフに頭を下げた。
「グランドラインでも頑張れよ」
「またこっちに助っ人も来てくれ」
「カルネによろしくな」
軽く手を振って、裏口から一緒に出る。
サンジの片手には、小さなケーキの箱が下げられていた。
「それは、どうした」
「今日、ゾロの誕生日だって言ったら、ジジイが用意してくれてた」
ホテルで二人で食べるように、持たせてくれたのだろう。
いかにも素っ気なく厳格に見えて、サンジ以上にツンデレタイプなのではないか。

「ありがたいな」
「だろ?ジジイのケーキって、レアなんだぜ」
夜も更けて空気は冴えわたり、吐く息は白い。
マフラーをぐるぐる巻きにしたサンジの、頬や鼻先がほんのりと赤くなっている。
「今日は特に、冷えるな」
「そうか、俺はいつもより暖かい気がする」
ゾロがそう言うと、サンジは少し考えてから「そうかも」と言った。



サンジと一緒に歩くと、目的地にたどり着くのが格段に早い。
予約したホテルには、徒歩10分ほどで着いた。
目の前には、今日降りた駅がある。
「こんなに近かったのか」
「もしかして、バラティエ来るのに時間かかった?」
「まあ、多少は」

サンジも一緒に泊まることを希望して、ダブルで予約しておいた。
高階層の部屋に通され、サンジは感嘆の声を上げる。
「すげえ、まるでドラマみてえな部屋!」
そう言って窓辺に駆け寄り、ガラスに張り付いて夜景を眺めた。
「これ、奮発したんじゃね?」
桟に片膝を掛けて、初めて電車に乗った子どものような顔で振り返る。
夜の窓ガラスにくっきりとサンジの姿が映って、まるで二人いるようだ。
「まあな、自分のために」
「自分で自分のお祝いか、寂しい想いさせてごめんな」
サンジ込みでの贅沢だ。
ゾロはそう思っているのに、サンジはいかにも申し訳なさそうにしおらしく座り直した。

「でも、今日まさかゾロが来てくれるなんて思ってなくて、ほんとにびっくりした」
「もしかしたら、今日は早帰りして家に帰ってくるつもりだったのか?」
ゾロがネクタイを緩めながらベッドに腰を下ろすと、サンジも膝でにじり寄ってくる。
「ああ、時間的に厳しいかと思ったけど、今日中に顔を見たいと思ってたんだ」
「だったら、俺が来て正解だったな」
そう言うゾロの膝に跨って、サンジは向かい合う形で腕を回した。
「まさか当人から、サプライズプレゼントされるとは」
「自発的に、プレゼントを貰いに来たんだ」
くれるんだろ?
そう問うと、サンジははにかみながらチュッとゾロの鼻の頭にキスをする。
「当たり前だろ」
照れ隠しにがばっと抱き着いたのに、ゾロはサンジの両肩を抱いて少し身体を離れさせた。
そうして首を傾けて、深く唇を合わせる。
「だったら早速、俺にくれ」
チュ、ムチュッと音を立てながら口付けを交わし、腰を抱く手をサンジはやんわりと押しとどめた。

「待て、まずは風呂…」
「後でいいだろ」
「ダメ、ぜってーダメ!俺は働いてんだ、汗搔いてんだ」
「構わん」
「俺が構う!」
強硬な抵抗にあい最後には腹を蹴られ、ゾロは渋々サンジの身体を手放した。






サンジの言葉に触発されたか、ゾロもそれなりに念入りに身体を洗った。
入れ替わりに入ったサンジを待つ間、冷蔵庫のビールを傾ける。
ふと思い立って、冷やしてあるケーキの箱を覗いた。
ホールケーキだが、二人で食べきれるサイズだ。
抹茶だろうか、落ち着いた緑色に赤い果実のアクセントが効いていて、小さいのにいかにも豪華で美しい。
――――どんな顔して、作ってくれたんだか。
そう思うと、可笑しいような気恥ずかしいような照れ臭いような、複雑な心地だ。
きっとオーナーもそんな気持ちで作ってくれたのだろう。

「冷蔵庫覗いて、なにニヤニヤしてんだよ」
サンジにしては早く、風呂から上がってきた。
バスローブをまとって髪を拭いながら、スリッパを履いてペタペタ歩いてきた。
「いや、別に」
「あ、ジジイのケーキ先に見たろ!」
ゾロはパタンと扉を閉めて、覗こうとしたサンジの肩に手を掛けた。
「ケーキはあとのお楽しみだ、まずはプレゼントが先だろ」
「えー、なんかずりいな」
「俺に取っちゃ、こっちが本命のデザートだ」
腰に手を回して抱き寄せると、サンジも満更でもない表情で腕を回してきた。
「しょうがねえなあ」
「くれんだろ?」
額を突き合わせて、お互いに微笑む。

「どうぞ、召し上がれ」
「いただきます」

そうしてゆっくりと、唇を合わせた。





サンジと暮らすようになってから、いろんなことに欲深くなった気がする。
いや、足りないものが見えてくるようになったというべきか。
それまでは、日常に特に不満を感じることはなかった。
友人がいようといまいと、恋人がいようといまいと。
特に寂しいとも、恋しいとも思わず。
与えられた仕事を淡々とこなし、身体を鍛え、時に欲を発散するだけで日々を過ごしていた。
今はもう、それだけでは満足できない。
まず何よりサンジがいなければ、満たされない。


「――――あ…ちょ…」
何度も口付けを交わしながら、バスローブの中に手を差し入れて裸体を掻き抱く。
適度に筋肉が付いた身体はしなやかで、腰や尻がきゅっとしまってちょうどよく手に収まった。
この身体が欲しかったのだと、気が急くままに力強く弄る。
「余裕、ねえな」
サンジはハアハアと荒い息を注ぎながら、笑った。
「お前も、だろ?」
サンジだって、先ほどから世話しなくゾロの背を撫でている。
お互いに離れていた時間が長く感じられ、我慢の限界だったのだ。
「だって、久しぶりなんだ。ゾロのからだ…」
濡れたサンジの下唇を、きゅっと強めに食んだ。
サンジは泣きそうに顔を歪めて、そんなゾロの上唇に歯を立てる。

「もう、おれ、ずっとがまん、してて」
「俺のが、我慢してたぞ」
子どものように言い返すと、ふにゃっと泣きそうに笑う。
「ごめん」
「いや―――」
ちゅっちゅと音を立ててキスを交わし、サンジの滑らかな首元へと唇をずらした。
「もう、我慢しなくて、いいだろ」
「ん…」
サンジは首を曲げて、ゾロの肩に舌を這わせた後に歯を立てた。




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