睦月 -3-


思いがけなく除雪を手伝って貰ったお陰で、夕方にはサンジ目当てのショッピングセンターに立ち寄ることが出来た。
元旦から開いていることもあってか、駐車場はほとんど満杯状態だ。
なるべく離れた場所に置いて、吹雪の中を泳ぐように首を竦めて早歩きする。
「すげえ降り」
「また積もるなこりゃ」
予定より早く帰れそうとは言え、ゾロが昼間に言っていた「今日中に畑から野菜を掘り出す」作業は多分、無理だろう。
「肉買って帰るか、すき焼きとか」
「お、いいな」
それじゃあビールもと酒コーナーに率先して行こうとするゾロの首根っこをひっ捕まえて、まずは目的からと寝具売場に足を向ける。

「うん、これだ」
サンジがまっすぐ向かったのは「あったかコーナー」だ。
シングルサイズの起毛シーツを手にして、隣のシーツとどちらがいいか見比べている。
「それを買うのか?」
「おう、お前と寝てるとあったかいから電気毛布まではいらないけど、やっぱ布団からはみ出た部分が冷たいんだよな」
サンジの背後で在庫チェックしていた店員がぎょっとした顔で振り向いたが、ゾロは気付かないふりをした。
「これだとあったかいんだよ」
「お前まさか、家でもそういうの使ってんのか?」
「あたぼうよ、部屋の中ガンガンファンヒーターつけて、寝るときはエアコンをタイマー設定して尚且つ起毛シーツだぜ」
「・・・寒がりだったんだな」
うっかりすると部屋の中で凍死するかもしれない環境下のゾロには、考えられないことだ。

サンジはほくほく顔でシーツを抱え、そのままビールと肉を買った。
なんとかして夕食分の野菜だけでも、掘り出してみてくれと頼まれ任せろと請け負う。
軽トラの荷台に積めば天然の冷蔵庫だから、ビールも肉も心配はない。



再び積もり始めた道を爆走して、とりあえずお隣さんの敷地の中に止めた。
まだ6時前だが、すっかり日が暮れて辺りは濃い闇が広がっている。
少ししかない外灯にも暑く雪が積もってしまって、光が余計乏しくなていた。
家に近い空き地には、親戚が帰っているらしくたくさんの乗用車が駐車してあるが、このままではとても発車できないだろうと容易に想像できるほど雪に埋もれている。
ゾロとサンジも、膝下まである雪を蹴り飛ばしながら玄関に辿り着いた。
「こんばんはー」
玄関の引き戸を開けながら、明けましておめでとうございますと続ける。
上がりかまちからすぐ座敷になっているから、障子戸を開けて赤ら顔のおっさんが顔を覗かせた。
「おおう、おめでとうございます」
「今年もよろしくお願いいたします」
おばさんも飛んで出てきて、玄関に膝を着いて挨拶をした。
「おめでとうございます。今年はサンちゃんも帰ってきてくれたのねえ、よかった」
「帰って来た」訳ではないだろうが、そう言ってもらえるとなんだか嬉しい。

「丁度よかった、上がってけ。一緒に夕飯食ってこ」
おじさんがニコニコしながら戸を開け放って座敷を丸見えにする。
お盆で見かけたことのある人たちが長机を囲んで座っており、孫らしき女子高生がサンジに向かって手を振った。
「おいでよ、一緒に食べよう」
「酒もあるで」
ゾロがおっと目を輝かせた。
「今日はすき焼きよぅ」
おばちゃんにせっつかれて、サンジはああと声を上げた。
「うちもですよ、肉買ってきたんです」
そう言って、それじゃあと踵を返した。
「肉持参でお邪魔しますね」
「いいのぉにぃ」
「じゃ、俺は車を家に止めてくる」
二人して外に出て、サンジは荷台で雪を被っていた肉とビールを下ろし家に向かった。
ゾロはそのまま軽トラを発信させて一旦自宅へと帰る。
玄関先に買って来たシーツだけ放り込んで、そのまま隣へと取って返した。
軽トラの轍の上をガスガス歩いている間にも、頭や肩に雪が降り積もる。
今夜でまたどれだけ降るつもりだろうと溜め息の一つもつきたくなるが、雪景色を見て目を輝かせていたサンジを思い浮かべたら満更でもない気分になった。


「やーよく来てくれた」
お隣さんで改めて歓待を受け、調子よく酒を注がれた。
ゾロは最初からコップ酒で、サンジは何かと手伝おうと腰を上げかけるのを引っ張り下ろされては、ビール三昧だ。
「この雪だろ、出るのが面倒になってずーっと家にいたさあ」
「もう暇で暇で」
「貧民も花札も飽きたあ」
親戚がこれだけの人数集まっていれば退屈もんないだろうとサンジは思うのだが、ゾロはウンウンと頷いている。
「もうちょっと足元がいいと、初詣にも出られるんでしょうがね」
「昨夜年越し蕎麦食べに行くのに難儀したもん。途中で車止まってさ、1台置いてきた」
それって、邪魔になるんじゃあ。
「その雪が止んだら動くだろ」
「駄目だって、その前に凍りつくって」
「春まで待てばあ」
「仕事は4日からだぞ」

サンジの傍らにおばちゃんがちょこんと腰を下ろして、ビールを注ぎに来た。
「美味しいおせち、ありがとぅねぇ、美味しかったわぁ」
コップに軽く受けてから、ビール瓶をさり気なく奪う。
「こちらに立派なおせちがあると思ってたんですが、拙いものをすみません」
瓶を傾けて、おばちゃんのコップに波々と注いだ。
おばちゃんは「おっとっと」とは言わなかったから、かなりイける口なのだろう。
「いんやぁほんとに美味しかった。売ってるおせちってあんな感じかなあ、食べたことない味」
「うん、あれ美味しかったよー」
女子高生も身を乗り出して、どうぞとすき焼き肉を入れた小皿を差し出す。
「ちょっと変わった味。うちのおせちいつも同じ味だもん、あれはあれで美味しいけど全然被ってなかったね」
「一応、変わりおせちって言うか、洋風なのと中華風なのと詰め合わせたんです」
「お酒にとってもよく合って、みんなでいただいたのぉよ」
「あっという間だったね」
「あっという間だったさ」
すき焼き鍋からいい匂いの湯気が立ち昇り、長机の向こうに座る人の笑顔が幻のように揺らいで見える。
早くも酔いが回ったかと、サンジは後ろに手を着いて背中を伸ばした。
外は相変わらずしんしんと雪が降り続いているのに、家の中は暑いくらいだ。
たくさん食べて喋って、笑いすぎた。
「来年のおせち、サンちゃんに教えてもらおう」
いい提案だとばかりに、女子高生がその場で跳ねた。
「それいい、私も参加する」
「だめよ、主婦限定」
「んだぁねえ」
「ええ?おばあちゃんまで!ずるい!」
「お父さんは駄目ですか?」
家族間で揉め出したところへ、ゾロがさっと腕を上げた。
「残念ですが、来年の正月は俺の実家に帰省します」
「へ?」
「ゾロさんだけじゃなくて?」
まるで鳩が豆鉄砲でも食ったみたいに目を見開いて、なぜかその場で全員の動作が止まった。
予想外のリアクションに、サンジの箸も止まる。
「そう、暮れから一緒に帰省します。んで正月はずっとそこで過ごします」
なぜかゾロの口調はゆっくりと、そしてはっきりとしている。
まるで何かを宣言したかのようだ。
お隣さん&親戚方は首を巡らしてお互いに目配せ仕合い、総括するようにおばちゃんが「あらまあ」と暢気な声を上げた。
「それはよかったねえ」
「おめでとうさん」
「でかしたのう」

一番奥に座るお爺さんにまで褒められて、サンジの頭の中は「???」で一杯だ。
女子高生が、でも・・・と小さく手を挙げた。
「サンちゃん彼女どうしたの?お正月なのに」
ぐさあっと冗談でなく痛い矢が胸に刺さって、サンジはわざとではなく両手で胸を押さえた。
「あ、聞いちゃいけなかった?」
気の毒そうに言いつつ、目が笑っている。
サンジは傷心のまま俯き、恨めしげな視線を隣のゾロへと向けた。
「色々あって・・・ふられました」
「それはまた」
気の毒そうに誰かが呟いたが、視線はサンジからその隣のゾロへと移る。
ゾロは左斜め上辺りに目線を逸らして、酒ばかりゴクゴク飲んだ。
「なるほど」
「おめでたいねえ」
「お正月だからね」
「でかしたでかした」
「昨今の少子化問題はあ、深刻でえ」
「お前は黙っとれ!」

綺麗さっぱり肉がなくなった鍋に今度はうどんが投じられて、うどんすきと化す。
少し焦げ目のついたぷりぷりしたうどんをすすりながら、サンジはほうと酒臭い息を吐いた。
こんな賑やかな正月は初めてだ。
フランスの田舎も家族が多くて賑やかだけど、それとはまた違った雑多さがここにある。
サンジにとってはまったくの赤の他人ばかりの中で、こんなにリラックスできるとは思わなかった。
傍にゾロがいるからかとも思うが、隣同士で座っているとは言えセット扱いされることもなく、それぞれ別々の輪に入っている。
聞き耳を立てれば、ゾロは来年の耕作の段取りを話しているようだ。
「来年も引き続き請け負いたいんですが・・・隣のりよさんの田んぼ、どうなりますかね?」
「どうするかなあ、息子はなーんもする気ねえし」
知った名前が出てきて、サンジはん?と首を振った。
「元々依頼されてしてたことじゃないですから、あちらさんが気を悪くしないようならこれからも草刈りぐらいはしたいんですがね」
「そりゃあ、文句つける筋合いはねえだろ。むしろしてもらってありがてえと思わなきゃ」
「けどあの息子はなぁ、人は悪くねえがボンクラでなあ」
じっと見ているサンジに気付いて、隣のおっさんが顔を向けた。
「りよさん、サンちゃんも知っとるの?」
「はい、あの小さくて可愛いおばあちゃんですよね。去年栗をいただきました」
「そうけえ、りよさんなあ、のうなったの」
「はい?」
「ありゃあ、12月入っとったかの」
「いやあ、まだ11月じゃったの」
顔を見合わせて首を振るおっさん達の隣で、ゾロは顔を寄せて囁いた。
「りよさん、亡くなったんだ」
「え」
サンジは目を瞠り固まった。
驚きすぎて、言葉も出ない。
あの可愛いおばあちゃんが。
すごく元気で、しかも生きたマムシの肝食べるような豪傑だったのに。
「法事の帰りにな、じさばさみんなで軽トラの荷台に乗って坂道くだってて、軽トラごと川に落ちたんだあ」
「他のは怪我で済んだけんど、りよさんだけいかんかった」
サンジの顔から血の気がすうと引いて行くのがわかって、ゾロはさり気なく手をずらしサンジの手を握った。
驚くほど冷えていて、指の先まで冷たい。
まずいと思った瞬間、背後にいたおばさんがのんびりとした口調で口を開いた。
「りよさんはぁ、最期までお転婆だったぁねえ」
「まったくだあ」
「りよさんらしいがあ」
楽しげに笑い声を立てて、おばちゃんはテーブルの上に置きっぱなしのサンジのグラスにビールを注いだ。
「秋晴れの気持ちのいい日だったかんねえ、お酒も入ってみんな楽しかったんろうね」
「ええ往生じゃ」
湿っぽさを感じさせない、和やかな雰囲気の中でサンジはぎこちなく首を巡らしおばちゃんを見た。
「死んじゃった、のに?」
おばちゃんは少しも動じず、笑顔を浮かべている。
「誰でもいつか死ぬるんよ、後生よしが一番いいわさ」
「80過ぎたら、めでたい言うんね」
「そうそう、めでたい」
「めでたいねえ」
酔っ払いのおっさん達は朗らかにそう言い、また酒を酌み交わす。
その笑顔にりよさんの可愛らしい顔が重なって見えて、サンジはごしごしと手の甲で目元を乱暴に拭った。
「りよさん、楽しかったかなあ」
「楽しかったわよぅ」
「お転婆だね」
「お転婆さあ」
「お転ババアだあなあ」
じっとサンジの様子を見守っていたゾロは、繋いだ手にぬくもりが帰ってきていることに気付いた。
もう大丈夫かと指を離せば、サンジの人差し指がほんの少し絡まってから離れた。

「お転婆りよさんに乾杯じゃ」
「乾杯―」
「かんぱーい」
サンジも今度は笑顔を浮かべて、ビールが溢れそうなグラスを掲げる。
お隣さんでの宴は夜が更けるまで続いた。





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