無自覚な恋の行方 -1-



羊頭の愛らしいキャラベルから、やはりどことなく愛敬のあるサニー号へと乗り換えて、麦藁海賊団は新たな航海に旅立った。
船大工フランキーの遊び心と確かな技術力でもって、素晴らしい船を手に入れた仲間達は終始浮かれ、毎日がお祭りのようなはしゃぎっぷりだ。
「でっけータコが釣れたぞ!タコだタコ!たこ焼き食いてええ」
「待て待て、取り敢えず生簀に入れとけ。たこ焼きは夜食に出してやる」
「ひゃっほう〜v」
ラウンジに巨大生簀まで設けられていて、今まで趣味と実益を兼ねていた釣りが立派な労働になった。
ウソップやチョッパーは以前にもまして嬉々として釣り糸を垂れ、その成果を競っている。
サンジとしても、目の前を豊富な食材が泳いでいるのを視覚で確認できるのは何よりありがたい。
この生簀を見た時、感激のあまりうっかりフランキーに抱き付きそうになったくらい嬉しかったのだ。
サニー号の内部構造が明らかになるにつれ、フランキーの腕の確かさと細かな心遣いが見て取れて、実は物凄く頼りがいのある優しい男なのだということがわかる。
第一印象が最悪だったにも関わらず麦藁メンバーにすぐに溶け込んだフランキーは、船長に次ぐ無邪気さで、
初めての海賊暮らしを存分に楽しんでいる。

「どうでえ、このスーパーな俺様のキッチンはよ。どっか棚を増やしたいとか回転した方がいいとか落とし穴があった方がいいとか希望があったら、いつでも言えよな」
「おう、今のままで充分ありがてえぜ。またなんか気付いたら頼むわ」
海パン姿のフランキーは、カウンターに腰掛けて遅くまでちびちび飲むのがお気に入りだ。
今までは早い時間に女部屋に引っ込んでいたロビンも、このところラウンジでゆっくりと本を読むのが習慣になっている。
サンジはキッチンとラウンジの二ヶ所を仕切って夜食や飲み物を給仕するから、相当忙しい。
けれど、広く快適な使い心地と気持ちよさで、サンジにとっては毎日が楽しくて仕方ない。

「床下のデッドスペースはあのままでいいのか?」
「前みたいに一々倉庫まで行ってたのに比べたら天国だ。必要になったらまた増やしてくれよ」
「ごっそさん」
カウンターの端で酒を飲んでいたゾロが、皿を持って立ち上がった。
カウンター越しに受け取るサンジから顔を背けるようにして、キッチンを出て行く。
その後ろ姿を見送ってから、フランキーはグラスを傾け独り言のように呟いた。
「あいつあ、昼間はそうでもねえが、この時間になっと、なーんか機嫌悪そうだな」
「いつものことだ」
「そうなのか?なんか怒ってるオーラが出てる気がするぞ」
フランキーは見かけによらず繊細で大人だから、黙っていても雰囲気でわかるのだろう。
「マリモの機嫌なんざ一々お伺い立ててられねえからな。フランキーも気にするこたないぜ」
なんでもない風を装いながら、サンジは一つ溜息を零した。
ゾロの機嫌が悪い原因は、わかっている。




サニー号に乗ってからこっち、ゾロと一度もやってないのだ。
多分原因はそれだろう。
思い当たれば、ゾロの不機嫌さがえらく幼稚に思えて何故か気分が重くなる。
そんなしょうもないことで怒るなよな〜とか思いつつ、ちょっぴりそれが嬉しかったりする自分自身が嫌なのだ。
なんか、ゾロの一挙一動に振り回されているようで、腹立たしいし。

サンジがゾロと寝るようになったのは、グランドラインに入ってすぐの頃のことだ。
酒に酔った勢いで取っ組み合いの喧嘩になって。
双方胸倉を掴みあげて怒鳴っていたはずなのに、いつの間にか押し倒されていた。
暴力の延長みたいな強姦だったら、相手が死んだって構わないくらい抵抗するけれど、そうじゃなかったのが意外で
反撃のタイミングを逸してしまった。
なんとなく、ゾロの手は優しく暖かかったから。
目付きは強暴だし鼻息は荒いし終始無言でどこからどう見ても強姦魔にしか見えなかったんだけれど、その仕種や行為自体は決して乱暴じゃなくて。
むしろちょっと気持ちよかったりして。
初めてだったのに「悪くねえ」とか思ってしまった辺り、自分も相当酔っていたのだろう。
身包み剥がされてあちこち弄くり倒されて、当たり前みたいな顔して突っ込んできたときにはどうしようかと焦ったが、死ぬ目に遭いつつも、なんとかうまくいってしまった。
以来、さして理由もないままダラダラと身体だけの関係が続いている。

―――身体だけってのが、問題なんだろうか
身体だけだから、触れられないと途端に不機嫌になるのか。
島に降りた時はそれぞれ好きなように行動するはずが、すぐにトラブルに巻き込まれるせいか案外と自由な時間は少なくて、何かと仲間達と一緒に過ごしている気がする。
実際のところ、サンジがSEXしている相手は今のところゾロだけだ。
ゾロはどうだか知らないし、あれがSEXと呼べるものかどうかも自信がないけれど、そういう意味での接触は行きずりの相手としたことはない。
―――だから、溜まってんだろうか
この場合溜まってる、はゾロの方。
サンジはゾロとSEXできないからって、苛々したりしない。
何せ他にすることはいっぱいあるし、ある意味多忙すぎて満ち足りた生活をしているから、発散しなければならないほど欲求は溜まっていない。
けれど、ゾロは違うのだろう。
若いのだから溜まったものは吐き出したいだろうし、我慢は身体にもよくない。
ましてや、手軽に発散できる相手がすぐ側にいるなら、その欲求も自然高まるというものだ。

―――やりたいんだろうなあ
やりたいけどやれない。
船が広くなったのにオープンスペースばかりで、しかも若干メンバーが増えてお互いの距離の測り方が微妙に違ってきている。
落ち着いてやってられないってのが現状で、それがゾロを苛立たせているのなら、サンジの知ったことではないのだけれど。


隠れて吐いた溜息を合図にしたかのように、ロビンが立ち上がる。
「ご馳走様。そろそろ休むわ」
カウンターにしなやかな腕が連なるように生えて、器用にグラスと皿をリレーして手元に持って来てくれた。
「ありがと。おやすみ〜」
「おやすみなさい」
優美な後ろ姿をメロリンと見送っていたら、その手前でフランキーが自分の腹からコーラを取り出した。
「オレはもうちょっとゆっくりしてるからよ。お前は先に休め」
なんとなく、キッチンやラウンジに人がいる限りサンジの仕事は終わらない気がして、いつも最後まで残って後片付けをしている。
だが宵っ張りのフランキーが仲間になってから、それに付き合っているのはなんだか馬鹿らしかったのも事実だ。
「そうだな。食器とかシンクに置いといてくれたらいいから」
「おう、おやすみ」
「おやすみ」
ナミやロビンを残すわけではないので、サンジは遠慮なくキッチンを後にした。

W7で毎夜仲間達と乱痴気騒ぎを過ごしてきたフランキーだ。
故郷を離れ仲間とも遠くなって、こうして一人で飲む酒は寂しいかもしれない。
けれどフランキーも年だけはリッパな大人だし、なんせ野郎だから気遣う必要などないだろう。
新しく煙草を取り出し火を点けて、サンジは甲板に出た。

月の綺麗な、静かな夜だ。
水面を渡る小波が白い光を照り返して、果てまで続く砂漠のように横たわって見える。
しばらく船縁にもたれてぼうっとしていたら、背後の扉が不意に開いた。
首にタオルをかけたゾロがサンジに気付いて立ち止まる。
「おう、茹でマリモ」
生乾きの頭から白い湯気が立ち上っていて、そのビジュアルのおかしさについ笑みが零れた。
ゾロはなにやらむっとして、大股でサンジへと近付く。
「おいおい、湯冷めすっぜ。いくら馬鹿だから風邪引かねえっつったって、夜風は身体に・・・」
よくねえと続け掛けた口元から、すっと煙草を引き抜く。
サンジが肘を掛けている船縁に手を置いて、ゾロはそのままぶつかるようにキスしてきた。
火の点いた煙草はそのまま海に投げ捨てられ、両腕で囲うように船縁を掴んで、ゾロはサンジに覆い被さった。
「―――!」
思いも寄らぬ行動に瞬時に対応できないまま、背を仰け反らせ圧し掛かる胸板を必死に押し返す。
ゾロの腕が、サンジの背中に回った。
殆どサバ折りの状態で抱きすくめられ、角度を変えて激しく口中を貪られる。
こんな熱烈な口付けは初めてで、サンジは途中からはゾロのシャツにしがみ付く格好で、喘ぎながら息継ぎをするのが精一杯だ。
「んふ・・・」
誰のものかと耳を疑いたくなる、甘い吐息と共に唇が離れ、ゾロの熱から解放される。
濡れた唇を夜の冷気がひやりと撫で、サンジはようやく我に返った。

「いきなり何すんだ、バカっ」
小声になるのは、夜中だから仕方がない。
キッチンはすぐそこだし、まだフランキーは起きている。
ゾロは言い返すでも笑うでもなく、感情の見えない顔つきでじっとサンジを見ている。
―――あ、やんのかな
このまま倉庫とか行くかな。
けど、俺まだ風呂に入ってねえしな・・・
なんてことを考えたら、俄かにどぎまぎしてきた。
いやずっと前から、心臓は高鳴りっ放しだ。
風呂上りのゾロと鉢合わせした、その時から。
けれどゾロは「するぞ」とか「来い」とか、具体的なことは何も言わず、ましてや顎をしゃくって誘うでもなく、きびすを返して男部屋の方にすたすたと歩き去った。

「―――?」
しないのか?
間抜けにも呆然とその後ろ姿を見送ったサンジは、夜風に吹かれて改めて赤面した。


畜生、不意打ちしやがって。
うっかり流されて、その気になっちまったりしたじゃねえか。
それを置いてけぼりにしやがって。
知らん顔して一人で行っちまいやがって、俺をなんだと思ってやがるんだ!

なんだかそう思い始めたら、どんどん腹が立ってきた。
久しぶりだなんて、ちょっぴり心ときめかせた自分自身が呪わしい。
「金輪際相手なんかしてやらねー。バーカバカバ〜カ」
子どもじみた悪態を呟いて、新しく煙草を取り出し火を点ける。
もしも舞い戻って来たら蹴ってやろうと心に決めて、しばし一服していたが、結局その夜ゾロは二度と姿を現さなかった。












「ふえっくしょん!」
「あら風邪?」
横を向いてずずっと鼻を啜ったら、ナミにあからさまに顔を顰められた。
「いえ違います。ちょっと鼻がムズムズしただけで」
へらりと笑って流しで手を洗うと、朝食の支度を始める。
昨夜は風呂に入ってすぐ眠るつもりが、なんとなく煙草を1本多めに吸ってゆっくりしてしまったなんて、誰に知られるわけでもないが気恥ずかしい。

―――しかしなんだって、やらなかったんだろう。
昨夜からその疑問が頭を占めていて落ち着かない。
通常ならば、あの場で押し倒されるか倉庫にでも連れ込まれて即行Hだ。
下だけ脱がされて立ちバックってのも充分ありえる。
ろくに解さねえし薬も使わねえから、死ぬ目に遭うんだけどよあれは。
なんてことを思い出したら、痛みの記憶できゅーっと尻が緊張する。
なのに前の部分はほわんと温かくなった気がして、サンジは慌てて思考を戻した。
―――アブねえアブねえ。うっかり妙な気になっちまうとこだった!
朝食の準備をしてるってのに、なんてこった。
しっかりしろ俺!
キャベツを刻む手は淀みなく、だが思考は大混乱のままサンジは結構必死になって朝食作りに専念した。



グランドラインは相変わらずだ。
すかーんと晴れた行楽日和かと思うと、いきなりのスコールが襲ってきてあたり一面水浸しにしてからまたカラっと天気になったりする。
かと思うといつの間に接近したのか真っ黒な雲に覆い被さられていたり、どこからともなく突風が吹いたり、海王類の水飛沫で転覆しそうになったりと気が抜けない。
けれどそんな中でも、サニー号は難なく順調に航海を続けている。
仲間が増えたことにも早々に慣れ、それぞれに生活のペースを整えつつあるクルーの中で一番落ち着かないのは、実はサンジだったりした。
その原因になっているのは無論ゾロだから、サンジとしたら自分に責任があるとは思っていない。
ゾロだ。
ゾロが悪い。
ゾロが、セクハラするから。

夜中に熱烈なべろチューをかまされて以来、ゾロはどこかでサンジと二人きりになると決まって手を出してくるようになった。
それが急に手を握ったりだとか、抱き締めたりだとか、辺りに人の気配がないとそのままキスしてきたりとか、そんな程度で。
思いがけないそんな行為に、最初の内は慌ててろくに対処できなかったサンジだが、その内ゾロの顔を見ただけで条件反射的に身構えるようになった。
なんせ、隙を見てすぐに抱きつくのだ。
触れて抱きついて、あわよくばキスをして。
真昼間、船縁に肘を掛けて一服していたとき、チョッパーが横切ったすぐ後にゾロが背中から覆い被さるようにして抱き締めてきたときは、心臓が止まるかと思った。
抵抗するより何より、まず先にチョッパーが見てないかと慌てふためき、ゾロのホールドに抗議する前にすっと離れられてしまった。
そして何事もなかったように、すたすたと去っていく。
そう、ゾロはサンジに不意打ちのようにちょっかいを掛けるだけ掛けて、すぐに立ち去る。
故に取り残されたサンジには、何が起こったのか何をしたかったのかさっぱりわからないまま放り出される。
これの繰り返し。
はっきり言って、非常に不愉快な展開だ。




「畜生、今に見ていやがれっ」
サンジは我が城となったキッチンで、鍋を掻き混ぜながら一人悪態をついた。
こうしていても窓の外は賑やかなお子ちゃま達の歓声が響き、ラウンジではロビンが本を読んでいる。
甲板で鍛錬しているゾロの隣にはナミが日光浴をしているだろう。
フランキーがどこにいるかはわからないが、いきなり現れられたらそれはそれでびっくりする。
広い船内にあって、案外二人きりで話すスペースも時間もないのだ。

場当たり的にセクハラ行為をしておきながら一向に仕掛けてこないゾロに、いい加減サンジも我慢の限界だった。
一体どういうつもりであんなことをするのか。
やりたいなら、前みたいにちょっとの隙を見つけてさっさと突っ込めばいいのだ。
そのつもりで、サンジも最近は常にポケットに潤滑油を忍ばせているというのに、これの出番も立場もないじゃないか。
そもそも、なんでゾロはあんなことするんだろう。
触れただけで、キスしただけで、欲望が治まるはずなんてないのに・・・

そこまで考えたら、また下半身が熱くなってきた。
うおー落ち着け俺っと、意味もなくハーブの名前を脳内で連呼する。
ともかくなんとなく、これでは自分だけが生殺し状態だ。
そうしておいて、ゾロだけが涼しい顔してバックれてるのがどうにも腹が立って許せない。

せめて島にでも着いてくれたら、どっかでゆっくり話せるのになあ。
島に着いたらお互いの欲求不満の解消に出かけようとか、そういう思考が皆無になっているあたり、かなりゾロに気持ちを持っていかれてしまっている証拠だったが、サンジは気付かない。






「島?まだ予定はないわね」
飲み物を持って行きがてらナミに尋ねたら、あっさり否定されてしまった。
「なあに?もしかして食糧が心許ないの?」
「いや、違うんだ。ちょっと買い忘れとかあって・・・」
咄嗟に苦しい言い訳をしてしまった。
出航して1週間経っているのに買い忘れもクソもないだろう。
「そうね、そろそろパーティの準備もしないとだし・・・残念ながら船上パーティね」
「へ?パーティ?なんの?」
「サンジ君の、誕生パーティ」
「え・・・」
うっかりしていた。
何かと口実を見つけては宴会をしたがる船長の命令で、各自誕生日を申告(不明な者は捏造)させられて、ほぼ毎月のペースで誕生パーティなるものを行っていたのだ。
「あ〜今月は俺でしたっけ〜」
「後2日くらいは天候も良さそうだし、当分島に着きそうもないしね。一両日中にちゃちゃっとやっちゃわない?フランキーの歓迎会も兼ねて」
「そうですね」
自分の誕生を祝う名目とは言え、基本的にはいつもの宴会と変わらないし、準備するのもサンジの仕事だ。
元々パーティのセッティングとか大好きだから、単純に気分が浮上した。
「うっし、んじゃ俺今から仕込みやるよ」
「私はルフィ達に知らせてくるわ。エレファントホンマグロの一本も釣ってもらわなきゃ」
サンダルを鳴らして立ち上がるナミに見惚れながら、サンジは一休みしているゾロに冷たいジュースを差し出した。
ら、コップを持った手ごと包み込むように掴まれて、その熱さに驚いて振り向く。
拍子に零れたジュースの冷たさと添えられたままの手の熱に混乱してつい逃げようとするのに、ゾロは手を離さない。
「てめ・・・なんのつもりで」
ゾロは両手でサンジの手を掴んだままぐいっとコップを呷って、零しながらも中身を飲み干した。
「こんの、野郎!」
この場にナミがいないとはいえ、一瞬の隙をついてゾロに飲ませてやる形になったことに気付いて、とうとうサンジはキレた。



「ちょっと、あんたたち何やってんの?」
ちょっと目を離した隙にゾロとサンジが乱闘になっていて、ナミは怒るより呆れた声を出した。
「この馬鹿野郎が、イカれたことしやがるからっ」
「蹴って来たのはそっちだろうが」
なまじ戦闘能力が高い為に微妙に間合いを取って睨み合う二人が一触即発状態なのは、慣れて来たせいかナミでもわかる。
「・・・まあいいわ。多少壊してもメリーより頑丈だし、フランキーもいるからね」
ナミの言葉に、ゾロがあからさまにむっとした顔をした
その隙をついて、サンジは鮮やかなコリエを決める。
「このエロハゲセクハラマリモ、芝生と同化して春まで出てくんな!」
意味不明の悪態をついて、その場から逃げ出すように走り去った。
熱い。
なんだか、手も顔も、身体も、全部熱くてかなわない。



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