妄想天使  -9-



エースがゾロの部屋を訪れた時、サンジは掃除の真っ最中だった。
開け放たれた窓からは涼しい風が入り、少ない食器は棚から出され洗い籠の中に積まれている。
どこかで買ってきたらしい食器棚シートをサイズに合わせてハサミで切り分けていた。
「なにやってんの、サンちゃん」
「…えーと、こんにちは」
なぜエースが現れたのかさっぱりわからないと言った風に、サンジはきょとんとしながらも内側から鍵を開けてくれた。
ゾロからの許可がいるとは思っただろうが、ゾロと直接話せないのだから仕方がない。
「こんにちは。ゾロの部屋、片付けてくれてたの?そんなのしなくていいのに」
「暇だから」
さらりと言って、途中だった作業を再開する。
エースも、このまま放置では場所を離れないだろうと判断して手伝うことにした。
「暇だからって、こんなに綺麗に掃除してもらっちゃってけしからんねゾロは。この材料だってゾロが用意したんだろ?」
「違う、さっき俺が買って来たんだ」
え?と思わず手を止めた。
「買って来たって、お金どうしたの」
「ゾロの金、財布ごと置いてある」
「えええええ?!」
ゾロの行動に驚かされることは珍しくないが、これはびっくりした。
見れば、テーブルの上に財布がカードごと置いてある。
いくらサンジが可愛くて子どもとは言え、これはあまりにも不用心だろう。
と言うか、ちょっと常軌を逸している。
「ゾロ、サンちゃんに財布任せちゃってるの?」
「これで好きなもの買えって」
「…豪気だねえ」
「でも俺、必要なものか食材しか買わない。あと、これで好きなもの調理する」
ふと台所に目を転じれば、シンプルだけれど調理用品は真新しいものが揃えられていた。
エース自身ゾロの部屋に来たことはなかったが、リビングの様子を見る限り必要最低限の家具しか置いてなくから、キッチンの様子だけが異質だ。
「台所は全部、サンちゃんが来てから整えられたのか」
「この部屋なーんもないんだもんよ。冷蔵庫の中はビールばっかりだったし」
そう言って笑う、サンジの笑顔はなんとも言えず幸せそうに見えた。
「サンちゃん、料理するんだ」
「俺、コックだから」
「そうなの?」
「祖父が料理人で、俺も14歳から修行始めた」
「そりゃすごいねえ」
そんなこと、ゾロは知っていたんだろうか。
知らないのに、わかっていたのかもしれない。
サンジの存在を知らずしてサンジェルを生み出したように、初めてであったサンジのすべてを最初から理解していたのかもしれない。
まったく不可思議なことなのだけれど。

エースは一瞬考えてから、四の五の言わずにストレートに伝えることに決めた。
「突然で悪いんだけど、サンちゃんには俺と一緒に来てもらいたいんだ」
「なんでだ?」
「昨日、ゾロとデートしたでしょ」
サンジはぱたりと手を止めた。
エースは冗談のつもりだったから、ニヤニヤしてその顔を見返す。
と、思いのほか真剣な表情だったから驚いた。
単語、間違えたかな。
「や、あのもちろん、冗談だからね」
「…うん」
翳のある面差しで俯いて、黙々とシートを切り分けていく。
そんな様子を、エースはそれとなく観察した。
「それでね、どうしてもサンちゃんの顔って売れてるじゃない。ほら、サンジェルそのまんまだから。だから結構目撃者も多くて、あちこちで写メも出回っちゃったりして」
「うん」
「そういうのってサンちゃん自身も煩わしいっしょ。それにうちの方にも結構問い合わせ入ってねえ」
またサンジが手を止めた。
心配そうな顔で、エースをじっと見つめる。
「俺、迷惑かけた?」
「へ?」
「俺が日本にいちゃ、ゾロの迷惑かな」
なんでそうなる?
頭の中に疑問符をいくつも浮かべながら、エースは慌てて首を振った。
「そんなことないない全然ない。むしろゾロのが迷惑掛けてんだよ。勝手に家に連れてきておいて一人で放っといてさ。こんな家のことまでしてもらっちゃって」
「これは、俺が好きでしてることだから」
俯いてぼそぼそと喋るサンジの目元は、うっすらと赤くなっていた。
おいおいおいおいおい、ちょっと待ておい。
さすがのエースもこれは・・・と気付かざるを得ない。

「あのさあ、ゾロとは言葉通じないんだよね」
「うん、なに言ってるかさっぱりわからねえ」
「だよねー。でも、一緒にいて気づまりじゃねえの?」
「それはない」
顔を上げてきっぱりと言い切られた。
「言葉は通じなくても、なんとなくわかるし。ゾロはなにか言うより先に行動するだろ」
「あーそれは言えてる」
案外マメだしな。
そう付け足せば、サンジの顔が微妙に歪んだ。
またまたあれ?と思ってしまう。
「…なにか?」
エースからは問いたださず、サンジの言葉をじっくりと待つことに決めた。
そうでなくとも言葉が通じないこの国で、サンジが本音を話せる相手は多分、いまは自分しかいない。

「あのさあ」
「うん」
「ゾロって・・・ゲイ?」
「――――・・・」
いや、それはない。
多分ない。
少なくとも、同僚として10年以上付き合っているエースの前では、そんなそぶりは一度も見せなかった。
って言うか、彼が付き合っていた数多の女性のことなら結構知っている。
「…違うと思うよ」
「なんでそんなに間が開いたの」
「驚いたからさ、まさかそんな疑問が湧くとは思いもしなかった」
言ってから、うーんと後ろ頭を掻いた。
「彼の女性遍歴は、なかなかだからね」
「…―――」
あ、またサンジが複雑な顔をした。
なんだかそれはまるで、嫉妬しているみたいじゃあないか。
まさか・・・ね。

「えーと、もしかしてゾロは君になにがしかアプローチしかけてるんだろうか」
エースの中のモヤモヤが明らかな不安となって胸に広がってきた。
思えば、最初からおかしかった。
あの物臭な男が、赤の他人を自分のテリトリーに引き入れて面倒みるとか言い出したのが不自然だったのだ。
「ぶっちゃけ、ゾロは君になにをした?」
「…キス」
うわあ。
「それは・・・なにか、あの、酔っ払ってたとか」
「うん、俺は酔っ払ってた」
そうだよね、ゾロは飲んでも酔わないよね。
「それはあの、昨日のデートで?」
「それもある」
「それも?」
俺なんか、単語間違えてる?
聞き間違えてる?
「一番最初は、この家に来たとき」
「初日?!」
「2回目は、翌日の朝、仕事に出かける前」
「行ってきますのちゅう?!」
「んで3回目は、昨夜」
「毎日かよ!」
エースの突っ込みに、サンジはへにょんと眉を下げて俯いてしまった。
慌てて両手を振ってフォローする。
「ああ違う違う、サンちゃんを責めてるんじゃないんだ。っていうかゾロが悪い、ゾロが極悪!」
未成年相手に、なにしてくれてんだあの男は。

エースは手元にあった急須から湯呑に勝手に茶を注いで、ごくんと飲んだ。
まずは落ち着かなければならない。
「あ、悪い。コーヒーでも飲む?」
「いやいい、いいから座んなさい」
エースに示され、サンジはちまっと腰を下ろした。
膝の上に両手を当てて、随分としおらしい感じだ。
「俺が知る限り、ゾロはゲイじゃない・・・と思うよ。もちろん、彼の私生活まで俺は知らないけれども」
ここで下手なことを言って、ゾロとの仲を邪推されては敵わない。
「ただ、こう職務上知りえた相手に・・・しかも未成年にそんなことするのは感心しないなあ、って言うか犯罪だよ」
「そんなことねえよ」
サンジは首を竦めながらも、きっぱりと言い切った。
「なんで、サンちゃんだって男相手に嫌だろう」
「…―――」
え?嫌じゃないの?
エースが顎だけ突き出すようにして首を落とせば、サンジは恥ずかしそうに視線を逸らした。
「もしかして、サンちゃんゲ・・・」
「違う!それはない!」
強く否定されてしまった。
「えーと、じゃあいま恋人とかは?」
立ち入ったことを聞いて大変申し訳ないのだけれど、乗りかかった船だからとことん話を聞いてしまおう。
そう心に決めると、エースの中の好奇心がむくむくと首を擡げてきた。
なんせゾロとは部署も違うし、お互いいい年した管理職だし、ぶっちゃけゾロ一人で責任を負えばいいことだからギャラリーとしては大変に楽し・・・もとい、興味深い展開だ。
「恋人とかはいない。俺ずっとコックの修行で忙しかったから、誰かと付き合うとかなかったし」
そこまで言って、慌てて両手を振った。
「でも俺女の子のこと大好きなんだぜ、付き合うなら絶対女の子。しかも可愛い子、これ譲れない!」
ならなんで、毎日おっさんにキスされてんだ?
「じゃあ、やっぱりゾロのこと迷惑だろ」
「うん〜〜〜そうなんだけど〜〜〜〜」
煮え切らない。
と言うか、やっぱり頬が桜色に染まっている。
これはあれですか、口ほど嫌がってはいないとそうですか。
「なんでかなあ、ゾロってほんとに俺のことよく知ってるなあって思う」
「あー・・・」
それを言い出させば堂々巡りだ。
どう考えても、ゾロは最初からサンジのことを知っていたとしか思えない展開になってくる。
けれどそれは多分、あり得ない。
国も違う、生まれも育ちも違う二人に接点はなかったと断言できる。
あくまでも、すべてが偶然だったのに

「出会った二人は、惹かれ合ったんだな」
つい洩らしたエースの呟きを、サンジは否定しなかった。
どこか思いつめたような顔で、ふと視線を上げる。
「俺、運命だと思うんだ」
「…運命?」
「うん、こうしてゾロと出会えたのは」
運命――――
確かにそうかもしれない。
決して交わることがなかった二人が、ゾロがCMを作ったことで引き合わされた。
これぞまさしく運命と呼んでも差支えない、壮大な愛の物語かもしれない。
だが―――
「いいの?それで」
畳みかけると、サンジの眉が一層下がった。
「どうなんだろ〜」
まあ、悩む気持ちはわからないでもない。
ゾロは多少強引でマイペース過ぎるが、仕事はできるし収入もあるし見た目もいいし、性格もさっぱりとして気持ちのいい男だ。
黙っていても女性が寄ってくるから不自由はしていないが、無責任に食い散らかすような真似はしない。
態度も男女の性差なく、誰に対しても誠実で公平だ。
そんなゾロから、出会った初日にキスをかまされるような積極的なアプローチを受けては、落ちない方がおかしいだろう。
がしかし。
と言うことは、サンジはただ流されているだけなのかもしれない。

「サンちゃん、やっぱりこの部屋を出よう」
エースはきっぱりと言った。
「一緒に暮らしているから気持ちの判断がつかないんだよ。ほら、傍にいたら情だって移るだろう?でも一時の気の迷いかもしれないじゃないか。だからここは一つ、距離を置いてお互い冷静になって…」
「ここを出て、どうするんだ?」
「うちの会社でホテルを押さえてる。そこに泊まってもらって、それからここからはビジネスの話なんだけど、正式にサンジェルのモデルを引き受けてくれないかな」
驚きに目を瞠るサンジの前で、エースは居住まいを正した。
「サンジェルと君との関係はまったくの偶然だと、それは曲げられないんだけどやはり君の存在は大きすぎる。できたら、サンジェルのモデルとして契約を結んでくれないだろうか」
会社との契約となれば、サンジの扱いも無下にはできない。
それ相応の契約金も支払われるはずだ。

サンジは少し考えてから、エースの瞳を見つめた。
「ゾロは?」
「うん?」
「ゾロは、なんて言ってるの?ゾロがそう言うなら引き受ける」
「――――…」
ぴーんち。
ここで口先だけで誤魔化すのは後々まずいと判断して、エースは正直に言った。
「ゾロは、反対らしい」
「なんで?」
「それは…俺にもわからない」
ゾロの反対姿勢は頑なだった。
あの態度を見ると、サンジはショックを受けるんじゃないだろうか。

黙ってしまったサンジを見て、エースはぽんと手を合わせた。
「もちろん、今すぐ返事をくれとは言わないよ。ともかく、この部屋からホテルに移るのはゾロも了承してくれてる。それに、よかったらこれからサンジェル製作の現場見学に行かないか?」
「え?」
興味をそそられたらしく、サンジが弾かれたように顔を上げた。
「サンジェルはCGなんだけどね、ちょうど新作の作成とかしてるんだ。現場のみんなとも顔合わせしておきたいし」
まだモデルを引き受けるとは聞いていないが、外堀から埋めてしまう作戦だ。
「CGかあ」
「結構面白いよ、俺が案内する」
サンジは室内を見渡した。

先ほどからエースと会話しつつもせっせと作業を進めて、食器棚は綺麗に片付いた。
このまま窓を閉めてあらかた片付ければ、部屋は元通りだ。
もっともっと、この部屋でしたいことはあったのだけれど。

「ゾロが出てけって言うなら、仕方ないよな」
サンジの呟きは寂しげだったが、エースは聞こえないふりをした。


next