妄想天使  -10-



エースから連絡が入っていたらしく、デザイン会社は諸手を挙げて大歓迎してくれた。
CG制作現場というと、パソコンばかりならんだ雑然としたオタク部屋をイメージしていたサンジだったが、実際は違った。
オープンフロアで、まるでデザイン事務所のように綺麗ですっきりしている。
書類など散乱しておらず、精密な模型なんかが無造作に置かれていたりする、お洒落なオフィスだ。
スタッフの年齢層も若く、綺麗なお姉さんもいる。

あちこちで「サンジェル」の単語が囁かれ、言葉が通じなくともサンジにも大体状況が掴めた。
―――すげえ、人気なんだな。
自分をモデルにと望まれているのに、実際これほど知名度が高いキャラクターだと雲の上の存在みたいに思える。
なんかもう、似ててごめんなさい…みたいな。

「課長、ありがとうございます!まさかサンジェルのモデルに会えるなんて、感激です!」
短髪に黒縁メガネ、細身でお洒落でいかにもデザイナータイプの男が、サンジが差し出した右手を両手で強く握ってブンブン揺すった。
創作意欲を擽られたのか、飄々として草食系っぽいのに目がギラギラ輝いている。
「いやーマジっすか、やっぱりサンジェルにはモデルいたっすか。やっぱりなー」
やたらと「やっぱり」を繰り返すスタッフに、エースは勧められた椅子に腰掛けてにこやかに問い掛けた。
「やっぱりって、サンジェルに実物のモデルがいるって思ってたの?」
「そりゃあ思いますよ。なんせ容姿から性格から、具体的過ぎますもん。でも、こんなお若い方だとは思ってませんでした」
手元のパソコンで、現在流れているCMの画像を映し出す。
サンジが見たのはこれより一つ前のものだったから、目にするのは初めてだった。
「まあ、こうして放映している間に視聴者の嗜好とかもある程度掴めるから、どんどん変わって来てんすけどね。いま作成してるサンジェルは春先ってのも意識してこう・・・ふわふわって感じなんっすけど」
サンジは軽く肩を竦めた。
最初はよく似ていると思ったが、こうして見るとまったく違う。
自分はこんなにも柔らかく微笑まないし、儚げでもない。

それでも、製作現場を見るのはなかなかに面白かった。
スタッフ達も面白がって代わる代わるサンジに色んなものを見せてくれて、それらを眺めるサンジの横顔を許可を取ってカメラに収めたりもした。
「ちょっと、一服してきてもいいかな?」
ふと会話が途切れた時に、サンジはエースにそっと囁いた。
「え?サンちゃん煙草吸うの?」
意外とばかりに目を見開かれ、少しバツの悪い思いをする。
そう言えば、ゾロはサンジが煙草を吸うことを最初から知っていたかのように、喫煙所に連れて行ってくれたっけか。
「あ、僕も一服したいんで一緒に行きますよ」
「じゃあ、その隙に俺ちょっと電話入れてくる」
エースと別れ、スタッフと一緒に喫煙室に入る。
言葉は通じないが、お互い微笑み合いながらゆっくりと煙草を吹かした。
その間も、通りがかりの人が珍しげに足を止め、或いは覗き込んでなにごとか話していく。
サンジの姿はよほど衆目を浴びるらしい。
煙草を吹かしている間、スタッフはじっとサンジの仕種を見ていた。
興味があるというより、その目は観察者のそれだ。
「・・・なにか?」
通じないとわかっていてフランス語で話し掛けると、スタッフは曖昧に笑って一人で大きく頷いている。



喫煙を終えると、二人してフロアに戻る。
そのままスタッフはサンジを置いて場所を離れ、そうしている内にエースが戻ってきた。
「あれ?一人」
「いま、なんか出てったんだけど」
サンジが応える前に、スタッフが戻ってくる。
手にしたファイルを、サンジの前に広げて見せた。
「ほら、これがサンジェルの初期設定なんです」
達者なイラストで、いくつものサンジェルが描かれている。
なるほど、初期設定らしくCMで見ているのとは若干雰囲気も違っていた。
サンジェルは黒のスーツを着て、煙草を吹かしている。

「これ、誰の絵?」
「ロロノアさんですよ、上手いでしょ」
「へえ、あいつ絵も描けるのか」
サンジはその絵を、食い入るように見つめた。

描かれたサンジェルの表情は、笑顔より怒ったような顔の方が多い。
口をへの字に曲げて、或いは目付きを険しくしてじっとこちらを睨み付けている。
かと思えば少し遠くを見るような横顔があったり、鼻の下をだらんと伸ばした間抜けな顔もあった。
「これは、女性を前にするとこうなるって説明がありましたよ」
「あーこの辺は、サンジェルでもちょっと片鱗が残ってるよね」
「ほんのちょっとですよ、最初のはもう女性全般に対してこうだとか言ってましたから」
軽く笑いながら、エースはパラパラとノートを捲った。
「お、隠された左目はこうなってたんだ」
サンジェルは長い前髪で左目を隠している。
その分け目が違うイラストがあった。
右目は眉尻がくるりと円を描いているのに、左目は眉頭が巻いている。
「なにこれ、ギャグ?」
ぷっと噴き出すエースの隣で、サンジが咄嗟に自分の額を押さえた。
「え?」
「へ?」
「・・・あ」

「「「――――・・・」」」
三人はその場でしばし固まったが、それぞれがぎこちなく視線を逸らした。
「まあ、いろいろ初期設定があったって、ことだよな」
「ええまあ、そうなんですよ。打ち合わせ段階でサンジェルが煙草を吸うって設定は消えたんですけど・・・」
指で煙草を挟み、少し猫背で斜め上あたりを見つめるサンジェルの横顔を指で指し示す。
「さっき、サンジさんと喫煙所にいて、煙草吸う姿がまんまこの通りだよなーって感心しました。まさに生き写しって言うか、そのまま模写したみたいな。すごく不思議な感じっすよね」
「・・・そうだね」
さすがにここまで一致すると、どこか薄ら寒いものを感じる。

「初期設定のが実物のサンちゃんに近いから、どっちかってえとサンちゃんはサンジェルに似てない気がしてきたな」
「そうですよね、俺もこうして見てるとサンジェル=サンジさんじゃない気がしてきた」
よく似た他人ではなく、サンジを元にして別キャラを作った感じだ。
「でも、どちらにしてもサンジさんを見てるといっぱいインスピレーションが沸いてきます。実に素晴らしい」
「まだ打診段階だけれど、ぜひサンジェルのモデルになってもらいたいと思ってるんだ。君からもプッシュしてよ」
「もちろんっすよ、サンジさんを目の前にしたらサンジェルの幅がぐんと広がりますよ。僕からも頼みますよ」
盛り上っている二人の隣で、サンジはどこか思いつめたような表情でじっと設定画を見つめていた。





ゾロの部屋から引き上げてきたサンジの荷物と一緒に、ホテルまで送り届けた。
制作会社からの帰り道、サンジはずっとなにごとか思案しているようで言葉少なだった。
憂いを秘めた表情もまたいい感じ・・・と、脳内で勝手にサンジェル化しつつエースもふむと考え込む。

ゾロがサンジの存在を知らなかったのは、間違いないだろう。
けれどサンジェルはともかく、初期設定の絵を見る限りあれはサンジだ。
設定画に書き込まれた文字の中にも“Sanji”の名があった。
最初から、あれはサンジだった。
オカルティックな展開など鼻で笑ってしまう現実主義者のエースだが、これはどうにも超常現象的な匂いがする。
単純に、実はゾロがサンジの存在を知っていてそれを密かにモデルにしていた――――か、そもそもサンジは幼い頃からゾロと知り合いで、実は二人で口裏を合わせているだけだ―――とか。
そうでも疑わないと証明できない。
けれど、真相を究明する気はさらさらなかった。
偶然だろうが故意だろうが、エースにとってはどうでもいいことだからだ。
誰に迷惑が掛かる訳でもない。
CMで人気になったキャラクターにそっくりの実在人物がいた。
これだけで、うまく利用すれば宣伝に一役買えるだろうし、サンジが言うところの“運命的ななにか”をアピールすれば、ただの人気CMだけでなく伝説のCMにも変化できるだろう。
結果、寝る前茶漬けの売り上げが伸びれば御の字だ。
それだけのこと。

「取り敢えず、今日からはここで休んでね。ホテルのレストランで食事するなら部屋付きにしてくれればいいし、プールやフィットネスも自由に使って構わないから。あと、俺は明日休みを取るからどこか行きたいとこ考えておいてよ」
エースの申し出に、サンジは憂い顔のまま微笑んだ。
そうしていると、まるでサンジェルのように健気で儚げだ。
「アキハバラでもアサクサでもロボットレストランでも、どこでも任せといて。じゃあね」
「うん、ありがとう」
元気がないサンジのことは気がかりだったが、エースとしてもいつまでもこうしてはいられない。
これからゾロを、説教してやらなくては。





「なんの用だ」
エースに近くの喫茶店まで呼び出され、ゾロは不機嫌そうな顔で現れた。
忙しい合間を縫って、抜け出して来たのだろう。
「ゾロ、そこに座んなさい」
エースに指差されて、向かい側の席に腰掛ける。
くわあと欠伸を一つして、エスプレッソを頼んだ。
「サンちゃんをホテルに送り届けてきたよ」
「そうか、世話んなったな」
どことなく不服そうなのは、サンジを手元から引き離されたせいか。
それともモデル契約のことか。

「いまさらだけど、ゾロって男もイけんの?」
今日もいい天気だね〜みたいなノリで、さらっと聞いてみた。
頬杖を着いて半眼になっていたゾロが、片目だけ見開いてぎょろりとエースをねめつける。
間抜けな表情でいて眼光鋭く、並の男ならこのひと睨みだけでビビるだろう。
「ああ?俺ぁ野郎に興味ねえぞ」
「興味ないのに、なんで毎日キスするの」
ああ、とようやく思い当たったように顔を顰めた。
「聞いたのか」
「なに、内緒だった?」
「そうでもねえよ」
大きな掌で顔を撫でて、眉毛を上げながら目を閉じる。
「ただ、あいつは特別だ」
「なんで?サンジェルに似てるからか」
“サンジェル”の部分だけ声を潜めた。
どこで誰が聞いているか、わからない。

「ありゃあ、似てねえよ」
ぽつりと呟いたゾロの言葉に、エースは眉を寄せる。
「そうだね、サンちゃんとサンジェルは似てない」
「あ?」
意外な言葉を聴いたという風に、ゾロは顔を上げた。
そんなゾロをエースは真っ直ぐに見やる。
「サンちゃんはサンジェルじゃない、“サンジ”に似てるんだ」
「・・・」
「いま、ワーカーに寄ってきたんだ。ゾロが描いたって言う設定画も、サンちゃんと一緒に見た」
「・・・見たのか」
「サンちゃん、驚いてたよ」
その言葉に、ゾロの眉間の皺が深くなった。
「どういう経緯でゾロがサンちゃんを知ったのか、それとも知らなくてあの絵を描いたのか。その辺はわからないし別に知らなくてもいいけどさ。ああしてキャラクターとして製品化した以上、そのモデルと言っても差し支えないサンちゃんはうちの大事な商品なんだよ。こんなこと、いまさら説明しなくてもゾロにはわかるよね」
「―――ああ」
「確かに、サンジェルの生みの親はゾロかもしれない。遡れば、サンジェルのモデルとなった“サンジ”を生み出したのもゾロだ。けど、だからと言ってそのそっくりさん的、生身のサンちゃんに気まぐれに手を出すのはいただけないな」
エースの言うことはもっともだが、ゾロの屈託は別のところにある。
だから素直にうんとは頷けなかった。

「気まぐれじゃあ、ねえよ」
「なに、じゃあ本気?」
からかうでもなく、エースは乾いた声でゾロに問い返した。
「もしかしてゾロは、最初から“サンジ”に恋してた?だから現実化させたくてCMに取り入れた結果、本当に愛する“人間”が現れた・・・ってこと?」
荒唐無稽な話だが、酔った上での与太話ならともかく大の大人が昼間から顔つき合わせて仕事の延長で話し合っていることなのだから茶化してなんかいられない。
エースの態度を見て、ゾロは不意に目元を和ませた。
「そうだな、お前の言うとおりだ」
「ゾロ?」
「俺はずっと、俺の中の“サンジ”に惚れていた」
夢の中で、ゾロは一度もサンジに対して感情を吐露したりしなかった。
言葉もなく態度にも示さず、ただ衝動のままに抱いて時に傷付けもした。
けれどそれはお互い様だ。
なんの約束がなくとも、側にいて身体でわかりあえる関係がずっと続いていた。

「俺は、錯覚してたのかもしれねえ」
あまりにも毎日毎晩夢で会えていたから、目の前に現れたサンジをそのまま自分の“サンジ”だと思ってしまった。
「あれは、サンジじゃねえんだ」
「・・・ゾロ」
意味がわからず戸惑うエースの前で、ゾロは自分自身に言い聞かせるようにもう一度呟いた。
「あいつはあいつで、“サンジ”じゃねえ」
「それが、サンちゃんをサンジェルのモデルに起用するのに反対する理由?」
「そうだ」
ふっと鼻で嗤って、エースは冷めた紅茶を口に含む。
「確かにゾロはサンジェル誕生の功労者ではあるけど、そう判断するのはゾロの仕事じゃないよ」
「ああ、わかってる」
サンジの存在も彼の介入も、ゾロが拒否できる問題ではない。
その程度のことは弁えている。
ただ―――
「俺自身の問題だ」
憮然と呟くゾロに、エースは頭の中で反論した。

違うんだよなあ。
もう、ゾロだけの問題じゃなくなってるんだぜ。
だってサンちゃんの気持ちは・・・

『運命だと、思うんだ』
思いつめた表情で呟いたサンジの顔が、脳裡に浮かぶ。
あんな切ない顔をさせておいて、別人だからやっぱり止めただなんて言ってくれるなよゾロ。
そう忠告したいのだけれど、やはり自分の立場を弁えているエースはそれ以上何も言わず、黙って紅茶を飲み干した。


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