妄想天使  -8-



うっかり雰囲気に流された感は否めない。
けれどサンジは、まあいいかと諦めた。
相手は恋愛対称になどなるはずのない男だけれど、ゾロは大人だし優しいし気が利くし気前がいいし。
もし自分がレディだったら、いくら言葉が通じなくても早々に落ちるよな・・・と他人事みたいに考える。
日本人だけど背も高いし体格もいい。
顔もまあまあ、いいんじゃないか。
眼鏡も掛けてないし姿勢も悪くないし歯並びだって綺麗だし、文句なしに世界基準でイケメンだろう。
ちょっと年は食ってるけど、もともと年上好みの傾向がある自分にはまさにどんぴしゃ。
あくまで、同性であることがネックなのだが。
けれど―――
「そんなんも、どうでもよくなったな」
フランス語で呟いたら、ゾロは怪訝そうな顔を向けたがなにも聞いて来なかった。
どうせ言葉はまったく通じないのだ。
ゾロが言ってることなんて、サンジにもわからない。
けれど、なぜかなんとなくわかる。
なぜなんだろう。

タクシーの後部座席に並んで座って、サンジはちらりとゾロの顔を盗み見た。
サンジから見れば、ゾロの方がよほど謎だ。
一応メジャーなCM製作に携わっているようだけれど、それにしたっていくら平和な日本だろうと無防備すぎる。
CMキャラクターにクレームをつけて来日した外人を、素性も確かめぬままほいほい自宅に泊めて財布ごと預けて留守を頼むなんて信じられない。
しかも、なぜかゾロはサンジのことよく知っているようだ。
料理ができることも、短気で口が悪いことも、蹴り技を習得していることもわかっていたようだった。
脅しのつもりで軽くとはいえ、サンジの蹴りを的確に受け止めたのはゾロが初めてだ。

俺が知らないだけで、ゾロは俺のことを知っていたのだろうか。
家族にも親戚にも尋ねてみても、日本に親類がいるのは事実だったがゾロとの接点は見つからなかった。
まったくの偶然で、ゾロはサンジそっくりのキャラクターを作ったのか。
サンジが知らない、サンジにそっくりの男がゾロの傍にいるのだろうか。
「わかんねー」
煮詰まって不機嫌な声を出したのと、タクシーがマンションの前に止まったのは同時だった。

ゾロに付いて歩き、部屋に戻る。
日本人は毎日風呂に入ると聞くし、サンジもシャワーだけ浴びてさっぱりとしたい。
今日は美味しいものを食べて、珍しいものをたくさん見た。
これだけでいい土産になった気がする。
郷里の家族や友人達に写メ付きで報告するのが楽しみだ。

そう思いながらも、なんとなく緊張して玄関で靴を脱いだ。
フローリングを裸足で歩くのは気持ちがいい。
一日締め切っていた部屋は、どことなくゾロの匂いが残っていた。
男臭いと思うけど、悪くはない。

ゾロは「あー」とか「うー」とか、言葉じゃない呻き声みたいなものを上げて伸びをしている。
その間に、サンジは先に風呂場に入った。
さっぱりと汗を流すだけのつもりが、つい丹念に髪と身体を洗ってしまった。
洗いながら、余計なことをぐるぐると考えてしまう。

ゾロは最初から、ずいぶんとフランクな態度でサンジにキスをしてくるから、ゲイかバイなのかもしれない。
さっきはつい雰囲気に流されて自然にキスを受けてしまったけれど、あれでOKと判断されてしまっただろうか。
今夜は、なんかされちゃうだろうか。
もしゾロから迫られたら、断れないかもしれない。
ゲイなら、ちゃんと備えはあるんだよな。
全部任せて、大丈夫だよな。
なんせ俺は、初めてだし。
初めてだって、ちゃんと言っておいた方がいいかな。
ああ畜生、ちょっとは日本語を勉強してくるんだった。
こんなこと、なんて伝えたらいいんだろう。

排水溝に吸い込まれていく水の流れをじっと見つめ、いかんいかんと蛇口を締めた。
こんなところで一人であれこれ考えていたって埒が明かない。
ともかく、なるようになるしかないだろう。
一人で腹を括って、一応パジャマを着こんでタオルで髪を拭いながら洗面所から出た。
無意識にドキドキと胸が高鳴り、緊張で息が詰まりそうになる。
なるべく自然に振る舞うよう意識しながら、ゾロが待つであろうリビングに顔を出した。
「風呂―――」
そこまで言って、口をぽかんと開ける。

ゾロは、まるでそこが最初から自分の寝床だったみたいにキッチンの隅で毛布にくるまって寝ていた。
ガアガアと健やかな寝息まで立てている。
サンジは先ほどまでの緊張感が脱力感へと変わっていくのを肌で感じ取った。
「…なんなんだよ」
ちぇっと舌打ちしそうになって、危うく堪えた。
残念なわけじゃない。
ちっとも。





翌朝のメニューはリゾットだった。
野菜がたっぷりで、スープの旨味がよく効いている。
それでいて薄味だから、いくらでも食べられそうだ。
「昨日は食い道楽だったから、腹を休ませるつもりなのか?」
言葉が通じないとわかっていて、ゾロはそう尋ねた。
サンジは視線を逸らせたまま口角を下げ、曖昧に頷く。
明らかに不機嫌な表情だ。
昨日はあんなに嬉しそうに笑っていたのに。
――――俺、昨夜なんかしたかな。
夜景を見ていてつい気分が盛り上がり、キスをしてしまったのは記憶にある。
だがその時は、サンジも満更でもない顔をして雰囲気に流されていた。
少なくとも、あれを根に持って怒っている訳ではないだろう。
ならばなぜ、いま機嫌が降下中なんだ?
「美味いぞ」
ゆっくりとわかるように言葉を発すると、サンジも意味はわかったのかまた小さく頷いた。
少しは機嫌が浮上したようだが、それでもまだ落ちている。
これは、機嫌が悪いと言うより落ち込んでいる・・・のか?
ゾロは指の先でポリポリと顎を掻き、ようやく理由に思い当たった。
――――俺がなにも、しなかったからか。

昨夜、サンジが風呂に入っている間にゾロはさっさと眠り込んでしまった。
本当に眠かった訳ではなく、わざとそうしたのだ。
二人で過ごした一日は本当に楽しくて、隣で笑うサンジは夢の中のこととかサンジェルとか、そんなものを抜きにして可愛らしいと思った。
いつまでも、傍に置いておきたいなと思ってしまったりもした。
挙句、自分にとってはとっておきの場所に連れて行って、そこで本当に楽しそうに目を輝かせて同じ景色を眺めてくれたから、つい思いが高ぶって本気のキスをしてしまった。
あれは、まずかったと思っている。
ゾロが仕掛けたキスにサンジが抵抗を見せたなら、ついからかう気持ちが先に立って余計に迫ってしまっただろうが、本気で受け止められてはさすがにまずい。
年齢に開きがあり過ぎるし、何より相手はまだ子どもだ。
こちらにちゃんと親戚がいるのに、赤の他人の自分が勝手に引き取って部屋に住まわせているだけでも問題だろうに、さらに手を出したりしたら淫行罪だ。
成人前とはいえ、さすがにモラルに欠けた行動だろう。
勝手に仕掛けておいて、自分の都合でセーブするのは卑怯だとも思うが、あまり深入りしてはサンジのためにもならない。
いまは、サンジもなにかと不満だろうが離れてしまえばすぐに忘れる。
お互いのために、ある程度の距離を取って過ごした方がいいのだ。

「今夜は遅くなるだろうから、先に休んでてくれ」
通じないとわかっていて、一方的に話し掛ける。
サンジもなにごとかを宇宙語で返し、テーブルに肘を着いて煙草を吹かした。
蓮っ葉な態度だが、拗ねてそっぽを向いているだけだとわかるから可愛らしいばかりだ。
「…悪かったな」
横を向いた頭の、金色に光る旋毛にそっと囁きかけ、ゾロは仕事へと出かけた。





サンジを家に一人で置いておくのは後ろ髪が引かれる思いだが、仕事場にまで連れて回るわけにもいかない。
ゾロのお客さんじゃないから休暇を取って構い倒すこともできず、彼のために仕事のペースを崩す理由もなかった。
けれど気になる。
言葉も通じず右も左もわからない国で一人過ごすのは、不安だろし退屈だろう。
だからと言って一人でふらふら出歩かれても心配だし、けれど四六時中傍にいてやることもできないし。
「―――サンジェルは・・・」
ついサンジのことばかり考えていたら、サンジェルの単語に引き戻された。
「…あ?」
「あ?じゃないですよ。寝る前茶漬けの新製品のコンセプトです」
ああそうだったと、我に返った。
いかんいかん、仕事中だ。
「おおまかな資料が送られて来てますが、また急に変わったりすると思いますんであくまで参考にってことで」
「了解」
「あと、ロングリングロングランド社のゲームCMの件ですが・・・」
コンコンと音がして、顔を上げたらガラス戸の向こうでエースが片手を挙げていた。
それに顎をしゃくって返し、打ち合わせを先に済ませる。
担当者が書類を整理して打ち合わせ室を出ると、入れ替わるように紙コップにコーヒーを入れたエースが入ってきた。
「お疲れーちょっと時間いい?」
「おう、お前さんはいいのか」
「よくないよー誰かさんのお蔭で仕事増えたし」
ん?と視線を上げて紙コップを受け取れば、エースは意味ありげな目線を投げてきた。
「昨日サンジェルと、デートしたっしょ」
「…ああ」
まあ、確かにデートっちゃあデートっぽかったな。
「気を付けてくれよ〜。随分おおっぴらにあちこち回ったみたいだね、お蔭で朝から広報室にじゃんじゃん電話かかってきて」
「なんの」
「マスコミだよ、サンジェルのモデルが来日かって」
「あー・・・」
モデルではないが、まあ確かにそういう風にも取れる。
観光のモデルコースみたいにあちこちを巡ったし、サンジは何を見ても物珍しそうなリアクションでまさにおのぼりさん状態だった。
カフェでお茶して、甘味処もめぐって、挙句は高級レストランで二人だけでディナーだ。
まさに、デートとすれば完璧の。

「んで、マスコミが食い付いたか」
「サンジェルにインタビューしたいとか連絡先を教えろとか、しつこいしつこい。うちとしてもすっ呆けるしかないしさあ。なんせ、公式のモデルじゃないんだから」
「あいつはただの外人だぞ、いくら似てるつったってほんとに関係ねえんだから巻き込むなよ」
「だったら、そっちももうちょっと考えて行動してよね」
そう言われると、ぐうの音も出なかった。
「考えてっつったって、閉じ込めとく訳にもいかんだろう」
「せめて変装させるとか」
「余計に怪しいだろうが、芸能人じゃねえんだから」
「いまじゃ、下手な芸能人より顔が売れてんだよサンちゃんは。ゾロが気を付けてやんなきゃダメだろう」
まさに正論で、ゾロはまた黙ってしまった。
「俺の考え、言わせてもらっていいかな」
「おう」
「サンちゃんを、公式でサンジェルのモデルと認めよう」
「…ああ?」
ゾロは片目を顰め、大げさな声を上げた。
「そうすりゃ、うちの会社の客として持て成せるじゃないか。それなりの対応でプレスリリースもできるし、サンちゃんの扱いは中途半端なものにならない」
「―――・・・」
「下手に放置しておくと勝手に推測・調査されて、サンちゃんのプライベートが侵害される恐れもあるよ。この際、うちの会社で公式に認めちゃおう」
「…反対だ」
ゾロの言葉に、エースは「は?」と目と口を開いて首を下げた。
「なんで」
「あれは、サンジェルじゃないからだ」
「そうだけど、あそこまで似てたらもうサンジェルでいいじゃないか」
「違う」
ゾロの頑なな態度に、エースは眉間に皺を寄せる。
「そりゃあ、サンジェルの生みの親たるゾロにすれば、いくら偶然でも似た存在が後から出て来るってのは面白くないかもしれないけどさ・・・けどこうなった以上は」
「あいつはサンジェルじゃねえし、俺はあいつを知っていて“サンジェル”ってキャラを生み出したわけじゃねえ。一緒にすんな」
エースは腕を組んで、はあとわざとらしくため息を吐いた。
パーテーションに凭れて、座ったままのゾロを見下ろす。
「なに意固地になってんのか知らないけど、これはもうゾロ個人の問題じゃないんだからね。部長も、今回の件はアクシデントではなくPRの一環として取り込もうと考えてる。俺も賛成だ」
「俺は反対だ」
「ゾロの意見は通らないってこと。ゾロは製作する側だろ、俺らは広報の立場で生かす側だ。特に今は、寝る前茶漬け以外の仕事のがメインでしょうが。折角だからサンちゃんの身柄もこちらに移させてもらう」
ゾロはぎりっとエースを睨み付けた。
だが、反論は出てこない。
「正式に、サンちゃんに対して依頼をさせてもらうよ。契約相手となれば、経費でホテル代も出る。俺は今日からサンちゃんの接待役を仰せつかってるから、今から連絡入れて迎えに行かせてもらう」
短い間だったけど、世話になったね。
サンジにではなくエースにそう言われ、ゾロは苦虫を噛み潰したような表情をしたが何も言い返さなかった。
それが、いいのかもしれない。
縁もゆかりもない男の部屋に転がり込んでいるより、会社の保護下にあった方がサンジとしてもよほどいい待遇だ。
それなら、気まぐれに男にキスされたり振り回されたりすることもないだろう。
あいつのためには、その方がいい。

「勝手にしろ」
ゾロはそう言って、冷めたコーヒーを飲み干した。



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