妄想天使  -7-



ゾロの想定通り、部屋を片付け食器類を増やし食事を作って待っていたサンジだったが、それで調子付いてスキンシップ過多になるのは断固阻止されてしまった。
少しでもゾロが近寄るとものすごい目付きで睨み付けて威嚇し、キスどころか触れる隙も与えない。
きちんとシーツを交換し綺麗に整えられたベッドは、問答無用でサンジが所有権を奪っていた。
ゾロ用にと、キッチンの床に布団を敷かれ毛布も掛けられて、簡易寝床が作られた徹底ぶりだ。
「やっぱ手強いなぁ、てめえは」
そんなサンジの反応がやたらと愛おしく感じる自分自身に戸惑いながら、ゾロはその夜は大人しく眠った。
夢で、ゾロにとっては本物の“サンジ”に会えるかと思ったけれど、よほどぐっすり寝入ったのか翌朝も夢の中身は覚えていなかった。



翌朝は、どこでどう覚えたか炊き立てのご飯に味噌汁の朝食が待っていてさすがのゾロも仰天する。
「すげえな、なんでこんなの知ってんだ?」
ろくに言葉も話せないのに、ちゃんとした和食が並んでいる。
味噌は既製品だがだしはちゃんと煮干から取ったようで、だし殻はふりかけにまでなっていた。
「〇★#&;%」
ゾロが手放しで喜んでいるのは、その表情や声の具合でわかるのだろう。
だからこそか、サンジは咥え煙草のままツンと澄ました顔で味噌汁をよそい、冷蔵庫から出した漬物をさりげなくテーブルに置く。
けれど、よく見れば小鼻が膨らんでいて耳朶は赤かった。
言葉にせずとも「どうだ」と言わんばかりのオーラが漂っている。
「すげえなあ、ありがとう」
ゾロはゆっくりと発音し、手を合わせたまま頭を下げた。
そんな仕種に戸惑いながらも、サンジも真似てぺこりと頭を下げ返す。
なんだかもう可愛らしすぎて、ゾロは思わず正面からぎゅっと抱きしめてしまった。
それを親愛のハグと捉えたのか、感謝の表れと看做したのか。
サンジは今度は抵抗せず、蹴り飛ばすこともしなかった。

昨日、仕事から帰ってすぐに会社で用立てた観光パンフレットをサンジに手渡していた。
日本語のみの案内ではあるが、写真が豊富に載っているからなんとなくわかるだろう。
朝から熱心にそれを眺めていたようで、所々にしおり代わりにティッシュが挟み込んである。
不用意に折り曲げたり書き込んだりしないところが、好ましい。
「どこに行きたいって?」
もぐもぐと朝飯を頬張りながら、サンジが示すページをめくる。
“日本”と言えばすぐに挙げられるようなメジャーな神社仏閣と、レストラン情報が多い。
「今日一日で回るとすっと、ここを拠点にしてからこう・・・あ、ここは改築中だな」
テーブルに置いたスマホでチェックしながらルートを考える。
どうせ、今日一日休みを取ったからたっぷりと時間はある。
夜には取って置きの光景も見せてやろう。
ゾロは、柄にもなくウキウキした気分で見慣れた街の観光マップをひとしきり眺めた。


朝食を終えてそこそこに、家を出た。
ホテルから会社、おそらくはサンジが日本に着いた時は空港からホテルまでも、この姿でなにかと注目を浴びただろう。
いまさら帽子にサングラス+マスクで変装しても怪しさが増すだけだろうと開き直って、素のままのサンジを連れ歩いた。
パーカーにジーンズとラフな格好だが、目立つ金髪にモデルばりのスタイルの良さでどこに行っても衆目を集めた。
CMを知らない人はその目立つ容姿に釘付けになり、CMを知っている人たちからは「サンジェルだ・・・」「本物?」とささやき声が聞こえてくる。
時にはこっそりスマホを取り出すものもいて、ゾロは気配を感じるとさりげなく目線だけで威嚇した。
ただし、男にはそれなりの効果があるが女性はその程度で臆することはない。
「・・・しょうがねえな」
「―――?」
ゾロがする仕種を真似て、神妙な顔つきで神社に参っていたサンジが首を傾げながら顔を向ける。
「ああ、いまさら隠し立てしたってしょうがねえって話だよ」
サンジの存在をマスコミかなにかに問い詰められたなら、“とんでもない偶然”という説明をしてやるまでだ。
事実、“とんでもない偶然”でしかありえないのだから。

境内でおみくじを買って開くと、ゾロは大吉で「待ち人来る」だった。
どんだけだと呆れながら、小吉だったサンジのおみくじも一緒に、おみくじが鈴なりになった木の枝に結ぶ。
サンジは見るものすべてが物珍しいらしく、あちこちで立ち止まっては写真を撮り、目を丸くしてしげしげと眺め回しては一人でにんまりとしている。
そんなサンジの様子を、さらに遠巻きにした人々がこっそり写真に撮っていて、ゾロはなんか面白れえなあと思わないでもない。
境内を歩く鳩や茶屋の猫まで珍しげに追いかけまわし、そ〜っと写真に収めるサンジは客観的に見てもなかなか可愛らしくて、まさにサンジェルそのものだった。

昼は回転寿司に連れて行けば、案の定大喜びされた。
とはいえ回転寿司とは名ばかりで、寿司は回っていない。
タッチパネルでメニューを探し、パパパと押せば注文の品がレールに乗って現れる。
サンジの中の少年魂がいたく刺激されたのか、目を輝かせて寿司を受け取り赤ランプを押していた。
注文するのが楽しすぎて、食べるのもそっちのけだ。
「じゃんじゃん食えよ。夜はどっか、本格的なもん食わせてやるから」
ゾロの中のサンジのイメージでは、こんなチープな店に連れてきては文句のひとつも言われるかと思っていた。
だが、サンジはまるで子どものようにはしゃいで、輝くような笑顔を大盤振る舞いしてくれている。
やっぱこいつは「サンジ」じゃねえしなと思わないでもなかったが、一緒に食べているうちにその考えも改めた。
サンジは、自分が作る料理にはとことんこだわりを持つ男だが、人が作った料理にケチをつけるような真似は決してしなかった。
どんなものでもきちんと食べ、感銘を受けた料理に教えを請うのにためらいなど持たなかった。
―――やっぱこいつは、「サンジ」なのか。
たかが夢の話だ。
そんなことあるはずがないと思うのに、目の前にいる男が、本当に「サンジ」なんじゃないかと錯覚してしまいそうだ。

食後は迷路のような駅構内を散策しながら、近代的なビル群を回った。
正直なところ、ゾロは地下鉄の乗換えが得意ではない。
というか、ぶっちゃけまともに乗り継ぎできた試しがない。
今日も案内しているはずが散々サンジを連れまわし、挙句、日本語も英語も危ういはずのサンジの方が先に立って歩くようになった。
わからなければ通行人に地図を見せる。
そうすれば大概の人は、忙しげに歩いていた足を止めて「きゃ」とか「わ」とか驚きつつも、親切に教えてくれる。
ゾロは、そんな様子を微笑ましげに見守る側に回った。

迷子という名の散歩のお陰で小腹が空いたのか、サンジはきょろきょろと辺りを見回し、目に付いた甘味処に臆することなく入っていった。
桧皮色の暖簾を潜って、近代的なビル内とはとても思えないような古色蒼然とした茶屋の中を、サンジは目を丸くして見渡した。
店内は狭いが、まるで異空間に入ったようで雰囲気がよくできている。
食品サンプルを真近で珍しげに眺め、抹茶アイスを指差した。
ゾロの髪と交互に指差し、笑っている。
「おーおー、どうせ抹茶頭とか言ってんだろ」
ゾロは悪態を吐きながらも、あとで北海道のアンテナショップにでもいってマリモを見せてやろうかなと思わないでもなかった。

なにもかもが懐かしいような、新鮮なような。
複雑な気分で傍らのサンジをそっと盗み見る。
ゾロの夢の中で、サンジは決してこんな風に親しげに笑ったり、無防備に顔を寄せたりはしなかった。
寄ると触ると喧嘩ばかりで、ゾロにはこんなはにかんだような笑みを見せることは一度もなかった。
それでいて、身体を重ねる時は随分と艶やかな表情に変わっていたが、あれもこれも所詮は夢でしかない。
わかっているのに、こうもなにもかもが重なる、現実の男の出現には戸惑ってしまう。
どこまでゾロの都合のいいように事態が展開しているようで、居心地が悪い。
自分の中だけで構築された、夢の“サンジ”像を、今目の前にいる男に一方的に押し付けているだけではないのか。
夢のサンジはあくまで夢で、目の前で笑うサンジは現実だ。
それなのに、ゾロはサンジの中に夢の中のサンジの影を見出してしまう。
それがとても、現実のサンジに対して失礼な行為のように思えた。


フランスへのみやげ物を見たいのか、サンジは午後からはやけに“日本”を前面に押し出したショップばかりを選んで歩いた。
10日も滞在期間があるとはいえ、来月になればサンジは国に帰る。
親戚宅がインフルエンザ禍に見舞われている間だけの、大義名分だから実際にこうしてすごせる時間はもっと短い。
そう思うと少し切ない気分になって、そんな自分の心情にゾロはまた戸惑った。
そもそも自分は、こういうキャラではない。
物珍しげにはしゃぐ年下の男に目を細めたり、喜びそうな場所に連れて行ったり、少し奮発して有名店に予約まで入れて一緒に夕食を楽しむような・・・そんなマメな人間ではなかったはずなのに。
サンジェルの存在に惑わされているのか、そもそも実はこれは単なる一目惚れなのか。
ゾロ自身判断がつかないまま、せめて傍にいる間だけでもその姿を焼き付けたいとばかりにサンジの顔ばかりを見つめていた。



レストラン「エターナルポース」は、半年先まで予約で満席なのが常の有名店だ。
だが、一般の広告会社勤めのくせに実は金持ちのボンボンであるエースのツテを借りて、前日に個室を押さえてあった。
シースルーのエレベーターがぐんぐん上昇するにつれ、雑多な街に溢れていたネオンがまるで地上の星屑のようにきらめく景色に変わっていく。
サンジはガラス窓に手を付けて食い入るように景色を眺め、興奮で高潮した頬のままゾロを振り向いた。
瞳が潤んで見えて、つい自然に顔を近づけてしまう。
そのままキスする間もなく背後の扉が開いて、ゾロはコホンと空咳をしてから澄ました顔でエレベーターを降りた。
「この店、知ってるのか?」
サンジは恍惚とした表情で店内を眺めてから、口元を綻ばせた。
多分、有名店だからわかっているのだろう。
メニューを見せられてもゾロにはさっぱりだったが、料理名は英語でもわかるらしくサンジの方が率先してワインまで注文した。
テイスティングする仕種もさまになっていて、とても10代とは思えない。

さすがに一流店だけあって、サンジの姿を見ても客もスタッフもあからさまな反応は見せなかった。
ただ少しだけ眉を上げたり目を見張ったりはしてるので、やはり気づく人は気づいているのだろう。
これほどまでに、自分が作ったCMキャラクターである“サンジェル”が一般に浸透しているのは、職業柄誇らしく思わないこともない。

豪華な夜景を眺めながらゆっくりと食事をし、店を出る頃には二人ともほどよく酔いが回っていた。
このままタクシーでまっすぐ帰ればいいのだが、少し寄り道して郊外の河川敷で降りる。
迷いなくサクサク歩くゾロの後ろに、サンジは黙ってついてきた。
人気がない坂道を登ると、急に視界が開ける。
小高い丘から港を見下ろせて、街の灯りと波止場の船の輪郭が黒い海に浮き上がっていた。

「□◎Ξ▼!」
サンジが短く感嘆の声を上げる。
先ほどまでの豪華な夜景は文句なしに見事だったが、ゾロはこの風景が気に入っていた。
偶然迷い込んで目にして以来、時折ふらりと足を運んでは一人で飽きることなく眺めている。
特に何てことない夜の港だから、サンジにはつまらないかもしれない。
けれど、サンジはゾロの隣に並んでポケットから煙草を取り出し、俯いて火を点けた。
薄暗い中で一瞬だけ、サンジの横顔が瞬くみたいに浮かび上がる。
軽く吹かした煙が風に流れ、ゾロの鼻腔を掠めていった。
煙草を吸うとき、指に挟んで目を眇めるのはサンジの癖か。
サンジェルの癖なのか。

まっすぐに前を向いて景色に目を細めるサンジの横顔を、ゾロはじっと見つめた。
視線に気づいたのか、ふっと首を傾けるようにしてこちらを向いた。
ゾロの目を見返すようにして、けれどいつもの剣呑な光を帯びてはいない。
むしろ少し切なげに微笑まれ、ゾロの方が驚きつつもその瞳に吸い込まれるように顔を近づけてしまった。

ふっと、触れ合うほど近くに唇を付け動きを止める。
サンジは煙草を指に挟んで、じっと見上げたままだ。
その瞳が閉じられるのを合図に、ゾロはゆっくりとその乾いた唇に口付けた。





next