妄想天使  -5-



サンジはビールはあまり進まなかったが、ゾロがふと思いついて取り出した冷酒は気に入ったようだった。
もらい物の切子細工の猪口に注いでやれば、上機嫌ですいすいと口に運ぶ。
フルーティでさっぱりとした口当たりはゾロには物足りなくて、ずっと冷蔵庫に仕舞いっ放しだった日本酒だ。
調子に乗ってよく飲んだからよほどいける口かと思っていたら、小瓶がなくなるころには真っ赤な顔で呂律が回らなくなっていた。
「□★℃^Щ〜∵Ф〜〜!!」
そうでなくとも宇宙語なのに、さらによくわからない。
わからないなりに、ゾロはそうかそうかと適当に返事をしながら料理をすべて平らげた。
そんな様子を、サンジは真っ赤な顔をしながら幸福そうに笑って見ている。
その内、テーブルに肘を着いたままコクンコクンと舟を漕ぎ始めた。
酔いが回ると寝るタイプらしい。

「後片付けは俺がしとくから風呂・・・は、無理だな」
すっかりテーブルに懐いたサンジを見下ろし、ゾロはやれやれと息を吐く。
まあ、一晩や一週間風呂に入らなくなって死にはしない。
「もう寝ろ、ベッド貸してやる」
口で言ってもサンジにはわからない。
瞼をとろんと蕩けさせて、上半身はぐなんぐなんだ。
「んなとこでクダ巻いてんじゃねえよ。ほら立て」
ゾロはサンジの後ろに回りこんで、肘を掴んで引き上げた。
サンジも立ち上がろうとしたのだろうが、傾いたまま勢いよく立ち上がったから椅子が音を立てて後ろに倒れる。
「オラ、なにやってんだ酔っ払い」
椅子と一緒に倒れかけたサンジを、身体ごと抱き止めた。

ふわんと、食べ物とタバコの匂いがゾロの鼻腔を擽った。
匂いは、時として記憶を呼び覚ます鍵となる。
夢の中でだけ会えたサンジとの思い出が急激に湧き上がって、ゾロはその衝動のままに細い身体を抱き締めた。
覚えているより、サンジは背も低く身体つきも華奢だ。
第一年齢が違う。
夢の中で、常に生意気な表情でゾロに喧嘩を売ってきたサンジは確か同い年だった。
こんな、16歳も年の差があった訳じゃない。
いくら似ていても夢は夢だ。
サンジはサンジで、このサンジじゃあない。

わかっているのに、匂いで呼び覚まされた情欲は久しぶりにゾロの身体に火を点けてしまった。
一方的ながら何度も抱き合った記憶が、ゾロの中で生々しく蘇る。
腕の中でクタリと力をなくした身体も、綺麗な流れを作って落ちる金色の髪も、その間から覗く渦を巻いた眉毛も。
なにもかもがゾロを煽って止まない。

ゾロは力いっぱいサンジの身体を抱き締めたあと、奥歯を噛み締めながら腕を開いた。
そのまま小脇に抱えて寝室まで運び、乱暴にベッドの上に横たえる。
布団を首まで掛けてから、少し引き下げ上から覗き込んだ。
頬や耳まで真っ赤にして、サンジはふうふうと口で息をしている。
そう言えば、夢の中でもあまり酒に強くはなかった。
宴好きな仲間と一緒に騒ぐときも、給仕に紛れてあまり飲んでいなかったか。
腰を落ち着けて飲む日には、すぐに寝落ちしていた。
酔いが回ると大胆になって、散々乱れたあと翌朝には記憶をなくして青くなったり赤くなったりしていたっけか。

「―――お前も、か?」
ゾロは至近距離で、サンジの顔を覗き込んだ。
鼻先に、酒臭い息が掛かる。
けれどどうにも愛しさが募って我慢ができず、ゾロはついそのままちゅっと口付けてしまった。
柔らかな唇が、ゾロの口の中でふにょんと形を変える。
その頼りなさがなんとも可愛らしくて、つい口付けては離れてを繰り返し、とうとう唇を合わせて口内を弄ってしまった。
熱を持ったように熱い口内を舌で味わい、呼吸を吸い取る。
ふぬん…と鼻から声が漏れ、息苦しいのか目を閉じたまま身を捩る。
―――と・・・
とろりと半眼だった瞼が開いた。
ぼうと膜が張ったようだった瞳がはっと見開かれて、瞳孔が収縮する。
ああこいつは、昼間外で見るときと夜の室内とじゃ瞳の色も違って見えるんだよなと場違いな感慨に耽っていたゾロの腹に、思わぬ一撃が入った。



声もなく床に崩れた男の背中を、サンジは呆然としながら見詰めていた。
俄かなことで、記憶が混乱している。
ここはどこだ。
見慣れない部屋だけれど、覚えがないこともない。
そう、今目の前で倒れている男の部屋だ。
ロロノア・ゾロとか言う、胡散臭い男。
フランス語なんてさっぱり話せないのに、堂々と自国の言葉で話しかけてきてそれなりになんとなく意味がわかる気がした。
きっと臆しない態度のせいだろう。
それにすっかり騙されて、まんまと部屋に連れ込まれ酔わされてしまった。

サンジは胸元を手で押さえ、きゅっと唇を噛んだ。
初対面なのに部屋に泊めてくれようとしたのも、こういうことだったのか。
どこで知ったかしらないけれど自分のことを以前から気に入ったかなにかで、あんなCMまで作って呼び寄せて、挙句に部屋に連れ込んでこんなことしようとしたのか。
どんだけ手のこんだストーカーだ。
しかもなんて遠回しで、念の入った小細工なのか。
挙句、会社や世間を巻き込むなんて正気の沙汰じゃない。

そこまで考えて、いやまさかなと思い直した。
いくらなんでもそんなストーカーは非現実だ。
けれど、どこまでが偶然でどこからが策略なのか、サンジにはさっぱりわからない。
ただ一つ言えることは、いまこいつは酔っ払った自分にキスをしていたと、そういうこと。

―――キス、されちまった。
思わず、自分の唇をそっと押さえる。
日常的に挨拶でキスを交わすけれど、先ほどゾロにされたのはそんなのとは比べ物にもならないキスだった。
あんな、なにもかも暴くような、奥の奥まで侵食してくるような、それでいて酷く優しくいやらしいキスは初めてだ。
―――こいつ、慣れてる。
そう思うと、カッと頭に血が上る。
見た目にずいぶんと年上だし、まあ言うなればおっさんだから経験がなければないで気持ち悪いけれど、それにしたって初対面であのキスはないだろう。
―――って言うか、男同士だし!

参った、もしかしてゲイの部屋に泊まっちゃったんだろうか。
自分にそんな隙があったんだろうか。
サンジ自身、ゲイに対して偏見はないつもりだ。
友人にもいるし、恋愛の対象を常識で限定する方が不自然だとも思っている。
けれど…

「えー・・・まさか俺〜〜〜?」
思わず声に出して叫び、頭を抱えてしまった。
参った。
まさかこんな異国に来てまで男に襲われてしまうなんて思いもしなかった。
しかも、のこのこと懐に飛び込んだのは自分の方だ。
ろくに言葉も通じないのに、なんとなく信用して荷物を持って転がり込んで、料理も作って食わせたのは紛れもなくサンジ自身だ。
けれど―――

「こいつ、美味そうに食ってくれたよな」
なぜか、自分のことをすごくよく理解していてくれた気がする。
キッチンも勝手に使わせてくれたし、なにより部屋に来る前に食材を買わせてくれた。
まるで最初からサンジが調理を得意としていることを、知っていたみたいだ。
今回はサンジェルに対するクレームしか言ってないから、自分がレストランで修行するコック見習いだなんて日本に来てから誰にも話しなどしていない。
それらも全部最初からお見通しなほど、コアなストーカーなんだろうか。
こんなことって、ありえるんだろうか。

サンジは途方に暮れて、床に倒れたままの男に目をやった。
くかーと、暢気な寝息が聞こえる。
サンジに蹴り飛ばされたというのに、どうやらそのまま寝てしまったらしい。
太平楽な寝顔を見ていると、今まで胸に渦巻いていた怒りやら恐れやら疑念やらが、急速に萎んでいくのがわかった。
なんだか、自分ひとりが馬鹿みたいだ。

「まあ、しょうがねえか」
こんな夜中に荷物をまとめて部屋を出ても、右も左も言葉もわからないような街ではどうしようもない。
それに、サンジは腕に(脚に?)覚えがあった。
今度また襲われかけても撃退できる自信は充分にある。
「…次はねえからな」
意識のないゾロにそう宣言して、サンジは布団をがばりと頭から被った。
こんな状況ではとても寝付けないかと思ったけれど、やはり酔いが残っていたのかそれから程なく眠りに落ちてしまった。





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