妄想天使  -4-



「サンちゃん、ほんとに『サンジ』って名前なんだよ。しかもまだ19歳」
エースはゾロの目の前で、サンジのパスポートを広げて見せた。
初対面の男にパスポートを渡す無防備さになぜかゾロの方がむかっときて、正面に座るサンジを軽く睨みつける。
ゾロのきつい眼差しに気づいたか、サンジも負けずと睨み返してきた。
険悪ムードな二人の間で、エースだけがのほほんとお喋りを続けている。

「ゾロ〜、ほんっとにすごい偶然だとは思うけど、サンちゃんは生まれた時から『サンジ君』だわ。こりゃ、サンジェルが似てるのかサンちゃんが似てるのか、どっちがどっちって言えないわー」
寧ろ、サンジェルのが後出しかなーと生年月日が書かれた欄を指し示す。
ゾロはさり気なくそこにある数字を読み取った。
どうやら1993年3月2日生まれらしい。
サンジェルのCMを放映しだしたのは去年からだから確かに後出しかもしれないが、ゾロが夢を見始めたのは20年近く前のことだ。
ゾロにしてみれば、サンジの存在自体がパクリだと言いたいところだが、夢だのなんだと絵空事を口に出す気はないから賢明にも黙っていた。

「でもまあ、偶然の一致としか言いようがないっしょ。資料、貸して」
ゾロから受け取った資料をパソコンで表示しながら、エースがフランス語で説明を始めた。
サンジも真面目な顔付きで画面に見入る。
なんの証拠にもならないだろうが、それでも“サンジェル”というキャラクターが時間と経費を掛けて創り上げられていった過程は説明できたようだ。
ゾロはエースの隣に座り、心持ち前のめりになりながらそっと状況を窺う。
「どうだ、わかってくれそうか?」
「うん、とにかく俺らに悪気がないってのはわかってくれたみてえ」
「まだその段階かよ」
ちっと舌打ちでもしそうなゾロを、エースは軽く横目で睨んだ。
「客観的に見て、俺らは文句言える立場じゃないんだよ。どう見たってサンジェルとしか思えない純然たるモデルが実在してるんだから、これはすべて偶然ですと証明する方が難しいだろ」
「偶然なんだからしょうがねえだろうが」
まだ本人が直接会社に名乗り出てくれただけ、マシだったかもしれない。
もし他の誰かから指摘あるいは訴えられて、本人に無断でモデルとしたなどと言いがかりを付けられ証拠としてサンジの存在が公にされたら、厄介だった。
そうなる前に“サンジ”の存在を亡きものにするしかねえかもとか、物騒な考えが頭を過らないでもない。

「で、こっちとしては『偶然なんです』としか言えねえが、こいつはどうしたいっつってんだ」
「ゾロ、言葉が通じないとはいえ失礼だぞ」
ゾロが無愛想な分だけ、エースは過剰に笑顔を作りながらサンジになにやら問いかける。
対してサンジも、エース相手なら態度が軟化するのか少し困ったような表情で答えた。
「なんだって?」
「オリジナルの創作物だとわかっても、やっぱり自分に似てるのは不愉快なんだってさ」
それはまあ、気持ちはわからないでもない。
「特にデフォルメされた部分が嫌だって。例えば女性に対して過剰に反応するところとか、鼻の下伸ばしてデレンデレンするとこは大げさすぎるって」
「ああ?大げさも何も、事実そうしてるじゃねえか」
ゾロが言い返すと、言葉が分からないはずなのにサンジはむっとして宇宙語で言い返してきた。
「なに言ってんだ、てめえ自分の姿客観的に見たことねえだけだろ。実際ああだぞ、みっともねえ」
「●☆*△Д・・・!!」
「そんなん気にしなきゃいいだろうが。誰になに言われたって、俺はそうじゃねえってすっ呆けてろ」
「‖↑■$◆・・・ош▼・・・」
「ああ確かに、てめえを知ってる人間にゃあ滑稽に見えるだろうな。だがまだサンジェルのは相当抑えてっぞ。企画会議の過程で随分削られたから。お前あれ、俺の中でのほんとのサンジ像とか見たらぶっ飛ぶかもな」
「#●☆¥〜И*■&」
「そんな嫌そうな顔すんじゃねえよ」
「ちょっと待って、待って待って」
呆気にとられて見ていたエースが、我に返って二人の間に割って入った。

「待って待って、なに勝手に会話しちゃってんの?」
「ああ?適当に言いたいことを言ってるだけだが」
「それにしちゃ会話成り立ち過ぎだよ、違う言語で意思疎通できてるとか、どんだけ・・・」
呆れを通り越して薄気味悪そうな顔をするエースに、ゾロは後ろ頭をポリポリ掻いた。
ふと目を転じれば、サンジもどこか所在なさ気に頬をポリポリ掻いている。
「まあなんだ、こいついつまでいるんだ。今日中に結論出さなきゃならないことでもねえだろ」
エースに向かってそう言えば、そのまま通訳して伝える。
言い合いは言葉が通じなくてもわかるが、事務的なことは伝えづらい。
「日本の親戚んとこで法事を終えた後、観光して帰る日程で2週間の休暇予定だったらしい。それが、親戚インフルエンザ全滅で・・・寂しいよね」
同情気味のエースに、ゾロはふむと頷いた。
「それでホテル住まいだよな、そりゃあ金も掛かるだろう。どうだ、俺んち来ないか?」
「はあ?」
サンジより先に、エースの方が仰天した。

「なに言いだしてくれてんのゾロ」
「なんでお前が驚く」
「いや、普通驚くだろ。初対面の、しかも言葉も通じない異国の子をなんだって家に呼ぶの」
エースの言うことのが正論のはずなのに、ゾロはさも心外そうに目を瞠った。
「なに言ってやがんだ。右も左もわからない、言葉も通じねえ日本に一人で取り残されてよ。ホテルは快適だっつったって金かかるだろうが、それになによりつまんねえだろせっかくはるばる来てんのに。これもなにかの縁だから、うちに泊まって俺が休みの日にどっか観光連れてってやるよ」
な?と最後はサンジに向かって言えば、意味も分からないはずなのに条件反射かうんうんと頷き返した。
「よし決まった。善は急げだ」
資料をまとめながら立ち上がり、ジェスチャーでサンジにも立ち上がるよう促した。
「これから、あんたが泊まってるホテルに一緒に行くからそこ引き払ってついて来い」
「&◆☆▼□%?」
「ああ、構わねえよ。ただし汚えぞ」
「だから勝手に会話するなっての」
間に入るはずが、すっかり仲間外れにされたようでエースはふくれっ面をした。
「まったく、前から破天荒だと思っちゃあいたが、ほんとにめちゃくちゃだねゾロ」
「いまさらなに言ってやがる」
「つくづく呆れたんだよ。せいぜい、未成年略取と間違われないように気を付けるんだね」
サンジに向かって気遣わしげに話し掛けると、そんなエースにあっけらかんと笑顔を返す。
「なんかわかんないけど、受けて立つって」
「いい覚悟だ」
「なんなんだよあんたら」
資料の返却をエースに任せ、ゾロはサンジを連れて意気揚々とオフィスを出た。





サンジが宿泊している、待ち合わせに使ったホテルへととんぼ返りする。
道中であまりにも衆目を集めすぎたため、今回はタクシーで直行だ。
交通費くらい経費で出るだろう。
話が通じているのかいないのか、ラウンジで待っている間にサンジは手早くチェックアウトを済ませて戻ってきた。
両手で押し転がしてきたスーツケースを勝手に横取りし、先だってフロアを横切る。
相手に斟酌せず思うままに行動するゾロに、さすがのサンジも呆れているのだろう。
けれど、迷いのない足運びは逆に頼もしく思えたか、黙って後からついてくる。
タクシーを飛ばしてマンションに向かう途中、ゾロが指示して寄り道した。
向かった先はスーパーだ。

「接待費が出るかどうかわかるまで、客扱いはしねえぞ」
そんな憎まれ口を叩きながら店内に入ると、サンジは目を輝かせてきょろきょろと見まわした。
野菜を手に取り珍しげに眺め、パックものや惣菜にいちいち大げさなアクションで驚きをあらわにしている。
早速カゴを持って、あれやこれやと吟味しながら入れ出した。
その様子を、ゾロは驚きと共にどこか懐かしく受け止めていた。
―――こいつは、一体どこまで“サンジ”なんだ。

ゾロの夢の中のサンジは、腕のいい料理人だった。
食にこだわりを持ち、一流の料理人としてのプライドと情熱でゾロの腹と心を満たしてくれていた。
CMの中でのサンジェルはあくまで天使であって、その姿も見えないしものも動かせないから笑顔で迎え入れることしかできない。
けれどゾロの中の設定には、料理が得意な項目はちゃんとある。
現実のサンジがヘビースモーカーであったことと同じように、ゾロ自身が驚かざるを得ない共通項だ。
「□◎▼ω〒Д?」
流れに沿ってレジに並び、サンジがゾロを振り仰いだ。
財布を見せて、これで足りるかと聞いているようだ。
「ああいいいい、俺が出す」
そん代わり、俺の飯をお前が作れよ。
そう言うと、サンジは意味も分からないだろうに嬉しそうにこっくりと頷いた。


ゾロのマンションに着くと、サンジは早速キッチンの中をあれこれと覗き、なにごとか喚いたり唸ったり嘆いたりした。
それから冷蔵庫の中を見て何事か呟き、うんと一つ頷いて閉める。
買ってきた食材をテーブルで整理して、ゾロがろくに使わない調理器具をざっと洗い早速料理に取り掛かった。
その間、ゾロは部屋の中を適当に掃除し、風呂を沸かしてベッドのシーツを替える。
客ではないが、さすがにソファで寝ろとは言えない。
それでもなにか文句を言ったら、床に寝かせてやる。
小一時間も経たない内に、部屋の中に美味そうな匂いが漂い始めた。
サンジに後を任せてさっさと風呂に入っていたゾロは、風呂上りの一杯を飲む前にぐうと腹が鳴った。
「いい匂いだな」
腰にタオルだけ巻いて台所に行くと、サンジは振り返って嫌そうに顔を顰め軽く片足で蹴りつけてきた。
それを紙一重でかわし、逆に間合いを詰めてサンジの肩を抱いた。
そうしながら湯気の立つ手元を覗き込む。
「なんだこりゃ、シチューか?」
「◆□н※○∽」
「ああまあ、お前が作るんならなんでも美味いだろうよ」
そう言うと、サンジの方がさっと赤く染まった。
言葉が分からなくとも、なんとなくニュアンスは通じるらしい。
「腹減った」
「☆£〓▼◎」
それなら服を着て来い!と怒鳴られたようで、ゾロはおざなりに返事をして部屋着に着替えた。


「いただきます」
テーブルに向かい合い、パンと手を合わせればサンジは物珍しそうにその様子を眺めた。
それから自分も同じように手を合わせ、口の中で何事か呟いて顔を上げる。
その間に、ゾロは見目麗しく盛りつけられた料理に遠慮なく箸を付けていた。
しばし無言で食べ続ける。
ゾロは基本酒飲みで、酒さえ飲んでいたら料理は大概あと回しだ。
それが、喉の奥がひっぱるような感覚で食べる手が止まらない。
――――これだ、この味だ。
夢の中で食べた料理、という訳ではないだろう。
国も違うし味付けだって違う。
ゾロが好む料理では決してないのに、どこか懐かしく心底美味いと感嘆する味だった。

「美味い」
「…ンマイ?」
思わずこぼれた呟きに、サンジが身を乗り出して片言で真似をする。
それに、自然と浮かんだ笑顔のままゾロは頷いた。
「ああ、美味い。すげえ美味い」
「ゾロ・・・ウマイ」
サンジもつられたか、にっこりと微笑んだ。
向かい合わせのテーブルで、肘を着いて顔を突き合わせ微笑み合うこの状況には、違和感を禁じ得ない。
少なくとも、夢の中ではあり得なかった。
お互い額を突き合わせて怒鳴り合うなら日常茶飯事だったが、こんな穏やかで甘い雰囲気はついぞあり得ない。
それでいて、三日と間を空けず抱き合っていたというのに。

「――――・・・」
不意に、ゾロの頬に酔いではない朱が走ったのを自覚した。
肌の色のせいか、幸いサンジには悟られていない。
対してサンジの方が、食べ物にろくに手も付けていないのにほんのりと頬が上気している。
「まあいい・・・飲め」
フランスでは、未成年でも飲酒もOKだろうか。
どうでもいいことを考えて気を逸らしながら、ゾロはサンジにビールをぐいぐい薦め自分の中に唐突に湧いた感情を誤魔化した。




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