妄想天使  -3-



ゾロはフランス語なんてまったくわからない。
サンジも日本語はまったくわからない。
そんな状況にあって、通訳だけが孤軍奮闘していた。
しかも、二人ともに自己主張が激しく相手の言うことなど耳も貸さないで言いたいことをズバズバ言う性格なためか、一人二役ながら一方通行的な噛み合わない会話を続けている。

「CMのサンジェルがあなたに似ているのは全くの偶然です。サンジェルはすべて、ここにいるロロノア氏のアイディアで創られています」
『偶然にしては似すぎている。姿かたちに身体的特徴まであれほど同じにしておいて、しかも性格形成も似たところがあった。さきほどの女性達の反応も、それに対する自分の応対の受け取られ方にも違和感はなく、まさにサンジェルは自分自身だ。このことをどう説明する気か』
「説明も何も、偶然としか言いようがありません。あなたの出現に驚いているのはこちらの方です」
『あのCMを見て驚いたのはこちらの方だ。見知らぬ場所で勝手に自分を使われているようで不愉快だ。CMは打ち切ってもらいたい』
ここまで聞いて、ゾロはふんと片眉を上げて見せた。
「確かに、ここまでよく似ているというのは偶然にしても認めざるを得ない事実です。ですが、サンジェルは我が社にとっても大切な商品。偶然、似た人物がいたからと言って即打ち切ることは現実的ではありません」
そこまで言って、手の指を組みテーブルに着いた。
心もち、身を乗り出してサンジの顔を正面から見据える。
「あなたとサンジェルが非常によく似ていることは認めましょう。その上で、サンジェルのキャラクター使用料をあなたにお支払いするというのはいかがですか?」
通訳がそのまま訳すと、サンジの片方だけ覗く瞳がすうと眇められた。
サンジェルと同じ、光の加減によって濃淡が変化する青い瞳がぐっと色濃くなる。
『〇*◆☆□¥$…!!』
再びの剣幕に通訳は仰け反ったが、ゾロは雰囲気で何を言ったか大体分かった。
金をちらつかされたことで怒ったのだ。
この反応までサンジェルそっくりだと、認めざるを得ない。

「ご自分の肖像権を主張なさるのでしたら、それが妥当かと思われます。偶然が結ぶ縁として、改めて契約を結ばせていただけませんか」
いくら気に入らない相手とはいえ怒らせてはさすがにまずいと、とってつけたようなことを言ったが後の祭りだった。
サンジはすっくと立ち上がり、憤然とした面持ちのままどこかに歩き出そうとして足を止め、くるりと踵を返す。
――――来る
反射的にそう気づき、ゾロは腰を落として身構えた。
その瞬間、掲げた左手に電流が走った。
並みの男ならその場で吹き飛ばされたであろう衝撃に耐え、いきなり繰り出された蹴りを両足を踏ん張って受け止める。
高く上げた足をゾロの腕で阻まれ、サンジも信じられないといった風に目を瞠っていた。
目の前で突然始まった静かな格闘についていけず、通訳は着席したままあんぐりと口を開けて固まっている。

ゾロがにやりと笑いながら、サンジの脛を軽く叩きそっと足を下ろさせる。
表情は余裕ぶっているが、実は左腕がびりびりに痺れていた。
身構えていなかったら、きっと骨が折れるかヒビが入っていただろう。
若く軽やかでありながら、半端なく重い蹴りを放つ危ない男だ。
対してサンジも、ゾロの防御には驚かざるを得なかった。
まったく殺気を消して蹴りかかったつもりだったのに。
しかも避けずに受け止めて、倒れない男なんて初めてだ。

「えーとあの、落ち着いてください…」
二人とも静かに見つめ合っているだけなのに、通訳は一人でバタバタと慌てながら間に割って入った。
動き自体は静かだったため、人けの少ないラウンジでも「乱闘」と気付かれてはいない。

「ずいぶんいい蹴りしてやがるじゃねえか、まだ腕が痺れてやがる」
ゾロがそう言いながら左手を振ると、サンジもポケットに手を突っ込んでにやんと笑い返した。
『■∴◎〜z#▼&○』
多分、「あんたもやるな」くらいは言ってるんじゃないだろうか。

サンジはポケットから煙草を取り出して口に咥えようとして、手を止めた。
おそらくは無意識の動作で、禁煙であることを思い出したのだろう。
少しばつの悪そうな表情をするのに、ゾロが手を掲げて提案する。
「あんた、これから俺と一緒にうちの事務所来ないか?口で説明して立ってラチが明かねえから、資料見せる」
通訳が伝えると、サンジは考えるように首を傾げた。
「行こうかなと言ってます」
「なら善は急げだ。あ、あんたもういいぞ」
いきなりそう言われ、通訳は目を白黒させた。
「もういいって、でもあなた方はまったく話せないでしょう?」
「これ以上喋ったってしょうがねえだろ。とにかくこいつ会社連れてくから、お疲れさんでした」
世話になったなありがとうと一方的に礼を言って、ゾロは伝票だけ掴んで席を立つ。
言葉は通じていないはずなのに、サンジも当たり前みたいにその後についていった。



道すがら、サンジはポケットに手を入れて煙草を取り出した。
横目で見咎め、ゾロはサンジの肘に手を当てて動きを止めさせる。
「歩き煙草は禁止されてる」
『〇%▼@◇?』
「煙草はダメ、バツ」
ゾロは身振り手振りで「ダメ」と伝えた。
通じたらしく、サンジは不満そうに眉を顰めながら煙草をポケットに戻す。
「しょうがねえな、ホテルでも全然吸えなかったもんな」
ヘビースモーカーなサンジだったら、我慢の限界だろう。
ゾロはそう判断し、駅構内の喫煙所に連れて行ってやった。
ピクトグラムを見てここではいいのかと判断し、サンジは早速いそいそと煙草を取り出し美味そうに吹かす。
「あんた、まだ未成年じゃねえのか?」
ゾロがそう呟けば、意味がわからないのか軽く小首を傾げて見せた。
そうした仕種はどこか幼くて、先ほど通訳の前で斜に構えて見せていた気取った横顔とは、また違った印象を与える。
「まあ、フランスだと未成年とか関係ねえか」
ゾロは独り言を呟きながら、サンジが煙草を吸いきるのをゆっくり待っていてやった。

灰皿に吸殻を揉み消したのを合図のように、喫煙室から出てそのまま電車に乗った。
ホテルから駅までの道のりでも時折振り返る人がいたのに、こうしてゆっくり電車に揺られていると車内での注目度は半端ない。
あちこちでヒソヒソと囁き合う声が聞こえ、写メを撮ることまでは至らないが、スマホを取り出してなにごとか呟いているであろう動きは容易に見て取れた。
恐らく「生サンジェル発見」と言ったところだろう。
「・・・まいったな」
つり革に掴まってそう呟くと、さほど変わらない位置にあるサンジの目線がついっとゾロの顔に注がれた。
臆することなく真っ直ぐに見つめる瞳の色を、懐かしいと感じる。
遠い昔か、それとも夢の話か。
こうして間近でこの色を覗き込んでいたなと、感慨に耽りそうになって慌てて首を振った。
「似てるんだ、仕方ない」
日本語が通じるはずもないのにそう囁けば、サンジはわかっているとでも言いたげに小さく頷いて視線を逸らした。
流れる景色に目をやる横顔は、やはりゾロの中のサンジとまったく同じだった。



ジュラキュール.copの玄関、吹き抜けのエントランスをサンジを連れて歩くと、さらに無遠慮な視線が四方八方から集まった。
誰もが足を止め、或いはフロアから身を乗り出して覗き込んでくる。
「あれ、もしかしてサンジェル?」
「え、本物がいたの?」
関係者までなに言ってんだと腹立たしく思いながらも、ゾロは物言いたげな視線を無視してまっすぐエレベーターに乗り込んだ。
入れ替わりに降りる人が「え?」と声を出して二度見する。
サンジは物珍しそうに視線だけキョロキョロと彷徨わせ、女性と目が合うと微笑みかけたり時に手を振ったりして愛想よくしていた。
それでいて、ゾロから遅れないように早足でついてくる。

ゾロは広報課には戻らず、企画情報課に顔を出した。
応接用スペースの衝立から顔を出したエースが、ゾロを見てむむむと眉を寄せる。
「なに、ほんとにもう帰って来ちゃったの?つまんな・・・」
皆まで言わず、目と口をパカンと開いてそのまま弾かれたように立ち上がった。
「でかしたゾロ!サンジェルちゃんご降臨っ」
「ばか、声がでけえ」
ゾロが制する間もなく、フロア全体に静かなどよめきが広がる。
「え、あれ本物のサンジェル?」
「サンジェル、モデルがいたんだ」
「わーすごいっ、本物」
さんざめく黄色い声を掻き分けるように、ゾロは乱暴にフロアを突っ切って応接用の椅子にサンジを座らせた。
「俺は資料取ってくるから、しばらく相手しててくれ」
「了解、もちろん喜んで」
諸手を挙げて歓迎するエースに後を任せ、資料を取りに広報課へと向かった。


「課長、聞きましたよ。サンジェルが来たんですって?」
「サンジェルにモデルいないって言ってたじゃないですか」
他の部署からも人が出てきてゾロを引き止める。
それらをうるさそうに手で追い払い、ゾロは資料を掻き集めて引き出しからUSBを取った。
「うるせえな、モデルなんていねえよ」
「だって、あれ本物そっくりですよ」
「海外のレイヤーさんでしょ」
「あの、動画で売り込んで来た人ですよね」
「えーそんなの違うって。遠目に見てもそっくりでサンジェルそのもの!」
「遠目だからそう思うんじゃない?」
ゾロそっちのけであれこれと言い合う同僚を放って置いて、そのまま企画情報課に引き返す。
戻ってみれば、サンジは椅子にちんまりと座り周囲を物見高い女子社員で囲まれていた。

「素敵、本当に眉毛巻いてるんですね」
「ロロノア課長のお知り合いじゃないんですか?」
「フランスのどちらから?私、年に1回はヨーロッパに旅行するんですよ」
目に見えてチヤホヤされてすっかり鼻の下を伸ばしているかと思いきや、あまりの歓迎振りに却って臆したかサンジはきちんと揃えた膝の上に手を置いて身体を縮こませていた。
それでいて愛想よく、右に左に首を振ってはわからない言葉なりに笑顔を返している。
「こらこらみんな、お客さんを困らせちゃダメだよ。持ち場に戻りなさい」
自らコーヒーを煎れたエースが盆にカップを乗せて戻って来て、それを潮に女子社員たちは名残惜しそうにサンジから離れる。
入れ替わりに戻ったゾロの顔を見て、サンジはどこかほっとしたような表情を浮かべた。
「んで、オファーの話してくれたの?」
「いや」
ゾロの前にもコーヒーを置いて、エースは非難がましい目付きで見返した。
「なに、通訳の人も同行したでしょ」
「もう帰ってもらった。いくら通訳してもらったって、お互い言い合うばっかりだったしよ」
具体的な話は何もしていないと言うと、エースはサンジに向き直りなにやら宇宙語を話し始める。
「なんだ、お前話せるのか」
「・・・ちょっとだけね、相当怪しいんだけど」
エースの言葉に真剣に耳を傾け、それからサンジも宇宙語で返した。
ゾロにはペレッペレッポ、ポロリヤ〜ンとしか、聞こえない。
それでも、二人は随分と友好的な会話が弾んでいることはわかった。
「なんだ、お前相手だと随分大人しいじゃねえか」
「え?なにそれヤキモチ」
おどけて応えるエースに、ゾロは大げさに顔を顰めてサンジを指差す。
「こいつ、俺に蹴りかかってきたんだぜ。しかも生半可な受け方したら絶対大怪我するような強烈なの」
「マジで?」
なにやら問い掛けると、サンジはそれなりに殊勝そうな表情で頷いた。
それからぺこりと、ゾロに頭を下げて見せる。
「ついカッとなってごめんなさいって。素直ないい子じゃないか、どうせゾロがムカつくようなこと言ったんだろ」
「だから言葉通じねえっての」
エースの前では随分と大人しいサンジの様子に、ゾロはなんだか面白くない。




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