妄想天使  -2-



「・・・マジかよ」
ゾロの呟きを聞きつけたか、後ろを通り過ぎようとした同僚が足を止めた。
「お」と呟いてブラウザを覗き込む。
「へえ、よく似てるなあ。海外のレイヤーさん?」
「そう、かもな」
ゾロは腕組みをして、遠目から画面を見やった。

そこには、サンジェルそっくりの金髪痩身の男が睨み付けるようなきつい眼差しで映っていた。
年の頃は10代から20代に差し掛かったところか。
混じり気のない金髪は前髪が長く、片方の目を覆い隠している。
白い顔に、顎だけちょろ髭。
片手を上着のポケットに入れ、もう片方の手は口元で煙草を挟んでいた。
まさに、ゾロが知っている「サンジ」そのものの佇まいだ。

「けど惜しいねえ、なんで煙草なんて咥えてんだろ」
同僚はそう言ってそのまま立ち去ったが、このことこそゾロを驚かせたポイントでもある。
ゾロの夢の中に出てきた「サンジ」はかなりのヘビースモーカーで、煙草を手放したことがまずない。
けれど、“サンジェル”の企画が通った時に煙草のアイテムは却下された。
禁煙が声高に叫ばれ喫煙者が冷遇される世の中、キャラクターに煙草を持たせる必要性はどこにもないのだ。
ゾロも敢えてごり押しをせず、サンジェル像は完成した。
けれどまさか、そんなサンジェルのコスプレ?をしているはずの人物が、誰にも知られていないゾロの脳内設定を見越しているとは。

―――偶然だろう。
メールの文面を見て、最後の署名が“Sanji”となっているのも、きっとご愛嬌だ。
公式発表では「サンジェル」だが、それを日本風にもじって「サンジ」と名乗っているのだろう。
まあ、ここまで外見が似ているなら、真似したくなる気持ちもわからないでもない。
それにしても―――

「うまく化けたもんだ・・・」
口に出して呟き、ううんと唸る。
画像を拡大してみれば見るほど、どう見ても「サンジ」だった。
片方だけ覗く瞳の上、眉尻がくるりと巻いているのまでリアルに再現されている。
世間で知られる“サンジェル”なら、どうせなら純白の羽根でもつけて天使になりきればいいものを、なぜか黒いスーツを着込み斜に構えてこちらを睨み付ける姿は、“サンジェル”と言うよりゾロの記憶の中の“サンジ”そのものだ。

「世の中にゃ、色んな人がいるもんだな」
一人ごちて、ゾロは生真面目且つ丁寧な返事を打ち始めた。


とりあえず事務的にサンジェル創作の過程を説明し、CMに対する過度とも思える愛着にも大人の対応で礼を述べ、感謝と共に締めくくる。
それらをフランス語に堪能なスタッフに頼み、翻訳してメール送信してもらった。
これで、この件は終了だ。
ゾロが抱える作品は「寝る前茶漬け」だけではないし、多忙な事務処理の中の、ほんのささいなハプニングに過ぎない。
が、翌日また、件の“サンジ”からメールが入った。





「サンジェル、おかんむりだぞ」
「なんでだよ」
情報企画課の友人、エースが直々に足を運んでやってきて、ゾロはうんざりとした顔で仰向いた。
「なにが不満だってんだ」
それに、愛嬌のある雀斑面が大袈裟にしかめっ面を返した。
「お前が、偽物だって頭から決め付けるような返事書いたからだろ」
「偽物だろうが、明らかに!」
憤然と言い返し、ああもうと頭を掻き毟る。
こっちは新作の準備で忙しいのだ。
海外オタクにかかずらっている暇はない。

「まあまあ、今度は動画が添付されてっからみんなで一緒に見ようぜ」
「・・・お前、完全に楽しんでるだろ」
ゾロとエースのやり取りに、他のスタッフ達も興味を覚えて近寄ってきた。
なんだなんだと、あっという間にゾロのデスク周りに人垣ができる。
「フランスのサンジェルちゃんがご降臨だぜ、これがまたよくできてんだって」
クリック一つで動画が始まった。
誰かが撮っているらしく、あのサンジェルもどきは嫌がってなかなか顔を見せない。
ようやく顔を見せたと思ったら、フランス語でなにやら早口にまくし立て始めた。
ゾロにはさっぱりだが、フランス語を聞きかじっているスタッフが腹を抱えて笑っている。

「見事なまでの罵詈雑言だな、このサンジェルめっちゃ口悪いぞ」
「なんて言ってんだ」
「とにかく、俺の偽物作って勝手にCMなんか作成するなって文句言ってる」
「文句言いたいのはこっちの方だ、いちゃもんつけんなって言い返せ」
動画の中で、サンジェルもどきは赤い顔をして一頻り喚いたあと、ふんと顔を背けてどこかに歩き去ってしまった。
その後ろ姿までカメラはバッチリ撮っているが、スタイルがいいのに少し猫背気味の歩き方まで、ゾロの記憶の中のサンジそっくりだ。

「それにしても、この子モデルでもしてんのかね。スタイルいいなあ」
「サンジェルを真似なくったって、素のままで充分いけてんのにね」
ギャラリーは好き勝手なことを言って、面白がっている。
ゾロは椅子に座ったままふんぞり返って、エースを振り仰いだ。
「で、俺にどうしろってんだ。また返事書けっつったって、同じことしか書けねえぞ」
「いやーこの動画を部長に見せたらさ、えらい気に入っちゃって。いっそのこと本人にオファーできないかって・・・」
「ふざけんなっ」
ゾロは仰向いたまま腹筋だけで恫喝した。
それでもたいした迫力で、周囲を取り囲んでいたスタッフがびびくんと震えている。
「そんなカッカしなくても、メールよく読んでみ。動画を撮ったのは友人で、元はと言えばネットでサンジェル見つけた友人達がこの子に知らせてくれたんだってよ」
「…で?」
「つまり、自薦じゃなく他薦」
「関係あるか!」
ここがオフィスでなければ、テーブルをひっくり返したいところだ。
だが、ゾロと付き合いの長いエースはビビらない。

「例え思い込みのなりきりっ子だろうが、ここまで似てたらむしろすげえぜ。偶然ならなおさら儲けもん」
「なにがだ」
「や、この子来週日本に来るって。なんでもひいおばあちゃんが日本人とかで、50周忌の法要が…」
「フランス人に法要が関係あるか!」
机を叩くゾロを、エースはニヤニヤしながら見下ろした。
「それが、サンジェル人気で日本の遠い親戚からお呼びがかかったんだってよ。そう言えば遠い親戚に似た子いるなあって。つまり、来日するわけ」
「―――…」
「せっかくの機会だから、直接会って説明した方が早いじゃん。サンジェルはゾロの1アイデアから生まれましたって」
「なんで俺が…」
「総括責任者」
そう言われては、返す言葉もない。

腕を組んで憮然としたゾロの肩を、エースは軽く叩く。
「来日の交通費とか掛かる訳じゃないから、気楽に会ってみてよ。ランチ代くらい接待で落ちるから」
「てめえ、面白がってやがるな」
「仕事に楽しみ見出だすのが、長く続けるコツでっしょ」
んじゃあとはよろしくと、エースはスキップでもしそうな足取りでフロアを出て行った。
それを潮に取り囲んでいた同僚達もそれぞれの持ち場に戻ったが、いずれも興味深そうな目でチロチロとゾロを盗み見ている。
口元が笑っているから、みな明らかに楽しんでいるのがモロバレだ。

「ふん」
ゾロは仏頂面のまま、もう一度動画を再生させた。
先ほどと同じように、どこから見てもサンジェルそのものの男が、煙草を片手になにやらまくし立て、不機嫌そうに顔を背ける。
襟足で短く揃えられた金色の毛先まで、ゾロの頭の中にあるサンジそのものだった。





ゾロが預かり知らぬ内にとんとん拍子に話は進み、水曜日にホテルのラウンジで会う段取りまでできてしまった。
ゾロは当然フランス語などできないから、通訳が同行する。
あちらは親戚も一緒に来るはずだったが、急遽インフルエンザにかかったとかで、結局“サンジェル”だけが来ることになった。
「日本くんだりまで来て、インフルエンザかよ」
「いや、かかったのは日本の親戚の方。一家全滅だってよ、だからサンジェルは隔離の意味でここのホテルに一人で滞在してるって」
なんかこう気の毒だよなーと、今回の会合をセッティングしたエースから報告を受けた。
「俺も立ち会いたいんだけどどうしても外せない会議あってさ、終了次第行くから」
「来なくていい」
「なに?ヤル気満々じゃん」
「違う、とっとと終わらせる」
不機嫌な面持ちのまま立ち上がり、上着を羽織るゾロをエースは椅子に凭れたままふ〜んと意味ありげに見上げた。
「なんだ」
「いや、サンジェルちゃんが現われてからずっと不機嫌だなと思って」
「・・・この面は前からだ」
「いんや、明らかに機嫌悪いよね。愛しい愛しいサンジェルちゃんの偽者が現われて、ムカついてんだろ」
「・・・なにを」
はっと笑い飛ばそうとして、エースの目が笑っていないことに気付く。
「ゾロは余計なことも大事なこともなーんも言わないけどさ、こっちだって長い付き合いなんだからある程度わかるよ。ゾロにとってサンジェルちゃんは、大切な存在だろ」
「―――・・・」
サンジェルというキャラクターはあくまで架空のもので、それも単なる思い付きだと皆に言ってきた。
まさか20年近く毎晩夢で逢っているなど、口が裂けたって他人には言えない。
異常者扱いされるのがオチだ。
「そうだな、大切だ」
ゾロが素直に頷いたので、エースは「お?」と目を輝かせる。
「大事なおまんまの種だ、だからこそ著作権は大事にしなきゃならん」
そこ・・・とガクンと首を下げたエースを置いて、ゾロはさっさとオフィスを出た。

通訳に連れられ、待ち合わせのホテルに向かう。
本当は通訳云々より、ただ単にゾロ一人ではホテルに辿り着けないのではないかと危惧したエースの計らいだなんて、ゾロ当人が知るはずもない。

平日の昼過ぎと言う時間帯でホテルのラウンジはさほど混んではいなかった。
が、なぜか一角に人だかりができてきゃあきゃあと黄色い声で包まれている。
「・・・あれか」
探さずともすぐわかり、ゾロはげんなりと肩を落とした。
女性達に囲まれて、調子に乗ってポーズをつけて写メに納まっているのは、あの動画の“サンジ”本人に相違なかった。



『こんにちは、大変遅くなりました』
通訳のフランス語にはっとして顔を挙げ、それからゾロにも向き直りぎこちない動きで頭を下げる。
『初めまして、サンジです』
日本語は話せないようだが、日本式の挨拶はちゃんと知っているらしい。
頭を下げた時金色に渦巻く旋毛を目にして、ゾロは感動すら覚えた。
なにからなにまで、全てにおいて。
夢で逢うサンジと寸分違わぬ男が、今目の前にいる。
『こちらは、ジェラキュール・copの広報課長、広告プランナーでもあるロロノア・ゾロ氏です』
通訳に紹介され、ゾロは改めて自分の名刺を差し出した。
フランス人相手に名刺もクソもないだろうと思いつつ、受け取ったサンジも珍しそうに名刺をひっくり返して、ためつすがめつしている。
「失礼、こちらよろしいですか?」
通訳がサンジを取り囲んでいた女性達に声をかけるのに、ゾロははっとして我に返った。
「ああ、こちらへどうぞ。すみませんが」
名残惜しげに見送る女性達を振り返り、サンジはおどけた仕種で手を振り返している。
それがまたサンジェルの仕種そっくりで、控え目な歓声があちこちから聞こえた。

「困りますな」
ゾロは苦りきった顔で、サンジを振り返った。
「当社のCMキャラクターであるサンジェルの真似事など、していただいては」
通訳がそっくりそのまま伝えたので、サンジの眉がぎゅっと顰められた。
至近距離で見ても、間違いなく眉尻が巻いている。
これはメイクなんかじゃない。

つい、まじまじと見てしまったゾロの視線の先で、サンジが口を開いた。
「@□★◇◎▽・・・!!」
ゾロにはなにがなにやらさっぱりな宇宙語を捲くし立て始めた。
通訳は両手で遮るようにして、たじろいでいる。
『待ってください、もっとゆっくり、もっと』
そう言いながら、非難めいた顔でゾロを振り返った。
「ロロノアさんも、最初から喧嘩腰にならないでくださいよ。とにかく落ち着いて座りましょう」
なぜか、通訳に場を仕切られる形になってしまった。



next