めざまし時計
-9-



大型家具店で目的の布団を買って、家路に着いた。
ゾロが持つと言ってくれたが、これは俺のだからと言い張ってサンジが担いで歩いた。
まわりまわって家具店はゾロの家から徒歩の距離だったが、ゾロは来た道順の通りに電車に乗ろうとしたので阻止する。
やはり、目が離せない。
「夕飯はなにする?」
「そういや、冷蔵庫が空っぽだったな」
「やっぱ鍋すっか。いったん布団を家に置いておいて、買い出し行こうぜ」
「ああ、酒が切れてる」
サンジから見れば酒量が過ぎるんじゃないかと心配になるが、どれだけ飲んでもケロッとしているし翌日二日酔いになっている風でもない。
体質なのだろう。
「でも、やっぱ飲みすぎは体に良くないぞ」
「これでも、お前が来てから飲む量は減ってる。その分、食ってるからな」
ゾロの言葉が嬉しくて、サンジは布団を担いだままへへっと笑った。



明日は、ゾロは休みだがサンジは仕事だ。
しかも思い出のバラティエで、懐かしいパティの下で働けると思うと心が弾んだ。
思わぬ巡りあわせだが、それもこれもゾロと出会ったお陰だ。
ゾロには返しきれないほどの恩があるのに、なにもできない自分が歯がゆい。
せめて身の回りのことには気を付けてやって、身体にいい料理を食べさせて、ちゃんと目覚まし時計の役をこなすくらいだ。
部屋の中を掃除して、ゾロのベッドの横に自分の布団を敷いた。
真新しいシーツも、低めの枕も全部サンジのためのものだ。
サンジがせっせと寝床を作っている間に、ゾロは夕食の準備をしてくれていた。
剣道の合宿やなんやで、一通りの炊事はできるらしい。
だが一人暮らしが長かったため、自宅で鍋の用意をすることなどなかった。
「適当に切りゃ、いいんだよな」
「うん、食べやすい大きさに切って、あとはぶっこんで煮てハフハフ食べようぜ」
サンジは料理をするのも好きだし、唯一の得意分野だとも言える。
だが、基礎を習ったわけではない。
バラティエでは調理する過程をつぶさに観察できたが、習得までには至らなかった。
たらい回しにされた親せき宅ではおさんどんに徹したが、従弟たちの偏食が激しくて栄養面での気遣いは無駄に終わった。
今切実に、料理を習いたいと思う。
ゾロのために。

「飲んで食ったら、早めに休め。明日は早いのか」
「あ、うん。そうでもねえ、8時に駅集合だ」
二人で鍋をつつきながら、はふはふ食べる。
自分のスマホでパティに連絡したら、すぐ返事が来た。
パティ達は駅チカのビジネスホテルで連泊しているらしい。
「朝飯…というか、昼飯でもいいようになんか作って用意しとくから」
「いい、俺はどうせいつまで寝てるかわからんから放っておけ。それより、しっかり働いて来いよ」
「おう!」
ゾロに励まされ、また働けるんだとワクワクした。
しかも、あのデパートでパティ達と一緒に、ゼフが手掛けた店の姉妹店として関われるなんて嬉しくてたまらない。
「恩のあるじいさんの話も、聞ければいいな」
「うん」
話しているだけで胸がいっぱいになって、サンジは鍋から立ち上る湯気に隠れるようにして鼻を啜った。


その夜もやっぱりゾロは、コンマ0.5秒で眠りに就いた。
サンジはといえば、たくさん歩いて思いがけないことに遭遇して身体は疲れているはずなのに、頭が冴えてなかなか寝付けない。
しかも、ふかふかの布団の上に手足を大の字に伸ばして寝ているのだ。
自分の寝床だ。
こんな幸せな夜が、あるだろうか。
――――気持ちいい、あったかい。布団、すげえ。
しかも、規則正しいゾロの寝息が聞こえる。
それだけで、何とも言えない安心感に包まれた。
何度かごろごろと寝返りを打ち、柔らかな毛布の感触に埋もれながらいつの間にか眠りに落ちていた。





日曜日のデパ地下は、予想通りの大混雑だった。
パティと落ち合い、昔と同じようにむさくるしいおっさん揃いのスタッフに簡単に紹介された後、すぐさま販売を担当した。
やり方はマネキンのお姉さんが教えてくれ、自らも黒いギャルソンエプロンを身に着けてコーナーに立つ。
客を呼び込まずとも開店と同時に列ができたから、販売に専念した。
バイトは経験済みなので、サンジも接客には自信がある。
が、年配の女性客の売り物の中身を尋ねられた時は一瞬躊躇してしまった。
「これは、食べたら硬いのかしら。サクサクしたのがいいのだけれど」
個別包装されたクッキーを手にして、思案顔だ。
見た目にさほど堅そうではなかったが、食べてみてサクサクしているかどうかはわからない。
手で触って確認するのも憚られる。
答えに窮していると、頭上からパティの声が降ってきた。
「ああ、そりゃあダックワーズなんでどっちかってえとモチッとしてやす。サクサクならこちらのクッキーを、こっちは口に入れるとホロホロします」
「あらそう、じゃあこちらは?」
「それは、パリパリですね」
パティの説明に、サンジは一生懸命脳内でメモした。
こっちはサクサク、これはホロホロ。
一度情報を入れてしまえばこちらのものだ。
他のスタッフの答えなどにも耳を澄ませ、足りない情報を補填していく。

昼時になると、いったん混み具合が緩和された。
今のうちに交代で昼休憩に入れと、支持が飛ぶ。
サンジは一番最後に、パティとともに休憩に入った。
「弁当買ってある、そこで食え」
「いただきます」
バックヤードでミカン箱の上に腰を下ろし、もそもそと弁当を頬張った。
サンジにとっては、どれもご馳走だ。
「それと、これも食え」
パティが差し出したのは、売り物のクッキーだった。
全種類が小さな籠に入っている。
「え、いいの?」
「味を知らねえと答えられねえだろ」
サンジは受け取って、うっとりと菓子を眺めた。
「こんなに綺麗に包装してあるのに、俺が食ったら勿体ねえ」
「ケチ臭いこと言ってんじゃねえよ。これも勉強だ」
そう言われて、ありがたく封を切った。

先ほどのご婦人が手にしていた、ダックワーズとやらを口に運ぶ。
噛み締めると、ふわっと優しい甘さが口内に広がった。
「―――――!」
「どうだ、美味ぇだろ」
にやりと笑うパティの顔はどう見ても悪人顔なのだが、それをからかうこともできないくらい衝撃を受けた。
美味い。
本当に美味い。

味わって噛み締めている間に、サンジはなぜか胸が熱くなった。
自分も見よう見まねで菓子を作ったり焼いたりしてきたけれど、そんな素人細工とは全然違う。
やっぱりプロは全然違う。
「どうした?」
パティが顔を覗き込む。
首を傾けて避け、サンジは俯いた。
「うるせえ、美味ぇんだよ」
「なんだ、シケた面して」
「どうしたチビナス」
「チビナス言うな!」
反射的に言い返してから、「え?」と顔を上げる。
パティの後ろに、ゼフの姿があった。

「…え?!」
「あ、オーナー。もう着きやしたか」
サンジは驚きすぎて声も出なかった。
忘れようもない、厳しくも温かいゼフの面影がそのまま残っている。
「ジジイ?!」
「ったく、なにベソ掻いてやがる」
「ベソなんか搔いてねえ!」
サンジはそう怒鳴って、袖口で目元を拭った。
「随分とでかくなったもんだ」
「ジジイこそ…」
思い出の中そのままに、いかつくてでかい。
「元気そうで、よかった」
サンジはそう言って、ぺこりと頭を下げた。
「バイトで雇ってくれて、ありがとうございます」
「おう、一丁前に挨拶はできるようになったか」
からかうパティも睨むだけで、言い返せない。
「店はカルネに任せてある。明日は定休日だから今夜はこっちに泊まる」
「オーナーが来てくれるのは今夜だけだから、皆で一緒に飯食いましょうや。サンジ、お前も来いよ」
「え、俺もいいの?」
「当たり前だろう、スタッフだろうが」
そう言われて嬉しかったが、ちょっと戸惑った。
「あ、でもゾロに断り入れとかないと」
「ゾロ…」
しかめっ面するパティの隣で、ゼフも剣呑に目を眇める。
「お前、今までどうしてたんだ」
「うん、いろいろあったけど今はいい人に拾ってもらったんだ」
「はあ?」
「すげえ世話になってる。だから一応、今夜夕食作れないこと連絡しとかないと」
サンジはそう言って、スマホを使うためにいそいそと場を離れた。
パティとゼフは顔を見合わせ、頷き合う。
「どういうことか、説明してもらおうか」
「へえ、今夜きっちり聞き出さないと、心配で仕方ねえでやす」
二人胸中など知らず、サンジはゾロにLINEを入れた。




「起きてる?」
『起きた』
「今かよ。今日、世話になったジジイが店に来てるんだ。今晩泊まってくって夕食誘われてんだけど、行っていいかな?」
『ああ、ゆっくりして来い。よろしく言っといてくれ』
「了解」

サンジは踵を返し、ゼフにもとに戻る。
「ゾロいいって。さって、仕事がんばるぞ」
張り切って持ち場に戻るサンジを、ゼフは苦虫でも嚙み潰したような表情で見守っていた。







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