めざまし時計
-12-



不覚にも、マナーモードにしておいたスマホの振動で目が覚めた。
寝過ごした時用に、念のためセットしておいた目覚ましが功を奏したようだ。
もそっと顔を上げると、胸元が重くて寝返りが打てない。
若草色の髪が目に飛び込んできて、「ああ」と昨夜の記憶が蘇った。
そう言えば、ゾロのベッドで一緒に寝たんだった。
思い出すと一気に体温が上がって、顔が赤くなるのが自分でもわかった。

半分寝惚けていたとはいえ、なんて大胆なことをしたんだろう。
寝かしつけるとか、よくわからない理由を付けてゾロに添い寝するなんて。
ゾロのトラウマに付け入ったようで、後ろめたさが先に立つ。
でもゾロは今、自分の腕の中ですやすやと眠っていた。
サンジに背を向けてベッドの端で、もしくはベッドを明け渡して床で寝ていたりしたら、自己嫌悪に陥るところだった。
けれど昨夜と同じような格好で、ゾロは自分の背に腕を回してぐっすりと寝入っている。
そのことが、単純に嬉しい。

サンジは独りで赤くなったり青くなったりしながらも、最終的にはにへらと相好を崩してゾロのツンツン尖った髪を撫でた。
ずっとこうしていたけれど、そんな訳にはいかない。
ゾロも自分も、仕事がある。
名残惜しいものの、するりと身体をずらしてゾロの腕から抜け出した。
改めて掛布団を肩まで掛け直してやり、上からポンポンと叩く。
自分よりずっと年上で大人びたゾロなのに、幼子のように可愛く思えた。



朝食の支度を済ませ、改めて起こしにかかる。
照れ臭さが先になって軽くゆすってみたり耳元で囁いたりしたが、ゾロの安らかな寝顔に変化はない。
いい加減じれて、結局また踵を落としてしまった。
「起きろ!」
こめかみに減り込む寸前で、ゾロがさっと頭を引く。
勘だけは実に良い。
そうして、「あ?」と間抜けた声を出しへこんだ枕を押しのけて目を擦った。
「もう、朝か」
「おはよう」
生欠伸をするゾロの目は、赤かった。
いつにも増して、寝不足感が半端ない。

「昨夜…ってか、あれから眠れなかったか?」
サンジが聞くと、いやまあとゾロは言葉を濁す。
「まあ、寝れた」
「寝たの、明け方だろ」
「まあな」
ふわあと欠伸をしてから、ゾロはベッドから降りて洗面所に向かった。
味噌汁をよそいながら、サンジががっくりと肩を落とす。

「どうした」
ゾロは味噌汁を啜りながら、しょげた様子のサンジに声をかけた。
「や、俺は役立たずだなとつくづく」
「そんなことねえだろ」
驚いたゾロに、力なく首を振る。
「俺が添い寝したぐらいでゾロが眠れる訳、ないよな。むしろ狭くて寝辛かったよな」
「…あ―――」
ゾロは視線を斜め上辺りにさ迷わせ、味噌汁椀を置いた。
「寝苦しいから眠れなかった訳じゃねえぞ」
「でも…」
「むしろ、抱き枕としては最適」
「ほんと?」
サンジがぱっと顔を明るくすると、反射的にゾロの眉間に皺が寄った。
「だがな」
「うん」
「やはり、寝れねえ」
きっぱり言われて、サンジはしゅんとした。
「だよな、可愛いレディならともかくこんなゴツイ野郎が横に寝て、安眠できる訳ねえんだ」
「いま、お前が言った状況の真逆なんだが」
「へ?」
ゾロがお椀を差し出してきたので、味噌汁をよそってやった。
「真逆って?」
「まあ、帰ってから説明する」
ゾロが急いで飯を掻き込むのに、サンジも慌てて食事を終えた。
ぼやぼやしていると、遅刻してしまう。




デパートの売り子は、立ち仕事で忙しいが楽しかった。
いろんなお客さんもいるし、腹の立つ対応だってある。
だが、短い間にも顔なじみのお客さんができ、他のブースのマネキンさん達とも打ち解けた。
今まで小さな事務所の使いっ走りか、完全防備で会話どころか挨拶もろくにない工場の生産ラインでしか働いたことがなかったから、新鮮な経験だ。
大げさかもしれないが、一人の人間としてちゃんと扱われている気がして嬉しい。
「たまたまお前が空いてたから手伝いに来てもらって助かったが、来週からどうすんだ」
休憩時間に、パティが今後の身の振り方を聞いてきた。
「今から次のバイト探さないとと思ってんだけど…」
「お前、誕生日に金が入るっつってたよな」
指摘されて初めて思い出した。
そういえば、ゾロがそんなことを言っていた気がする。
それこそ、今週末だ。
「あーそうだっけ」
「まとまった金があるなら、いつまでもフリーターやってないで腰を落ち着けることも考えたらどうだ」
パティが言うことも、もっともだと思う。
だが、サンジにはピンと来ない。
生活費以外に余分な金を持つという経験がないため、ゾロが提示してくれた金額を目にした時も実感が湧かなかった。
「フリーター以外に、俺に道はあんのか?」
サンジの問いに、パティは呆れたとばかりに肩を竦める。
「将来の夢っていうにはとうがたちすぎてるが、てめえだってなりたいもんはあるだろ」
「…なりたい、もの」
「好きなこととか」
「そんなの、決まってる」
サンジは考えるまでもなく、口にした。
「料理するのが好きだ。人に食ってもらえると、すごく嬉しい」
パティは、ニカッと笑った。
「だろ?だったら、それを仕事にすりゃあいい」

ぱっと、目の前が明るくなった気がした。
情けないことに、今まで考えたこともなかった。
自分が料理人になること。
料理を仕事として、生きること。
「そんなの、無理だろ」
「なんでだ」
即座に否定したサンジに、パティは不思議そうに尋ねる。
「世の中にゃ調理師専門学校ってぇ、料理を教えてくれる学校もあるんだぜ」
「学校…」
高校を卒業させてもらったのだって、十分な贅沢だった。
このうえ、技術を学ぶために学校に行くなんて罰が当たる。
「俺が、学校に?」
「今からでも遅いことはねえ。お前は十分に、若い」
「俺が―――」
急に、未来が開けた気がした。
日々をただがむしゃらに働いて、稼いだわずかな金から生活費を捻出し、あとはすべて借金の返済に充てていたサンジだ。
まとまった金を財産として持って、自分のために使うなんてこと考えたこともなかった。
ましてや、それで学費を払うなど。
「学校…」
「おい、ボチボチ行くぞ」
ぼうっとしていたら、パティに背中をどやされた。
もう休憩時間は終わりだ。
サンジは気持ちを切り替えて、気合を入れるために両手で頬を叩いた。




金曜の夜は、心なしか客の人出が多い。
閉店間際まで賑わって、売り切れのお詫びをしながらようやく一日が終わった。
残りはあと二日、土日のみだ。
「じゃあお疲れさん」
「お疲れ様でした」
別れる間際、パティがポンとサンジの肩を叩いた。
「よく、考えとけよ」
「おう」
言われるまでもなく、パティの言葉がずっとサンジの心に残っている。
早く帰って、ゾロに相談したい。
そう思って、気もそぞろで家路に着いた。


ゾロは先に帰っていて、夕飯を作って待ってくれていた。
カレーの匂いが、食欲をそそる。
「ただいま、いい匂い」
「インスタントだが」
「上等だよ、カレーってすっげえ久しぶり」
それだけでテンションが上がり、サンジは疲れも忘れて軽やかに洗面所へと直行する。
手を洗ってうがいをして、台所へ取って返した。
ゾロはもう、ビールを開けている。
「カレーにビール」
「合うぞ」
「ふうん」
ゾロの向かいに座り、いただきますと手を合わせた。
「今日は、ジム行くんじゃなかったのか」
「会議が長引いて、面倒臭くなった」
「そんな日もあるよな」

ゾロは、ルーとご飯を混ぜながら食べるタイプらしい。
しかも、ソースをかける。
サンジは、スプーンの上で半分半分にして口に運ぶ派だ。
「福神漬、なんか懐かしい」
「カレーといえば、合宿やキャンプでの定番だが」
「へえ、そうなんだ」
サンジの何気ない受け答えにも、ゾロは変な顔をした。
それに気づいてから、「やべ」と思う。
サンジは部活に入っていなかったから合宿の経験がないし、キャンプや遠足などのレクリエーションも参加したことがない。
「学校の授業で、作ったことはある」
そう言ってから、ふと思い出した。
「それでなんだけど」
「ん?」
ゾロはもう食べつくして、お代わりをよそっていた。
「今日、パティに言われたんだ。もし、まとまった金が手に入るなら調理師専門学校に行くのはどうかって」
そう言うと、ゾロは心持ち目を見開いた。
「それはいいな」
「え、そう思う?」
ちょっと心臓がドキドキしてきた。
ゾロに肯定してもらえたら、夢に一歩近づける気がする。
「でも、学校って学費いるだろ?」
「ああ、多分専門学校は結構かかる」
「じゃ、やっぱり無理なんじゃ…」
「ちゃんと計算してみればいい。いや、俺が勝手にお前の誕生日を基準に返済日を決めたから悪かったんだな」
「そんな…」
サンジは「ん?」と首を傾げた。
「返済日?」
「いや、お前に引き渡す日、だ」
コホンと咳払いをしてから言い直し、ゾロはカレーを口に運ぶ。
「学校によっては随時入学を受け付けてるかもしれん、まずは下調べからした方がいい」
「え、そんな本格的な」
「善は急げって言うだろ。デパートでのバイトは今週までなんだ。来週以降の予定を立てた方がいい」
あれよあれよという間に将来設計まで決まってしまいそうで、サンジは慄きながらもワクワクもしていた。
自分の未来を、人生を、自分で決められるなんて思ったこともなかったから。
しかもゾロが、一緒に考えてくれる。

「ここから近い学校がいいな、通うのも楽だ」
「でも、それって…」
サンジはもじもじしながら、言葉を繋ぐ。
「俺、もしまとまった金を手にしても、ここから出てかなくても、いいのか?」
言ってから、慌てて手を振る。
「あ、や、もちろん目覚まし時計の役割を放棄する訳じゃねえけど」
「――――…」
「でもいつか、ゾロが一人で起きれるようになったら。…ちゃんとぐっすり眠れるようになったら、俺はお払い箱で…」
当たり前のことなのに、とうとう口に出してしまった。
「わかってるけど、でもそん時、辛いから」
言い出したら、止まらない。
「辛いから、今ならまだ傷は浅いっていうか、俺」
どこを見ていいかわからず、ずっとカレーを見つめながら告白した。
自分でも一体何をしてるんだろうと思う。
カレーに向かって、切ない想いを吐露するなんて。
「俺―――」

ゾロの手が、サンジの頭に触れた。
優しく撫でてから、こめかみから頬を辿って顎に添えられる。
軽く、顔を上げさせられた。
カレーから視線を外され、目を泳がせながら前を向く。
正面から、ゾロが見つめていた。

「もし俺が、一人で起きれるようになっても」
サンジの代わりに、ゾロが口を開いた。
「お前にそばに、いて欲しい」

カチンと、手からスプーンが落ちた。
ゾロの指が愛し気にサンジの顎を撫でて、ゆっくりと離れる。
「――――・・・」
えっ?えっ?と脳内ではパニックなのに、声にならない。
そんなサンジの様子を見つめて、ゾロはふっと微笑んだ。
「少なくとも、俺が昨夜眠れなかった責任は、お前にあるんだぞ」
「???」
サンジは意味をはかりかねたが、なんとなく察して頬を熱くした。








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