めざまし時計
-11-



足音を立てずに覗いたつもりだったが、ゾロは気配でわかっていたようだ。
戸の影から覗くサンジに目を止め、どうしたと声を掛ける。
「ションベンか」
「え、あ、いや―――」
言われてから、尿意を覚えぶるっと震えた。
居酒屋で結構、ウーロン茶を飲んだ気がする。
「とりあえず、トイレ」
「おう」
寝惚け眼だったが、用を足すとちょっとすっきりして頭が冴えた。

冷えた廊下をぺたぺたと裸足で歩いて帰ってくる。
サンジにはどうにも「スリッパを履く」という癖が定着しなくて、そのことを自分で行儀が悪いと恥じていた。

台所に戻ると、ゾロは先ほどと同じようにテーブルに肘を着いて座っていた。
片手には缶ビール。
サンジが知らない間に空き缶が増えていたのはこれかと、合点がいった。
「眠れねえの?」
サンジは椅子を引いて、ゾロの斜め前に座る。
それに対し、ゾロは困ったように両手を組んだ。
「いや、いつものことだ。お前は気にしないで寝ろ」
「いつもって・・・」
言葉に若干、怒気を孕んだ。
「いつもって、ゾロは寝てなかったのか?もしかして毎晩、こんな風に一人で起きてんの?」
口調のきつさに戸惑ったのか、ゾロは缶ビールを置いて目を瞬かせる。
「まあ」
「なんで?いつもあんなに早く寝入るのに」
一瞬寝たふりかとも思ったが、そうではないと頭の中で打ち消した。
ゾロは本気で、ちゃんと眠りに落ちている。
「夜中に、目が覚めるんだ」
「年寄りか!」
思わず突っ込んでから、頭を下げて窺うように首を傾げた。
「さっき、っていうか昨夜?パティたちと話してる時に話題になったんだ。あんまり寝つきがいい人ってのは、実は寝不足なんじゃねえかって」
「ほう」
「だから、ゾロももしかかしたらと思ったら、案の定――――」
話ながらサンジの目がつり上がって行くのに、ゾロは戸惑うように目を瞬かせている。
「眠れないなら、夜中に目が覚めるんならなんで言ってくれないんだよ!」
「お前まで起こすことねえだろ」
「そうだけど、でも今までずっとゾロがこうして独りで起きてたなんて、知ったら・・・」
そこで一旦言葉を切る。
沈黙してしまったサンジに、ゾロの方から問いかけた。
「知ったら?」
「・・・知りたかったよ」
ぽつりと、サンジは悔しそうに呟いた。
「ゾロが起きてるって、知っていたかった。眠れないなら、俺も一緒に起きていたかった」
「――――・・・」
「ああ、いや・・・」
サンジは慌てて片手で顔を覆い、もう片方の手を振った。
「いや、違うんだ。俺なに言ってんだろ、ゾロが一人でぼうっとしていたいだけなのに、俺まで起こせとか超ウゼえよな」
「別に、そんなことない」
「や、でも、ごめん。なんか差し出がましいこと言った」
サンジはゴシゴシと両手で顔を擦り、恥ずかしそうに俯く。

「ああもう、なんかごめんな。俺、寝ぼけてたかなあ」
室内とはいえ暖房はとうに切れ、空気は冷えていた。
不意に寒さを覚え、ぶるりと肩を震わせる。
「おい、風邪引くぞ。とっとと寝ろ」
そう言って肩に置いたゾロの手は、温かい。
「ゾロも、風邪引くだろ」
「俺は酒飲んでるから平気だ」
「だからそれがダメだっつうんだ。夜中に一人で飲んだくれてるとか、それが毎晩ならさすがに身体によくねえ」
今まで遠慮していたサンジだが、ゾロの身体への心配が先に立った。
「鬱陶しいって思うなら、俺を追い出してくれてもいい。けど、これだけは言わせてもらう。俺はゾロの身体が心配だし、ちゃんと食べて睡眠もとって、ずっと健康でいて欲しい。だから、俺が邪魔なら出てくから、そうじゃないならなるべく寝てくれ。眠らなくてもいいから、布団の中で横になればいいから」
必死な物言いに、ゾロは「わかった」と立ち上がった。
「寝る」
そう言って歩き出そうとするのを、サンジは手を伸ばして引き止める。
「もっかい、歯を磨いてから」
「・・・わかった」
降参とでもいうように、ゾロは肩を竦めて両手を挙げた。



布団の中は、先ほどまでの温もりが残っていて温かかった。
ベッドの上に横になったゾロを見上げながら、自分の寝床に潜り込む。
サンジの視線を感じてか、ゾロは寝返りを打ってベッドの端に身体を寄せた。
そうすると、見上げるサンジと視線が合う
なんだか、親近感が増して嬉しい。

「俺が、眠れなくなったのはな」
「うん」
「小学校の時からだ」
「・・・そんなに長く?」
思わず驚いて聞き返してしまう。
仕事で神経を使うからとか、年齢的なものかと思っていた。
いや、まだ若いのだけれど。

「夏休みに毎年、親戚の田舎に二週間ほど戻ってたんだ。そこで、地元の道場に通うのが楽しかった」
「道場」
「俺ァ、ガキん時から剣道をやっってる」
「へえ、臭そう」
「感想はそこか」
ゾロは寝そべったまま苦笑する。
「今でも続けてる。実業団の大会にも出てる」
「すげえんだな」
サンジは素直に感嘆した。
「きっと、ガキん時から強かったんだろうな」
「それが、そうでもなくてな」
ゾロは指先でカリカリと耳の上あたりを掻いた。
「どんだけ戦っても、絶対勝てねえ相手がいた」
「上級生?」
「ああまあ、年は上だが女だった」
「女の子か!」
サンジは驚いた。
ゾロが、小学生の女の子に剣道で負ける姿を想像でいないからだ。
「くいなっつってな、俺より二学年上で道場主の娘だったんだ」
「そりゃあ、鬼強かったんだろうなあ」
「まあ強いっちゃあ強かったが、技や体力だけじゃねえ強さがあったな」
ゾロは懐かしそうに目を細めた。
くいなちゃんという、勝気で可愛い女の子が目に浮かぶようだ。
「もう、通算999戦して0勝だった。だがいつも、次は勝つ!って思ってた」
「諦めねえ奴だ」
「おうよ、だからその日も『明日は勝つ』って言って、別れたんだ」
なんとなく、話の不穏さにサンジは身構えた。

「その日は合宿があって、道場でみんな雑魚寝で寝た。くいなは唯一の女子だったし、母屋で寝てたんだ。それで、俺達は夜中までくだらねえこと喋って、でもその内いつの間にか寝てた。昼間に相当暴れたからな」
「うん」
「それで翌朝、俺はなぜか早く目が覚めた」
並んで寝ていた子どもの寝相が悪くて、どんと腹に足を乗せられたからだ。
ゾロはぶつくさ文句を言いながら起き上がり、ついでにトイレに行っておこうと道場を出た。
ただならぬ雰囲気に気付いたのは、その時だった。
母屋の玄関付近で、赤色灯が回っている。
音は聞こえなかったから、サイレンを鳴らさなかったのだろう。
パトカーに救急車、俯いて顔を覆っている師匠の奥さんの姿も見えた。

師匠は、ゾロに気付いて早足で近付いてきた。
「起こしてしまいましたか?」
「いえ、なにがあったんですか」
ゾロの問いに、師匠は言いにくそうに口元を引き締めた。
「お願いがあります」
「はい」
「申し訳ないですが、合宿は中止です。道場で寝ている子達が起きたら、順次家に帰るよう伝えて貰えますか」
ゾロなりに非常事態だと理解した。
いつも丁寧できちんとしている師匠が、子ども相手とはいえこんなに中途半端な扱いをするはずがない。
それどころでは、ないのだ。
「わかりました。なるべく静かに、速やかにお暇します」
「すみません、ありがとう」
師匠は優しく微笑んだ。
泣き崩れる一歩手前のような、哀しげな笑みだった。



道場で一体何があったのか。
ゾロが知ったのは、帰宅した日の夕飯の席だった。
いつもは合宿の翌日も日暮れまでたっぷり稽古してから帰って来ていたゾロが、朝早く朝食も食べずに戻ったことを家人は訝ったが、よほどのことがあったのだろうと心配もしていた。
保護者同士のネットワークで、すぐに理由はわかった。
「くいなちゃん、亡くなったのよ」
母の言葉に、ゾロは俄かには信じられなかった。
くいなが死んだ?
昨日まで、あんなに元気だったのに。
ゾロをコテンパンに打ち負かして、明日こそ勝つと誓ったのに。
「泥棒が入ったんですって。まさか、子ども達が合宿してる横で、母屋に泥棒が入るなんてねえ」

道場が賑やかであったからこそ、母屋に人気が無いと泥棒は判断したらしい。
実際、くいなの祖父母は旅行で留守にしていた。
父親は子ども達の世話に追われ、母親は翌日の食事の支度などしてから眠った。
無人のはずの母屋の二階を物色していた時、物音に気付いたくいなが一階から上がって来たのだ。
逃げ出そうとした泥棒とくいなは、階段を昇り切ったところで鉢合わせした。

「明け方で、まだ薄暗かったんですって。物音に気付いて先生が駆け付けた時には、くいなちゃんは階段の一番下に倒れていたって」
あんな、何度も竹刀を交わして戦ったのに。男子と同じようにトレーニングに励んで、持久力だって人一倍あったのに。
俊敏さでは、誰にも負けなかったのに。
「事故のようなものだって、言ってたわ。打ち所が、悪かったのね」
「そんな!」
ゾロは憤り、椅子を蹴って立ち上がった。
立ち上がっては見たものの、どうすればいいかわからない。
家族はみんな暗い目をして、そんなゾロを見守っている。
「悔しいけれど、人の命は時には呆気ないものなの」
「そんな―――」
それ以上言葉が続かず、ゾロは拳を握ってその場でまた椅子に座り直した。




「道場には、今でもたまに行くことがあるんだ。まあ、俺にとっての里帰りみたいなもんだな」
そう呟いてから、ゾロは視線を下げてぎょっとしたように手枕を外した。
「おい」
「・・・ご、ごめ・・・」
サンジは、仰向きの状態で毛布を鼻まで引き上げて、ぐずぐずとしゃくりあげている。
目玉が蕩けそうなほど、涙でぐしゃぐしゃだ。
そんな有様を見て、ゾロは肩から力が抜けたみたいに「ははっ」と笑った。
「おい、どうした」
「ごめん・・・ゾロの話なのに、なのに、ごめん」
サンジは自分が情けなかった。
哀しい思いをしたのもゾロなのに。
自分は全然関係ないのに。
なんだってこんなにも、哀しいのだろう。
ゾロの話を聞いただけて、くいなちゃんという元気な女の子のことを勝手に想像してしまった。
そんな活発な女の子が、ある日突然命を失うなんてあってはならないことだ。
ご両親にとてもゾロにとっても、一緒に稽古に励んでいた仲間達にとっても大変なショックだっただろう。

「それで・・・ゾロは・・・」
ゾロはティッシュを取って、サンジの目元を拭ってくれた。
ありがたく受け取り、軽く鼻も噛む。
「ああ、別にそれが原因だとは思わないんだが。どうにも夜中を過ぎたあたりから目が覚めるようになった」
翌朝目を覚ましたら、大切な人がいなくなっているかもしれない。
あの日、眠らずに見張っていたら、泥棒の気配に気付いたかもしれない。
なにもかもゾロの勝手な憶測だし、もしそうだったらと考えても詮無いことだ。
わかっていても、なぜか頭が冴えてしまう。

「また明日って、明日も勝負だって。そう言って別れたせいか、俺はずっとくいなとの勝負が待ってる気がして、ならないんだな」
永遠に勝てない相手。
次に対戦したらその時こそ、ゾロは勝てたかもしれないのに。
「本当は、勝ち負けなんざもうどうでもいいんだ。ただ、後悔だけがずっと残っている」
「ゾロのせいじゃ、ねえよ」
「わかってる」
それは、わかっているんだ。
ゾロは小さく繰り返し、ふうと息を吐いた。
「馬鹿みてえだろ?」
「え?」
サンジは驚いて、ゾロを見上げた。
「ガキん時のことをいつまでも引きずって、ガキ臭えだろ」
「ンなこと、ねえよ」
サンジは心持ち身体を起こし、ゾロに顔を寄せて囁いた。
「なあ、一緒に寝てやろうか?」
「あ?」
これには、ゾロの方が驚いたようでぽかんと口を開ける。
「一人で寝てると、色々余計なこと考えたりすんだよ。ちょっと失礼」
そう言って、ゾロの懐にするりと入り込んだ。
上背はあるのに、まるで猫みたいな身のこなしで隙間に納まる。

「わーあったけえ」
「おいおい」
「ここで、ゾロが寝るまでちゃんと見ててやるよ」
サンジはゾロの身体に沿うようにして、身体をまっすぐにした。
そうすると、まるで最初から組み合わせが決まっていたパズルみたいに、ぴったりと合わさる。
「レディじゃねえから悪いけど、たまにゃこういうのもいいだろ」
ゾロの視線より上にずり上がり、枕の下に腕を差し込んで腕枕にした。
そうして、両手で頭を抱える。
サンジの胸に、ゾロの短い毛が当たった。
「よしよし」
「なんだ、寝かしつけてくれんのか」
くぐもった声が響いて、くすぐったい。
サンジは笑いながら、「そうだ」と頷いた。
「安心して、寝ろ」
ゾロはサンジの腕の中でしばらくモゾモゾと動いたが、落ち着く体勢を見つけたのかそれから動かなくなった。

児童期のトラウマにかこつけるような、卑怯な真似をしたと自分でもわかっている。
だがどうしても眠れずに夜を過ごすゾロを放っておけなかったし、自分で良ければ何でもしたいと思っていた。
約得な気は、しないでもない。
心臓のバクバクがゾロに伝わっちゃうんじゃないかと心配になるけれど、もうばれても構わないと思った。
ゾロが好きだから。
ゾロのことが大好きだから、俺にできることはなんだってしてやりたい。

そう思い詰めて同じ布団に寝たというのに、ゾロの身体のあまりの温かさに、気が付けばサンジの方が先に寝落ちていた。











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