繭の檻 6


萎えた足は、支えてやらなければうまく歩けなかった。
それでも、サンジさんは一歩ずつ踏みしめるようにしてキッチンの床を歩む。
使われていなかった抽斗から包丁を取り出し、俺に振り翳すことなく軽く研ぎ始めた。
背筋がしゃんと伸びて、自分で立って動いている。
先ほどまでの衰えを感じさせない、根っからの料理人の後ろ姿だ。

俺はベッドの上で壁に凭れたまま、その姿を眺めていた。
さっきまでのサンジさんに成り代わったように、壊れた人形みたいに何も映さない瞳でそれを見ている。
サンジさんが料理を作っている。
俺のためにだ。
そのことを、何度も何度も繰り返し思う。
サンジさんが俺のために。
ありえないことだ、だから繰り返す。
本当になるように。



サンジさんは、ふと思いついたようになぜか寝室に入ってきた。
クローゼットの中を開ける。
そんなところに、サンジさんの服なんてないよ。
だって、俺が破って捨ててしまったんだから。
あんたにはもう、服なんて必要ないんだから。
そんな風に一糸纏わぬ痩せた身体で、俺の傍にいるんだ一生。
俺の飯を作ってくれるかい?
しぬまで――――




サンジさんはごそごそと隅っこを探っていたが、諦めたのかまた身体を揺らしながらキッチンへと戻っていった。
歩き方はぎこちなく覚束ない。
それでもしゃんと、自分の足で立っている。
サンジさんは、凄い人だ。


まもなく、部屋の中をいい匂いが満たしてきた。
食材なんて、ろくなものを買ってないのに、サンジさんの手にかかればなんだって料理になるんだろうか。
俺は夢うつつの状態で、壁に凭れて座っていた。
サンジさんが俺を呼ぶ声が、聞こえる。
サンジさんが俺を呼ぶ。
ああ、なんて幸福なんだろう。




「ろくなもんが、ねえからな。」
サンジさんが掠れた声で笑っている。
ああ、どうしてこの人は。
こんな風に、なんでもなく笑うんだろう。
俺は、あんな酷いことをしたのに・・・
あんなに酷い・・・
俺は、何をしたっけか?



思い出しそうになって、止めた。
それより今は、目の前の料理を食いたい。
サンジさんが俺のために作ってくれた料理だ。
二人分、ちゃんとある。
俺とサンジさんと、二人で一緒に食べるための食卓だ。
ああ、最初からこうしていればよかった。
俺はどうして、あんなことをしたんだろう・・・
あんなこと・・・
なんだったっけか――――

サンジさんが微笑みながら皿を進める。
枯れ木のような腕で、スプーンで何かをよそって俺の口元に持ってきてくれている。
俺の方がサンジさんに食わせてあげなきゃならないのに、サンジさんは俺に食わせてくれるんだ。
躊躇いなく、俺は口を開けた。
程よく冷まされたスープが、俺の口に流し込まれる。
ああ、美味い。
サンジさんが作った料理だ。
あの日、口にしたのと変わらない美味い料理だ。

俺はゆっくりと噛み締めた。
口内に唾が沸き、旨みが脳髄まで染み通る気がする。
「ああ、美味い。美味いよ、サンジさん。」
俺はまた口を開けた。
サンジさんがスプーンで流し込んでくれる。

ほんの少し癖のある風味
舌に残る苦味
喉元からせり上がる感触

「ぐっ・・・」
腹の中で、何かが暴れた気がした。
気付くより前に口元から何かが噴き出し、視界が暗くなる。
胸が痛い、腹も、焼け付くようだ。
床に這い蹲る暇もなく、繰り返し嘔吐する。
ああ、サンジさんの料理が・・・
流れていく。
俺の中から、なにもかも全部が――――

激しく咳き込みながら、俺は汚物に顔を埋めてなんとか床に視線をめぐらした。
サンジさんの白い足が、目の前にある。
逃げることなく、動くことなく、目の前にあって俺を見下ろす気配がする。
目線だけでその肌を辿る。
長い脛、すんなりとした膝。
引き締まった太腿、愛しいペニス、凹んでしまった腹に、可愛い臍。

ああ、嘔吐が止まらない。
腹の中が焼け付くようだ。
痛い、苦しい、熱い、痛い――――

サンジさんの薄い胸が大きく上下している。
怖いのか、サンジさん。
サンジさん、怖いのか。

薄い首筋で、喉仏がごくりと上下していた。
何度も噛んだ、柔らかな肌。
ああ、また舐めたいのに・・・

紙より白い、サンジさんの顔が合った。
けれどそこに浮かぶのは驚愕のそれではない、見守るような、見下すような、暖かくて冷たい眼差し。
ああサンジさん、あんたはなにもかも知って――――
俺に、毒を、盛った?


コックなのに、俺に食わせると約束したのに
それならいっそ、なぜその包丁で刺さなかった。
なぜ、大声で助けを呼んで部屋を飛び出さなかった。
なぜ、食い物で殺すんだ。
俺、食い物で――――

喉が詰まる。
息が、できない・・・
目の前が暗くなって、サンジさんの姿すらかき消すように消えてしまった。
俺は、必死で腕を伸ばした。
サンジさんを
サンジさん!

そこにいるんだろう、サンジさん!
サンジさんが俺を殺すなら――――
最後に伝えたい。

ああ、俺はこんなにも



こんなにも幸福だと



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