真昼の果実 -1-



同じような形が何棟も並んだ建物を前にして、ゾロは手元の携帯と景色を見比べた。
現在地がここで目的地はこれ。
エントランスの棟番号も確かめて、部屋への直通インターフォンを押す。
「こんにちは。グランドスーパー宅配便です」
できるだけ爽やかな声音でそう呼びかければ、愛想の良い女性の声が応えてくれる。

ゾロがバイト先にスーパーの配達員を選んだ時、多くの友人達がそれは無謀だと忠告してくれた。
性格や体力はともかく極端な方向音痴が致命的だと指摘されたが、親切な友人の計らいにより携帯で独自の地図を作成することで迷子現象が緩和され、なんとか勤めることができている。
迷わず辿り着くことができれば、大抵どこでも歓迎された。
元より、ネットを通じて安売り商品を注文し自宅まで届けてくれるのだから、システム自体が至れり尽くせりで主婦には大助かりだろう。
加えて、届けるのがゾロを筆頭とした体力自慢の若い男揃いなので、評判が評判を呼びグランドスーパーの宅配部門は急激に成績を上げているという。
バイト採用の決め手も最後は「顔」らしいから、中々の商売上手だ。
バイト代は歩合制なので、持ち前の並外れた体力で普通のバイトの3倍は件数をこなして稼いでいる。
利用者には感謝されるし鍛錬にもなるし金になる、ゾロにとって恵まれたバイトだった。




「うし、今日はこれで上がり」
間もなく勤務終了の時間になって、ゾロは最後の配達先のベルを鳴らした。
意外にも、若い男の声で応答がある。
「グランドスーパーです。お届けに上がりました」
「あ、ご苦労さんです。ロック外しますんで」
このシステムを利用するのは、大抵主婦かお年寄りばかりだった。
若い男が出迎えるのは珍しい。
指定された部屋の前に行くと、インターフォンを鳴らす前にドアが開いた。
「お世話になります」
顔を出したのは、煙草を咥えた想像以上に若い男だった。
まだ学生らしいが、見事な金髪で目立つ容姿をしている。
「お届け、こちらでよろしいですか?」
ゾロは台車を入り口に横付けして、30kの米袋を2つ下ろそうとする。
「はい、ええと・・・こっち運んで貰えるかな」
部屋の中からは子ども達の賑やかな声が響いている。
一度に2袋担いで、お邪魔しますと上がりかまちで靴を脱いだ。

「んじゃ、この辺にでも」
綺麗に片付けられた台所の、備え付けの米びつの横に下ろす。
小学生くらいの子どもが部屋からタタッと駆けてきた。
「かーさん、ルフィがジュース零した」
「ったく、しょうがねえなあ。ほら、この布巾で拭け」
口調は乱暴だが、抽斗から新しいタオルを3枚ほど出して手渡す。
子どもは小走りでまた帰っていったが、今度は違う子が顔を覗かせた。
「サンジーっ、今日のケーキもめっちゃ美味いぞう!」
「おうおう、わかったから零さず食えよ」
「おばちゃん、ジュースお代わり!」
「それ以上はダーメ、晩御飯食えなくなるぞ」
どうやら子どもの友達たちが集まっておやつを食べているらしいが、それにしても「かーさん」とか「おばちゃん」とか、単語の節々が間違っている気がする。
「はいお疲れさん。代金は口座振替だよな」
印鑑を手に待っている金髪に気付いて、ゾロは慌てて伝票を取り出した。
「はい、どうもありがとうございました」
儀礼的に帽子を脱ぎ、深く頭を下げる。
履き潰した靴を履いていると、また背後から子どもの騒ぐ声が届いた。
「かーさん、ウソップが〜〜〜」
「はいはい、どうした」
扉を閉めると嘘のように喧騒が途絶えたが、ゾロの頭の中には大きな疑問が残る。

さっきの、男だったよなあ。
なにがどう、どこをとって「かーさん」なのか。
世の中には色んな人間がいると知ってはいるが少々興味を覚えて、ゾロは今度ももしこの区域の配達があったら先に貰ってしまおうと考えた。






それからも、その奇妙な「お宅」には、週1回のペースで宅配の注文があった。
産直野菜や珍しいスパイスの注文、酒類等を積んで、もう携帯で確認せずとも覚えた道を通う。

「おう、らっしゃい。今日は少ないのに悪いな」
咥えた煙草を持ち替えて、金髪は通りやすいようにドアを開け放して迎え入れた。
この団地にはゾロばかりが通うからすっかり顔なじみになって、金髪の言葉遣いも乱雑だ。
恐らくは年が近い気安さもあるのだろう。
相変わらず綺麗に掃除された部屋に、元気な子ども達の声が響いている。

「ここは、託児所か何かか?」
利用者のプライバシーへの配慮も忘れて素で問うたゾロに、金髪は気分を悪くした風でもなく声を立てて笑った。
「違えよ、俺んちのガキが友達連れて来てんだ。うちでおやつ食うのがすっかり習慣になっちまって、あんたが宅配に来てくれんのと時間が被ってるだけなんだよな。食ったらこいつら、すぐ外に出てっちまうから」
そう語る金髪の顔は穏やかで、幸福に緩みきって見える。
「うちのガキって・・・まさかあんたの子どもじゃねえだろ」
ついそう呟いてさすがにしまったと顔を顰めた。
そんなことまで、たとえ世間話といえども踏み込んでいい訳がない。
さすがに金髪も微妙な顔つきをして煙草を揉み消す。
「あ、すんません」
バツが悪そうに急に敬語になったゾロにぷっと吹き出し、表情を崩す。
「別にいいよ。あんたがおかしいって思うの当然だし。でも・・・」
金髪はドアの隙間からそっと覗いていた影に気付いて、ちょいちょいと手招きした。
低学年くらいの子どもが、ちょこちょこと金髪の長い足に纏わりつく。
「これ俺の一人息子、トニーっての。俺はこれの母親なんだ」
「・・・」
さすがに声に出して聞き返すのはためらわれて、ゾロはただ目を瞬かせた。
困惑の色は隠せない。
「だってこいつにはちゃんとした親父がいるからさ。んで、その相方だから俺が母親。働いてねえし、家事してるし」
なーと子どもに同意を求めれば、トニーと呼ばれた子どもはまるでゾロを睨み返すようにして、力強く頷いた。
「サンジは俺のかーさんだぞ。料理が上手くておやつも美味しいんだ。アイロンだって上手だし洗濯も掃除も・・・」
「あーわかったわかった」
可愛いなあと、蕩けそうな笑顔で子どもをぎゅっと抱き締める。
料理が上手くて家事をこなすから「かーさん」で、それでこいつもいいのかよ?と素朴な疑問が浮かばないでもなかったが、子どもの父親とか言う男のそっち系も満足させているのならば、それはそれでしっくりくるのかと
余計なことまで考えてしまって、ゾロは仲睦まじい疑似親子から目を反らせた。





ゾロが受け持つ団地には、それこそ色んな人間が住んでいる。
職業柄、得意先となるのは圧倒的に主婦が多いが、それもまた様々な「女」達がいる。
典型的なおしゃべり好きスピーカーおばさんには捕まらないように素っ気無く対応し、一人暮らしの老婦人が出してくれるお茶は有難くいただく。
一番性質の悪いのは、ゾロが訪問する度にどんどん露出度の高い服に変化していく、色気過多の主婦だろうか。
明らかに誘う視線で熱く見つめ、何かと理由をつけては引きとめようとするのが鬱陶しい。
別に女に不自由していないし、人のものになった女になど興味はない。
あまり邪険にあしらって営業に響くのも痛いがなるべく関わりたくもなくて、このバイトに多少の煩わしさも感じ始めていた。
そんな中で、唯一ほっとできるのは、あの風変わりな金髪のいる家だ。

最初に戸惑いこそはしたが、家の雰囲気は穏やかで居心地がいい。
得意先で決して長居をしようとはしないゾロでもなんとなく話し込んで、子どもと一緒におやつを食べたりコーヒーを飲んだりして、気がつけば随分と親しく過ごすようになってしまった。
“主婦”である男の名前はサンジ。
若いと思ったらやはりまだ19歳でゾロと同い年だった。
そのことを告げれば、失礼なほど大仰に驚かれ、何故か爆笑された。
昔から年嵩に見られることに慣れているから意外ではないが、それにしてもあからさまな奴だ。
面と向かいそう詰り憤慨できるほどに、いつの間にか二人の間柄は親しみを増している。

若い身空で“主婦”として台所を守り、滅多に外に出歩かず過ごしているサンジにとっても、ゾロの訪問は嬉しいことのようで、いつの間にか子ども達用とはまた別の、ゾロ好みの菓子を用意してくれたりするようになった。
洋酒を効かせたケーキとか、苦味の勝ったチョコレートとか。
元々甘いものを食べる習慣はなかったが、サンジの出すものはどれもとても美味くてゾロの口に合った。
こういうのを“旦那”にも振舞っているんだろうなと、ふと想像して何故か苦い気持ちになる。
つい錯覚してしまいそうになるが、あれはバイト先のお得意さんで、団地の主婦だ。
決して、友人ではあり得ない。
いつの間にか、ゾロの自戒とは裏腹に訪問する度にどんどん深まる気安さと親しみに、戸惑いを隠せない自分がいる。





その日は、いつもの訪問時間より30分遅れた時間帯だった。
夕方から別のバイトを入れているゾロにとって、ここが最後の配達先だ。
それ故に、つい長居しても怪しまれない程度に他の場所を早め早めに切り上げている。

「こんにちは、グランドスーパーです」
いつものように元気よく声を掛ければ、すぐにロックは外された。
「いらっしゃい」
出迎えてくれる、サンジの顔つきはいつもと違った。
開け放たれた部屋の中から、賑やかな子どもの声が響かない。
「ん、今日は静かだな」
「おう、もうおやつ食って外に遊びに行ったんだよ。天気が良い日は外で走り回ってる」
流しに積まれた汚れた皿をそのままにして、サンジはコーヒーを淹れてくれた。
荷物を台所に運び終えた後、つい当たり前みたいにテーブルに着いて上着を脱ぐ。

「なんか、えらく静かに感じるな」
「そうだろ。あんたは一番賑やかな時間に来てんだよな。いつもは殆ど俺一人だから、こんなもんだ」
煙草を取り出し火を点けて、サンジは横を向いて煙を吐き出した。
いつものいい母親ぶるような取り澄ました顔ではない、どこか翳りを帯びた横顔。
「静か過ぎると寂しいな」
つい口をついて出てしまった言葉に、サンジはじろりと視線を投げてくる。
「あんだ?てめえその手で団地のあちこちのレディをたぶらかしてんじゃねーだろうなあ」
「なんだよ、たぶらかすってのは」
言い返しながらも何が言いたいのかはすぐに察して、腹が立つより笑えてくる。
「まあ、確かに寂しさを持て余してる主婦ってのは、お目にかかるぜ。結構頻繁に」
「っかーーーっ!信じらんねえ、よくもまあ抜けぬけと。単なる好奇心で奥様方の平和な家庭を乱すんじゃねえぞ」
「ばっか、生憎こっちにその気はねえよ」
コーヒーを一口含み、その香りの良さに思わず表情が緩む。

「てめえんとこの“旦那”は、毎日こんなコーヒー飲んでんだな」
つるりと、口をついて出た言葉だ。
別に他意はなかったが、サンジの表情が僅かに曇る。
「・・・最近、顔も合わせてねえよ」
独り言より小さな呟きだったが、ゾロの耳はその声を拾ってしまった。
「・・・帰ってないのか?」
幾らなんでも立ち入りすぎだと自分でも思う。
だが、ここでの自分の位置は単なる宅配業者と得意先ではなく「友人関係」くらいにまで発展していると、自負があった。
不躾なゾロの問いに少し鼻白んだ顔をして、サンジは額を手で覆った。
「別に仲が悪いとか、んなんじゃねえよ。仕事が忙しくて・・・」
「泊り込みとかか?」
「んー」
そんなことあるかとゾロは思った。
幾ら忙しいとは言え、そう何日も会社に泊まるなんて不自然だ。
若干の理不尽な腹立ちも込めて正直にそう言えば、サンジは困ったように肘をついた。

「ん、いや・・・仕事がっつうか、職種が普通じゃねえからよ」
火のついていない煙草を手で弄んで、しばし言いよどむ。
「今、S区で抗争事件とか起きてっだろ。んで警戒とかもあって・・・」
「警官か?」
「んにゃ、刑事」
そういえば、ここのところ立て続けに銃撃事件とかが起きて新聞を賑わしている。
所轄の刑事なら、自宅に戻る暇もないくらい忙しいのかもしれない。

「そんなことなら仕方がねえな。まあ、お前がこうして家を守ってっから、旦那さんも安心して仕事できんだろ」
「んー・・・」
サンジははにかむように薄く笑って、煙草を咥え直すと火をつけた。
「そう言ってもらえっと、お世辞でもなんか嬉しい・・・って、でもてめえ変な奴って思ってっだろ?」
「あ?俺か?」
いきなり自分に話を振られて、ゾロは2口で放り込んだケーキを口の中でもぐもぐ咀嚼した。
「んーだってよ。曲がりなりにも俺って男だし。“旦那”がいんのはおかしーだろうが。特に俺みてえなイケメンはよ。かーいい女の子と付き合ってる方が、よほど似合ってね?」
「・・・それを俺に聞くなよ」
正直、サンジが家庭の主婦に納まっていることに早い段階で慣れてしまった。
今では、特に違和感を覚えることもなく普通に接してしまっている。
「まあ俺の目から見ても、お前はすげえよくやってると思うぜ。菓子しか食ってなけどメチャクチャ美味いし、家の中綺麗だし、子どもらはよく懐いて楽しそうだしな」
くしゃんと、サンジの顔が泣きそうに歪む。
「そ・・・か?」
「おう、職業柄色んな家の玄関見るけど、やっぱ色々あるぜ。そん中でここはピカ一だ。お前がいい主婦の証拠だろ」
“いい主婦”が男に対する褒め言葉になり得るかは疑問だったが、ゾロは思ったとおりを口にした。
「・・・ありがと・・・」
寂しげにそう呟き口元だけで笑うサンジの顔を見たら、なぜか衝動的に抱き締めたくなった。
いやそれ違うだろ、と心中で理性の欠片が突っ込む。
幾ら目の前に、寂しげな人妻が隙だらけでうな垂れていたとしても、そう軽々しく手を出すべきではない。
ましてや相手は男だ。
若いとは言え、色香で眩まされる道理はないはずだ。

ゾロはごくりと喉を鳴らして、冷めたコーヒーを流し込んだ。
すかさずサンジがコーヒーサーバーを持っておかわりを注いでくれる。
「急いで帰んなくて、いいのか?」
「ああ、ここで最後だし。後は報告書出してあがるだけだ」
「んじゃ、もうちょい付き合ってもらっても?」
「おう」
サンジは煙草を灰皿に揉み消すと自分のカップにコーヒーを注いだ。



「俺、若い頃ちょっとやんちゃしててよ、素行とか、悪かったんだ」
今でも充分若いじゃねえかなんて突っ込みは飲み込んで、黙って頷く。
「んでさー、家出してふらふらしてる時にちゃちい事件に巻き込まれてさ、うっかりサツのお世話になっちまった」
「それが、旦那さんか?」
「まあ結果的にはね」
慣れた仕種で新しい煙草を取り出し、火を点ける。
かなりのヘビースモーカーだ。
「最初にパクられてから目えつけられてたっつうか・・・あ、あくまで不良少年としてな。どっかで顔合わせたりする度にえらそうに説教してくるし、その内自分に関係ない分野でも俺の名前が上がると向こうから出向いて来るまでになってよ。いっぱしの保護者気取りでやんの。鬱陶しくてよう・・・」
とてもそうとは思えない、甘い表情でそんなことを呟く。
こいつは自分で格好つけてる以上に自分の感情が顔に出てるなんてこと、気付いてないんだろうか。
「俺が行くとこねーつったら自分ちに泊めてくれて。そん時小さいトニーがいてさ。もう離婚した後だったから、むっさい男暮らしでそりゃあもう、この部屋も家ん中もひでえもんで・・・」
思い出したのか、大袈裟に顔を顰める。
「あんまりひでえから俺が片付けて、ついでにあんまりな食生活してたから飯も作ってさ。食わせてたらすっかり餌付けしたみたいになって、喜ばれれば俺も嬉しくて・・・つい、情が移っちまったりして・・・」
―――なんで俺は、こんなところで惚気なんて聞かされてるんだろう。
唐突に気付いて、なんだかムカついてきた。
やや意地の悪い気持ちで口を開く。
「そのお蔭で、お前はこの家の“主婦”に納まって、安泰な生活してんじゃねえか。んでその“旦那”も、子どもをお前に預けてバリバリ働けてんだろ?言うことなしだよな」
「そうかな」
「持ちつ持たれつ、だろ」
「・・・そうだな」
サンジは吐息のような溜息をついた。
「でもよ、真っ当に考えたら、俺なんておかしいじゃねえか。いくら家のことができたって、所詮男囲ってるようなもんだしよ。トニーだって、今は小さくて訳わかってねえけどその内不自然さに気付く。何より、もし俺のことが原因で苛められでもしたら・・・」
その可能性は多いにあるだろう。
「けど、少なくとも今の友達付き合いを考えたら、大丈夫じゃね?」
あのルフィとか言う天真爛漫なガキを筆頭に、この家に入り浸ってるのは今時珍しいほど純朴で大らかな子ども達だ。
彼らと付き合っていけるなら、トニーの将来もそう案ずるものではないかもしれない。
「そうかな?」
「ガキなんて、親が思うほど弱くも幼くもないもんだぜ。それなりに色々考えてたり、強かだったりする。そうだろ?」
自分のことを省みればそのとおりだと、サンジも苦笑した。

「実際、ありがてえなあって思ってる。俺みてえなタチの悪いガキ拾ってよ。家や子ども・・・一番大事なモンを任せてくれてんだ。これ以上の信頼はねえよなあ」
ならばなぜ、そんなに哀しそうな顔をするのか。
「だから、信じて待ってればいいんだって、頭ん中じゃわかってるんだ。ほんとに、奴の仕事は大変なんだから。俺らみたいなガキばっか相手じゃなくて。いつ死んでもおかしくねえくらいヤバイ現場に出入りしてさ」
「お前は、それが心配なのか?」
「・・・それも、ある」
この小さな部屋の中で、ただ待つだけなのだ。
流れるニュースに耳を欹てて、街中を鳴り響くサイレンに身を竦ませて、ただ無事を祈って待っている。
なのに、旦那は帰って来ない―――


「トニーの母親、な・・・」
搾り出すような声が漏れた。
「別れた奥さん、一緒の部署にいるんだ。そりゃあもうすっげー美人で、スタイル抜群で頭も良くてさ。とんでもなくデキる女性だ。今でも一緒に、時々コンビ組んでるんだって・・・」
サンジの顔が自嘲に歪む。
「だからさ。実際問題生活していくなら、こうやってちゃんと家守ってる俺みたいなのがいる方が、絶対助かるって、物理的に正解な訳よ。そりゃそうだ。便利だし、俺って役に立ってる。だからさ、それはそれで割り切って、あいつが元の奥さんともう一度仲良くなればいいのにな〜なんて、俺はそう思ってる」
「なんだそれ」
思わず尖った声が出た。
「何が元の奥さんと仲良く、だ。んなこと許される訳ねえだろう」
「・・・なんだよ、なんでてめえが、んな顔するんだよ」
自分がどんな顔をしてるかはわからないが、ともかくめちゃくちゃ腹が立った。
見たこともない帰ってこない旦那に対しても、それを諦めてあまつさえ浮気を容認するようなサンジの態度にも。
「お前は家政婦代わりにここにいるんじゃねえだろうが。トニーの母親として、旦那の女房としているんだろうが。ならいくら別れたかみさんだろうが、旦那が浮気していい道理なんてねえんだよ。てめえもてめえだ、ふざけた弱音吐くんじゃねえっ」
宅配業者と言う立場を完璧に忘れて怒鳴っていた。
「もし旦那が浮気してたら、帰ってきてもこの家に入れるな。追い出すぐらいの気概で怒れ。んでもって元のかみさんに負けねえ勢いで旦那に乗っかればいいじゃねえか。てめえのが若くて可愛いんだ。旦那なんて、すぐ目が覚める」
サンジは目も口もぽかんと開けて、捲くし立てるゾロの顔を凝視した。
その表情に、さすがに言い過ぎたと気付いて、ゾロは慌てて言葉を濁した。
「・・・って、すまん。俺何言ってんだ・・・煽るようなっつうか、余計なお世話・・・だな」
後ろ頭をバリバリ掻いて、バツが悪そうに苦笑いした。
「ごめん、そろそろ失礼します。ご馳走さんでした」
そそくさと立ち上がるゾロの前で、サンジは急に身を折って笑い始めた。
腹を抱え、足を踏み鳴らして一頻り笑い転げる。
「く・・・はは、ごめん。いやこっちこそ・・・妙な話、して・・・」
ひっひと何度か息を吸って、涙の浮いた目尻を拭う。
「いや〜・・・まさか、こんなことで慰められると思わなかった。しかもストレート、お前ってすっげーいい奴・・・」
物凄く失礼なことを言ったと思ったのに、サンジは気にしないでいてくれたらしい。
ほっとして、それでもゾロは表情を引き締めた。
「いや、マジで俺が余計なとこまで踏み込んだ。忘れてくれ」
失礼を働いて契約を切られる恐れよりも、今はサンジとの繋がりが切れることの方が怖い。
そのことを自覚する程度に、ゾロはサンジに惹かれている自分に気付いていた。
ここに来れば美味いコーヒーが飲めるとか、居心地のいい場所だとか、そんな次元の問題ではなく。

「俺こそ悪かったよ、でも嬉しかった。ありがとう」
ゾロを見送るつもりか、立ち上がり玄関までついてきたサンジが、柱に凭れて俯きながらぼそっと礼を言う。
さらりと流れ落ちた金髪の隙間から赤く染まった耳が覗いて、ゾロの胸がどきりと鳴った。
殆ど無意識に手を伸ばし、痩せた肩を掴んで抱き寄せる。
驚いたのはサンジもゾロも、ほぼ同時だっただろう。
戸惑いながらもゾロは腕の力を緩めず、サンジもまた本気で抗おうとはせずゾロの肩に顔を埋めるように首を傾けた。
ほんの数10秒が何10分にも思えるほど長いひと時が流れた気がして、また唐突に身体を離す。
今度は詫びの台詞も口にせず、ゾロは帽子を脱いで黙って頭だけ下げると、扉を開いて外に出た。
何も言わず見送るサンジは、俯いたまま扉が閉まるまで顔を上げなかった。




next