Lunatic 7


街灯が、ちらほらと灯り始めた夕暮れの街をゾロは大股でがしがし歩く。
どこを目指しているのかはわからないが前だけを睨み付けて、壁や出店なんかは辛うじて避けながら基本的には真っ直ぐに歩いている。
その尋常でない目つきと只ならぬオーラに道行く人は慌てて飛び退き、道を開け、遠巻きにその後ろ姿を見送っていた。
怖い。
なんだかもの凄く怖い。
鍛え抜かれたのが一目でわかる体つきとか腰に三本も刀を下げているとか、髪が緑だとかそういった視覚的なインパクトだけではない、漲る殺気で一般人までも怯えさせて、ゾロは街の中心地を突っ切った。
股間を盛大に勃起させたまま。




―――結局あの野郎は男好きの淫乱だったんだ。
奴はエースを好きだと言った。
惚れたと言った。
しかも昨日久しぶりに会ったからって、飯を奢ってくれたらって、会話が楽しかったらって…
惚れて寝たのかあの野郎。
サンジがエースと寝た。
自分と同じように、いやもしかしたらそれ以上に乱れたり強請ったりしたのかもしれない。
優しいとか上手いとかほざいてた気もする。
突っ込むだけの自分にもあれほどよがったコックだ、エースに丁寧に抱かれでもしたら癖になるほど気持ちよかったに違いない。
そう、奴は快楽に弱いんだ。
男とか女とか、基本的には関係なくて…
いやもしかしたら受身の方が奴の性分にあっていて、だから誰にでも身を任せるタチなのかもしれない。
きっとそうだ。
そうでなければ、最初から自分を受け入れたりしないだろう。

薄々想像してはいたがきっちり現実を突きつけられて、ゾロは思った以上にダメージを受けていた。
あの身体を、貫けるのは俺だけじゃなかった。
無防備に身を任せて、本来使うべきでないところまで開いて曝して、普段聞くことのない甘い声まで上げて縋り付いてくるのは、俺にだけじゃなかった。
悦びに震えて熱く蕩けて、拒絶しながら誘うようなあの肉の快楽を、エースも知った。
それだけじゃない、きっと多くの男達がそれを知っている。
ゾロは怒りのあまり眩暈を起こしそうになった。
体が斜に傾いても歩くのを止められない。

エースを好きだ、惚れたと言ったその口で、それでも俺との関係を続けようと持ちかけやがった。
所詮エースとは行きずりだ。
同じ船で旅をする仲間でもない、惚れたといっても一時のこと。
だから、身体は俺に預けるのか。
気持ちはエースに向いていても、男が好きだから俺で手軽に済ませようってのか。
腹が立つと言うより、情けなかった。
サンジの生き様も、それに振り回される自分も合わせて一緒くたに斬って捨ててしまいたい。
サンジの性癖に関しては、もう仕方ないのだろう。
生まれつきかもしれないし妙な癖を教え込まれたのかもしれないが、それはもう仕方がない。
こういったものは治せる代物でないことは、ゾロにもなんとなくわかる。
だが問題は己だ。

そうと知って、それでも尚その事実に悩む自分が信じられない。
サンジの思いが自分にないなら、すっぱりと切るべきだ。
他の野郎に懸想した男に情けをかけてやる義理などどこにもないのに、サンジに誘われてすぐに自分は勃起した。
今だってこんなに怒って街中を歩き回っているのに、一向に萎える気配を見せない。
頭の中に、先ほどのサンジの痴態がちらついて、離れないのだ。

―――情けねえ。
あんな口だけうるさいいけ好かねえ野郎に、女にばかり媚び諂って、男には暴力的で人を小馬鹿にした笑いしか見せねえぐる眉野郎に、まさかここまで心を奪われるとは。
ゾロは唐突に足を止めた。
肩がゆっくりと揺れている。
怒りに我を忘れていたのか、呼吸を思い出して大きく息を吸った。
忘れろ。
あんな野郎のことは、金輪際忘れろ。
何のための鍛錬だ。
精神修行が足りねえんじゃねえのか。
あんな馬鹿一人忘れられなくて、なにが世界一だなにが大剣豪だ。

ゾロは血走った目でぎょろりと辺りを見渡した。
照明の落とされたやや暗い路地のあちこちから、派手な化粧に身を包んだ女たちが恐れ半分興味半分といった風に覗いている。
目が合った一人が、ゾロに向かって嫣然と笑って見せた。












結局、ゾロは帰ってこなかった。
なんとなくうらぶれた気分で、サンジは朝市をぶらつく。
早朝に帰ってきてくれたウソップに感謝して入れ替わりに買い出しに出た。
もしゾロと夜を過ごしていたなら、ウソップの朝帰りは邪魔以外の何者でもなかっただろうけど、今はそれがありがたい。
けど、別にゾロがいたって平気だしな。
よく考えたらゾロは夜中にサンジに突っ込むだけで、朝までべったり添い寝する訳じゃない。
用が済んだらとっとと部屋から出てって適当にごろ寝している。
だからウソップが帰ってきたってこっちは慌てる必要もないんだけれど…
それにしたって、まずかったよなあ。
サンジはタバコを噛みながら、今日何度目かのため息をついた。

ナミとのことについては完璧な早とちりだった。
よもやナミの相手がルフィだなんて思いもしなかった。
それに関してはまだかなりショックが残っているが、それよりなにより、ゾロにいらぬ誤解を与えてしまった。
…厳密に言うと「誤解」じゃねえけどよ。
「嘘」だ。
まるっきり嘘を吐いた。
エースに惚れただなんて、エースと寝ただなんて、大嘘を吐いた。
若干事実に近いところがないでもないが、最終的に入れてないんだからHじゃないだろう。
じゃあどこまでがH行為なのかと問われればそれも困るが、サンジ的には線を引いたつもりだ。
ゾロは入れるばっかりだけど、あれはSEX。
あくまで俺にとっては。
エースには色々気持ちいいことしてくれたけど入れてないからただの遊び。
だから本命はゾロ。
…けれど、ゾロを怒らせちまったな。
あれは失敗した。
ちゃんとナミとの関係を正してから言えばよかった。

サンジは風に吹かれて短くなっていったタバコを揉み消して、新しく取り出した。
ベンチに身体を投げ出して、空に向かってふうと煙を吐く。
ゾロの気持ちはわからないでもない。
自分専属だと思っていたのに他の野郎にも身を任せたって知ったらそりゃあ面白くないだろう。
嫉妬とは違う、独占欲って奴だ。
その気持ちはまあ、わかる。
けど、最初から身体だけの関係なんだからそのまま続行もありだろう。
俺の気持ちがエースにあろうが、一晩だけ身を任せてようが、ゾロ的には何の問題もないはずだ。
だって最初から、処理目的だったんだし。


なんだか悶々と考え込んでいたら、波止場の向こうから見慣れた緑頭がゆっくりと近付いてくるのが
わかった。
―――ゾロだ。




すげえ、ちゃんと集合時間前に姿を現しやがった。
と純粋に驚いてから、いや問題はそこじゃねえぞと口元を引き締める。
まだ、怒ってるんだろうか。
別にゾロが怒ろうが怒鳴ろうが痛くも痒くもないが、島を出てまた狭い船の中で航海するのに揉め事を持ち込むのは避けたい。
しかもこともあろうに野郎同士の色恋沙汰で刃傷事件なんて極力避けたかった。
面と向かって揉めなくても、ぎくしゃくした関係になるのも嫌だ。

サンジは意を決して立ち上がりまっすぐゾロに歩み寄った。
タバコを投げ捨てて、顔を顰めて見せる。
「遅刻しねえとは珍しいな。光合成しか能のないカビ頭も、ちったあ学習能力ってのが身についたのか?」
もう少し他に言いようがあるだろうとは自分でも思うが、勝手に動く口はもうしょうがないいつもならばサンジの言葉尻を捉えて反撃に出るゾロだが、今日は少し違った。
ふんと鼻で息を吐いただけで、サンジの足元に視線を走らせただけだ。
「…お前、まだ買い出ししてねえのか?」
「う…」
思わず返答に詰まってしまった。
朝からお前のことばかり考えて全然捗らなかったなんて言えない。
「こ、れからなんだよ!色々忙しくてな。ああもう急がねえと…」
俄かに慌てて踵を返したサンジの横に、ゾロが並んで早足で歩く。
「…なに」
「買い出しすんだろ。荷物持ちくらいしてやる。」

…びっくりした。
なんつーか、素でびっくりした。
思わず立ち止まってしまうくらいに。
「な…んで…」
「てめえ一人でふらふらひょろひょろ荷物運んでっと時間掛かるだろうが。」
「誰がふらふらひょろひょろだっ」
言い返すサンジの前をゾロが大股でがしがし歩く。
「そっちじゃねーっつうの、方向音痴の癖に先歩くな馬鹿たれが!」
真っ赤になって怒鳴って、サンジは一目散に目をつけていた市場へと走った。



怒ってると思ったのに。
まさか手伝いを申し出てくれるなんて思わなかった。
前と変わらない態度で、それよりなんか気安くなった感じで話しかけてくれて。
嬉しかった。
ありがとうと言いたかった。
なのに素直じゃない自分は憎まれ口しか叩けない。
それでも、後ろから着いてくるゾロの気配を感じて、サンジは口元が緩むのを抑えられなかった。












それからの航海は、気が抜けるほど順調だった。
島を出掛けにちんけな海賊船を2艘ほど沈めたが、それ以降これといったハプニングはない。
実にのんびりと平和な船旅が続いている。
「大物だぞ―――っ」
ウソップの雄叫びとルフィ、チョッパーの歓声が上がる。
サンジは船の揺れとナミの怒鳴り声を聞きながら、ラウンジに持ち込まれるだろう獲物を待って、エプロンを身に着けた。
どんな種類の魚か知らないが、今夜はとびきりのご馳走にしてやる。
刺身にムニエル、照り焼きとたたきと、煮物に干物に…ちと酢漬けして保存してもいい。
酒の肴に、とちらりと頭を掠めて、知らずため息をついた。

そう、以前は食材のあまりだのなんだの、自分自身にまで理由をつけて酒の肴を取り置きしていたのだが、最近はその必要がさっぱりなくなった。
ゾロが、酒を飲みに来ない。
自分が見張番の時以外は、いつも男部屋で眠りこけている。
そのせいか昼間は昼寝の時間が減ってその分鍛錬に費やしているようだ。
ゾロのライフスタイルが若干変わってしまったのは仕方ないが、そのせいであれ以降ゾロとの行為が途絶えている。
島を出てからもうずっと…

―――避けられてんのかな。
どう考えたってそれしかないだろう。
サンジに対する態度は以前と変わらないが、夜になって手を出してこないのは、明らかに意図的だ。
前は酒を飲んで肴を食べた後、お決まりコースでなだれ込んでいた。
その切っ掛けから失われたら、後はどう持ち込んだらいいのかわからない。
―――愛想が尽きたってことか?
他の野郎のお手つきになった身体は嫌なんだろうか。
なんて贅沢な野郎だ。
自分を何様だと思ってやがる。
そう考えると沸々と怒りが沸いてくる。
大体てめえは手抜きで人に突っ込むだけで、感謝もクソもねえんだろうな。
この俺様が入れさせてやってるというのに!
好き放題やりたいだけやって、興味が失せたらそれでポイかよ。
無責任にもほどがあるぜ。
脳天から湯気が出そうなほど怒っているのに、思い出すのはゾロに抱き締められた感触ばかりだ。
あのぶっとい腕が俺の背中に回って、痛いくらいぎゅっと抱き締められた。
汗臭えのに、埃っぽいのに。
なんかめちゃくちゃ気持ちよくて…硬い筋肉がうざいくらいごつごつしてたのについ安心したりして…
すぐ前でちらちらと揺れたピアスの輝きが目に焼きついて離れない。
あんな風にもう一度…
望むまいとすればするほど身体が勝手に火照っていった。

人間てのは欲張りな生き物だ。
それまで無くて当たり前だったことなのに、一度経験してしまうともう一度と求めてしまう。
あのゾロが優しく髪を梳く手の動きとか、乱暴なくらいの抱擁とか身体が覚えてしまった気持ちよさが忘れられない。
もっともっと気持ちのいいことをエースにして貰った筈なのに。
それはみんな、その後に与えられたゾロの行為で消えてしまった。
あの一夜も今思い出せば夢のように頼りないあやふやな思い出だ。


「サンジーーーっ大物だぞっ!!」
巨大なヒラメを抱えたルフィがラウンジに飛び込んできた。
我に返ってタバコを揉み消す。
「すげーだろ、すげーだろ、俺が釣ったんだぜ」
「手伝ったのは俺だぞっ、ともかく重いんだ暴れるんだ」
続けて飛び込んだウソップとチョッパーによしよしと頷いて、サンジは包丁を手に取った。








今夜の不寝番はゾロだ。
その事実に迷って、サンジはさっきからラウンジの中を意味も無く往復している。
ゾロは見張りってえと、寝てるかもしれないけど男部屋じゃない、見張り台の上。
しかも一人きり。
ついでに言うなら、今夜はちょっと冷えると来ている。
あの馬鹿は気温なんて感じないだろうからいつもみたいに薄着で腕組んで寝くたれてるだけだろう。
酒を持ち込んだ形跡も無い。
「・・・」
考えるまでも無い。
いつもなら、酒を持ち込んで飲んだくれているだろうゾロの元に、つまみを差し入れに行くのは習慣になっていた。
そう、いつもなら。

サンジは立ち止まってちらりとテーブルの上に目を落とした。
今日のカレイの一部がマリネになってさらに綺麗に盛り付けてある。
あくまで残った分だ。
別にわざわざ取り分けた訳では、決して無い。
そう自分に言い聞かせながら折角つまみもあることだし…とまた逡巡する。
行くべきか行かざるべきか。
悩むまでも無い、食い物があるなら食わせるしかないだろう。
サンジはそう決意して、トレイを片手にラウンジを出た。


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