Lunatic 5


エースは朝食も同様に美味い美味いと賛辞して、気持ちいいほど豪快に平らげた。
僅かな期間に集めた島の情報を面白おかしく語ってくれて、サンジは何度もコーヒーを噴き出しそうになりながらゆっくりと食事をした。
こうしてエースと旅をしたなら、毎日笑って暮らせるだろう。
夜は心底安らいで、快楽の波に身を委ねて眠ることもできるのだろう。
そんな風に夢想しながら、けれどそれは望まぬことだと改めて思う。
自分に夢がある以上に、エースには重い任務がある。

「サンジは今日は、どうするんだ。」
「一旦船に帰る。買出し前に倉庫も掃除しておきたいし、もう一度チェックし直して置こうかと…」
そう答えるサンジの顔を見つめながらエースはにやにや笑った。
「なんだよ。」
「いや、ナンパはどうしたのかなと思って…」
からかう口調にむっとして、口を尖らせながら言い訳した。
「もちろんするぜ。勝負は今夜だ。とびきり素敵なレディと素晴らしい一夜を過ごしてやる。」
「船から出られればな…」
意味深な台詞に内心どきりとして、サンジは静かにカップを置いた。

「クソ野郎は天才的な方向音痴だからな、一旦上陸すると大概行方不明になるんだ。明日の集合時間にも間に合うか怪しいもんだ。船になんか…いねえよ。」
「へえ。」
それ以上追求することも無く、エースがコーヒーをお代わりする。
空のカップを弄ぶサンジにもコーヒーを注いで、正面向いて座り直した。

「余計なことかもしれないけど、ゾロとの付き合いは考えた方がいい。」
来た!
と無意識に身構えた。
「勿論サンジの気持ち次第だよ。無理にとは言わないし、一方的で無理やりな関係ばかりだとも思わない。ただ…」
エースらしくなく言いよどみ、カップを置いた。
「サンジはゾロが好きなんだろう。」
「…」
そんなことはない、と頭から否定する必要は無かった。
あくまでエースとは行きずりの関係で、これから一緒に旅を続ける仲間でもない。
正直自分の気持ちが知られて困るような間柄でもなかった。
それに―――
エースに指摘されて、やっと自分の気持ちに納得した。
なんだ、俺はゾロが好きだったのか。
あの手に触れられてあり得ないほど感じてしまったのも、身勝手なゾロの振る舞いに腹が立たないのも、結局は好きだからだ。
ゾロが関わる全てのことが悦びだったからだ。
それはどう足掻いても、一方通行の想いでしかないけれど。

サンジは答えずただうっすらと笑みを返した。
それがあんまり寂しげで、エースは深く胸を衝かれる。
「俺は関係ない、とは言えないんだ。なんせサンジのことが好きだからね。だけどサンジはゾロが好きだから、無理強いもごり押しもしない。」
驚いてエースの顔を見た。
エースは相変わらず飄々とした表情で、真意のほどはわからない。

「ばっかだな、エース」
サンジは笑ってタバコを咥えた。
「その言葉だけ、ありがたく受け取っとく。けど野郎に好きと言われたって嬉しかねえや。」
ぽいと箱をテーブルに投げて、組んだ片足をぶらぶら揺らしながら殊更ゆっくりと煙を吐いた。
「そう深刻な話でもねえ。俺はゾロが嫌いじゃねえから、奴に突っ込まれんのもそうたいしたことじゃねえ。元々ゾロにはナミさんがいるんだ。けどレディに無茶しちゃいけねえからな。俺の身体がブレーキになるんなら、それにこしたことはねえだろ。」
「なんだって?」
エースが眉を顰めてずいと顔を突き出した。
「ゾロとナミが?そりゃあほんとか?」
「…多分。」
態度に反して、サンジの口調はちょっと弱腰だ。
「ゾロはナミと付き合っていながら、サンジにも手を出したってそういうことか?」
それは、どっちがどうだかは正直サンジにはわからない。
けどどう考えたって本命はレディに決まっているだろう。
困って黙るサンジの前で、エースは唸りながら腕を組んで首を捻った。
「だが、あのロロノアがそんな器用なタイプだとは、思わなかったんだが…」
器用―――
そう言えばそうなるか。
「そんだけ器用でもなさそうだ。なんせ、ナミさんに余計な心配かけやがるような馬鹿野郎だから…」
「余計な心配?サンジとのことがナミにバレたのか?」
「いや、そうじゃなくて…」
ほんの少し言いよどんだ。
けど未遂だったんだし、エースから何かいいアドバイスが貰えるかもしれない。

「ナミさんが、ここに着く前に悩んでたんだ。もしかしたら妊娠したかもしれないって。勿論俺に言った訳じゃねえけど、ロビンちゃんと話してるの偶然聞いちまって。残念だけど俺には全然心当たりないからさ…もうゾロしかいねえだろ。」
そう言って、短くなったタバコを灰皿に押し付ける。
エースはその仕種を目で追いながら、口元に手を当てた。
何か考えているようだが、何も言わない。
「結局気のせいで大丈夫だっただけど、そん時ナミさんが言ったんだ。相手の野郎のこと…好きだからって。そりゃあ綺麗な表情でそんな風に呟くから、俺もう切なくなっちまって。」
2本目のタバコを取り出して火をつける。
「そんなにもナミさんの心を捉えてんなら、手放すことはこの俺が許さねえ。俺の身体なんて使い捨てでもなんでもいい。俺にしたら、ナミさんに何も知られず幸せになってもらえたらそれが一番いいんだ。相手がゾロだなんて不孝の始まりだとも思うが、こればっかりはナミさんの気持ちの問題で他人がとやかく言うことじゃねえし…」
そう言ってかりかりと頭を掻くサンジをエースはじっと見つめていた。
何か言いたそうに口を開くが、またぱたんと閉じる。
口の中で何事か呟いてから、コーヒーのお代わりをサンジのカップに注ぎ足した。

「…まあそれなら尚の事だ。サンジはそれで問題ないかもしれないけど、それじゃナミの気持ちはどうなる?」
笑みを浮かべたままそう呟くエースの言葉に、どきりとする。
「それにやはりゾロだ。ゾロは美味しいとこ取りばかりじゃないか。それじゃ、ナミだって幸せな状態だとは言えないだろう。彼女なら、事実を知ったらコケにされたって怒り狂うぞ。」
それは、確かにそうだ。
自分の恋人が同じ船の仲間に、しかも男に身体だけの関係とは言え手を出していたと知ったら、どれだけショックを受けるか計り知れない。
「だからこそ、終止符を打つなら今なんだよ。勿論、ゾロにはちゃんとナミとの関係のことから問い詰めなきゃいけないよ。」
「…それは、関係ないんじゃないのか?」
おずおずと言い返すサンジに、エースは毅然とした態度で言い切った。
「サンジがそんな態度じゃ駄目だ。ナミのことが好きなんだろう。ナミの幸せを望むんだろう。それなら最初にナミのことをゾロに正して、それから自分のことをどう思ってるのか問わなければ駄目だ。これはゾロだけの問題でも、サンジだけでの問題でもない。そうだろう。」
なぜか力説されて、勢いでぶんぶん頷く。
「ここでサンジがしっかりしなきゃいけないよ。まずはゾロからナミへの答えを貰って、それから自分のことを考えるんだ。ゾロにだけ選択肢がある訳じゃない。選ぶのも判断するのも、最後は自分自身なんだから正直にいきなさい。」
サンジは曖昧に頷いて首を傾げた。
途中まで具体的な恋愛相談みたいだったのに、なぜか輪郭がぼやけた気がする。
エースは、何を含んで言ってるんだろう。
けれどいつもの屈託のない笑顔で、その疑念が有耶無耶になってしまった。
「どうせログポースが指し示す場所は同じだ。またサンジとこうして会える島がきっとある。その時、答えが出ていたなら、また俺の元においで。」
「…答え?」
素直に聞き返すサンジに苦笑して、エースはその肩をそっと抱いた。
「サンジにはいくつもの道が枝分かれしてるだろう。これからもゾロと付き合っていく道。ゾロと別れて、ナミとゾロを見守っていく道。すっぱり諦めて、新しい恋に生きる道。」
そう言って抱き締めて、サンジの額にキスを落とした。
「その恋の相手が俺ってことも、大有りじゃねえの。」
悪戯っぽく笑って片目を瞑るエースに、サンジも思わず笑みを返した。
「…ありえねーよ。」
「いいやわからんぞ。ここは何が起こるかわからない。グランドラインだ。」
そう言ってぎゅっと背中に回した腕に力を込めながら、もう片方の手がサンジの尻を撫でた。
「俺と付き合ったなら、また天国を見せてあげるよ。」
「…んの、アホっ!」
途端に真っ赤になって、不自由な体勢のまま足を蹴り上げる。
難なく避けられて、キスまで掠め取られた。
「クソ野郎…」
顔を真っ赤にして怒るサンジに、エースはどこまでも屈託なく笑った。



出会ったときと同じようにあっさりと別れた。
一夜のことで未遂とは言え一時身を任せた気恥ずかしさも手伝って、いつまでも見送るエースにサンジはとうとう振り返りもしなかった。


それでもほんの少し、気持ちが軽くなっているのは事実だ。
誰にも言えない密かな悩みを、こうして口に出して聞いてもらって理解して貰えるってのは、なんて嬉しいことなんだろう。
思えばサンジは腹を割って話すと言うことをしたことがない。
ゼフの前では意地を張ってばかりだし、バラティエでも必死に背伸びして大人の振りをしていた。
GM号はガキばかりで自分がしっかりしてないと駄目だし、ゾロはあのとおり尊大で横柄だから何言われても腹が立って言い返すばかりだし…
いくらしっかりしてるからって、レディに頼るなんて男の沽券にかかわるしよ。
だから、エースの存在は新鮮だった。
迂闊にも、何でも話せてしまう気がした。
随分本音で喋った気がする。
それらを丁寧に聞いてくれて、しかも勘がいいから少ない言葉で理解してくれて、言葉を選んでアドバイスしてくれる。
―――大人だよなあ。
それに比べればあまりにガキだ。
自分もゾロも。
ちょっと反省して少しにやけて、サンジは軽い足取りで港への坂道を下り始めた。










GM号では船番のウソップが思いもかけないサンジの帰船を喜んだ。
「ルフィじゃねえけど、船番の時だけはサンジの飯をゆっくりと一人占めできるからな。作り置きしてくれてるのもいいけど、やっぱあったかい飯が最高だろ。」
嬉しいことを言ってくれるからしょうがねえなと軽く蹴りを入れつつ、そのつもりで買ってきた食材をラウンジに運ぶ。
もしかしたらゾロはいないかと、そう思って多めに買ってしまったことは内緒だ。

ウソップに手伝わせて倉庫を掃除し洗濯も済ませた。
棚をいくつか増やして貰って揺れ対策も講じる。
今日は朝からよく晴れて程よく風が吹き、気持ちのいい天気だ。
二人でゆっくりと昼食をとり、片付けをさっと済ませて腹ごなしに甲板で一服した。
船縁に凭れて寝腐れ剣士を真似て目を閉じてみる。
そよそよと前髪を揺らす潮風が心地良い。
天気がいいとすぐ横になる、光合成の気持ちがわからなくもねえな。
そう思って薄目を開けると、浜のすぐ傍にある森の中から一筋の煙がたなびいているのが見えた。

「…誰か焚き火でもしてんのかね。」
サンジの呟きに、甲板になにやら広げていたウソップがおうと振り向く。
「そう言やあ、夕べもああして煙が上がってたな。そうでかい火でもないから、一人で野宿でもして魚焼いたりしてんじゃねえの。」
そう言って笑って、ぴたりと真顔になった。
同じく真顔のサンジと顔を見合わせる。
「…まさか」
「…まさかな」
だがしかし、それはあり得る。
「長っ鼻、ひとっ走り行って迷子の捕獲だ。」
「なんで俺だよ。」
「うっかり放っとくとまた違う方向に行って出発が遅れるぞ。もし無事保護したなら、このまま船番は代わってやる。それでどうだ?」
ウソップのどんぐり眼がぐるりと上がった。
それは美味しい条件らしい。
「ほんとか?代わってくれるのか?」
「ああ、俺は夕べ楽しんだからな。買出しは明日の朝で構わねえし…」
「うっし、その言葉忘れんなよ!」
そう言ってウソップはすぐさま船から飛び降りる。
「現金な野郎だなあ。」
素早く走り去る後ろ姿を見送って、サンジはラウンジにもう一人前の飯を用意するべく引っ込んだ。








「迷子捕獲成功〜〜〜♪」
「誰が迷子だ!」
程なくして、ウソップはゾロをつれて帰った。
ゾロも大人しくつれて帰られてくる辺り、本気で森の中で迷っていたってことだろうか。
「しょうがねえ迷子だな。ちゃんと食い物は食ったのか。」
サンジの言葉に、ゾロは少し眉を顰めて「うむ」とだけ唸った。
が目の前に出された皿から立ち上る匂いに、ぐううと腹の方が正直に答えた。
「んじゃ長っ鼻、もう行っていいぞ。」
「おう、さんきゅな!」
「って、どこ行くんだ?」
口いっぱいにフライを頬張ったゾロが、ウソップを振り仰ぐ。
「船番サンジが代わってくれるってんだ。なあサンジ。」
「おう、ゆっくり楽しんでこい。」
そう言って手を上げるサンジは、どうやら随分と機嫌がいい。
ゾロは咀嚼しながら首を捻った。
一体どうしたってんだ。
昨日まで随分と不機嫌で、なんだか知らないが酷く怒っていたのに、夕べ機嫌が直るような何かがあったんだろうか。
例えばナンパした女とうまくいったとか…
考えたら、胃の腑がずんと重くなった。
ろくに食っていないのに腹が一杯になったような不快さだ。

ゾロは不機嫌を全開にしてともかく食事に専念する。
ゾロの変化を感じ取ることなく、ウソップは意気揚々と船を降りた。
それを見送って、サンジはまたラウンジに入ってくる。

「食後にコーヒー飲むか。昼真っから酒は駄目だぞ。」
やはり上機嫌の声だ。
ますます不愉快になって、ゾロはごくんと音を立てて水を飲んだ。
「…なんだってんだてめえ、随分ご機嫌じゃねえか。」
指摘されて、サンジはぎくりとした。
ご機嫌…確かに今自分は非常に機嫌がいい。
エースに話を聞いてもらって気楽になったそれだけじゃない。
…多分、ゾロに会えたからだ。
ゾロが目の前にいるから…そう思い当たって慌てて赤くなりそうな顔に手を当てた。
気を引き締めて、無理やり口をへの字に曲げる。
「俺様がご機嫌で悪いかクソボケ。折角の島での時間をてめえごときの飯のためにわざわざ割いてやってるんだ、有難くとっとと食え。」
吐き捨てるように言って、そっぽを向いてタバコを吹かす。
ゾロはそんなサンジをじろじろと見ていたが、黙々と食べ続けてすべて平らげた。
気まずい沈黙の合間にも食後のコーヒーは準備されて、気がつけば二人向かい合わせにカップを
啜っていた。

「・・・」
「・・・」
「…あのよ」
「…あのさ」
うっかり同時に話しかけて、同時に詰まる。
またしばし沈黙が流れた。

「あんだよ。」
「そっちこそなんだ。先に言え。」
少し逡巡してサンジは口を開いた。
「…んなら、てめえ。夕べどこでどうしてやがったんだ。」
「んあ?それは俺の台詞だろう。」
まともにそう返されてぐ、と詰まる。
「俺はさっきの場所で野宿してた。本当は街ん中行くつもりだったんだが…」
がり、とゾロが頭を掻く。
「街で…一人で飲んだくれて、か?それとも誰かと待ち合わせるとか…」
「んあ?てめえが断ったんじゃねえか。」
サンジの含みを込めた台詞はあっさり返されてしまった。
え?と間抜けに聞き直す。
「だから、買出しに付き合うからちょっと一緒に来いっつったのに、てめえ冗談じゃねえとか何とかほざいて怒ってやがって…」
「…そりゃあ、その―――」
うまく言い訳もできなくて、サンジはもごもごと言葉を濁した。
まさかナミに嫉妬して怒ってたなんて言える訳がない。
「おまけに素人の女がどうのこうのって、俺は面倒臭えから素人には手を出さねえぞ。」
その言い方に、かちんとくる。
レディを相手に面倒臭いとは何事だ。
「てめえはなんでそんなにえらそうなんだ。レディ側の気持ちって奴を考えたことはねえのか。」
思わぬ反論に、ゾロは目をぱちくりとした。
「何言ってやがんだ。なんで俺がそんなもん考えなきゃなんねえ。」
コックの気持ちなら、考えなくもないんだが…そう思ってゾロはその通り口にした。
「俺が考えるのは、てめえの気持ちくらいなもんだ。」
「は、あ…え?」
思わぬ言葉に、今度はサンジがうろたえる。


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