Lunatic 2


思えば自分がこの船に乗る前から、二人は一緒だった。
遅くまで酒を飲んで話し込んでいることもあるし、上陸したら二人で出かけることだってあった。
確かに、端から見たら似合いの二人かも知れない。
けれど…
ゾロは、俺と―――

バイなんだろうか。
女もいいが、男も好きなんだろうか。
ナミのことも、あんな風に抱くんだろうか。
いやきっとそうじゃない。
あんな、勢いだけで抱き殺しかねない乱暴な振る舞いをナミに向かってするとは思えない。
きっと甘い言葉の一つも囁いて、大切に扱うんじゃないだろうか。
ナミに愛されるくらいに。




サンジはポケットを弄ってタバコを取り出そうとした。
だが、手が震えてうまく掴めない。
なんだってこんなに、俺が動揺してるんだ。
このことを知ってるのは自分だけだ。
自分さえ何も言わなければ誰も傷付かない。
ゾロとナミは付き合っているんだろう。
ゾロがもし遊びのつもりだったら、その時は蹴り倒して説教してやる。
少なくともナミは真剣だ。
そんなナミさんを裏切ることは、この俺が許さない。
サンジはようやく取り出したタバコを思わず握り潰してそう決意した。







朝食の席でも、ナミはご機嫌だった。
この時期食欲は落ちるのよね〜なんて意味深な発言をしつつ、スープをお代わりしてパンやサラダもきちんと食べた。
幸せそうな顔で自分の作った料理を平らげて貰えるのは、料理人として至福の時だ。
特にナミのような最高のレディに満足して貰えるだけで天にも昇るような心地になるのに、なぜだか今日は気分が晴れない。

サンジは粗方給仕を終えるとテーブルに着いてタバコを咥えた。
食事の席で吸ってはいけないと思っているから無意識に咥えただけだ。
口端に挟んだタバコを歯で軽く弄びながらも、なんとなく食事を摂る気にはなれずクルーたちの姿をぼうっと眺める。

やっぱりあれかな。
これは失恋なんだろう。
ナミの心がすでにゾロのものだったなんて、こともあろうに相手がゾロだなんて、衝撃が強すぎる。
そう、これは失恋のショックだ。
なのに、なぜだか釈然としないものを感じる。
ナミに失恋したからショックなんだろうに…
なぜかしっくり来ない。
サンジはゾロの顔に視線を移した。
相変わらずにこりともしないで、それでもどこか真面目な面持ちで食事に専念している。
心持ち肘を開いてスープをスプーンで掬い、2、3度続けて口に流し込む。
手にしたパンは大雑把にちぎって同じく口に放り込み、適当に咀嚼してすぐに飲み込んでしまう。
最初の頃はパンをちぎるなんてことをしなかったし、スープも皿から直接飲んでいた。
随分と行儀よく食事ができるようになったものだ。
俺の教育の賜物だろう。
そう思うと、自然に口元に笑みが零れる。

けど、こいつがナミさんの想い人なんだよな。
そう思い直してまた暗澹たる気持ちになった。
ゾロの顔を見ればむかつく感情が湧き上がるのは間違いない。
ただそれが、嫉妬と呼ばれるそれとは少し違うような気がする。
ナミのような可愛くて聡明なレディに好かれるなんて羨ましいと思わないでもないが、だから憎らしいという気持ちにはなれない。
けれどショックなのはショックだ。
なにがショックなんだろう。



サンジはタバコを咥えたまま視線をナミに移した。
ナミはゾロのことを好きだと言った。
これはかなりショックだった。
ナミが、自分以外の男のことを好きだといったからか?
いや違う。
ゾロを好きだと言ったからだ。
じゃあ相手がゾロじゃなかったら、俺はそんなにショックを受けなかったんだろうか。

またしても一人で思案して愕然とする。
もしかして、ナミの恋の相手がありえないとは思うが、ルフィやウソップだったらこんなにショックを受けなかったんじゃないかと、そう思う。
相手がゾロだったからこんなにショックなのか?
それとも、ゾロが自分以外の人間にも手を出していたからショックだったのか?
そう思い至ってかーっと頭の芯が熱くなった。

「サンジ君?」
「…!はいはいはい?」
突然名前を呼ばれて、変なタイミングで返事してしまった。
我に返ってナミの顔を見れば、ほぼ全員がサンジに注目していた。
「朝ご飯、食べないの?」
ほんの少し小首を傾げて問うてくるナミのなんて愛らしいこと。
「いいえ、食べますよう、ナミすわんv」
心配してもらって幸せだ〜っなんて身体をくねらせて、サンジは皿に手を伸ばした。







ほぼ予定通り次の島影が見えてきた。
まだ昼前だったからこのまま上陸することに決めて、ウソップとチョッパーが先にボートで偵察に向かった。
後片付けを終えたサンジは、空のコンテナを上陸ついでに下ろそうと甲板に運ぶところで、舵を取るゾロに気付く。
なんとなく目が合って睨み付けてしまった。

「…あんだよ。」
不機嫌そうに眉を顰めて、ゾロもサンジを睨み返す。
この脳味噌まで筋肉なマリモヘッドは、ナミの悩みなんて知りもしないでのうのうと過ごしてきたんだな、とそう思ったらやはり猛烈に腹が立った。
きっと手間を惜しんでゴムをつけたりしなかったんだろう。
いや、こいつの勢いだとゴムが破れるアクシデントだってありえる。
どっちにしても、結局困るのは女性の側だ。
体内に命を宿す可能性がある以上、喜びもあれば恐れだってあるはずだ。
ましてやまだ若いナミが妊娠するなんて当人にも不本意なことだし、これからの航路のことを思えば生むことは諦めざるを得ないだろう。
それでも一度宿った命なら、それを消し去ることは罪ともなる。
サンジはゾロを睨み付けながらも、なぜだかじわんと目尻がぼやけた。
本当に、どれだけ辛かっただろう。
可愛そうなナミさん。

「おいおいおい、なんだよ。」
ゾロは呆れた声で舵から手を離した。
通りすがりにガンをつけてきた男は、なぜかそのまま涙目になっている。
「うっせえ、てめえみたいなデリカシーのない唐変木は、素人のレディに手え出しちゃいけねえんだよ!」
そう叫んでからはっとした。
あの調子では、ナミはゾロになにも話していないのだろう。
ナミの口から伝えられていないことを、自分から言う訳には行かない。
もしかするとナミは本気でもゾロにとって遊びかもしれないし…
そう思うと我が事のようにキリキリと胸が痛む。

「はあ?素人がなんだって?」
ますます話の筋がわからなくて、ゾロは大きな声で聞き直した。
サンジは慌ててゾロの傍に駆け寄った。
「馬鹿、でけえ声だすな。」
「だから、何がなんだってんだ。」
「なんでもねーよ。てめえは刀馬鹿だから、まともな恋愛なんかするなっつったんだ!」
そう切り上げてさっさと荷物を下ろそうと踵を返すのに、ゾロの腕ががっちりとサンジの肘を掴んだ。
「なんだよっ」
それがゾロの常からの握力のせいだとわかっていつつも、その力強さにどきんとする。
「島あ下りたら、てめえどうすんだ。」
「はあ?なにがだよ。」
確かさっきのナミの話では、ログが溜まるのに2日半ほどしかかからないという話だった。
「あんまゆっくりはしなくていいみたいだから、いつものように買出しくらいしか…しねえけど。」
ゾロがまだ肘を掴んだままだから身体を強張らせたままそう答えた。
指が食い込んで痛いが、振り払おうとは思わない。
「なら、夜付き合えよ。荷物持ちくらいしてやる。」
どきん、と胸が高鳴った。
数秒遅れて頭に血が上る。
こいつ、ナミさんと言う人がありながら俺に声をかけてくるなんて…
「あ、アホか!なんで陸まで下りててめえと過ごさなきゃならねえんだ。」
「てめえが素人に手え出すなっつったんじゃねえか。かといって玄人は金がかかるしな。」
サンジは掴まれたままの肘を振り払った。
飛び退りついでに向こう脛を狙って蹴りも入れる。
「冗談じゃねえ、厚かましいにもほどがある。お断りだ。」
サンジの思わぬ反撃に顔を顰めるゾロにもう一度回し蹴りをくれて、サンジは甲板に躍り出た。
「勘違いすんじゃねえぞ、このタコ!てめえなんか願い下げだ。」
「てめえっ…」
まだ何か言いたそうなゾロを置いて、その場を足早に立ち去った。




ゾロは、ゾロはやっぱりナミのことを真剣に考えてる訳じゃない。
そう確信した。
多分、自分と同じように手軽な存在として弄ばれたんだ。
それなのに、ナミは一途にゾロのことを愛している。
そのことに胸が痛んで涙が出た。

自分が粗雑に扱われることは、まあまだ我慢できる。
所詮男同士だし妊娠の危険性がないだけ安心で手軽な対象だ。
だが敬愛するナミをないがしろにしたのは許せない。
自分に振られたからゾロはナミを誘うだろうか。
そう思うと心配でいても立ってもいられないが、かと言って自分にはそれを阻む権利はない。
恋をしたなら周りがとやかく言ったって逆効果にしかならないことをサンジは知っている。
ましてや部外者どころかナミにとって一歩間違えれば恋敵とも取られかねない立場の自分に、二人の間柄を意見することは許されないだろう。
「クソ馬鹿野郎め…」
どうしようもなくて、サンジはただ島を眺めて一人毒づいた。






まもなく、港の端からピンク色の煙がたなびくのを確認する。
ウソップ開発のOkサインだ。
「さ、上陸よ!」
見張台の上からナミの快活な声が届いて、サンジはスーツを羽織り、準備を始めた。


多少用心して、港を外れた岬に停泊する。
ウソップ達の情報によれば、島の中心地には海軍の立寄り所があるが、基本的には島独自の自治組織で治安は守られているらしい。
手配書もそれほど多く出回ってはいないようだ。
「それじゃ、お小遣い渡すわね。無駄遣いしちゃ駄目よ。」
いつものようにナミの前に全員が並んで、雀の涙ほどの費用を手渡される。
確かにこの程度じゃ一晩プロのお姉さまを買ってしまうと宿泊代も食費も足りなくなってしまうだろう。
―――自分で稼げばいいんだけどよ。
自身が高額な賞金首になった今では、意図的にはそれもやり難いか。
サンジはそこまで思い遣って、いやいやとまた一人で首を振る。

ゾロはさっきのやり取りで怒っているのか、小遣いを受け取るとさっさと船を降りてしまった。
「待ち合わせに遅れないでよ!」
と叫ぶナミの声に振り向きもしないで、堤防の向こうに消えてしまった。
「…ったく、つれねえ野郎だな。」
待ち合わせってのは、明後日の集合時間のことだろうか。
それとも、今夜どこかでナミと二人きりで落ち合う予定でもあるんだろうか。
なんとなくそう邪推して、バツが悪くなった。

サンジが付いているとは知らないナミは、ロビンと連れ立って町の中心地へと弾むように歩いていく。
ルフィはとうに姿はないし、船番のウソップはチョッパーと今後の買い物の段取りについて話しているようだ。
「んじゃ俺も、ナンパに励むかv」
カラ元気でそう呟いて、船縁から飛び降りた。







なかなか賑やかな街だった。
顔の知られていないサンジとしては上陸しても気兼ねなく散策できるし、こういう活気のある島での市場巡りはなにより楽しい。
本格的な買い物は明後日に回すとして、とりあえずどんな物が揃っているのかざっと冷やかして回った。
天気もいいし市場のオバちゃんたちは愛想がいい、言うことない島だ。
ただ店番に女性が多いから船まで届けてくれる店は限られてしまう。
買い出しに付き合ってやると言ったゾロの言葉が一瞬頭を過ぎったが、意識的に打ち消した。

ざっと見当をつけて、次は遅い昼食をと食堂を探し始める。
できれば観光客向きでない、地元お勧めの穴場的な店はないものか…
料理人の勘で裏手の路地へと歩を進めながら、窓越しにいちいち覗いて回った。



「わああ〜!お客さんがぶっ倒れたあ!」
店内から素っ頓狂な声が聞こえて、ついそっちも覗いてしまった。
カウンターの中の店主がなんだか慌てている。
その前にどかりと陣取った男は首がない。
いや、目の前の皿に顔から突っ込んで倒れている。
「…って、エース?」
見覚えのある刺青にそう呟けば、男はいきなりがばりと起き上がった。
店主と見守っていた客たちがビビる。
「あー…よく寝た。」
「寝てたんかい!!」
一斉に突っ込まれて、男はにやにや笑いながら後ろを振り向いた。
「おv」
「よお」
サンジの姿を認めて、相変わらずの人懐っこい笑顔全開で手を振っている。
サンジはそのソースでぐちゃぐちゃの顔に苦笑いしつつ、隣に腰掛けた。
「久しぶり、相変わらずだな。」
「ああ、この店の料理は美味いぞ。」
お勧め作ったげてーと勝手に注文して、サンジの分までグラスに酒を注いでくれた。

「いつからここに?」
「うん昨日着いたとこ。しばらくいるつもりさ。」
エースが追っている黒ヒゲの情報があったのかもしれない。
サンジはそれ以上詮索せずに、再会を祝してグラスを合わせた。
「ルフィもどこかにいる筈なんだが…どこ行ったんだかてんでわかんないしな。」
「いいさ、あいつと今度会うときは海賊の高みでと約束している。それにここでサンジに会えただけで実にラッキーだね。」
男相手にも愛想のいいエースに、サンジは呆れながらタバコを咥えた。
「ほんとはナミさんか、ロビンちゃんみたいに麗しいレディに再会できた方が、よかったのになあ。」
「まあなあ、ってロビンって?」
「あ、知らなかったっけ?バロックワークスのミス・オールサンデーはロビンちゃんって言うんだよ。」
あれほど激しく戦っていた敵が仲間になっていると聞いて、エースの方が呆れながらもお前ららしいと笑っている。
「残念なのはサンジの料理が食べられないことだな。あの時の急拵えの料理だって、そりゃあ美味かった!」
そんなことを真顔で言うから、嬉しくなってしまう。
「そうだな、船にも戻りゃあ作れないこともねえけど。食材だけ買って…」
「いや、今俺が泊まってる宿はキッチンが付いてんだけど…」
「そうなのか?それじゃ、作ろうか?」
サンジの申し出に、エースはもう飛び上がらんばかりに喜んだ。




エースに連れられて昼間から盛り上がっているカジノを冷やかして、夕方には食材を買いに市場へと巡る。
どんなものを食べたいのか、リクエストを聞きながら食材を探すのは結構楽しい。
いつも多人数分を一気に作るばかりでそれはそれで遣り甲斐もあるが、特定の誰かのために腕を振るうのもまた料理人冥利に尽きるというものだ。

「ツインルームをシングルユースで使ってるからさ、ついでに泊まったらいいよ。」
気軽な誘いにありがたく乗らせてもらう。
ナミからは食材分にと別に費用を渡されてはいるが、やはり出費が浮くにこしたことはない。


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