Miracle life 1



天にはためくジョリーロジャーがゆっくりと傾いで、青い空から海へと飛沫を上げながら沈んでいった。
ウソップが奇声を上げ、ルフィの腕が高々と上がる。

「引けえ!引けえええっ!!」
情けない敵船の船長の号令と共に、マストの折れたガレオン船は右に左に揺れながら、一目散に水平線の彼方へと逃げ去った。

「一昨日おいで〜v」
「またどうぞ〜¥」
見送るナミの足元には、酒と宝石類がごっそり積まれている。
最近は戦闘の役割分担がきちんとなされていて、火事場泥棒的にお宝を掠め取るのが上手くなった。

「いやーん、今日も大量大量vこーんな海賊なら、また襲ってきて欲しいわねv」
「まったくだ、口ほどでもねえ奴らだよ。こいつもまだ暴れたりねえって足をバタバタさせてやがる。」
「サンジ!暴れすぎだ。酸素不足でお腹の赤ちゃんが苦しんでるんだよ、早く部屋に入って横になって休んで!!」
チョッパーの叫びに当のサンジよりゾロが慌てて、その身体を担ぎ上げると部屋に飛び込んだ。

思わず失笑してしまう。
「ほんっと、サンジ君って妊婦の自覚ないわよね。」
「それにしても丈夫な赤ちゃんね。さすが剣士さんの子だわ。」

そう、サンジは現在妊娠7ヶ月。
無論、ゾロの子である。






男のサンジがなんだって妊娠したのか、結局のところチョッパーにもわからなかった。
だがまあグランドラインでは色んなことが起こるもんだということだけはわかっていたので、大概みんなそれで納得している。
そんなサンジも安定期を迎え、妊婦として自覚のないまま海賊暮らしを続けているため、チョッパーの気苦労は絶えない。
それからゾロも。


「やっぱこうやって寝転ぶと楽だなあ。」
暢気にそんなことを呟いて専用のベッドに横たわるサンジの腹は、見た目にわかるほど膨らんでいる。
さすがにこうなるとズボンも履けないから前の島でマタニティを買ったが、見た目はそのまんま男なので妊婦マニアのオカマに見えないこともない。
さっきの海賊共が途中で戦意を挫かれたのもこの姿を目にしたせいかもしれないと思い当たりつつ、ゾロは敢えて黙ってサンジの腰を擦った。
「ああー気持ちいい〜…まさかマリモに腰擦ってもらう日がくるとは思わなかった。」
「俺もまさか男を孕ませる日が来るとは思わなかったよ。」
片足だけ上げてガツンと後頭部を蹴ってやれば、無茶すんなと真顔で怒鳴られた。
明らかにサンジの身を案じての怒りだ。
それがわかるから、サンジは余計に面白くない。
「あんだよ俺の身体にばっか気い遣ってよ…今日だって俺の傍にべったりくっついて庇ってばかりだったじゃねえか。」
「当たり前だろうが。てめえはもう一人の身体じゃねえんだ。その腹ん中に俺のガキがいるんだよ。いい加減、自覚を持ちやがれ。」
そう言われてますます仏頂面になるが、反論はできなかった。

確かに自分の腹にゾロの子がいるし大事にしたい。
ゾロが言うことはもっともだが、どうしたって釈然としないものがサンジにはあった。
「わかってるよ。てめえもうあっち行け。なんか腹立つ。」
「・・・」
サンジのあんまりな言い種に腹も立てず、ゾロは素直に部屋から出て行った。
それが益々サンジをイラつかせる。



「ちぇっ」
無意識にポケットを探る仕種をして、それからタバコはないと気付いて舌打ちした。
そのままベッドに潜り込んで不貞寝を決め込む。
どいつもこいつも気遣いやがって。
どうせ俺は妊婦だよ。
腹ん中の子どもは大事な大事なゾロの子だ。
それはわかってんのに…
なんか焼きもち焼いちまう俺って、親失格なんだろうか。

…そう、なんとなく嫉妬している。
腹の中の自分の子に。




ゾロが気を遣うのは仕方のないことだとわかっている。
みんなもサンジの身体を第一に考えて、無茶な航海をしないように細心の注意を払ってくれているのがよくわかってる。
ありがたいと思うし申し訳ない気持ちもあって、内心かなり複雑なのだ。
元々は男なんだからゾロに気遣われるなんて鳥肌モノで凄く嫌だ。
今でも嫌だが腹の子のためなら我慢するしかないだろう。
ゾロだって、別に俺に気を遣ってるわけじゃない、腹の子だけを大事にできるもんならそうしたいだろう。
俺が産むんだもんなあ。

どういう悪戯でこうなったかわからないが、奇跡的にも宿ってしまった命は大切に育みたい。
できるなら無事にこの世に産み落として、この手で抱いて慈しみ育てたい。
けれど…産んじまったら、俺は結局それまでだ。
ゾロはきっとこの子を可愛がるだろう。
子どもの親として、俺のことも引き続き大事にするかもしれないけれど、きっとそれだけのことだ。
元々愛の結晶って訳じゃないんだろうし…

そこまで考えて、無意識に深くため息をつく。
そう、きっとゾロは俺を愛してる訳じゃないんだ。
その証拠に、妊娠してから一度だって触れてこねえじゃねえか。
それまで3日と空くことなく続いていたSEXがぴたりと止んだのだ。
妊娠が判明して以降。
もう4ヶ月も。










そもそも俺らの間に子どもができたってのがすでに「間違い」なんだけどよ。
小さな船で航海して、限られた空間で一緒に生活してりゃあ、男ってのは溜まるもんは溜まるし。
仲間のレディに不埒な行為はできねえし、手近な相手としてゾロが俺に手を伸ばしてきたのもまあ、理解できねえこともねえ。
それに応えた俺も、不本意とは言えまあしょうがなかったと言い切ることはできる。
けど、結局はそれだけのことだ。
俺の妊娠がわかって、ゾロの野郎手をついてまで俺に「産んでくれ」と頭下げやがった。
そりゃあ、男としたらいくらまだ年が若くても、自分のガキができたとなりゃあ、責任取らなきゃって思う気持ちもわかるし、相手が例え男の俺だったとしてもゾロは元々真っ直ぐな気質だから腹ん中のガキごと抱え込むつもりで、あん時俺を抱き締めたんだと思う。
わかるさ。
ゾロの気持ちは全部わかる。
だからこそ、俺はなんとも遣り切れねえんだ。
これからもっともっと強くなって剣の道を究める男が、まさかこの年で父親になって、しかも産むのが男とあっちゃあいくらなんでも酷だろう。
だけどゾロが敢えてそれを受け入れて、俺ごとガキごと抱えて生きるってんなら、そうしたらいいと思う。
ゾロの将来を思いやって身を引くなんて殊勝なことをする義理もねえ。
俺一人で作ったわけじゃあねえからな。
まあ、普通はできねえんだけどよ。
だから―――
だから、仕方のねえことなんだ。
俺らは結婚した訳じゃねえ。
夫婦って訳でもねえ。
ましてや俺は男で、それでも妊婦で。
腹ボテの野郎にもよおす男なんて、よほどのマニアかフェチでもねえと、いねえだろう。
さすがのゾロだって引くよなそりゃ。

ここ数ヶ月、あいつがどこでどう処理してんだかさっぱりわからねえが、俺が気にすることはねえんだ。
なんか言ってきたら、手でも口でも使えばいいと思ってたけど、なんにも言ってこねえんだから、放っときゃいい。
なにも気にするこたあねえ。
寂しいだなんて、俺が思うことはねえはずだ。





妊娠に気付く数日前からサンジの体は性的な欲求が減退していた。
まさしくその気にならない状態で、ゾロから求められても鳥肌を立てて嫌がったものだ。
それからすぐ妊娠が判明して、それも生理現象のうちかと納得した。
ゾロも、それ以後求めてくることはないしサンジもこれ幸いと安定した生活を続けてきたのだが…
いわゆる安定期という時期に入ってから、またサンジの体は微妙に変化してきたようだ。
ぶっちゃけ言ってしまえば、なんか身体が求めている。

ゾロの声を聞いたり、汗に濡れた太い腕を見たり、傍を通り過ぎるときに匂いを感じたりしたらもう、どきどきと胸が高鳴って平静でいられなくなるのだ。
自分でもちょっとおかしいんじゃないかと自覚しては見ても、そんな衝動は抑えられるものでもなくてどうしても我慢できないときは自分自分を慰めた。
そうすると腹の下辺りがきゅうと切なく苦しくなるようで、別の意味でまた怖くなるんだけど、カキ出したらやめることなんてできなくて…
しかもそんな時頭に思い浮かべるのは緑頭のことばかりで、悔しく情けなくて、達した後に残るのは虚しさばかりだ。
いくらなんでも胎教に悪いだろうと欲求を抑え込んで寝てばかりいたら、夕べとうとう夢精してしまった。
目覚めたときのショックはもう、口ではとても言い表せない。
こんなことチョッパーにも相談できないし、ナミやロビンには論外だし、勿論ゾロには口が裂けたって言えないし…

サンジはベッドの中で身体を丸くして目を閉じながら、少し膨らんだ腹を複雑な思いで撫で続けるしかできなかった。



サンジのつわりがピークだった頃から、食事はなるだけ当番制で受け持つ体勢になった。
今夜の当番はウソップで、サンジに次いで美味い飯が食えると仲間内では歓迎されている。
(ちなみにゾロも単純な料理ながら味はいい。ナミやチョッパーも一通り家事ができるが、最悪なのはルフィとロビンだ。)

「お、大丈夫かサンジ。無理すんなよ。」
白い割烹着に三角巾を巻いたウソップがフライ返し片手に振り返る。
「ほんと、無理しちゃだめよ。」
「大丈夫ですよ。ったく、チョッパーは大げさだから。」
「サンジ、ちょっと脈測らせてくれ。」
チョッパーの小さな蹄に腕を任せて、サンジは椅子に腰掛けた。

「つわりもだいぶ治まったから、ちったあ食べられるようになっただろ。こんくらい、どうだ?」
「ああ、ありがと。すまねえなウソップ。」
誰かに給仕されるなんてどうにも慣れなくて、妙にぎこちなくなってしまう。

「サンジ君は二人分食べなきゃならないんだから、ルフィは手を出しちゃだめよ。」
「でも体重が増えすぎても母体に影響するから、難しいわね。」
「子どもは胎内で勝手に栄養を吸収するから心配ないんだけど、要はサンジの体力の維持のために適度にバランスの取れた食事ができるのが一番いいんだ。」
チョッパーはサンジの診察を終えると隣の席にちょこんと座った。

ナミがうっとりとした表情でサンジの下腹部を見つめている。
「ほんとに、赤ちゃんいるのねえ。よく動くの?」
「うん、さっきまで俺と一緒に寝てたみたいだけど、起きたのかな…あ、ほら。」
サンジに促されて、なだらかな丸みに手を添えた。
かすかに、小さな振動が布越しに伝わってくる。
「ふふ、ほんとだ。元気ね。」
「コックさんの子だから、さぞかし足腰の丈夫な子が生まれるんでしょう。」

なんとなく、ラウンジ全体がほんわかと和やかな雰囲気に包まれる。
小さな命の息遣いはサンジのみならずクルー全員を幸福な気持ちにさせてくれるようだ。
ああ、幸せだなと素直に感じる。

「落語でも言うからな、腹の中は暑くもなく寒くもなく…季節に例えるなら秋の風情で心地がいいって。」
ウソップの調子のいい節回しにナミは肩を竦めて見せた。
「あらあ、どうして秋なの?春の方が似合ってる気がするけど。」
「そりゃあれだ。暑くもなく寒くもなく、時々マツタケが生えてくる。」
ぶっとゾロが茶を吹き出した。
ルフィがウけて、チョッパーとロビンも肩を震わせている。
ナミは真っ赤になってもう!と照れ隠しに怒鳴った。
そしてサンジはと言えば…
意味ありげな視線を皆から受けながら、きょとんとしていた。

「・・・?」
なんでみんなこっち見てんだろう。
しかもさっきのウソップの、意味がわかんねえや。
なんとなくバツが悪くて、眉を顰めて凄んで見せた。
「あんだよウソップ、俺の顔になんかついてるか?」
「あ、あああいや…その、なあ…」
言いながらゾロを振り向けば、ゾロもなんとも言えない顔をしていた。
チョッパーが青い鼻面をひくひくさせる。
「そう言えば、ゾロもサンジも相談してこないな。どうしてるんだ。」
「なにを?」
真顔で聞き返すサンジに、チョッパーは表情一つ変えずに聞いた。
「だからSEXだよ。妊娠してからどうしてるんだ?」
チョッパーのあどけない声でずばり核心を突かれて、サンジはうっかりその場で椅子から落ちそうになった。
なんでっ、なんでそんな話になったんだ?

「な、な…なんの話だチョッパー!しかもこんなところでっ」
「けど大事なことだぞ。パートナーとの関係も胎教に影響するからな。ゾロ、無茶してないだろうね。」
いきなり話を振られて、ゾロは曖昧に頷いてみせる。
無茶も何も、指一本触れてこねえくせに。
「まあ、妊娠するまで3日と空かずやってたって聞かされた時も信じられなかったけどな。一体どこでやってたんだよ。今もどこでやってんだあ?」
あからさまに尋ねるルフィをナミは拳骨で殴って床に沈めた。
「こんの馬鹿!あんたってほんとにデリカシーってもんがないのっ!」
それからフォローするみたいにサンジに笑いかけるのに、サンジの顔が幾分強張っているのに気がついたらしい。
「…サンジ君、どうしたの?」
「え、あ…いやあ、ったく食事中になんて話題をって思っただけさ。」
「ほんとにね、さあ食事を続けましょう。」
ロビンの柔らかな声でその話題は打ち切りとなった。



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