今日という日に -1- <一滴さま>



一体ここぁ、どこだ?

片眉を思いっきり吊り上げて、剣士は道に迷っていた。
昨日到着したばかりの陸は、風景がどこか故郷のシモツキ村に似ており、懐かしいままにふらりと散歩に出てみれば行き止まりや辻に翻弄されて、もと来た道はすぐに見失っていた。
ふっと抜け出た通りにようやく視界が開け、やれやれと安堵の息をつく。
目をあげると、そこは小さいながらも趣のある庵の前にゾロはたたずんでいた。


「おーい、ゾロ。この道で合ってんのか?」
「多分、な」
と言われてもすっげぇ不安だっつーの。
迷うくせに迷いなくスタスタと歩いていく緑の頭に、金の頭が半ばあきらめてついて行く。

4日前に到着したのどかな島。
海軍の見廻りもないような辺鄙な村には宿さえなく、ログが溜まるまでの1週間、船を港に着け、クルーたちは三々五々、思い思いに過ごすこととなった。

そうして今朝、珍しくマリモがちょっと付き合えという。
サンジがゾロを連れ出すことはあってもゾロがサンジを誘うのは珍しい。
島の見物がてら、いいぜ?と返事はしたものの、一体どこへ連れて行く気だ?マリモマン。

ほどなくしてゾロが「ああ」と立ち止まった。
てっきり食いモンの店かなんかかと想像していたのにこれは。
俺の勘が正しければこいつは寺だ。どう見たってテンプルだ。
まさか人気が無いからって、神聖な場所で押し倒す気じゃねぇだろうな。
顎に手をあて、むぅと訝しい顔で足を止めるサンジを無視して、ゾロが当たり前のように中へ入っていく。

「おい?!勝手に入っちゃマズイだろ?!」
慌てて緑頭に声をかけたその先にいつの間にか小柄な尼僧が出てきているのが見えた。
うおっとっと!言わんこっちゃ無いって!そうわたわたするサンジをよそに尼僧はにこやかな笑顔でゾロに向かって「ようこそ」と合掌し、ゾロも短く「世話をかける」とだけ言って一礼した。

それから、まあ、と笑いながら俺を見る目がなんだかすごく……嬉しそう?
ゾロを見て、俺を見て、ゾロを見て。ゾロも、だろ?みたいな顔でニヤついてやがる。
何だ何だ?訳わかんねぇぞクラ。

「どうぞ。ご用意できております。そこまで案内いたしましょう」
見た目通りの柔らかな声をかけられ、ゾロがサンジを振り返ってこっちだと顎で促す。
ちぇと小さく舌打ちして後に続く。狐につままれた気分で何がなにやら。

(しかしここは…)

外から見れば小さな印象だが、中がこんなに広いとは想像できなかった。
進んでいく内に外の音もだんだん遠くなる。
ザ、ザ、と砂利を踏みしめ歩く3人の足音のみが響く静けさだった。


「ではごゆるりと。私は中におりますので御用があればなんなりと…」
ゾロと幾分サンジの方をゆっくり見つめてにっこり会釈し、庵主が奥へと入っていった。
その後ろ姿にゾロが深々と礼をする。サンジもつられて頭を下げた。

なんだかぽつんと取り残された気分だったが
それを払拭するかのように「入んぞ」と後ろから声をかけられた。
振り向くと庵主が入っていった奥とちょうど反対側にある小さな建築物の、これまた小さなくぐり戸を開けてゾロが中へ入っていくところだった。その屈まなければ入れない、秘密基地のような入口を前にして少なからずサンジは躊躇した。

「何?こっから入んの?間違ってねぇ?」
中に居るであろうゾロに壁越しに声をかける。
「そこで正解だ。屈んで入って来い」
と、くぐもった返事が返ってくる。どうやら入り口は間違いなくここらしい。
「ん、じゃまあ…お邪魔しますよ、っと…」

頭をかがめて中を覗く。

(へぇ…)

かなり狭く感じる小さな部屋だが、明り取りの丸い障子窓からは光が差し、部屋の中に微妙な陰影を生んでいる。
ゾロはすでに三本刀を刀掛けに納め、床の間を後ろにしてまっすぐこちらを見ていた。

「頭、気ィつけろ」
「あ?ああ」さらに頭を下げて中へ入る。

「そこ、座れ」
腰を下ろしながらきょろっとして尋ねる。
「ここ…茶室?」
「見ての通り、だな。今日はてめぇに粗茶を一服、点てさせてもらおうと思ってよ」
「はぇ?」思わず素っ頓狂な声がでる。ゾロが茶ぁ??

「てめぇ…茶なんてできんのか?」
「剣道の師匠がマメだったからな。なんでも知っときゃ役に立つってんでひととおり仕込まれた。
ガキの頃の手習いだ。もう随分と昔の話だが手順くれぇは覚えてる。どうせてめぇとふたりだ。少々間違っても誰も文句は言わねぇだろ?」
「言っといてくれりゃあマナーのひとつも勉強してきたのによ…」
「茶は点てたもんをただ飲みゃあいいって誰かも言ってたと思うぜ?」
「誰だよそりゃ」
「忘れた。細けぇ事はあんま気にすんな。ま、菓子でもやっとけ」と、菓子皿をすいっと出された。

なんの変哲もない四角く切られた蒸菓子と、桜の花をかたどった干菓子がひとつ、添えられていた。なんとなく桜の花からつまんで口にする。すっと溶けるような不思議な食感。質のいい砂糖…だけじゃねぇなと思ったが、すぐに答えが見つからない。これの答えは後回しにし、次にほんのり甘くほろほろと崩れる蒸菓子を口に運ぶ。


「よく味わっとけよ?」
「…なんで?」
「あー…後の茶が引き立つ」


言われなくったって職業柄コックのサンジは初めてのものや珍しいものを口にするときはあれこれと食味を考えながら食べるクセがある。
今も頭の中のあらゆる情報と味覚が交差して食材の分析に忙しい。
喋らなくなったコックにゾロが気づき、そっと口端で笑った。


サンジが食べ終えるのを見計らって、では、という様にゾロがすっと動く。
膝の横側に拳をついて一礼すると、後は水の如く自然に流れるような所作だった。
初めて見るゾロの点前にサンジは驚きを隠せなかった。


てめぇそりゃあ…手順を知ってるっていう感じじゃねぇだろ。
無造作にやってるようで、無駄な動きが無ぇ。
伏し目がちの目と引き結んだ口が彫刻みてぇだ。

ちぇ。
ちょっとカッコいいじゃねぇか。
いっつも血みどろだったり、寝腐れてばっかなのによ。
ここだけ見りゃあレディが惚れちまうだろな。

クソ。
男の色気ってのはこういうことなのかも知んねぇなぁ――。


なんてぼうっと考えていたら、すっと前に茶碗が置かれた。


「…回したり、すんのか?」
「いや、そのままで構わねぇ。正面から飲め」
そっと両手に包むとすっぽり掌に馴染む。気持ちいい。いい器だ。
黒々と滑らかな器に抹茶の翠。ああ、こいつも綺麗だ――。

そのまま口に運び、ひと口飲む。
すると――真っ黒と思われた茶碗の底から深い青の玉模様がひとつ現れた。

(あ…)

ふた口飲むと、さらにふたつ現れ、三口飲むと大小の青が現れた。

(…!)

それはまるで、海の底から海面を見上げた時、吐いた息の立ち上る泡のようで。

お茶を飲み干しても、飲み干した格好のままサンジはしばらく動かなかった。

ゆっくり器を下ろし、膝に置いて、なお目は黒の中の青を見つめていた。
サンジが戻ってくるまでゾロもじっと動かなかった。



ほう、とひと息ついてゾロを見た。瞳がゆらゆらと揺れている。

「…苦くなかったか?」
「いや。むしろ甘かった。…海が、見えた…」
「そりゃ上々」
「これ、きれいだな…」茶碗の青を見つめながらサンジが言う。
「ああ。窯変っていうもんらしい。窯の中で焼く時に、いろんな具合で偶然に出るんだそうだ」
「へぇ…すげぇ。綺麗だ」




静かだ。

鳥の声。

風の葉擦れ。

釜音。


ここだけ世界から切り取られたような空間。
いつも必要以上に喋らないゾロだが、さらに寡黙になっている。


心地よいふわふわした意識で視線を巡らせるとそこにある道具に自然に目がいった。

(…ん?)

焦点を合わせれば柄杓を置いている陶器にちょこんと人がくっついているのが見える。

「なぁ、それ…」サンジが蓋置きをちょいと指差して
「そいつ、帽子かぶってんのか? なんか船べりにくっついてるルフィみたいだな」
「そうだ。ルフィのつもりでここに置いた。…他にも居んぜ?」
「…何? 他って、他のみんなもってことか?」
「そうだ。言おうか?」
「待て待て!探させろ!言うなよ!絶対見つけるから!」
そう言う目がすでに嬉々と輝いている。
ガキ臭ぇ顔だなと思うがそんな顔を見るのは存外悪くない。
悪態つかずにもっとそんな顔見せりゃカワいいのに、とは決して言わないゾロであった。




さて、こいつがルフィ、と。
そのすぐ横にある湯の沸いた釜。よく見ると船の形に見えなくもない。
「変わった形だとは思ってたが、こいつぁ船か?フランキー?」
「と、サニー号だな」とゾロが答える。
「うし!」

続いて釜を囲っている衝立の模様を見れば。
端っこにしゃれこうべがころりとひとつ転がっている。
「ブルックみーっけ」ニっと笑ってゾロを見る。ゾロもそうだというように小さくうなずく。

そしてゾロの後ろの床の間で、すぐに目についたのが飾ってある花。
小さな橙色の実をつけた一枝と背の高い紫の花。
「ああナミさん、ロビンちゃん」

それから花入れの敷板の上にキノコがぽつんとひとつ。
「え?…これもしかしてウソップ? 扱い、ひどくね?」
「あ〜、鼻はむずかしかったんだ。これしか思い浮かばなかった」
サンジがニヤニヤしてキノコをつまみあげ「おいおいゾロく〜んって、鼻の泣きが入んぞ?」
「へっ。文句は言わせねぇよ」


んでっと…ゾロの横に置いてある、茶を点てるのにも使ってなかったもんだが…
黄色の陶器が目を引く。よく見ると模様が、わらび? 
土から萌え出たわらびは当然先っぽがくるくる渦を巻いている。

手にとってしげしげ見つめつつ「まぁ…、これは俺か…。」
「ああ。そいつぁ煙草盆で黄色いのは火入れだ。タバコで黄色でぐるぐるならてめぇで間違いねぇ」

ゾロが釜の横の水差しをぽんぽんと叩いて
「こいつの模様は青海波。たくさんの波――要するに海だな。
ちょうど取り手に魚が乗っかってたんでな、番外編だが海に浮かぶでっかい魚といやぁ…」

「バラティエ」

「正解」

ああ。ジジィ。元気にしてっかな。ふてぶてしく笑った顔がなつかしい。

刀掛けを見やり「てめぇは?まんま、あの刀か?」
「ああ?俺はとっくに入り口でてめぇを出迎えてたぜ?」
「なんだと?」

タタッと駆け下り、小さな入り口から頭だけ出して探してみれば――
くぐり戸の脇の、少しばかり生えていた下草の上に、ちんまりと苔玉が置かれていた。
おお!ナイス苔玉!
あまりのかわいさに満面の笑みで振り返ってやった。
「なんだ、自分がマリモだってようやく自覚できたんだな!」
「…今日だけな」
低―い声でさも嫌そうに言いやがるけど顔が笑ってる。

さって。ルフィ、フランキー、ブルック、ナミさん、ロビンちゃん、ウソップ、俺、ゾロ。
残るはチョッパーか。だが…どこにも鹿らしきもんが見あたらねぇ。
どこかに彫ってあったりすんのか?と思ってあちこち探すが…無い。

「ゾロ、チョッパーは?鹿もタヌキもなんもねぇぞ?」
「…鹿はいまお前の腹ン中だろ」
「腹ぁ?…さっき食べた茶菓子か?ああ、桜だったな!」
「それもあるが四角い方、あれはな、小さい男の鹿、『小男鹿(さおしか)』って名前の菓子だ。
だからついでに桜も置いといた。」
バレなかったことがさも嬉しそうにニカっと笑った。
「ああ、そりゃわかんねぇよ!なんだマリモにしちゃ上出来じゃねえか。知ってたのか?」
「俺が菓子の名前なんか知るわけ無ぇだろ。ここの庵主の入れ知恵だ」
「あー…納得」
「この寺、小さいのに物持ちが好くてな。ま、おかげでいろいろ遊べた」
「ああ」あらためてひとつひとつ目で追っていく。
「みんな揃ってなにより、だな」

「……あれもなんか意味があんのか?」とゾロに聞いた掛け軸の文字。


『 関南北東西活路通 』


「・・・かんなんぼくとうざいかつろをつうず。
 さまざまな関門を越えると自由自在な境地が待っているって意味だ」


東西南北を、越えていく、か。
サウスもノースもイーストもウエストも。みんなで越えて行くってことか。
いいな。
こういうのって、すげぇ。いい。


「たまにはこういうのも面白ぇ…」
「楽しめたか?」
「ああ、なんつーか、堪能した。マリモにしちゃあ出来すぎだ。褒めてやらぁ」
ゾロ、てめぇのその満足げな顔にも満足だ。

「…もう一服、どうだ?お客人」
「あぁ?頂こうか。クソご亭主」






見送りに来てくれた庵主に精一杯のお礼と愛の言葉を申し上げて俺たちは船へ戻った。
戻る道すがら、これ、要らねぇか?といってゾロから差し出されたのは細い竹筒。

「何?」
「今日使った茶杓が入ってる。俺が持っててもしょうがねぇし」
「え?貰ったのか?」
「いや、こいつぁ俺が削ったもんだ。要らなかったら捨ててくれ」
「んー匙なら使うんじゃね?もらっといてやんぜ」
「ああ」

ぞんざいな口ぶりとは裏腹にサンジは茶杓の筒をそっとスーツの内ポケットにしまい込んだ。
ばーか。捨てねぇってーの。



「つか、てめぇ、あのシスターにお礼はちゃんとしたのかよ?
あんだけ用意して後片付けすんの、けっこう大変だぜ?」
「薪割りは、したぞ」
「薪割りぃ?それだけ?」
「竹も、切った」
「竹ぇ!?もうちっと気の利いた礼はなかったのかよっ?」
「…いいって、言ってたぞ」
少しばかりむっとして返事を返すゾロに、あああこいつダメだ。絶対何か持って挨拶にいこうと心に誓うサンジであった。


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