薫風  -3-



朝露に濡れた畑の中で、ゾロは草を抜いていた。
今日も、日中の気温は上がりそうだ。
地面が固まる前に雑草を処理した方が楽だし、効率がいい。

「おはよう、朝から精が出るな」
「うっす・・・」
俯いたまま返事をしてから、聞き覚えのない声だと気付いた。
顔を上げてみれば、昨日の金髪が黒スーツ姿で畦にしゃがんでいる。
「なんだ、お前か」
「近付くまでわからなかったぜ。緑が同化してるな」
それでも目ざとく見つけて寄ってきたのか。
「どうやってここまで来たんだ」
ゾロは額から流れ落ちた汗を拭った。
頬に泥がつく。
「朝飯済ませた後、散歩がてらブラブラ歩いてたら見覚えのある場所まで来たからさ。距離的に、そう遠くなかったもんな」

ゾロはちょっと感心した。
見覚えがあるってだけで、正確に行き着くとは素晴らしい。
「ナミは?」
「朝一でご出勤だ。スタッフが迎えに来たよ」
「それで、お前はお役御免って訳か」
「まあな」
懐から煙草を取り出し火をつける。
かなりのヘビースモーカーのようだ。

「やっぱ田舎は空気がいいなあ」
副流煙で空気を汚しながら、そんなことをほざいている。
ゾロは下を向いて作業を再開させた。
「なあ、お前朝飯食ったの?」
「いや」
「何食うんだ」
「別に」
「別にってこた、ないだろ」
「特に朝は食ってねえ」
「なんだと?!」
サンジの声がいきなりでかくなった。
「お前、そんな図体して朝飯食わないなんて何事だ!」
「はあ?」
ゾロが鬱陶しそうに顔を上げる。
「別に、食わなくったって仕事はできる」
「馬鹿野郎、朝食は一日の基本だぞ」
一体どこの回し者だ。

ゾロはサンジを無視してばりばり草を抜いていく。
ぞんざいそうに見えて、その実ゾロの手が動いた後は綺麗に地面が見えていて、見ていても気持ちがいい。
サンジはしばらくぼうっと眺めていたが、携帯灰皿にタバコを揉み消すと、「よし」と呟いて腰を上げた。
「しょうがねえ、どうせ暇だからてめえの飯を作ってやるよ」
「はあ?」
ゾロは胡散臭そうに顔を上げた。
「台所、勝手に使うぜ」
「・・・ああ」
コックだっつってたから、料理するのが好きなんだろうな。
休暇ん時くらいのんびりすればいいのに・・・などと思ったが、ゾロは特別引き止めはしなかった。
別に施錠してある家じゃないし、勝手に入って使う分には構わない。
ゾロはそう深く考えず、その後黙々と草取り作業に没頭した。


「おい、飯だぞ」
1時間もしないうちに、頭上から声がかかった。
振り仰げば、サンジはなんとも微妙な顔つきをしながら煙草を噛んでいる。
「お前、特に好き嫌いとか、ねえよな」
「ああ」
「その、アレルギーとか・・・」
「別に」
「ならなんで、冷蔵庫が空っぽなんだ」
ゾロは手の泥をパンパンと払いながら立ち上がった。
「あ〜、作るのが、面倒だから?」
最後は何故疑問系になってしまったのだろう。
「そうだろうな。ゴミ箱覗いたらコンビニ弁当の空やらカップラーメンやら・・・」
「田舎にもコンビニはあるぞ」
「自慢たらしく言ってんじゃねえ」
サンジはイライラを隠さず、俯いて煙草に火を点けた。
「折角家の前に畑があって、食うもんがあるのに全部伸びすぎて虫だらけじゃねえか。勿体ねえ、しかも冷蔵庫の中身がビールと卵だらけたあどういうわけだ?」
ゾロは歩きながら肩をすくめた。
「ありゃあ、養鶏やってる知り合いが分けてくれるんだ」
「だからって、多すぎだろうが」
「毎日卵がけしてるからいい」
「卵がけ・・・毎日?」
「おう」
「賞味期限は?」
「なんだそれ」
サンジの顔つきが怪訝なものになる。
「毎日あんだけたくさんくれるんじゃねえだろ?」
「食うのが追い付かない時は冷蔵庫に入れてる」
「・・・傷むだろうが」
「ああ?卵は腐らないぞ」
やけにきっぱり言い切ったゾロに、サンジは露骨に顔を顰めた。
「はあ?」
「前に遠洋漁業行ってた奴に聞いたことがある。出港する時積んだ卵は倉庫で保管して何ヶ月もかかって食べるんだ。だから卵は腐らねえ」
「・・・その認識だけは、改めた方がいいぞ」



玄関を開けると、いい匂いが漂っていた。
不覚にも、何か言う前にぐうと腹の虫が鳴く。
「ほんっとに何にもねえんだもんよ」
先に家に上がったサンジは、くるりと振り向いてゾロを指差した。
「ちゃんと洗面所に行って、手を洗ってから来い」
「ああ」
子どもに言うような台詞を言われて、むっと来たかと言えばそうじゃなかった。
サンジに注意されなければ、そのまま手も洗わずに食べていたからだ。

意識して石鹸を使い、二の腕から綺麗に洗い流した。
薄汚れたタオルが綺麗なものに代えてあって、手を拭くのが気持ちいい。
軋む廊下を通って台所に顔を出すと、卓袱台代わりのダンボールの上に角盆が置かれて、パンケーキとサラダが綺麗に盛り付けられていた。
「魚もハムもねえんだもんよ。ったく作り甲斐がねえったら・・・」
文句を言いながら、熱々のオムレツを皿に移す。
どうやって作ったのかミネストローネまで出てきて、ゾロは目を丸くした。
「どうやって作ったんだ、これら」
「全部冷蔵庫の余りモノと庭の野菜だ。言っとくけど肉は一切入ってねえぞ」
「まあ、元からねえからな」
それにしても美味そうだと、ゾロは正座して手を合わせた。








朝食はいらないと言った割りに、豪勢な食事を目の前にすると現金なもので腹の虫がぐうぐうと騒ぎ出す。
一旦口に入れたら、箸が止まらなくなってしまった。
温かいものは温かく、冷たいものはきりっと冷えて実に美味い。
自分でも呆れるほどのスピードで平らげて、ひと心地ついてから側にサンジがいることに改めて気付いた。

「あ、美味かった」
「おう、そうだろそうだろ。食いっぷり見てるだけでよーくわかった」
横を向いて煙を吐いてから、にかりと顔を顰めるように笑う。
「マジで美味かった。さすがコックだな、食材がなくてもなんとかするもんだな」
「不本意な代用もしてるけどな。できたら最低限の調味料くらいは揃えておいてくれ。料理人泣かせだ」
「考えとく」
皿を綺麗にしてしまってから、今頃気付いたように目を瞬かせる。
「お前の分、いらなかったのか?」
サンジはぶっと吹き出して、携帯灰皿にタバコを揉み消した。
「だから、俺はホテルで食って来たっての。大体そんだけ平らげといて今更なんだよ」
ゾロは所在なさそうに、バリバリと首の後ろを掻いた。
その仕種に、またくすくすと笑いを漏らす。

「ついでだから、昼飯もどうだ?なんかリクエストがあったら買い物もしてやるぜ。食費はてめえもちだがな」
「あー、そりゃ助かる。んじゃなんか飯食わせてくれ、財布渡しとく」
ゾロはズボンのポケットから無造作に財布を取り出した。
「財布ごとかよ」
「カードとかねえからな」
札入れからはみ出した札を見ないようにして、サンジは両手で受け取った。
「買い物できるとこは駅前のスーパーかコンビにしかねえんだ。これから役場に行くからついでに乗ってってくれ」
「ああ、それにしても・・・」
サンジは炊事場を振り返った。
鍋なんて一つしかないし、フライパンもない。
食器も最低限でどれも薄汚れたものばかりだ。
「なんつーか、お前ほんとに大丈夫か?食うもの食わねえと体がもたねえぞ」
「まあな。時々近所のおばさんが差し入れくれるから」
「近所って、どこだよ」
ゾロは川向こうに見える青い屋根を指差した。
「・・・すっごい近所だな」
「田舎で近所っつったら歩いて来れる距離のことだ」


食べ終わった食器を流しに持っていくと、水垢だらけだった洗い桶の汚れが綺麗に落ちている。
「掃除してくれたのか」
「ああ?んなもん掃除の内に入らねえぞ。まあ、レトルトや弁当空ばっかりで片付けるのは楽だったがな」
そう言ってサンジは財布をポケットに突っ込んだ。
「一応、食料以外に必要最低限のもの買ってもいいか?」
「別にこれ以上必要なもんねえだろ。今まで俺が使わなかったんだ」
「・・・使えよ」
「まあ、買い物は任せる。俺にも使えそうなものがあったら選んでくれ」
「OK」
昨日会ったばかりのまだ良く知らない相手に財布ごと現金を預けるのは自分でもどうかと思うが、なんとなくゾロは勘でサンジを信用してしまった。
サンジもその全幅の信頼を感じ取ったのか、満更でもない顔つきをしている。

「んじゃ今から行くぞ」
「おう」
昨日は荷台にしか乗れなかった軽トラの、ちゃんとしたシートに腰を下ろしてサンジはふへんと変な声を出した。
「・・・ここに、ナミさんが座ったのか」
「ああ?」
「ナミさんが・・・あのナミさんが、こんなところに・・・」
「・・・言ってろ」
ゾロは手早くシートベルトを締めると、何も言わずにエンジンを掛けて発車した。
クッションがないからお世辞にも乗り心地がいいとはいえない振動が伝わってくるが、昨日の荷台よりは遥かにましだとサンジはブツブツ呟いている。





「今日は何時までいるんだ」
「4時23分にシモツキ駅出る電車に乗るよ。ナミさんはこのまま隣の県縦断するから」
「そうか」
カーブに合わせて身体を傾けながら、サンジはゾロに視線を移した。
「久しぶりに会った友人が、得たいの知れない男連れてて心配か?」
「ああ」
潔い即答に苦笑が漏れる。
「それは友人として?ジェラシーじゃねえの?」
「生憎、俺とナミに色っぽい話はねえよ」
「んじゃルフィって奴は」
「お前は知らないのか?」
逆に質問されて、サンジはシートに背中を押し付ける。
「・・・知らない」
「知ってたら、色々思うことあるだろうよ」
「なんだよそれ」
ゾロは前を向いたままハンドルを切った。
「ルフィとナミの間にも、色気なんざなかったがな」
「でも、恋人だったんだろ」
「恋人だ。今も」
何年も音信不通だったと言うのに、なぜそんなに自信を持って言い切られるのか。
「俺の立場は?」
「知るか。少なくとも、ナミは中途半端な気持ちでルフィと別れたり、他の男と付き合ったりする奴じゃねえ」
「だったら尚更、俺の立場は」
「知るか」
ゾロの応えは、頑なだ。
サンジは諦めたように首を竦め、煙草を取り出した。
「車内禁煙」
「うっせえ、人の存在を思い切り蔑ろにしやがって」
火を点けないで咥えたまま横を向く。
久しぶりの赤信号で停止し、ゾロはハンドルに腕を掛けたまま振り向いた。
「お前に当たったな。すまん」
関係ないのにな。
そう呟かれて、余計やさぐれた気分になった。
今のナミを誰より知っているのは自分なのに、3年振りだかで再会した昔の仲間とやらに、全部お株を持ってかれた気分だ。
今ここにいない、見たこともないルフィとやらに、ナミがまだ心を残していることを改めて思い知らされる。

「俺は、ナミさんのことが大好きなんだからな」
「ああ」
「ナミさんも、俺のこと好きだっつってるぞ」
「はいはい」
おざなりに返事をしながら、青信号で発信する。
ゾロの気のない返事にむかっ腹を立てながらも、サンジはそれ以上言い募りはしなかった。





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