薫風  -2-



家の前には花壇だか畑なんだかよくわからないスペースがあって、ごちゃごちゃと色んなものが植えてあった。
チューリップの間にミニレタスもどきがあったり、よくみると大葉だったりする。
「そっちからこっちが畑で、向こうからあの辺りまでが俺が作ってる田んぼだ」
畦道には入らず、アスファルトからあっちこっちと指差されてもどこがなにやらさっぱりわからない。
「昨夜雨降ったからな。お前らのそのナリじゃ入れねえだろ」
言われて足元を見る。
確かにサンジは革靴だし、ナミは華奢なミュールだ。
とても田舎見学に相応しい服装とは言えない。
ここで「何しに来たんだか」と言われたら返す言葉はないが、思っても口に出さないあたり、案外気遣いのある性格なのかと、サンジは密かに感心した。

「畑はそう広くないのね」
「水稲中心の経営だ。菜園は採算が採れねえ」
途中就農のゾロは農地を持てない。
個人で借りることもできないから、法人に籍を置いて雇ってもらっているのが現状だ。
「自分名義の農地を一定の面積以上持ってねえと、人から借りることは許されねえ。借りて作れなきゃ、いつまでたっても自分の農地なんて持てない。堂々巡りだ」
「そんなこと決まってるの?」
「ちゃんと法律がある。代々そうやって農地ってのは守られてきたもんなんだ。それが今じゃ、手放したいと望む者にとっての足枷になってる。結果、誰も引き取り手のない農地は荒れ放題だ」
農家を守るはずの法律が、却って農地を荒れさせる結果になっているのは皮肉なことだ。
「俺みたいなどこの馬の骨ともわからない奴に貸し付けるより、ちゃんとした組織の法人通じた方が貸主も安心するしな。手続きさえ踏めば、確かに理想的なんだよ」
歩きながら話していると、途中からアスファルトが切れて砂利道になっていた。
どんどん草丈が伸びて、轍以外は青々と緑に埋まっている。
ゾロが足を進めるたびに、バッタだかなんだかわからない虫がぴょんぴょん四方に飛び跳ねた。

「そんなので、この土地で根を下ろすことができるの?やってける?」
「やってくんだよ。結局なんでも信用が第一だ。俺にできるのはまじめに収量を上げて、借りた農地をきちんと守っていくことだけだな」
ゾロが足を止めた場所は、素人から見ても綺麗に草刈をされて植えられた苗が気持ち良さそうにそよいでいるように見えた。
「草刈は大事な仕事だ。面倒がって除草剤なんて撒いた日にゃ、根っこまで枯らして畦が崩れるからな。田んぼも同じように見えてそれぞれ違いがある。どこそこは地面が緩い、少し傾斜がある、水はけが悪い。そんな特徴を知らない人間に、好き勝手に触られたくないと思うのも持ち主の心理だ。その辺の話を良く聞いて、望むとおりに大切に扱えば信頼が得られる」
「・・・なんだか、あの頃のゾロみたい」
「仕事だからな、基本は一緒だよ」

ナミが言うあの頃とは、サラリーマンの時のゾロだろうか。
サンジは黙って、ゆっくり歩く二人の後をついていった。
日差しを遮る木陰もないのに、風が涼しくて心地よい。
水田にたっぷり張られた水のせいか。

不意にかさりと足元の草が揺れて、何かが飛び出したと思ったら水に波紋が広がっていった。
「うげっ」
蛇が鎌首を擡げて、すいすい蛇行しながら水面を泳いで去っていく。
「そろそろ戻るか。日が翳ってきた」
「そうね」
帰り道はきょろきょろと見渡しながら歩くサンジに、ゾロは密かに笑いを漏らす。







「悪いけど、ホテルまで送ってくれない?明日、取材で隣町のイベントに行くから1泊する予定なの」
「構わないが、ホテルって山の上のか?」
なんとかって洒落た名前のプチホテルがあるが、あそこは確かリゾートホテルでシングルなんてなかったはずだ。
「平日でカップルプラン、安かったのよ」
ナミの言葉に、ゾロは急に表情を険しくした。
「お前、この男と一緒に泊まるのか」
いきなりこの男呼ばわりで指差されて、サンジも思わずむっとする。
「嫁入り前のくせに、野郎と同じ部屋に泊まるなんざ、感心しねえな」
「あらあ、頭ん中まで田舎モノになったの?」
ナミは涼しい顔で、すたすた歩く速度を緩めない。
「・・・ルフィはどうした」
「知らない」
前を向いたままそっけなく返す。
「どっかで無茶してんでしょ。死んだら夢枕くらいに立つでしょうけど」
ゾロは苦虫でも噛み潰したような渋い顔をしたが、黙ってサンジを睨みつけた。
「お前それ、八つ当たりだろ」
火のついていない煙草を口に咥えたサンジにずばりと指摘されて、ゾロは今度こそ怒りを隠さず目を剥いて見せたが、結局反論せずに軽トラを取りにその場を離れた。









「色々ありがと。助かったわ」
サンジは再び荷台から飛び降りて、いててと腰を擦る。
ホテルまでの道のりは平坦だったにも関わらず、やけに揺られた気がするのは気のせいか。

「今夜はここで泊まって、明日帰るわ。また遊びに来てもいい?」
「ああ。だがいつでも迎えに行けるたあ限らねえぞ」
今回はたまたま田植えが終わった時期だったからよかったのだ。
農繁期じゃ電話も取れない。
「メール送ってよ。わかった方が便利でしょ」
「お前のを教えろ。俺は自分のメアドが見られねえ」
「嫌よめんどくさい」
また不毛な言い合いを始めたと思ったら、ナミがちらりとサンジを見た。
「そうだ、サンジ君なら私のメアドも知ってるし、サンジ君から送ってもらって」
「は?なんで俺が」
「いいじゃな〜い、これも何かの縁よ」
サンジは渋々といった感じで、自分の携帯を取り出した。
「お前、ナミのマネージャーかなんかか?」
「俺は料理人だといったはずだ」
片手で携帯を操りながら、ぎろりとゾロをねめつける。

「ここに送れ」
「・・・登録したことねえ」
「だあああっ、もうっ」
ゾロが手にしたタイプの古い携帯を引っ手繰るように取って、勝手に操作し始める。
「うわ、なんだこれ。どうすんだ・・・ったく、機種が違うとよくわからねえ」
「しかも字の大きなタイプね。見やすいことv」
「絵文字も使えねーじゃねえか」
「使ったら不気味よ」
二人で覗き込みながら勝手なことをほざいている。
その内ピピピっと電子音が鳴った。
着信完了のようだ。
サンジはナミのも自分のも丁寧に登録してくれた。

「いいか、ナミさんに連絡したければこれ、俺はこっちだ。名前入れたからな」
「おう、サンキュ」
そうは言ったものの、連絡することなんて二度とないと思う。
少なくとも、このサンジと言う男にだけは。





「それじゃゾロ、ありがとう」
「おうまたな」
サンジは煙草を携帯灰皿に押し潰すと、胸ポケットに仕舞いながらゾロに向かって顎をしゃくった。
「お世話になりました」
「お前、それが人に礼を言う態度か」
呆れながらも、こういうキャラかと思うと不思議と憎めない。

ナミと二人分の荷物を担いで後からついていく、ひょろ長い後ろ姿を見送って、ゾロはやれやれと首を回しながら古びた軽トラに乗り込んだ。












「あら、意外と趣味のいいお部屋ね」
ナミはダブルベッドにぽんと腰を下ろして、ミュールを脱いだ。
「部屋が広いね。さすがというべきか・・・」
サンジは窓辺に寄って、ブラインドを開ける。
「おお、見渡すばかり田んぼばかりだ!」
「山の中ですもの。でも緑が綺麗ねえ」

窓に額をくっ付けるようにして見下ろしながら、サンジは目を細めた。
「あいつのいた辺り、こっから見えないかな」
「ちょっと方向がわからないわね。山道をクネクネ来ちゃったし」
ベッドに寝そべってホテルのパンフレットを眺め見る。
「夕食は19時にフレンチのコースよ。サンジ君の口に合うといいけど」
「君と一緒なら、それだけで極上のディナーになるよ」
振り返って微笑んでから、サンジはあっと目を瞠った。
「やっべ、ナミさんも土がついてる」
「え、あらやだ」
ミュールの踵に泥がついていた。
絨毯も少し汚れてしまっている。
「ゾロの言うとおりね。見学とか言いながら、私たちって何も考えないで来ちゃってたわ」
「ナミさんはほんとについでで俺を連れてきてくれただけだから仕方ないよ。俺が考えなしだったんだ」
サンジは靴を脱ぐとナミのミュールも一緒に持って風呂場に向かった。
申し訳ないが、そこで軽く漱がせてもらう。





「でも、少しは気分転換になった?」
「うん。なんか色々」
「ゾロって、サンジ君から見たらむかつくタイプなんじゃないの?」
ナミのからかうような声音に、サンジは風呂場で一人苦笑を漏らす。
「・・・まあね。でも俺ああいうタイプ嫌いじゃない」
「あらそう?」
「うん・・・なんつーか・・・」
水気を取った靴を部屋の隅に並べて、備え付けのスリッパをクローゼットから出した。
「だって、サンジ君ってすかした感じの顔のいい男とか、嫌いじゃない」
「・・・身も蓋もないね。男は全般に嫌いだよ」
ベッドの横にスリッパを並べて置いて、サンジもナミの隣に腰掛けた。
「ナミさんと仲がいいなんて、余計嫌いになる要素だ。はっきり言って妬けるね」
「どうだか」
肩を竦めるナミに、サンジは困ったような笑みを返す。
「でも、ほんとにあいつはナミさんのことが好きなんだね。異性と言うより、友人として」
「わかる?」
「そしてナミさんも。とても信頼してる」
「そうよ」
応えるナミは、どこか誇らしげだった。
サンジは眩しそうに目を細める。
「そういうのって、なんかいいな。あのルフィって奴のことも。あいつとは友人関係なんだろ」
ナミの表情が少し固くなったが、否定はしなかった。
「しかもナミさんと同じように、信頼し合ってる友人だ。だから、俺がナミさんと一緒に泊まるって聞いたら怒ったんだろ」
「そうね」
ナミは綺麗に塗られた爪を、所在なさそうに弄り始めた。
「ルフィとゾロは、ほんっとに仲がよかったから。多分私以上にルフィとも会ってないと思うけど、ゾロにとって何も変わらないのよ」
「それより、ナミさんの心配をしてるんだよ」
サンジの声に、ナミは顔を上げた。
「ナミさんのことが大事だから、俺見て怒ったんだ。そしてルフィって奴のこともやっぱり大切だから、心配したんだろ」
「そうよ、ゾロにとって私はいつまでも友人であり、大切な親友の恋人ですもの」
そう言って笑うナミの表情は寂しげだ。

「でもいいの、今はサンジ君がいるんだもの」
「カップルプランなら、安いからね」
「ひどいわね」
二人で顔を見合わせて、笑い合った。





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