薫風  -1-






風薫る美しい季節を迎え、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。



いきなり硬い挨拶文で始まった手紙を受け取り、ゾロははてと首をかしげた。
差出人はナミ。
高校の同級生だ。
当時から美少女でありながら才媛と持て囃され、華やかな存在ではあったが、何故かゾロとウマが合ってよくつるんでいた。
付き合うとかそういう色っぽいものではない、コインロッカーを介して取引きしたり、夜明けの線路を2人で歩いたり、そういうコアな思い出を共有している程度のもの。

「なんだ、ナミが来んのか」
今時手紙なんて古風な手法を使うのも驚きだが、3年ほど音沙汰がなかったものを何故今更とも思う。
到着予定の日時を見て、さらに目を剥いた。
―5月10日午後3時5分、シモツキ駅まで迎えに来てね。―
「今日かよ、しかも今かよ」
ゾロは慌てて時計を見た。
現在午後2時59分。
相変わらず、人の予定など気にしないマイペースぶりだ。




「久しぶり、全然変わってないわねえ」
晴れやかな午後の陽射しの下で、明るい髪色が光っている。
3年ぶりに会うナミは随分と大人びて、相変わらずモデル並みにスタイルがいい。
田舎の駅ではまさに掃溜めに鶴、三セクの留守番おじさんも目を丸くして見惚れている。

「もうちょっと早く知らせろ。俺が手紙を読んだのは5分かそこらくらい前だ」
「あらそうなの?ナイスタイミング」
「せめて電話かメールにしろよ」
「あんたんちに電話あるの?携帯なんて知らないわよ。勿論メアドも」
「お前がメールくれないからだろ」

不毛な言い合いをしていると、喫煙室から見慣れない男が顔を出した。
「ナミさん、お迎え来たの?」
これまた、この場にあまりにそぐわない、キンキン頭の派手な男だ。
ひょろりと伸びた痩身を黒のスーツで固めているため、どう見ても堅気には見えない。
「・・・お前、シュミ変えたのか?」
思ったことをそのまま口にしたら、バッグが唸りをあげて飛んできた。
寸でのところで避けて、もう一度男を見直す。

―――ホストって奴か
実物を見たことはないが、多分こんなのだろう。
女に媚びは売るが如才のない、外見だけ派手な優男。

「失礼ね、サンジ君はれっきとした料理人よ」
ゾロの考えを察知したのか、ナミは漸く紹介することを思い出したようだ。
「うちの近所のフレンチレストランでシェフをやってるの。サンジ君、こっちの失礼な野蛮人がゾロ」
「はじめまして」
ナミの手前、格好をつけているのか、穏やかに微笑んで会釈してくる。
良く見れば金髪も本物のようだ。

「サンジ君を紹介する為に、今日はわざわざこっちに来たのよ」
「は?紹介?俺にか」
「そう。立ち話もなんだから、ゾロ、車出して」
相変わらず居丈高だが、顎で使われるのは高校時代に慣れている。
ゾロは無意識にナミの荷物に手を伸ばして、横からさっと攫われた。
―――そうか、連れがいるんだっけか
改めて思い出して、駅前に横付けされている軽トラに向かった。

「え?軽トラ?」
「仕方ねえだろ。お前一人だと思ってたんだ」
「いくら一人でも軽トラはないんじゃないの?」
「軽トラ以外、車ねえよ」
どうするんだと来た早々途方に暮れている2人に、ゾロはにやりと笑った。
「悪いがあんたは走ってくれ、なあに20kもねえ」
「マジで?!」
「・・・冗談だ」
そんなに本気で取られると却って困る。

ゾロは荷台のブルーシートを捲ると、縄や杭を退けて隙間を作った。
「ここに座れ、うちまでなら5分もかからねえ」
「え、嘘、マジで?」
これこそ冗談だろうと声を上擦らせるのは気に食わない。
「じゃあ走るか?5分も掛からないってのは、信号がないからだぜ。直線距離で7kはある」
「・・・乗るよ」
憮然とした表情で、サンジはひらりと荷台に飛び乗った。
細いから場所は取らないが、砂が溜まってたり水で濡れていたり、杭から釘が出ていたりしているから、おっかなびっくり腰を下ろしている。
「農道しか走らないけどな、もしどっかでパト見つけたらシート被れよ」
「このシートをか?冗談じゃねえぞ」
「ああ、冗談じゃねえんだよ」
サンジは、今度ははっきりと顔に憤怒を顕しながらも、黙って荷台に蹲った。

ナミは先に助手席に乗り込んで「暑いわね〜」なんて文句を言っている。
「まさか、エアコンついてないなんて言わないわよね」
「窓開ければ充分だ」
「嘘、マジ?今時そんな車売ってるの?」
「これは中古で貰い受けたんでな」
「そんなんで夏とか乗り切れるの?!」
ナミの文句はすでに悲鳴に近い。
別にお前にこの車で一生過ごせと言ってる訳じゃないんだから、そこまで大袈裟に嘆かなくてもいいだろう。

「とにかく、俺んちに来るんだな。出すぞ」
当然ミッション・パワステなしだが、スムーズに走り出すゾロの腕の良さなんて到底気付かない、都会育ちの2人だった。








5分も走らないうちに着いたのは、村外れにある平屋建てだった。
まるで半分切取ったように半端な長さでぽつんと建った家と、周りを取り囲む雑草だらけの空き地には違和感がある。
「ここがお住まい?洒落てるわね」
「そりゃどうも」
砂利道に降り立ってバンと勢い良くドアを閉める。
そうしないと常に半ドアだ。

「・・・やっと着いたか」
時間的に短いとは言え、荷台は乗り心地が悪かったのだろう。
サンジは腰を擦りながら身軽に飛び降りる。
「ここは、以前町営の住宅だったらしい。長屋みたいなもんで、真ん中で区切って二世帯あったんだ。今は片方取り壊されてるからこっちしか残ってねえ」
「凭れたら倒れそうだな」
「まあ入れ。茶くらい出す」
サンジの失礼な物言いも無視して、ゾロはがたつく引き戸を開けた。

「鍵掛けてないの?」
「この家に鍵がいると思うか?」
ナミは無言で肩を竦めると、上がりかまちでミュールを脱ぐ。
軋む廊下を爪先立ちで歩いて部屋に入った。

「わりかし綺麗にしてるじゃない」
「モノがないだけだ。掃除機くらいはかけてるぞ」
「・・・お邪魔します」
サンジは両手を前で合わして、肘をすぼめながらキョロキョロしている。
他人の家が苦手なのか、そもそも古ぼけた家に入るのが慣れてないのか知らないが、畳に腰を下ろすのも嫌そうだ。
「家の中なら腰を下ろしても汚れねえから安心しろ。こんな汚ねえ茶碗じゃ茶も飲めねえか?」
茶渋のついた湯飲みに顔を顰めたのを見透かされたと思ったのか、サンジはむっとしてこちらを睨み付けた。
ナミの前では物腰の柔らかい大人しそうな素振りでいるが、なかなか気は強いらしい。
「いただきます」
きちんと正座し小さく頭を垂れて、湯飲みを手にした。
行儀の良さが却って頑なさを顕している。
―――変な奴
薬缶に湯を沸かして茶葉を入れただけなので、冷めた茶は苦味ばかりが残っている。
サンジは一口飲んで口端を下げたが、何も言わないで勢いで飲み干した。

「そんなに不味いか、ほんとに失礼な奴だな」
「まあまあ。サンジ君はプロの料理人だもの、舌も肥えてるのよ」
「なら仕方ねえか」
ゾロは言いたいことをそのまま口に出すが、それほど気分を害してもいなかった。
自分の家が古くて汚いのもわかっているし、茶碗が汚れているのも茶が不味いのも知っている。
それで嫌そうな顔をされても、もっともだと思いこそすれ本気で腹を立てたりはしない。


「んで、用件ってのはなんだ?」
「早速だけど本題に入るわね。サンジ君はT区の住宅地にあるレストランで副料理長を勤めてるのよ」
「副料理長?この年でか、すげえな」
ゾロの言葉に、サンジは怪訝な顔をした。
「あ、年齢は私達と同い年よ。サンジ君3月生まれだし」
「ああそうなのか。それにしてもすげえ」
「はあ・・・どうも・・・」
神妙な顔つきで頭を下げている。
その態度が妙に思えてナミの顔を見ると、ナミはクスクス笑い始めた。
「なんか、あんた達って面白いわ。案外気が合いそうね」
「「なんでだ」」
二人揃って声を上げた。
ナミの笑い声がさらに大きくなる。

「あのねサンジ君。ゾロってすごく傍若無人で歯に衣着せないタイプなんだけど、その分あっさりしてて素直なのよ。
 だからむっとすることも感心することもそのまま口に出すし、褒めたり貶したりはどっちもストレートよ。嘘がないの」
「・・・はあ」
「それでねゾロ。サンジ君は女の人に過剰とも言えるサービス精神を持ってて、あんたから見たら呆れることも沢山あると思うけど、その分男の人には物凄く冷たくて邪険だから、それはもう病気だと思って諦めてね。でも自分の仕事に誇りを持っててとても熱心に取り組んでるの。彼の熱意は半端じゃないのよ、外見で惑わされないで」
「ああ」
「さて本題に戻るわよ。サンジ君のレストランでは食材を直接市場で吟味して揃えてるんだけど、実際に産地ではどう生産されてるのかに興味を持ったって話になって・・・それで、そう言えば私にもそっち系の知り合いが一人いたなと思い出した訳よ」
「なるほど」
3年ぶりに唐突に連絡が来た訳だ。
ずっと都内で生まれ育ってきたナミにとって、自分は毛色の違う珍しい友人だろう。

「サンジ君、ゾロは私と幼馴染なんだけど、3年前に何をトチ狂ったか折角就職した会社も辞めていきなりこんな田舎に引っ越したのよ。それからは見よう見真似で農家の真似事をやってるの。サンジ君がイメージしてる農村の素朴さとはちょっと懸け離れてるかもしれないけど、これはこれで使いようがあるから是非参考にして」
「お前はもう少し歯に衣着せた方がいいと思うぞ」
ゾロのチャチャを無視し、ナミは腰を上げるとスカートの裾を払った。
「さて、日が暮れる前にあんたの『場所』を案内してよ。いくら日の入りが遅くなったとは言え、田舎はすぐに暗くなるんでしょ」
「相変わらず勝手な奴だな。まあいい、んじゃ行くか」
立ち上がったゾロとナミにつられるようにして、サンジも腰を浮かした。



ギシギシなる廊下を先に行くナミの背後で、サンジはゾロの横に並びぼそっと呟いた。
「・・・お世話に、なります」
一瞬驚いた顔で片眉を上げてから、ゾロも表情を崩す。
「たいしたもんじゃねえが、まあ見てってくれ」
小さいながらも俺の『場所』だと、破顔した。






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