言葉にできない -2-


―――妄想変換茸―――
この場合の妄想とは、願望だろうか。
ゾロはそのことに思い当たって、改めて愕然とした。

最初は同じ船に乗り合わせただけの仲間意識などまったくない間柄だったが、それでも幾つかの島を巡り共に戦う内に、ゾロとしてもサンジの存在は一目置くものとなっていた。
料理人としてのプロ意識や義侠心、生来の優しさと己への厳しさを併せ持つ彼を構成するすべてのものが、実はゾロにとって好ましく映っている。
だがいかんせん、口が悪すぎる。
ゾロの顔を見れば罵倒し憎まれ口ばかり叩くサンジの、声や態度一つ取ってもなんら可愛げがなく、とことん嫌われたものだと思い知らされることばかりだ。
だからゾロは、サンジの口の悪さには確かに閉口していた。
だがしかし、だからと言ってなんでこう言う妄想にまで発展するのか・・・

ゾロは一人夜空に瞬く星を眺めながら、杯を傾けていた。
昼間、仰天したのを誤魔化すために眠り過ぎた。
そうでなくとも夜行性の気があるので、目が冴えて眠ることもできない。
自ら不寝番を買って出て、専ら酒ばかり飲んでいるのが一番落ち着く。

そんなゾロの気も知らないで、ギシギシと見張り台がかすかに揺れた。
ゾロはチッと舌打ちして顔を背ける。
本当は耳を塞ぎたいところだが、それはあまりにカッコ悪かろうと自制した。



「よおクソ剣士、股広げにやって来たぜ」
案の定と言うべきか、下品で開けっぴろげな台詞が飛んでくる。
サンジの顔をちゃんと見れば、そんな言葉を口にしているはずが無いとわかるが、そのギャップも結構うざい。
つかもう、ロクな言葉が聞こえないのだから姿を現してくれるな。

「そんな面してねえで、ちゃんと俺ん中ぐちょぐちょに突いてくれね?」
ゾロは態度でもって拒否しているつもりなのに、サンジは知らん顔ですぐ間近に腰を下ろし、そんなことを言ってくる。
空気が揺らいで、煙草の匂いとサンジ独特の甘い匂いが鼻腔を掠めた。
「もう、お前が欲しくて欲しくて堪んねえんだ」
語尾が擦れて響いて、ゾロは思わず顔を上げた。
間近にいるサンジはこれ以上無いというくらい不機嫌を露わにして、鼻の頭に皺を寄せている。
これは、喧嘩を売ってきている彼の顔だ。
やや悄然としてゾロは項垂れた。

「俺ん中、思い切り突っ込んで掻き混ぜろってば」
眉間の辺りがぐわっと熱くなった。
鼻の奥から何か噴き出しそうで、奥歯を噛み締めぐっと堪える。
「なんで俺を見てくれねえの」
サンジの手がゾロの肩に触れた。
夜目にも白い甲を思い切り打ち、乱暴に払い除ける。
「俺に近付くんじゃねえと、言ったろうが」
感情を抑えた、低く暗い声が響く。
自分の言葉は真正直に伝わるのだと、ふと場違いな想いを頭に巡らせながら、ゾロはサンジを睨み付けた。
「今の俺は普通じゃねえ。だから不用意に声をかけるな、近付くな。てめえの言葉は俺には届かねえ」
何か言おうと開きかけた唇を、ゾロは掌で遮った。
「全部、曲がって聞こえるんだ。わかれ」

奇妙なことに、正面で顔を突き合わせ片手で口元を覆うゾロの腕を、サンジは払い除けなかった。
避けようと身体を逃がすこともなく、どこか呆然として目を瞠っている。
2.3度目を瞬かせて、それからサンジは視線を逸らした。
口元を引き締めて、ゾロの手首を押しやると勢い良く立ち上がる。
何の言葉も残さずに、サンジは見張り台から出て行った。
その影が消えたのを見送って、ゾロは改めて壁に凭れ、ほっと息をついた。




サンジがどう感じたかは知らない。
ゾロの奇矯に呆れ、一方的で理不尽な宣告に腹を立てただろう。
今まで以上に冷淡な態度を取るようになるかもしれないし、ゾロの言葉をこれ幸いにと日常会話そのものを断絶させてしまうかもしれない。
だがそれもよかろうと、ゾロは思った。
自分の中に潜む欲望に気付いた時から、ゾロはサンジを切り捨てる覚悟ができた。
それは恐らく、お互いのためなのだ。

サンジが置いて行ったバスケットの中を覗くと、綺麗な小鉢に盛り付けられた酢の物や海獣の唐揚げなどが並んでいる。
見た目も味の内だなんて偉そうな口ぶりさえ、今は懐かしい。
ゾロのためだけの特別でないことは、最初からわかっている。
麦藁のクルー全員の、それぞれが好む味や嗜好を熟知して、それに合わせて最高の差し入れを準備してくれるのがサンジの流儀だと言うこともよくわかっている。
そのことをありがたいと思いこそすれ、嬉しいと感じるのは勘違いだ。
わかっているのに、自分のためだけに用意される酒の肴や料理酒以外のストックに、何らかの意味を見出そうとしてしまっている自分がいる。

例えば見目麗しい女なら、ナミとロビンは極上と言えるだろう。
身体も申し分なく成熟し、男の欲情を煽るに充分な要素を備えているのに、ゾロは取り立てて彼女たちを性の対象と見ることはなかった。
無論、ナミの際どい太腿やロビンの胸の谷間を目にして股間が熱くなることはあっても、それらを具体的に思い出すことはしなかった。
だが、サンジは違う。
明らかに女とは違う薄っぺらい、そして硬い身体付きをしているのに、捲くったシャツの裾から伸びる手首だとか、襟足から覗く項の白さだとか、そんな男女とは関係のないパーツを目にして腹の底が疼くような妙な感覚に陥るのは、以前から自覚があった。

最初はそんなことが妙に気になることを自分でもいぶかしく思っていたが、その内それが性衝動に繋がるものだと気が付いて戦慄した。
元々、衆道の気はないはずだ。
島に降りれば女を買うし、ナミやロビンにだってちゃんと反応する。
だが、サンジのそれを目にした時は半端でない欲情が沸き上がる。
認めたくはないが身体が反応する以上、理屈ではない何かがゾロの中にあるのだろう。
それは、今までならば気の迷いとして片付けられていた程度の、些細な衝動であったのに―――
今回の妄想変換茸のせいで俄かに現実味を帯びてしまった。

認めたくはないのだが、自分はサンジを“女の代わり”として見ている。
男を好む性ではないし、最初に目についたのは肌の白さ、そしてあの金髪だ。
どちらも男の本能として惹かれる要素ではあるだろうし、加えてあの男はむさ苦しくもごつくもない。
綺麗に筋肉のついた身体はしなやかで、少し猫背な立ち姿ですらラインが美しい。
ゾロは無意識に、彼の中に自分を受け入れる“女”の部分を見出していたのかもしれない。
認めたくはないのだ、そんなことは。
あれほどに男らしく逞しい人間はいないと思う。
恐らくは自分と並び立ち、安心して背中を預けられる強さを秘めていると知っている。
サンジの力を認めていながら、他方で彼を貶める欲望を隠し持っていたことに、愕然とした。

あの身体を
あの男を
女の代わりに開いて犯す、昏い歓びの在り処に気付いてしまった。

それは決して許されることではない。
できることならこの先もずっと、自分自身のそんな感情に気付かずに済んでいたならどれほど楽だったろうか。
だが気付いてしまった。
自分が望んでいることは、彼の身体の支配。
欲望を満たす器としての対象。
それを受け入れ、誘い、望む彼の言葉。
淫らであけすけな誘い文句を、あの唇で紡ぐことを望んでしまったから、ゾロの耳に響く言葉は変換されてしまったのだ。

「・・・情けねえ」
ゾロは辛口の酒を喉に流し込んで、ぐっと口を真一文字に引き結んだ。
このことを、誰にも知られてはならない。
あの男を力尽くで組み伏せ、欲望の捌け口として使ってはならないのだ。
強い矜持と信念を持った、崇高な存在を。
無垢な魂を、自らの激情で汚してはならない。

自覚したからこそ、強く自制できる。
ゾロはいっそさばさばとした気分で、残りの酒を呷った。
意識的にコックを避ければいいだけの話だ。
この先も、茸の作用が消えた後も。
ずっと、このまま―――

ゾロの決心を励ますように、星がまた瞬いた。












翌朝は明け方から雨が降り出した。
しとしととそぼ降る雨で水面が踊り、やや高くなった波でサニー号はゆったりと揺れる。
メリーの頃なら警戒に余念がなかったが、大きく立派な船になった分安心感が違い、多少の雨なら風情のある道行きだと愉しむ余裕も出てきた。
「雨ねえ」
「雨だねえ」
「飯食ったら芝生で滑ろうぜ」
「ええっ、芝生で滑れるのか?」
「滑り台作ってやろうか」
「甲板から滑り出たらどうすんのよ、馬鹿やってないでみかんの垣根作ってよ」

相変わらず賑やかな食卓を囲み、縦横無尽に飛び交うルフィの腕を避けながら各自食事に専念する。
山のように積み上げられた、様々な種類の焼きたてのパン。
ジャムやバターそれにディップが添えられ、スープと温野菜は人数分用意されている。
それに加えて、ゾロの前には握り飯と味噌汁があった。
基本的になんだって食べるのだが、いつだったか何かの拍子でぽろりと白米が好きだと口に出した日から、ゾロの食事は米中心になった。
昼食はみなと同じメニューだが、夕食には必ず少量の酒と肴が用意される。
それを好意と捉えずして、なんだと言うのか。
だがゾロは、敢えてそれをサンジのプロ意識と判断した。
特別扱いならナミやロビンに対するそれの方が格段に顕著で、ナミに至っては愛の告白としか聞こえない台詞をバンバン飛ばしているのに、ナミに言わせればあれは単なる悪癖なのだと言う。
「本気じゃないのよ、サンジ君にとってあれも女性賛辞の一種でしかないの。本当に好きなら、口に出せないこともあるのよ」
いつもは理不尽なことばかり言うナミの、珍しく真摯な声の響きにやや面食らったことを覚えている。
それでナミが傷付いている訳ではなさそうだが、苛立ちに顰められた眉が印象的だった。
その後に、なぜか哀れむように見上げられた、明るく深い双眸も。

「すっきりしてねえ面してんな、俺が抜いてやろうか」
ずい、と湯気の立つコーヒーサーバーを持った手が目の前に差し出された。
ゾロは視線を背けたまま舌打ちし、テーブルに肘を着く。
「言葉が通じねえのかノータリン。俺に話し掛けるなと言っただろう」
「はん、俺はいつだっててめえ次第だぜ。お望みならここでケツ貸してやったっていい」
もううんざりだ。
サンジの口を通して、自分の浅ましさや欲深さばかり思い知らされる。

ゾロは勢い良く立ち上がり、注がれたコーヒーには目もくれずラウンジから出て行った。
「逃げんのかクソ野郎、俺はてめえに抱かれてえだけだ」
でかい声を張り上げるサンジの、悲痛な響きが耳を打つ。
言葉だけでなく、声の調子もまた変換されるのかもしれない。
コックが、臆面もなく自分に取りすがるような、そんな声音で話しかけるはずはないのに。





「妄想変換茸の効果は2.3日としか書いてない。人によって差があるみたいだ」
「なら、明日の朝にはこの厄介な現象は治まってるんだな」
ゾロは小指で乱暴に耳を掻き、顔を顰めた。
「こら、耳が原因じゃないんだからあんまり穿らない方がいいぞ。脳の中枢神経に直接作用してるんだ。音じゃなく伝達に問題があるんだから、耳を弄るな」
チョッパーは医師らしくゾロの耳の中まで検査して、耳クソないねと呟いている。

雨は小雨に変わったが、しとしとと降り続き止む気配はない。
さっきまで甲板で芝生滑りをしていたガキ+おっさん共は風呂に入り、ナミ達は部屋に篭った。
「俺は見張台にいる。飯もいらないから誰も近付くな。今夜の見張りも俺がするし、もしコックの野郎が飯のことでうるさく言いやがったら、コック以外の誰かを寄越せ」
そう言って立ち上がろうとするゾロの腕を、小さな蹄が押さえた。

「ねえゾロ」
「なんだ?」
見上げるつぶらな瞳には逆らえない。
「言葉が変換して聞こえる相手は、サンジだけなんだな」
「ああ」
苦虫でも噛み潰したような顔で、ゾロは渋々肯定した。
「でもなんで、あんだけサンジの言葉を毛嫌いするんだ?本来妄想変換茸は、聞き手の都合のいいように解釈できる言葉に変換されるものだって本に書いてあった。だから、勘違いとか起こるって」
「だから、だ」
ゾロは改めて腰を下ろし、チョッパーに向き直った。
「クソコックの野郎の言葉は、明らかにあいつの口から出るべき言葉じゃねえんだ。だから最初から俺は気付いた。俺が勘違いするまでもねえ、ありえねえ台詞だ。しかもちゃんと態度を見ていたら、それがあまりにちぐはぐなのは、よくわかる」
チョッパーはふむふむと頷く。
「妄想変換茸の罹患者達も、ゾロくらい冷静だったらこれだけ症例が生まれなかっただろうね。そんなにわかりやすい変換なのか」
「ああ。あんなこと、天地が引っくり返ったって起こり得ないことだらけだ」
「でもそれは、ゾロにとって不快なことなの?」
続けたチョッパーの問いに、ゾロは僅かながら頬を歪める。
「・・・不快だよ」
自分でも、驚くほどに素直に言葉が滑り出る。
「不快だ、実に不愉快だ。それが真実じゃねえことを、思い知らされるってことは」
「・・・・・・」
チョッパーは一瞬目を見張り、それからそっと視線を外した。
「ゾロは、偉いな」
「早々に診断してくれた名医のお陰だろ」
途端、チョッパーの相好が崩れ目が細くなった。
「よせやい、そんなこと言われたって嬉しくねーぞバカヤロー」
クネクネ揺れるピンクの帽子を軽く叩き、ゾロは医務室を出た。



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