此処より彼方へ 2



不意を喰らって床に倒れ付したゾロに、間髪入れず次の蹴りを食らわす。
だが、これは避けられてしまった。
畜生、効いてねえのか。
それでも首を抑えて立ち上がったゾロはなんだか不満そうな顔だ。

「・・・んだいきなり・・・」
「い、いいいいきなりはどっちだ!つうか、てめえ急に何言いやがる!!!」
俺はといえばもう驚いたやら腹が立つやら怖いやらでパニック寸前だ。
ちょっと声が裏返ってしかも震えちゃってるのは、この際勘弁してもらおう。
「大体なんだ、てめえ・・・ホモか、そうかホモなんだな。緑で腹巻の癖にホモなのかあああっ」
ゾロは顔を顰めるとちっと舌打ちした。
・・・なんで、そこで舌打ち。

「面倒くせえな、やっぱ黙ってやっちまった方が早かったか?」
「だ、だ、黙ってえっ」
黙ってどうやってするってんだ。
つうか何する気だ、この俺に!!!

「い、いいかよく聞け。俺はレディが大好きだ。この世の何よりも大好きだ。俺の眼中にはレディしかいねえ。そして俺のケツは出す専門。入れるだか突っ込むだか、冗談じゃねえ。こんどそんなたわけたこと言ったら、本気でコロスぞオラあ!」
身体は逃げ腰だが精一杯虚勢を張って怒鳴った。
冗談じゃねえ。
マジコロス。
ぶっ殺す。
だがゾロは俺の言ったことを聞いているのかいないのか、刀をテーブルの上に置くと、ずんずん俺に向かって大股で近づいてきた。


「う、わああああああああああっっ」



思わず大声で絶叫してしまった。
どうしたって怖いものは怖い。
なんつーか、何考えてんのか分からない分余計に怖い。
さすがに俺の悲鳴が届いたのか、どやどやクルー達が駆け込んできた。

「どうしたサンジ、って、ゾロ?」
俺はゾロの手を振り切ってルフィの元に駆け寄った。
「このクソゴム!てめえが責任取れ、ホモなんか乗せやがって!!」
「ホモ?」
心なしかナミさんの目がきらんと光った。
「ゾロってホモだったの。じゃあ安心じゃない。」
ナミさんの言葉に俺はまたはっとする。
まさか見境のないタイプじゃないだろうな。
この調子でロビンちゃんやナミさんに突っ込ませろとか言うんじゃねえだろうな。

「おおおいクソ腹巻!てめえナミさんやロビンちゃんに問答無用で手え出すんじゃねえぞっ」
ゾロは夜中に皆から注目されていてもバツが悪そうな素振り一つ見せないで、ただ心外そうに答える。
「俺は、女はやらねえ。」

うわあああ、本物だよ。
ざーっと音を立てて血の気が引いたのは、俺だけじゃないはずだ。

「ちょ・・・ま・・・それって・・・男、限定?」
黙ってこくんと頷かれたって可愛くない。
「んじゃんじゃ、俺だけじゃねえ、ルフィやウソップ・・・チョッパーもやばいんじゃねえのか。」
一気に一部でパニックが起こった。
ウソップとチョッパーはルフィの背中に張り付いている。
「そうなのかぁゾロ。俺になんかしてえ?」
だからそう言うことをしれっと聞くなよ、ルフィ。
「いや別に。」
ゾロの答えも実にシンプルだ。
「んじゃ・・・お、俺は・・・」
震えるウソップを一瞥して首を振った。
「興味ねえ。」
「じゃ・・・俺・・・も?」
目を潤ませて狭い隙間から見上げるチョッパーにゾロは溜息を吐いた。
「対象外だ。」

やったーと単純に悦ぶアホ共にを背後に、俺は眩暈を感じて壁に凭れかかった。
えーとえーと…よく考えろ、俺。



「・・・あの、ロロノアさん?」
恐る恐る顔を上げる。
「・・・その、俺は・・・そっちの対象になるんでしょうか。」
「おう。」
そこで間髪入れずに答えるな!
ちったあ躊躇しろ!!!


「なーんだ、じゃあサンジくんだけじゃない。」
「かえって安全ね。」
「あーよかったなあ。チョッパー。」
「うん。ひと安心だ。」
「んじゃもう寝ようぜ。また明日な。」
なんて言いながら、みんなぞろぞろキッチンから出て行こうとする。

「ちょっと待て!俺を見捨てる気かっ!ルフィ!拾い主がちゃんと面倒見ろよ!」
もう既にちょっと涙目だ。
ルフィはこの場にそぐわない爽やかな笑顔で俺の肩をぽん、と叩くと白い歯を見せた。
「大丈夫、そいつ自分で自分の面倒見れるって。だからサンジも、自分で自分の身は守れよ。」

――――そんなあ。



背後でゾロも動く気配がして大げさに身を竦めた。
ええと、包丁は、扉の向こうで・・・
が、びくつく俺の横をゾロが素通りする。

「・・・あ?え?」
別に呼び止めるつもりはないけどつい声を掛けてしまった。
「俺も寝る。萎えた。」
ふーん、そう。
萎えたの。
ってことは、それまでやる気だったんだあ。
うっかり遠い目をしそうになって慌てて我に帰った。


「おい、てめえ・・・俺に妙な気起こすんじゃねえぞ。マジコロスぞ!」
物事は最初が肝心だ。
ここできっちり締めておかなければなし崩しに押されてしまう。
ゾロは俺の脅しにも面倒臭そうに視線を流すきりで、ウンとも言わない。

「今の蹴り、わかってっだろうが。今度は容赦しねえからな。」
さっきの蹴りも実は全然容赦してなかった。
なのに、軽いムチ打ちひとつもしていないこの男の丈夫さが信じられない。
もしも次に問答無用で襲われたら、全力で抵抗しても敵うんだろうか。
正直めちゃくちゃ不安だ。

俺の胸の内を見透かすようにゾロは片眉を上げて見せて、それでも何も言わずキッチンから出て行った。

「…ほんとに、殺すからな!」
閉じられた扉に向かって投げた俺の台詞は、まるで負け犬の遠吠えだ。

俺は興奮で上がっていた息を整えて、煙草を咥えた。深く吸って気持ちを落ち着ける。
大丈夫大丈夫。
隙さえ見せなきゃ多分大丈夫。
こんな狭い船だ、いざとなったら恥も外聞もなく誰かに救いを求めればいい。
・・・けど、誰か助けに来てくれっかな。

ともかく今から俺はどこで寝ればいいんだ。
男部屋で雑魚寝はやっぱ、やばいか?
ナミさんにお願いして女部屋に入れて貰おっかなあ〜vなんて楽しい方向に思考を持ってって気分を浮上させた。
だって今俺ひどく凹んでる。
男に妙な目で見られたって怒りより、純粋にゾロに対する恐怖が俺を支配しているみたいだ。

さっきゾロが迫ってきた時、奴の目にはなんの色も浮かんでなかった。
海賊共を殺した時と同じように、怒りも興奮も憐憫もなくモノのように斬り捨てたあの時みたいに、俺を見ていた。

ゾロにとって紛れもなく俺は、入れたい穴でしかなかったんだ。
そのことが、ひどくショックだ。
そしてそんなことにショック受けてることがまたショックで…

思考がぐるぐるしだした俺は、灰皿に煙草をもみ消して立ち上がった。
とりあえずシャワーを浴びて、部屋で寝よう。
ウソップの隣にびっちり引っ付いて寝てやる。
それともチョッパーを抱えて寝るかな。




外に出れば星が綺麗だった。
甲板の隅で寝転がるゾロの影が見える。
今夜はあそこで寝るんだろう。
ほっとして、足音を立てないようにその場から立ち去る。

一緒に旅をする仲間からケツを守らなきゃならねえのは想定外だが、だからと言って奴を海に置き去りにしちまおうとまでは思わなかった。
不気味で胡散臭い野郎だが、なんとなく放って置けねえ。




ガキの時、海で遭難したことがある。

世界から取り残されたような小さな島で、たった一人で餓えて過ごした。
実際にはもう一人、一緒に遭難して俺をずっと助けてくれていた男がいたが、俺はその時そいつを仇のように憎んでいて縋ることはなかった。
今思い出せば、その時死んでしまっていたらよかったと思うくらい恥ずかしくて居たたまれないが、あん時はその気力で生き延びることができたんだろう。

この広い海の只中で一人ぼっち。
誰も俺の存在に気付かず、誰も俺を必要としていない。
このまま息絶えても誰も悲しんでくれないちっぽけな命。

寂しくて哀しくてどうしようもないまま、恨みだけを抱えて泥水を啜って生き延びた経験があるせいか、奇跡的に救助されたときからもう俺は自分のことはとんと省みなくなった。
これからの俺はオマケで貰った人生みたいなものだ。
その代わり、誰かに何かをしてやることに無上の喜びを覚える。
コックという職業はまさに天職だ。
誰かのために食事を作り、それが味わわれ喜ばれる時、生きていることを実感する。

よくウソップは俺を働き者だと誉めそやすが、単なる自己満足にしか過ぎねえことを俺は知ってる。



だから本当に誰かに求められたなら、それがどんなことであっても俺は拒むことができない。










朝から強烈な日差しが甲板に降り注いでいる。
夏島に近いのだろうか。
「洗濯日和だよなあ。」
なんて所帯じみたことを呟いていたら早起きなナミさんが一番にキッチンに入ってきた。

「おはようサンジ君。どうやら無事みたいね。」
天使のような清らかな笑みで、そんな心配をしてくれる貴女も朝から眩しいv
「ナミさんのお陰です。でも今夜からはお部屋に避難させてくださいv」
「今日ウソップに頼んで部屋の鍵増やしてもらうわね。サンジ君は自分で自分の身を守りなさい。」
にこやかに拒否されて俺は乾いた笑い声で答えた。
やっぱりなんとかしなきゃ、いけねえか。
「じゃあナミさん、次の島に着くのはいつ頃になります。」
せめてそっちに希望をつなごう。
男専門だろうがなんだろうが、溜まってっから暴挙に出るんだ。
上陸して発散してもらえばこっちの被害も減るんだろうし。
なのに―――

「一昨日出航したところでしょ。あと3週間は無理よ。」
すげなく応えられて、涙ぐみそうになった。





俺としては一刻も早く次の島に着いて欲しいのに、今日も天気はぽかぽか陽気で風も吹かない。
GM号は暢気にたゆたいながら、長閑な航海を続けている。
例のごとく甲板になにやら広げてせっせと作業しているウソップに飲み物を差し入れすると、見たこともないモノを作っていた。

「なんだ、それ。」
「ああゾロに頼まれたんだ。素振りするんだと。」
・・・素振り?
この重そうものでか?

頑丈そうな鉄の棒にこれでもかというくらい重たそうな錘がいくつも付けられている。
「こんなもん、どこで手に入れた。」
「昨日の海賊船からゾロがかっぱらってきたんだと。」
たやすくかっぱらえるような代物じゃねえぞ。
ちょっと持ち上げるのも一苦労じゃねえのか?
「勿論今適当に組み立てたんだけどよ、これくらいじゃねえと鍛錬にならねえんだと。ゾロって力がすげえんだよ。さっき錨を素手で持ち上げたから、大騒ぎだったんだぞ。」
俺はくらりと眩暈を感じた。
凄腕の剣士で、冷徹で、ホモで馬鹿力かよ。
無敵じゃねえか。

「さ、できた。おーいゾロ!!!」
ウソップの声にひょこりとみかん畑から緑色の頭が起き上がった。
保護色か。
「これでいいか?試してみろよ。」
案外身軽に飛び降りて、片手でそれを持ち上げる。
ウソップが両手で腕を震わせながら立てかけたそれを、だ。
「・・・うん、錘はこれから足せるのか。」
「ああ大丈夫だ。調節可能だぜ。」
「恩に着る。」
感謝してんだか喜んでんだかわからない無表情のまま口だけで例を述べて、ゾロはそれを肩に担ぐと広いところまで歩いて行った。
両手で高く持ち上げて真っ直ぐに振り下ろす。
数度試して満足げに頷くと、なにかぶつぶつ言いながら素振りを始めた。

「・・・ほんとに素振りしてるぞ、おい。」
「な、すげーだろv」
なんつーか、一緒に見ているウソップの目がきらきらしている。
気が付けばチョッパーも釣りをしながら同じような目でゾロを見ていた。
単純な憧れの眼差しって奴だ。

「あんなもん、化け物じゃねーか。」
腕を組んで首をすくめる俺にウソップは視線を移すと、ふと目を眇めた。
それはもしや・・・哀れみの眼差しでは―――

「なあサンジ。」
ぽんと馴れ馴れしく両肩に手を置く。
「悪いことは言わねえ。命あっての物種だ。その時が来たら、まあ悪い犬にでも噛まれたと思って諦めろ。絶対死に物狂いで抵抗したり、するんじゃねえぞ。」
「・・・はあ?」
危うく取り出した煙草を落としそうになる。
「だってよお前。ゾロは多分、お前の首なんざ片手で簡単にへし折れるぞ。」
ウソップの目がマジだ。
それを正面から見返して、俺は口端を上げた。
ウソップはゾロの強さって奴を目の当たりにしてすっかり失念していたようだが、俺もそれなりに強いんだってことをその身体に叩き込んでやる。



「ったく、どいつもこいつも。」
床に沈んだウソップの傍らで煙草に火をつけて、一服する。
強いからなんだってんだ。
所詮、人殺し野郎じゃねえか。
圧倒的な「強さ」って奴を見せ付けられると人間ってのは単純に憧れを持っちまう。
ウソップやチョッパーは特にそういった傾向が強いだろう。
それは仕方ないだろうが―――――

「だからって、なんで俺が奴にカマ掘られんの黙認するんだっての!」
むかつく。
マジでむかつく。

さっきまで阿呆みたいにブンブン錘を振ってた筋肉馬鹿は姿を見せない。
またどっかで寝くたれていやがるのか。
無性に腹が立って収まらなくて、俺はわざわざ奴を探しに船を歩き回った。
後甲板の廊下の隅に丸くなってる奴を見つける。
なんだってこんなとこでも寝てんだよ。
ムカムカしながら足を振り上げようとして、小さな蹄に止められた。

「あんだ、チョッパー。邪魔すっとお前も一緒に蹴り上げちまうぞ。」
ぎろりと睨みつけたが、怯えながらもチョッパーはその手をどけない。
普段臆病なこいつがこんな目をするのは、医者になってる時だ。
「サンジだめだ、起こしちゃいけない。ゾロには、眠りが必要なんだ。」
小さな、でも厳しく叱咤するような声。
思わず気勢を削がれる。
「…って、こいつ寝てばっかだぞ。」
「それでもだ。頼むから、眠らせてやってくれ。」
ドクターチョッパーの言葉は重い。
俺はそれ以上我を張る事もできなくて、仕方なく舌打ちしてその場を離れた。
チョッパーは何か知っているんだろう。
ルフィも、知っているんだろうか。

別に俺はゾロにどんな事情があろうが何者だろうが知ったこっちゃない。
ただ力を振りかざして俺を襲おうとさえしなけりゃ、仲間として認めてやったっていいと思ってるだけだ。
ポケットに手を突っ込んでつまらなそうに歩く俺は、我ながら拗ねたガキみたいだと思う。



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