古城の剣士 -3-



「えっしょ、くそい」
スーツを脱いでシャツの袖を腕まで捲くり、サンジは息を切らしながらひたすら穴を掘る。
なんとか棺らしき物の形が現れて、サンジは額の汗を拭った。
「うし、こんくらいかな…」

墓地の倉庫に、柄が腐って折れていたとはいえ、一応スコップらしきものが残っていて本当に助かった。
もし道具がなかったら、全部手作業になってしまうところだ。
いざとなれば仲間たちを皆起こして、総出で作業すればいいのだけれど、なんとなくそれは憚られる。

「悪いな」
ゾロは穴の中に入ったサンジの目線に合わせてしゃがみ、困ったような表情で手を動かしている。
せめて頬に着いた泥のひとつも拭ってやりたいのに、ゾロの手はサンジの顔を通り抜けるばかりだ。
サンジは空を振り仰いでから、跳ねるように墓穴から這い上がった。
「急がねえと」
東の空が明るくなってきた。
もう、夜が明ける。




サンジは土から露わになった棺を見下ろして、ごくりと唾を飲み込んだ。
恐らく、これに間違いない。
特注なのか通常の棺より幅が倍ほども広い。
まるで二人分、並べて納めるための棺のようだ。
どんなに仲の良い夫婦でだって、同じ棺に入れて埋葬することは珍しい。
これは、どうしても二人分の身体を同時に納めなければならない事情があったから・・・

サンジは傍らのゾロを仰ぎ見た。
ゾロも同じことを考えているのだろう、やや緊張した面持ちで棺の表面を凝視している。
「・・・開ける、ぞ」
「ああ」
サンジは恐る恐る、棺の蓋に手を掛けた。

「んっ」
渾身の力を込めて動かしてみる。
だが、頑丈な棺の蓋は押しても引いてもびくともしない。
「くそ、案外丈夫だな」
百年以上の時を経ても、やわになったりはしていないようだ。
サンジは手で抉じ開けるのを諦めて、僅かに空いた蓋の隙間にスコップを差し込み、石を挟んで踏みつけた。
ぱきんとあっけない音を立てて、短かった柄が砕けるように割れる。

―――むかっ
元々気が長い方ではないサンジだ。
そうでなくとも、こうした現場仕事は不得手だから手間取っていたのに、この上棺を開けるために貴重な時間を更に費やすなんてかったるくてやってられない。
「こん畜生め」
サンジはポケットに手を入れると、軽く爪先を引っ掛けるようにして蓋の部分だけ蹴り飛ばした。

結構な破壊音と共に、重厚な蓋は地面に二、三度バウンドして砕けながら転がって止まった。
朝露に濡れた草地のあちこちが衝撃で抉れて、何かが爆発でもしたかのような惨状になっている。
ゾロは呆れたように口を開けて蓋の行方を眺めていたが、土煙を上げて蓋が落ち着くと、改めて棺の本体へ視線を戻した。


「えっ?」
サンジが驚きの声を上げて口元を抑える。
棺の中には、予想通りほぼ白骨化した骸が一体。
そしてそれに並ぶようにもう一体。
今、すぐ隣にいるゾロがそのまま、横たわっている。

「う、そだろ・・・」
どっちがゾロだかわからないような、変わり果てた姿で二体仲良く並んでいると、想像していたのだ。
だが目の前にあるのは、まるで眠っているかのようなゾロの姿。
真っ直ぐに仰向けになり、目を閉じて横たわるゾロはとても200年近く前に埋葬されたとは思えない状態だった。

サンジはしゃがみこんでそっと遺体に触れた。
身体を覆う布を外せば、来ている衣類はボロボロになっているが、ゾロ本体には損傷などない。
肌こそ土気色をしているが腐ったり乾いたりした痕跡もなく、ただ触れて見れば硬く冷たい感触で死体なのだと思い知らされる。
「・・・これが、魔法って奴か?」
死んでないから。
ゾロはただ肉体を取られただけで、魂は彷徨ったまま死んでいないから、肉体も滅びなかったのか。

隣に目を移せば、元の息子であろう死体は完全に白骨と化して、同じくぼろきれのような衣服が風に吹かれて揺れているだけだ。
背格好は確かに、ゾロと同じくらいか。
由緒正しい家柄の跡取り息子が死の床に瀕して、どうしても助けたいと願った親が通りがかりのゾロの肉体を奪いその魂魄を鏡の中に閉じ込めた。
魔術は確かに成功したのだ。
けれどその甲斐もなく息子は間もなく絶命し、両親は悲嘆にくれながらも結局どちらの肉体も息子のものとして一緒に埋葬せざるを得なかったのだろう。

一旦はゾロの身体に入った息子は、両親に語りかけたのかもしれない。
ゾロの顔で笑いかけ、この姿で生きていくことに納得して希望を見出していたのかも知れない。
だからこそ、両親もゾロの肉体を大切に葬った。
あまりに身勝手な行為ではあるけれど、息子を愛するが故の苦渋の選択だったのだ。


「ゾロ・・・」
いつの間にかサンジに寄り添い、頬がくっつきそうなほど近い場所で、ゾロは食い入るように自分の死体を見つめていた。
棺の中の湿気、流れ行く歳月に、虫だっていただろう。
なのにゾロは変わらない。
生前と同じ姿形で、こうして魂が迎えに来るのを待っていた。
これが執念なのか、優れた魔術の証なのかサンジにはわからないけれど。

「ゾロ、お前・・・だな」
ゾロはゆっくりとサンジを振り返り、強い瞳で頷いた。
「ありがとう、お前のお陰だ」
残像だけのゾロでは、こんな風に棺の中の自分の死体にまで到底辿り着けなかっただろう。
ゾロの話に耳を傾け、その言葉を信じて行動に移してくれる相手が必要だった。
数百年の長い間一人で彷徨い続けて、いつ出会えるともわからないそんな相手を捜し求めていたのかもしれない。
その役目を果たせて、サンジは純粋に嬉しかった。
ゾロをようやく、解き放ってやれる。
肉体がこんな綺麗な状態で保存されているのなら、もしかしたら本当にゾロはこのまま復活できるのかもしれない。

「どうすんだ」
「とりあえず、入ってみる」
ゾロだって、訳もわからず肉体を取られただけで魔法の解き方なんて知らないだろう。
サンジも同じことだから、なんとなく二人でまごついた形になって、それがおかしくて顔を見合わせて笑った。

「世話になったな」
ゾロがそう言うと、すうと霧が流れるようにゾロの姿が崩れた。
一本の筋になって棺の中に横たわるゾロの身体の方へと降りていく。
サンジは祈るように手を合わせ、息を詰めてその光景を見守った。

やがては白い煙のようにゾロの身体の上をしばし漂ってから、どこへともなく吸い込まれていく。
夜明け前の薄闇の中、僅かにゾロの身体全体が鈍く発光したかのように見えた。



「・・・ゾロ?」
つんと上を向いたゾロの鼻梁が、かすかに動いた。
先ほどとは、肌の色が微妙に違ってみるのは気のせいだろうか。
白々と夜が明け始め、生い茂る樹木の梢からは早起きな小鳥のさえずりが、聞こえ始めた。
それに誘われるかのように、閉じた瞼を縁取る睫毛が、小さく震える。
「ゾロっ」
サンジはそっと眠るゾロの頬に触れた。
暖かい。
さきほどの、冷たく硬い人形のような頬ではない。
柔らかく、暖かい。
「ゾロ」
睫毛が震える。
二、三度痙攣するかのように瞼が動いて、白目が見えた。
小鼻が膨らみ、引き結ばれた唇が薄く開いて数百年前の息をそっと吐き出した。
「ゾロ?」
胸が大きく上下して、何度か深い深呼吸を繰り返す。
肩に力が入り、喉仏がごくりと動いた。
「・・・ゾロ」
左の耳に、三連のピアスがあった。
そこに触れれば、チリと小さな音を立てて柔らかくなった耳朶が揺れる。

瞳が開いた。
しばし宙を彷徨ってから、目の前のサンジを捉えた。
焦点が合うと、眩しそうに僅かに目を細める。
「ゾロ」
唇の端がゆっくりと動き、微笑みの形で止まる。
山際から日が昇り、朝の柔らかな光が樹々の間から静かに降り注いだ。
「ゾロ・・・」
朝日の中で、サンジを真っ直ぐに見つめ穏やかに微笑むゾロ。




その頬に、見る見るうちに幾筋もの皺が浮かんだ。
目尻が萎むように収縮し、目の玉がぎょろりと飛び出す。
唇は引き攣れて捲れ、剥き出しの歯茎が黒ずんで崩れた。

サンジは思わず両手で頭を抱え、絶叫した。
「ゾロ!」
皮膚が乾き、ボロボロと剥がれ落ちる。
溶け崩れた口元から歯が零れ、瞳は輝きを失い落ち窪み、暗い眼窩がぽっかりと空いている。
骨ばかりになった腕が震えながら伸ばされ、サンジに触れる前に塵となって崩れ去った。


「・・・あ、りがとう、よ―――」

ゾロの面影など何一つ残さず、ただその声だけを風に乗せてかつてゾロだった男は棺の中に戻っていく。
すべてが細かな骨粉と化し、サンジが伸ばした両腕の中をすり抜けて。





「―――あー」
サンジは両手を握り締め、空を掻きながら棺に覆い被さった。
白骨死体の上に残ったのは、僅かな骨の欠片と金色のピアス、そして三振りの刀。
「ゾロっ、ゾロ!」
声の限りに叫んでも、もはや応える影すら見つからない。

さっきまで、側にいたのに。
まだ死ねないのだと夢を語り、飯を食いたいと笑っていたのに。
数百年ぶりに、自分の身体を見つけたのに―――




「ゾローっ」
サンジの悲痛な叫びに驚いたのか、梢の小鳥たちが一斉に飛び立った。




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