古城の剣士 -4-


どれくらいそうしていたのか。



暴かれた墓の前で呆然とひざまづいていたサンジは、ふと顔を上げた。
夜が、明けている。
いつの間にか、すっかり顔を出した朝日が当たり一面を白い光で浮かび上がらせていた。

―――帰らねえと
早起きなチョッパーが、もう目を覚ましているかもしれない。
朝食の準備をしなきゃならない。
俺には、仲間たちがいる。
そこに、戻らねえと。
それに、もしかしたらロビンちゃんやナミさんが、何かいい方法を見つけてくれるかもしれない。

昨夜確かに、ゾロと言う男に出会って話をしたのだ。
この墓を暴いたのだ。
ゾロの身体を見つけたのだ。
何か魔術を、魔法の力を。
どうにかして、ゾロを取り戻せないのか聞いてみないと。



サンジは立ち上がり、ふらつきながら歩き出した。
墓地を抜けて、廃墟のような城へと向かう。
崩れたアーチを通り抜け、裏口から建物の中に入り、途中居間を抜ける。
ふと足を止め、元は吹き抜けだっただろうエントランスを見上げた。
壊れた柱時計がある。
もうとうにその動きを止めてしまったそれは斜めに傾いで、針は一本しか残っていない。
開いた扉から振り子が飛び出して転がっていた。

―――12回、時を打ったら・・・
「鳴るわけ、ねえじゃんか・・・」
サンジは独り呟いて、がらんとした回廊を横切った。
あの、見つけにくい物置。
あの中に、ゾロを閉じ込めた鏡があったはず。
早足でその場所に向かえば、確かに破れたタペストリーの間に申し訳程度にノブの残骸が残っている。
けど、こんなんじゃなかった。
もっとちゃんと、捻って回せるくらいの大きさで取っ手があったのに。

手で回すまでもなく、蝶番の壊れた扉はサンジの一押しで呆気なく緩み、傾きながら倒れた。
廊下に大きな音が響き、埃が舞う。
袖で口元を押さえながら中を覗き込めば、整然と積まれていたはずの家具はあちこち荒らされ転がされ、壁の奥に立て掛けられた鏡は大きく割れていた。
「・・・そんな・・・」
罅割れ曇った鏡の中に、驚き口を開けた自分の姿が幾つも映っている。

「そんな、バカな!」
舌打ちしてきびすを返し、中庭に走り出た。
床が濡れていて、危うく滑りかける。
朝日を受けた中庭は樹々が光を弾いて、やけに明るく輝きに満ちて見えた。
だが、誰もいない。
テントを張って眠っているはずの仲間達の姿が見えない。

「なんで―――」
「サンジ!」
背後からいきなり声を掛けられて、サンジは弾かれたように振り向いた。
トナカイ型になったチョッパーが掛けてきて、小さく変化しながら飛びつく。
「サンジ!どこ行ってたんだよ。どうしたんだその姿」
「え?」
カツカツとヒールの音を立てて、次に姿を現したのはナミだ。
その後にロビンが続いてくる。

「もう、サンジ君今まで何処行ってたの?!」
怒りながらも駆け寄ってくれるのは、心配してくれたからだろう。
サンジは申し訳なさに首を竦めて、チョッパーを抱いたまま頭を下げた。
「ごめんよナミさん、でも皆こそ何処に行ったの」
「はあ?何言ってるのよ」
サンジの無事を確認して安心したのか、ナミは怒りながらもサンジのシャツについた泥を手で払った。
「とにかく、今まで何をしていたのかきっちり話して貰いましょうか」
背後から仲間達が次々と姿を現した。
飯〜と叫び飛びつくルフィを交わし、サンジは昨夜の出来事を掻い摘んで皆に説明した。





「・・・と言うわけなんだ」
エントランスに車座になりサンジが話し終えても、仲間達は誰も口をきかなかった。
お互いに視線を合わせるようにして、様子を窺っている。
サンジは自嘲して煙草を取り出し、肩を揺らしながら火を点けた。
「おかしな話だって思うだろう。俺だって思ったさ。けど、この泥で汚れたシャツなんかはさっきまで穴掘ってた証拠なんだぜ」
絶対にゾロはいたのだ。
自分の身体を探して彷徨う、ただの残像でしかなかったのだけれど。
「よっぽど皆を起こそうかと思ってはいたんだ。けど、なんでか中庭に姿がなかったし・・・」
最初に違和感があったのはそれだ。
月の明るい庭に出たとき、そこに張ってあるはずのテントがなかった。

「そのことなんだけどね・・・」
まるで一同を代表するかのように、ナミがおずおずと口を開いた。
「私たちは、結局大広間に場所を移してそこで寝てたの」
「え?なんで」
サンジの方が驚いて、目を瞠る。
「なんでも何も、昨夜物凄い雨が降ったじゃないか」
やや詰るようなウソップの口調に、サンジは目と同じくらい大きく口を開けた。
「雨え?」
「そうだよ、とんでもない土砂降り。夕方から雨が上がってただろ。けど夜中になったらまるでスコールみたいな雨が降ったんだ」
「あんまり酷くてテントにも浸水してきたから、慌てて起きて移動したのよね」
「その時マユゲを探したんだが、お前どこにもいなかったぞ」
「それからはサンジさんのことが心配で、皆さんろくに眠らないで起きて待っていたんですよ」
口々に昨夜の事情を説明されて、サンジはあんぐりと口を開けたまま聞くしかなかった。

昨夜雨が降っただって?
あんなにも、明るい月夜だったじゃないか。

「その剣士さんは、満月の夜にだけ出てこられるってそう言ったのね?」
ロビンの言葉に、サンジは救われたように首を向けて云々と頷いた。
「そうだよ、昨夜は満月だからって、柱時計が12回鳴ったら、あいつが出てきたんだ」
「・・・昨夜は、満月ではなかったの」
ロビンは気の毒そうに眉を顰める。
「確かに、雲の切れ間から覗いた月は丸い形をしていたかもしれないけれど、満月は明日なのよ」
「そんな―――」
サンジは愕然として視線を漂わせた。
やっぱり、あれは夢だったんだろうか。
ゾロなんて本当はいなくて・・・それとも、この城が見せたただの幻?

「でも、本当に墓を掘ってたからそんなに汚れたのよね」
「キツネかタヌキにでも、化かされたんじゃねえのか」
「おい、大丈夫かサンジ」
蒼褪めたサンジの顔色を見て、チョッパーが寄り添うように可愛い蹄を掛けてくる。
「大丈夫だ、ありがとう」
そう答えては見たものの、なんだか泣きたくなってきた。
何かに化かされたのなら情けないし、あのゾロが本当は存在していなかったのだとしたら、それはそれで何故だか哀しい。

「その、お墓のことなんだけれど」
ロビンは思案気に腕を組んで、小首を傾げて見せた。
「私、昨日のうちにそのお墓も見つけているの。屋敷の裏手、森の中にあったでしょう」
「うん、うんそうだよ、ロビンちゃん」
サンジは悄然と項垂れながら、こくこくと頷くしかできない。
「そのお墓、確かに荒らされた跡があったわ」
「え、それじゃあやっぱり・・・」
ロビンは毅然とした表情で首を振った。
「私が昨日見たとき、よ。もう荒らされてから何年も経っている感じで、土の間から確かに棺も見えていたわ。上から土をかけられた形跡があったけれど」
仲間達は目をぱちくりさせて、お互い顔を見合わせた。
「それって、どういうこと?」


「おい、誰か来たぞ!」
フランキーが立ち上がり、それに倣うように全員が腰を浮かした。
外は晴れやかな朝の光に包まれているが、建物の中は薄暗く視界が見づらい。
息を潜めて目を凝らしていると、回廊の柱の影から人が姿を表した。

若い男だ。
がっしりとした体格をして、髪が短い。
腹に妙な布を巻いて、腰には三本の刀を提げている―――

「ゾロっ!」
サンジは飛び上がりその場から走り出した。
長い回廊を、息せき切って駆け抜ける。
目の前のゾロが幻でも、消えてしまわないうちに確かめたかった。
本当にゾロはいたのか。
あのゾロが帰って来たのか。

ゾロも歩みを速めて、サンジの目の前に来ると立ち止まった。
サンジも立ち止まり、二人は黙ったまましばし見詰め合う。

「・・・ほんとに、ゾロなのか?」
サンジは手を伸ばし、そっとその肩に触れてみた。
見た目どおりがっちりとして、硬い。
触れる、確かに、ゾロがいる。
ゾロが生きて、目の前にいる。

「ああ、俺だ。お前に逢いたかった」
ゾロは感情を抑えるように低く呟くと、サンジの背中に手を回し抱き寄せた。
しっかりと力を入れて抱き締めてくるから、尚のことゾロの存在が確かなものとしてサンジの胸に迫った。

―――ゾロだ
確かにゾロだ、生きている。

「ゾロっ」
感極まって、サンジも広い背中に手を回しぎゅっと抱き返した。

暖かな身体だ。
逞しい筋肉と広い肩幅から、生きる息吹が溢れんばかりに感じられる。
若く美しい、本来のゾロがそこにはいた。
夢ではないかと一旦目を瞑ってから、そうっと開いて改めてゾロの顔を間近で眺めた。
そんなサンジを眩しそうに見詰め返し、微笑むゾロの顔は昨夜見たものと同じものだ。
短い緑の髪、目付きが悪いと言われるだろう切れ長の瞳が印象的な、精悍な顔。
左の耳には、三連のピアスが揺れている。

「ゾロ、ほんとに・・・」
サンジの問いにゾロはゆっくりと頷き返し、名残惜しそうに密着した身体を離す。
今まで合わさっていた胸元の、前を肌蹴たシャツの間から斜めに走る傷を見つけて、サンジは顔を顰めた。
「・・・これって・・・」
こんな傷、昨夜のゾロにはなかったはずだ。
「ああ、それは前につけた傷だ」
「前に?」
「お前が教えてくれただろう。鷹の目のミホーク、去年そいつに偶然会ってな。挑んだんだが見事返り討ちにあった」
ゾロはどこか照れくさそうにそう言って、首の下をぽりぽり掻いた。
「去年?」
話が見えない。

「サンジ、そいつ誰だ?」
背後から声を掛けられて、サンジは我に返った。
そういえば、仲間たちがいたのだ。
「もしかして、彼が貴方が言っていたゾロ?」
ナミとロビンに慌てて向き直り、サンジは両手を広げて頷いた。
「そうなんです、こいつがゾロ。やっぱり生きてたんだ」
「いや、違う」
いきなりゾロ当人に否定されて、サンジは口を開けたまま振り返る。
「お前と出会ったのは、20年前の今日、ここでだ。俺はお前のお陰で肉体は取り戻したものの、結局死んじまった。ところがそのすぐ後に遠く離れた村で産声を上げてな。つまるところ生まれ変わりだ」
「は?」
「へ?」
「まあ」
ロビンは感嘆の声を上げて一歩進み出た。
「生まれた時から、記憶が残っていたの?」
ゾロはロビンの問いかけに臆することなく、腕を組んで首を傾げて見せる。
「ガキの頃のことはよく覚えてねえ。だが、年を取るごとにこいつとのことが鮮明に思い出されて、今日のこの日に間に合うようにここに来なけりゃとはずっと思い詰めていた。ここに来りゃあ、こいつに会えるって思ってな」
「まあ、それでここに来たのね」
ゾロは腰につけた刀に手を掛けて、愛おしそうに撫でる。
「村を出たのは15の時だが、早目にここには来てたんだ。俺のものである刀がずっと野ざらしになってんのが気になったしな。案の定殆ど使い物にはならなかったが、代わりに他の刀を集めることもできた」
今ゾロの耳に光るピアスも、かつてしていたものなのだろう。
「鷹の目のミホークと、やり合ったってほんとか?」
「ああ、今の俺じゃ歯が立たねえことはよっくわかった。だが俺はあいつを超えてみせる、その為にも海に出るつもりだ」
ゾロと仲間たちとの会話を、サンジは呆然と聞いていた。
20年前ってなんだよ。
生まれ変わりって?

「ししし、お前強そうだな。んじゃ俺の仲間になれよ」
今まで黙って見ていたルフィが、前に進み出てゾロに宣言にした。
「お前ら海賊なんだろ?俺は海賊狩りをしていたが、いいのか?」
「海賊狩りい?」
ウソップが頓狂な声を出す。
「ああ、そうかどっかで聞いたことがあると思ってたら・・・海賊狩りのゾロってお前かあ?」
不敵に笑い返すゾロに、ルフィは満面の笑みで応える。
「海賊狩りが直に賞金首になんだろ、決まりだな。仲間が増えたぞーっ」
わあっとどよめく仲間たちの中で、サンジだけが何故だか取り残されている。

「え、ちょっと待って。ゾロってあのゾロなのか?つか、いいのかみんな」
戸惑うサンジの肩を、ナミがちょいと肘でつついた。
「いいに決まってるでしょ。サンジ君にとっては昨日の今日のことだけど、ゾロにしたら20年越しの想いですもの、どーんと受け止めてやんなさい」
「そうね、私ちょっと感動しちゃったわ」
二人の美女に笑顔で祝福されて、サンジは目を白黒させている。
「え、なんのこと?つか、一体・・・」
「目の前であーんな熱い抱擁を見せつけられちゃあ、認めないわけにもいかないわよね」
「え、え・・・えええっ」
思わぬ展開に、サンジはパニックに陥った。
「違うんです、あれは生身の身体かどうか確かめただけでっ」
「・・・逢いたかった・・・ですって」
「ちちち違うんですってば!」
「サンジー、腹減ったぞう」
慌てて否定するサンジの首を掴んで、ルフィが強引に抱き寄せる。
「飯だ飯!朝飯で宴会だ!」
「ゾロの歓迎会しようぜ」
「誕生日もだろ、今日生まれたんだよな」
「お祝いだ、宴会だ、パーティだ!」
「宴だ〜〜〜〜っ」
こうなるともう、誰も麦藁海賊団を止められない。

サンジは頭を抱えながら、宴会の準備を始めるために中庭へと飛び出す仲間たちの後に続いた。
ゾロは当然のように、ゆっくりと着いてくる。
「あのなあ、てめえとはここの縁でみんなより先に知り合っただけなんだからな、俺的にはそれ以外なーんもないからな」
振り返ってムキになるサンジを、ゾロは穏やかな顔で見つめ返した。
「ああ」
「てめえが生きてたってのが、単純に嬉しかっただけだから」
「ああ」
「俺にとっちゃ、昨日の今日だから感動しただけだ。そんだけだから」
「ああ」
「・・・だから、そんな目で見んなボケっ」
あんまりこっ恥ずかしい目線で見つめてくるから、サンジは切れて横蹴りをくらわした。
ゾロはそれを片手でがっちりと止める。
「おおう、やっぱり想像してた以上に強え蹴りだな」
「くそ、吹っ飛べマリモ頭」
悪態をつきながらも、サンジは口元が緩むのを誤魔化しきれない。

やっぱり実体だ、ちゃんと蹴り飛ばせる身体がある。
ゾロは、生きてるんだ。
触れられて笑い合えて、腹が減ったら飯を食わせられるなんて、なんて幸せなことなんだろう。

喜びに胸が震えて、サンジはそれを誤魔化すように煙草を持った手で目尻を拭った。
「しょうがねえな、約束だ。何が食いてえ?」
「握り飯」
即答するゾロに笑みを返して、サンジは仲間達の元へと駆け出した。





「・・・それから、お前」

後から付け足したゾロの注文は、どうやら聞こえなかったらしい。





END



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