きつねの嫁入り
-8-


しばらく逡巡した後、サンジは意を決したように口を開いた。
「俺は実は、狐なんだ」
「おう」
「――――・・・」
「――――・・・」
それで?と無言で先を促すゾロに、サンジはパチパチと瞬きをした。
「えっと、意味わかるか?」
「ああ?」
「俺、狐なんだよ」
「知ってる」
「知ってるの?なんで?」
今さらなリアクションに、ゾロの方が驚いた。
こいつまさか、ずっと正体がバレてないとでも思っていたのか。
「知ってるも何も、初めて会った時はてめえ昨日みたいにでかくて、耳も尻尾も付いてたじゃねえか」
「ええ?知らない」
「は?」
話が混乱してきた。
ちょっと待て落ち着けと、お互いの情報を整理する。

まずはゾロから、口を開いた。
「俺がお前を初めて見たのは、小学校…2年くらいか。あの、稲荷を見つけた時だ。そん時、稲荷ンとこに昨日のお前みたいな姿の幻を見た」
「それが俺だって、わかったのか。その、俺が転校した時に」
「ああ、そのまんまじゃねえか」
ゾロがあっさり言うと、ンな訳ねェだろ!とサンジは語気を強める。
「常識で考えろよ、ガキん時に見た大人の俺が小学生になって転校して来るとか、それが同一人物だとか思いもしねーだろ普通は」
「常識云々を言うなら、そもそも狐が人に化けてるとか、思い付かねえ」
「・・・そりゃ、そうだけど」
ゾロのもっともな突っ込みに臆したサンジだが、それでも…と食い下がった。
「お前、最初から全然何も言わなかったよな。俺が狐だろうと化物だろうと関係ねえの?俺って、お前にとってどうでもいい存在?」
「んな訳、ねえよ」
今度はゾロの方がびっくりした。
サンジがそんな風に捉えていたなんて、心外だ。
「お前が狐だろうが化物だろうが確かに関係ねえが、それはそういう意味じゃねえ。お前が狐でも化物でも、お前はお前だ。俺にとって“どうでもいい”ってのは、そういう意味だ」
どう説明してよいかわからず、拙い言葉の羅列になってしまったが、サンジには通じたようだ。
一瞬ホッとした顔をしてから、しまったとでも言うように唇を歪める。
このサンジの表情の変化が、ゾロには昔から不思議だった。
まるで、相反する感情を常に抱えているかのようで。

「で、お前は狐なのか?」
改めて問えば、サンジはゾロを睨み返すようにして「おう」と答えた。
「狐って、コンとか鳴く、あのか?」
「正確にはコンとは鳴かないが、その狐だ」
「で、昨日のアレも、お前?」
「そう、あれが本体」
サンジがそう言うと、ざわりと空気が揺らいだ。
見る間にサンジの背が伸びて、髪も肌もほんのりと輝きを帯びる。
室内の空気が、より清浄なものへと変化した。
ただそこに座っているだけなのに、サンジの姿はあまりにも眩い。
部屋が個室で良かったと場違いな安堵を覚えながら、ゾロは目を瞬かせた。
「それが本当のお前だとすると、ガキの姿は化けてたのか?」
「いや、俺がこの姿に戻れたのは最近の話。それまで、ずっとお前と同じガキの姿が本当だったよ」
何を言ってるのか、さっぱりわからない。
あれこれと考えるのは早々に諦めて、サンジに全部説明させるつもりで黙って顎をしゃくった。
「で?」
「横着だな、なにもかもてめえのせいなんだぞ」
二言目には「お前が悪い」と詰るようなことを言って、それでいて「俺が悪かった」と涙を流しながら詫びたりする。
サンジが抱える二面性は、きっと根が深いのだろう。



「俺とお前が出会ったのは、今よりずっとずっと昔のことだ」
サンジは元々狐として生まれ、自分でも知らぬ内に徳を積んで神狐となっていた。
立派な社も立てられ恋稲荷として名を馳せていたが、ある日ふらりと迷い込んだ浪人と出会う。
不本意ながら、サンジは恋に落ちてしまった。
その浪人が、ゾロだった。
「俺は霜月の地を離れて、お前と旅に出ることに決めた。俺の神通力が続くのは祠があり人々の信仰があったからだ。この地を離れれば、俺の力は徐々に薄まり存在自体が消えてしまう。でも、俺は永遠に近い命よりお前と生きる道を選んだ」
「だったら、死んだのか?俺も、お前も」
昔の話なら、多分そうのだろう。
サンジはうんと、微笑みながら頷く。
「てめえはとてつもなく強い剣士だったが、一つの村を守って、存分に戦って死んだ。それを看取ってから、俺も死んだ」
こうして向かい合って話をしているのに、過去に“死んだ”と告げられると胸が痛む。

「ただ、俺が死ぬ間際にお前と俺の縁の糸を結び直した。来世でも出会えるようにと」
恋稲荷として神通力を持っていた名残でその力だけは失くさなかったのだと言う。
そうして再び生まれ変わり、お互いは出会った。
だが――――

「俺とお前では、輪廻が違ったんだ」
何度生まれ変わっても、サンジは狐でゾロは人だった。
サンジが人間として生まれ変わることはできない、狐はずっと狐なのだ。
「狐では、生が短すぎる。お前と出会わない間に何度も生き死にを繰り返した。せっかく出会えても、言葉が通じない間に俺の方に寿命が来る。これじゃァだめだと、徳を積んで再び神狐になったんだ」
ところが、今度は人間のゾロの方が、生が短くなってしまった。
神狐として神通力を高めるほどサンジは若く美しいまま長生きし、その間に何度もゾロは生まれ死んでいく。
「しかもお前、何度生まれ変わっても戦うのが好きだし危なっかしい道ばっかり選んで、そんで一生の間に必ず一度や二度は、大怪我を負うんだよ」
サンジは肩を落とし、力なく「ははっ」と笑った。
「死に方もさ、城を守ったり子どもを庇ったり、国のために散ったりさ。壮絶だけど、やむを得ないんだ。いかにもお前らしい最期で、俺は一度も止め立てなんかできなかった。でも、そんなお前をさァ、見てるのもいい加減、辛くなってきてさ」
サンジは言葉を止め、切なげに息を吐いた。
「俺が、お前が死ぬ度に縁の糸を繋がなきゃいいんだって、わかってんのにやめられなくて。でもお前と逢えれば嬉しい、嬉しい分だけ死に別れが辛くてさァ。もう、置いてかれんの嫌になって、とうとう、こないだのお前の死の間際、もう止めるって言ったんだ」
「止めるって、なにを」
「縁の糸を繋ぐのを、さ」
縁の糸が途切れれば、いくら輪廻転生しようとも再び会いまみえることは難しい。
わかっていて、サンジは一度手を離した。

「そう言ったら、めちゃくちゃ怒って――――」
「当たり前だ」
ゾロは呆れて、きっぱりと言った。
この狐は、何十年何百年と生きて来てそんなこともわからないのか。
「俺はお前が言ってる過去とやらを欠片も覚えちゃいねえが、もしそんな風に生きてて、死ぬ間際お前からそう言われたら絶対怒る。ふざけんなって怒鳴る」
「そう、怒鳴られたよ」
サンジは、薄く笑った。
「ふざけんなって、見たこともねえくらい激怒された。身体の半分が千切れて瀕死の状態で、血なんてほとんどのこっちゃいないのに顔を真っ赤にして、とんでもねえ形相で睨みつけるんだ。んで、許さねえって、俺が知らない世界でお前が生きるのは許さねえって――――」
そうして、呪いを掛けたのだ。

「サンジ狐の恋稲荷、祠の場所を封印しやがった」
“封印”の響きを聞いて、ゾロの脳裏に唐突に姉達の会話が蘇った。
――――嫉妬深い神様に封印されたとか。

「あれ、俺か?」
思わず自分を指さすと、サンジはどこか厳めしい表情で頷く。
正確には神様ではなくただの人間だったのだけれど、激情に駆られ恋稲荷の場所を封じてしまったらしい。
「それから、俺の祠にはぴたりと人が来なくなった。人どころか鳥や獣も訪れることがない、何者も立ち入れない忘れ去られた場所になった。人々の信仰心、信心が薄れれば神は力を失う。俺も、そのまま祠と共に朽ち果てて、露となり消えるところだった」
なのに――――
「最後の最後に、お前が現れた」

なにか目的でも定めているかのように迷いなく大股で、自分の背丈より高く伸びた草を掻き分け社に辿り着いた。
その時、サンジはすでに意識もおぼろげになっていて、ほとんど大気に溶け込んでいた。
生い茂る緑の中から、懐かしい緑頭の小さな童がぬっと顔を出したのも、今際が見せた幻と思ったのだ。

「それから、あれよあれよと言う間に俺を取り巻く世界が変わった」
幼いゾロの手で封印は解かれ、幻の祠発見のニュースと相まってサンジの元には多くの人が通うことになった。新しく社を立てられ周囲は綺麗に整備され、信仰に厚い人々の供え物や祝詞はサンジの身体にどんどんと力を加えて行った。
瀕死の状態で息を吹き返したサンジは、本人の与り知らぬ間に周りから土台を固められ、再び神格の座に着いた。
だが人形を成すと、まだ回復しきれない身体は小さな子どもに還り、血肉の行き当たらぬ骸骨のごとき貧弱さだった。
幼体で行き倒れていたところをバラティエのオーナーに助けられ、 人として口にする食べ物を得て少しずつ回復して行った。
なんとか自力で動けるようになって、正式にゼフの養子となり学校に転入したのだ。

訥々と語るサンジの半生(?)を聞いて、ゾロはなるほどなァと大きく頷いた。
「お前、苦労したんだな」
「――――――誰のせいだ」
低く呟かれ、心持ち顎を引く。
やっぱ、俺のせいか。

ゾロは肩を揺すって、ベッドに座り直した。
「でもまあ、こうして会えたんだから、結果オーライじゃねえか」
「ふざけんなよ」
サンジは唸るように吐き出しつつも、本気で怒ってはいないようだ。
むしろ照れたように唇をムニムニと動かし、下を向く。
「じゃあ、俺が怪我したのと部屋から出なかったのは、なんか関係あるのか?」
「―――――・・・」
言い辛そうにますます俯いてから、横を向いてちっと舌打ちする。
「・・・だと、思ったんだよ」
「ああ?」
「まただ、と思ったんだよ!」
サンジは顔を上げ、噛み付くように吠えた。
「こんな、戦も争いもない平和な世の中に生まれて、剣道ってスポーツで剣の道を志して。もう大丈夫かと思ったんだ。もう、お前はみだりに傷付かない。これ以上誰かを庇って深手を負ったり、死に瀕することはないって…なのに――――」
平和な世で、ゾロはまたしても重傷を負った。
縁を切ったはずなのに、サンジとさえ出会わなければゾロはもっと安らかに穏やかな人生を送れたかもしれないのに。
その想いが胸の内から一気に込み上げて、制御が利かなくなった。

思い出したのか、サンジの髪がぶわりと逆立って輝きを増した。
両手でこめかみを押さえるようにして、大きく息を吐く。
「また、またお前は俺を置いて行く。せっかく出会えたのに、縁を切ってでもやっぱり出会えたのに。そう思ったらもう、居ても立っても居られなくなって…哀しくて悔しくて、なにもかも嫌になって」
「――――・・・」
ゾロの目の前で、サンジを取り巻く空気はチカチカと輝きながら揺れていた。
これでは、部屋から出たくとも出られなかっただろう。
すべては自分の怪我が原因だと理解はしたが、さりとてゾロにどうしようもない。
「心配かけて、悪かった」
「ほんとだよ!」
間髪入れず、サンジが叫び返す。
そのやり取りが子どもっぽくて思わず笑ったら、サンジもつられて口元をほころばせた。
だが、目尻には涙が浮かんでいる。

「もう、こんな想いをするのは嫌だと。何十年も何百年も思ってた。なのに、やっぱりお前と巡り合えれば嬉しいんだ。もう、どうしようもない――――」
サンジ自身、自分の中で相反する感情にずっと振り回されてきたのだろう。
疲れて、くたびれ果ててなお、ゾロの出現に歓びを感じてしまう。
顔を手で覆い、俯いて肩を震わせる姿は、今は自分と同年代の少年だ。
感情の高ぶりが治まれば、きちんと制御できる。

ゾロはしばらく考えてから、ポンポンと布団を叩いた。
「おい」
「・・・なんだよ」
べそを掻いて顔を上げたサンジを、手招きする。
「ちょっと、こっち来い」
「うっせえな、俺は猫か」
文句を言いながらも、ベッドから降りられないゾロのためにそうっと近寄る。
もうちょっと、もっと近くまで。
まさしく、猫の子を呼び寄せるように根気強く手招いたら、なんとか手が届く位置にまで寄ってきた。
両手を伸ばして引き寄せると、胸の傷が痛んだが構ってはいられない。

「おい、点滴…」
管を気にするサンジに構わず、強引に肩を抱いた。
そうして、丸い後頭部を無理やり抑え込んで自分の肩口に顔を埋めさせる。
「お・・・」
「悪かった」
ゾロの詫びに、抵抗しようとしたサンジの動きが止まる。
「心配かけて悪かった、何度も悲しませて悪かった」
「――――・・・」
「お前を置いて死なねえとは約束できねえ。だが、生きてる間は絶対、この音をてめえに聞かせ続ける」
ゾロはサンジの手を取って、病衣の上から胸を押さえさせた。
トクトクと、脈打つ鼓動はいつもより早い。
「だから、共に生きてくれ」
「――――っ!」
サンジがゾロの背中に手を回し、ぎゅっと抱き着いてきた。
頭の芯がビリビリ痺れるほど、傷が痛い。
だがゾロはここが我慢のしどころと、脂汗を滲ませながらも耐えてサンジを抱きかかえた。

そうっと病室の扉がスライドし、姉の一人が顔を覗かせる。
ゾロと視線が合い、一瞬目を瞠ってからまたそうっと音もなく扉を閉めた。
まだ当分、邪魔者はやってこないだろう。
ゾロは安心して、痛みを呼吸で逃がしながら泣き続けるサンジの背中をそっと撫で続けてやった。





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