きつねの嫁入り
-9-


「家のことは、私達に任せてね」
訳知り顔の姉達からは、頼もしい言葉を貰った。
「サンジさんなら安心ね」と母は微笑み、「人生いろいろだな」と父は穏やかに呟く。
ゾロが与り知らぬ間に、ロロノア家では話がついたようだ。
家族の後押しを受け、ゾロは堂々とサンジと付き合った。
サンジの方はまだ迷いがあったようだが、ゼフから「ガキらしい振る舞いをしろ」と言われ、いろんな意味でパニックになっていた。
ポジティブなゾロはそれを激励と捉え、以後、実質的に公認状態だ。

二人ともそれなりに頑張って勉強し、同じ高校に進んだ。
小・中よりも交友関係が広がって、学校で顔を会わせる機会は格段に減ったが、休日に時間をやり繰りして一緒に過ごした。
お互いにかけがえのない存在であっても、それだけで満足して今生を終える気はない。
ゾロにはゾロの、サンジにはサンジの夢がある。

夏休み気分が抜けきらないまま、文化祭の準備で忙しくなった。
ほとんど授業はなく、夜遅くまで学校に残って作業が続く。
まさにお祭り気分で、学校全体が活気づく季節だ。
日が暮れて薄闇に覆われた中庭で絵筆を洗っていると、サンジが友人達と通りかかった。
「お」と立ち止まり、友人達は先に行く。
「なに、絵、描いてんの?」
「横断幕担当だ」
「へえ、そんな才能があったなんてな」
「チーフがウソップだ、任せときゃなんとかなる」
「なるほど」

色とりどりの色が流れる排水溝を、ゾロの手元越しにヒョイと覗き込んだ。
額に汗が滲んでいる。
「お前は、なにしてんだ?」
「俺は応援担当・・・とは言え、男子チアだぜ。チアリーダーってのは、可愛い女の子がしてナンボだってのに」
「チア…」
一瞬、よからぬ光景が脳裏に浮かんでしまった。
ゾロの目の色が変わったのを察知し、サンジは慌てて訂正する。
「言っとくけど、体操服だからな」
「ちっ」
「ちっとか言うな、ってか、誰得だ」
サンジは不満そうに、首に掛けたタオルで口元を拭う。
「まあ、支え役に負担掛けんの可哀想だから、不自然にならない程度に体重減らしてっけど」
「あんま、跳び過ぎんなよ」
サンジなら軽業師もかくやというほど身のこなしが軽いだろうが、あまりに飛びぬけすぎて注目を浴びても困る。
「その辺は、大丈夫」
頭上から、声が降って来た。
「サンジー、フォーメーションのおさらい!」
「おう、今行く!」
三階の窓から身を乗り出す友人達を振り仰ぎ、サンジは「じゃ」と水飲み場を後にした。
点りはじめた外灯を反射して、金色の髪がチラチラと輝きを残す。
校舎からは賑やかな生徒達の声が響き、夕闇に染まる校庭でも、まだ幾人かの生徒達が残って後片付けに忙しい。

平和で平穏で、ありきたりなごく普通の毎日。
そんな平凡な日常が、時に泣きたくなるほど愛おしい。
サンジと共に日々を過ごせる幸せがじんわりと心を満たし、ゾロはしばらく一人で佇んでいた。





ゾロは早々に、地元大学への推薦を決めた。
サンジは喜び、自分も地元の調理師学校に入学すると言う。
「免許取って、どこかの店で修業させてもらってさ。ゆくゆくはバラティエで働きてぇと思うんだ」
「あのじいさんなら、てめえで店持てって言いそうじゃねえか?」
「うーん、もしかすっとそれもあるかも。俺としては、できるだけ恩返ししてェんだけどなあ」
「それならなおのこと、突っぱねられそうだな」
同級生達が受験や就活で忙しい中、ぽっかりと時間が空いた分だけ二人で過ごす機会が増えた。
ゾロはここぞとばかりに、話を切り出す。
「卒業を機に、一緒に暮らそう」
「んー、そうだな…って、え?」
自然な流れだったので深く考えずに相槌を打ってから、サンジはきょとんとした。
「え?」
もう一度、問う。
「どっちも地元定住だが、独り立ちするの悪かねえだろ。まあ、二人暮らしで独り立ちとはいえねえかもだが」
「え、でも早くね?」
サンジは顔を赤くしながら、ワタワタと慌てる。
「なにが早い、18で結婚は許される年齢だろうが」
ゾロはすでに誕生日を終え、18歳になった。
サンジは早生まれ設定だが、実年齢を言い出せば話にならない。
「け、結婚って」
「もう充分待った、俺もお前も」
待つだけなら、サンジはほぼ悠久の時間を待ち続けていることになる。
ゾロの5〜6年なんて比較にすらならないが、ゾロなりに辛抱したつもりらしい。
「週末から、住むとこ探そうぜ」
「・・・おう」
ゾロの勢いに押され不承不承と見せかけて、サンジはほのかに口元をゆるませながらコクンと頷いた。



築年数、駅からの距離、利便性。
家賃や間取り、特に水回りは入念に。
ああでもないこうでもないと検討を重ね、不動産屋を回った。
ゾロが一番拘ったのは、防音性だ。
「やっぱ、生活音ってでかいだろ」
「・・・うん」
対してサンジは、どこか胡散臭そうに見やる。
「けど、お前がそこまで神経質だとは思わなかった」
「いや、聞く方じゃなく聞かせる危険性について考えれば―――」
「おま・・・やっぱ全部、覚えてんだろ?!」
火が点いたように怒るサンジに、ゾロはにやりと悪い笑みを浮かべる。
「別に何一つ覚えちゃァいねえが、なんとなくそうじゃねえかと思ってたんだ」
「こんの、クソボケ野郎!エロ毬藻!!」
怒りに任せてガンガン蹴ってくるサンジを軽やかに躱しながら、ゾロは一人でニヤついていた。
やはり防音対策は、しっかりしないといけない。

卒業式を間近に迎えた日曜日、ゾロの父に保証人になってもらって無事新居へと引っ越す。
お互いの荷物はさほどではないが、それでも手を付け切れなかったダン箱は壁際に積まれた。
おいおい、片付けて行けばいいだろう。
「この部屋で初めて食う、記念すべき夕食だけどジジイが持たせてくれたから」
言い訳をするように、サンジが冷蔵庫に仕舞ってあった惣菜を取り出す。
「そりゃご馳走だ、お前だって疲れてんだから、飯作るのは交替でいいぞ」
「えー、お前なんか作れたっけ?」
「当たり前だろ。醤油ラーメンとか塩ラーメンとか味噌ラーメンとか」
「・・・湯を入れるだけ?」
「あと、豚骨に鶏がら・・・」
「もういい」
サンジは笑いながら、惣菜を温め直したり器に移し替えたりして支度を整えて行く。
家を出る時最後に持たされたケーキの箱を、大事そうに両手で持ってテーブルに置いた。
「それ誕生日だからか?」
「あ、うん、そうかも」
まだサンジも中を見ていないから、確信を持てず頼りない返事だ。
狙った訳ではないが、今日は3月2日でサンジの誕生日だった。
「誕生日に引っ越しとか、なんか照れ臭ェ」
「いいんじゃねえか、そういう時期だし」
そっと箱を空けると、直径12cmほどの小ぶりなホールケーキが現れた。
白地に白のクリームで、シンプルながら細緻なレース模様が描かれている。
大小さまざまな銀色のアラザンが散らされ、薄いピンクの薔薇が添えられていた。
「へえ、綺麗だな」
「や、なんかこれは・・・」
さすがに乙女チックすぎると思ってか、サンジは顔を赤くして頬を擦った。
「やっぱバースディケーキ的な」
「むしろウェディングケーキ的な」
ゾロの茶々に、いやいやいやいやとサンジは両手を振った。
「止めろよもう、意識させんな」
「俺は最初から意識しまくりだ」
構わずぐいぐい押してくるゾロの頭を、サンジは手にしたトレイでパコンと叩いた。
「もう、とにかく食うぞ」
「おう、誕生日おめでとう」
「引っ越し、お疲れー」
自制して、ジュースで乾杯した。
カチンとグラスを合わせ、同じタイミングでぐいっと飲み干す。
早速料理に箸を付けるゾロを幸福そうに眺めてから、サンジはテーブルにグラスを置いた。

「今日の誕生日な、俺が適当に付けたんだ」
「ああ、まあそうだろうな」
狐の誕生日など、わからない。
「なんで今日にしたか、わかるか?」
ゾロはしばらく考えた。
「名前にちなんで、か?」
「ちげーよ、ばーか」
サンジはそう言って、ジュースを手酌する。
ジュースなのにアルコールを飲んだみたいに顔が赤い。
「今日、3月2日はお前が俺を見つけた日だ」
「ん?」
そうだったっけかと、視線を上げて記憶の糸を辿る。
「双子姉妹、幻の祠発見!って記事を見たら、見つけたのは3月の最初の土曜日。だが、ほんとにお前が見つけたのは2日って書いてあった」
そういえば、姉達を連れて二回目に訪れたのは休みの日だった。
「よく調べたな」
「俺の誕生日だから、大事だろ」
それもそうかと、納得しながらジュースを手酌する。
「俺が見つけなきゃ、お前はもしかしたらここにいなかったのかもしれねえな」
「誰のせいだよ」
サンジは笑って茶化すけれど、改めて考えてその可能性にぞっとした。
嫉妬に駆られて、恋稲荷を消滅させてしまっていたのかもしれないのだ。
そう思うと、過去の自分の愚かさを呪いたい。
「悪かった」
生真面目に謝ると、サンジは「らしくねー」とまた笑う。
「それに、結局お前がまた見つけてくれたんじゃねえか。結果オーライだ」
サンジの、この懐の深さにずっと自分は甘えて来たのかもしれない。
ゾロがなにをしても「しょうがねえな」と許し、望めば応え、願えば叶えてくれる。
そうして幾年も、一人で時を越えてきた。

なんだか堪らない気持ちになって、ゾロは箸を置いた。
その様子に、サンジの方が不安げな表情を浮かべる。
「どうした?」
「わからん、腹がいっぱいになった」
「え?マジで?」
正確には腹ではないかもしれない。
「違う、胸がいっぱいになった」
「え?え?」
ゾロはテーブルに手を付いて中腰になると、そのままサンジの横に移動して両手を伸ばした。
「えっ、ちょっ・・・」
唐突なゾロの動きに驚きつつも、サンジは大人しく身を任せた。

しばらくは無言で、お互いの身体を抱きしめ合う。
ゾロの腕の中で、サンジの体温が徐々に上がってくるのが分かった。
シャツ越しに肌がじんわりと汗ばみ、甘い匂いが立ち昇る。
もう堪らなくなって、ゾロはサンジの額に舌を這わせた。
「ゾ、ゾロ・・・」
「しょっぺえ」
「当たり前だ、まだ風呂に・・・」
「後でいいだろ」
仰向いたサンジの口を、噛み付くように塞ぐ。
今まで慎重に交わしていた、触れるだけの口付けではもう我慢できない。
本能の赴くままに組み敷いて、鼻息も荒くサンジの口内を嘗め回す。
ゾロの背中をあやすように軽く叩いて、サンジは唇を解き息を継いだ。
「ったく、しょうがねえな」
斜めに視線を寄越す瞳は、すでに情欲に濡れていた。
そうして、サンジの方から手を伸ばしゾロの両頬を挟んで熱い口付けを施した。
部屋の防音効果は、万全だった。



本来、狐は多情なのだと。
自嘲するように告げたのは、いつだったか。
情痕の残る肌に着物を羽織り、くったりと床に寝そべったサンジは気だるげに煙草を吹かした。
『だから、気を許すとすぐに箍が外れちまうんだ』
『それは、俺限定だろ?』
情欲の名残をそのままに、隠微な微笑みを浮かべて目を細める。
『さァな』
サンジのその言葉に、何度も惑わされた。
いくら抱いても、何度捉えても一度も自分のモノにしたと思えなかった。
だからこそ追い求め、縛り付けて離さなかった。
それでも、片時も安心できない。
サンジはいつの間にか、自分の腕の中からするりとすり抜けて消えてしまう。
それが自分の死のせいだとしても、許せなかった。
永遠に手に入らないのならば、いっそのこと――――

ぎゅっと抱きしめる手に力を込めると、小さく息を吐きながら身じろぎをした。
ハッと気づいて、目を開ける。
いつの間にか眠っていたらしい。
ゾロの腕の中で、サンジは眉間に皺を寄せ首を傾けて目を閉じていた。
そのことに安堵し、起こさないようにそっと力を抜いて指を離す。
真新しい布団にカバーを付ける間もなく、床に敷いてその上で寝てしまっていた。
起きたらうるさいだろうと想像しつつ、掛布団を引き上げて裸の肩に掛け直してやる。
カーテン越しに、白い朝の光が漏れていた。
もう、夜明けらしい。

眠るサンジの寝顔を、しげしげと眺める。
何度見ても、眉毛の形が面白い。
ずっと見飽きることはないと感心していたら、瞼がぴくぴくと動いた。
何度か瞬きを繰り返し、薄く目を開く。
青い瞳が泳いでから、ゾロの気付いて止まった。
「・・・なに、見てんだよ」
「別に」
寝顔を見られた照れくささか、サンジは布団を鼻にまで引き上げて恨めしげに見上げる。
「なに、もう朝?」
「ああ、いい天気―――」
そう言いかけて、ふと雨音に気付く。
「天気、だよな」
ゾロは裸のまま立ち上がった。
「なにか着ろよ」
サンジの文句を背中で聞きつつ、カーテンを開ける。

空は青く、白い雲が筋のように流れている。
よく晴れた朝だ。
なのに、どこからか降る雨が梢を濡らしている。
「お天気雨だ」
「あ、ほんとだ」
布団を被ったまま、サンジも窓辺まで歩いてきた。
「晴れてんのに、どっから降ってんだろ」
「狐の嫁入り―――」
ゾロはそう呟いて、サンジを振り返った。
サンジもゾロを見て「あ」と小さく声を出す。
「嫁入り、だろ」
布団越しに手を回し、抱き寄せる。
「俺がお前を初めて見つけたのも、こんな天気だった。よく晴れてんのに雨が降って、そこで輝くお前を見つけたんだ」
頬にキスすると、サンジは一瞬泣き出しそうに顔を歪めてから、笑った。
「そういや、そうだったかもな」

サンジが生まれた日に、ゾロが見つけた日に。
まるで祝福するかのように、晴れた日に雨が降る。
キラキラと輝く雫が降り注ぐのを、二人は飽きることなく眺めていた。




サンジが狐として徳を積み、神となったように。
ゾロは人として幾世代にも渡り、多くの生き物を助け護ってきた。
そして今生を限りに神と化し、二人は揃って神の庭に昇ることとなる。



End



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