きつねの嫁入り
-6-


「「ばっかじゃないの?!」」

姉達の罵倒がシンクロした。
だがその口調とは裏腹に、覗き込む顔はどちらも目が真っ赤だ。
見ている間にも潤んで、ゾロの頬に涙の滴が降りかかる。
「咄嗟に跳ね返しなさいよ、馬鹿!」
「修行が足りなのよ、どれだけどん臭いの!」
「うるせえな」と言い返したかったが、喉が擦れて声が出ない。
代わりに目を瞬かせたら、二人揃って安堵の表情を見せた。
「二人とも、落ち着いて」
穏やかな声で父が姉達に下がるよう促し、母はベッドの傍らでずっと目元にハンカチを当て肩を震わせている。
どうやら、自分は大怪我を負ったらしい。

8階建てのビルの外壁がごっそり剥がれ落ちる大事故だったが、奇跡的に死者はいなかった。
ただゾロ一人が重傷で、気が付けばベッドの上という有様だ。
事故当時は取材なども殺到したそうだが、病院でシャットアウトしてくれて、ゾロが目覚めた時には一通り騒ぎは収まっていた。
ゾロ当人は、周囲の心配をよそに丸三日寝倒していたらしい。
「とにかくゆっくり休んで、早く身体を治しなさいね」
涙目の母に諭され、さすがに心配を掛けたと反省してゾロは大人しく目を閉じた。

そういえばまだ宿題を済ませてなかったとか、今週は掃除当番だったとか、道場の合宿申込みの締め切りいつだったっけとか。
いろんなことが頭の中をぐるぐると廻ったが、最後にサンジの顔が浮かんだ。
折角、元通りの付き合いをすると約束を取り付けたのに、あいつどうしてるんだろう。
思い出したらすぐに会いたくなったが、身体が全く動かない。
ガバリと跳ね起きることもできず、襲い来る睡魔に負けてそれからもゾロは昏々と眠り続けた。



ようやく身体を起こすができたのは、それからさらに二日後だった。
痛みやだるさはあるが、ちゃん腹は減る。
怪我ごときで思うように身体を動かせないのは鍛錬が足りないからだと、ベッドの上でトレーニングをしようとして看護師に止められ、担当医にしこたま怒られた。
早期にここまで回復しただけでも、奇跡だと言う。
「リハビリは大切だが、独自の判断で無茶をしては却って身体を傷める。許可を出すまで安静にして、とにかく体力を付けることから始めなさい」
胸に大きな傷は残るが、努力すればこの先も支障なく剣道を続けられると聞き、ゾロは渋々従った。

ほどなくして面会謝絶が解かれ、親戚や友人達が見舞いに来てくれるようになった。
包帯姿でベッドに座って応対するのは不本意だったが、これも修行だと我慢した。
ゾロの怪我は親子連れを庇ってのものと目撃証言があり、一時は世間で英雄扱いだったらしい。
そうクラスメイトに持て囃されたが、ゾロは特にそんなつもりもなかったから褒められると逆に仏頂面になる。
あることないこと美談に仕立て上げられていた時期を寝て過ごして、本当に良かったと思う。

友人達とバカな話で笑うと傷に触ったが、それもおかしくてつまらないことで余計に笑えた。
「いや、それより―――」
無意識に腹を擦りながら、ゾロはずっと気に掛けていたことを訪ねた。
「グル眉はどうしてんだ、さっぱり顔を見せねえんだが」
実は、家族の次に駆けつけるのはサンジだろうと勝手に思い込んでずっと待っていたのだ。
なのに一向に、姿を現さない。
そう聞くと、友人達は一瞬妙な表情になった。
訝しく思ってじっと見つめると、お互いを肘で突き合う。
お前が言えよと促し合っているようだ。
「グル眉、どうかしたのか?」
結局、最後に肘で突つかれた友人が、仕方なさそうに口を開いた、
「サンジ、学校に来てねえんだ」
「は?いつから」
「お前が怪我した日の、翌日から」
ゾロは、ポカンと口を開けた。
怪我をしたのは日曜日だったから、月曜からか。
「なんで、どっか悪いのか?」
「いや、それがなんとも…」
友人達は目を合わせて、首を捻った。
「ウソップが宿題とか持って家行っても鍵掛かってるし、しょうがないから郵便ポストに入れて来たっつってた。携帯も繋がらないし、ライン既読つかないし」
「でも、そっから連休入っただろ?だから、来週の連休明けには出てくんじゃねえかなあ」
風邪でも引いたのかも、と呑気に続ける。
確かに、ゾロが怪我したタイミングで秋の大型連休に突入したので、ゾロ自身の欠席日数も今の時点ではそれほどではないはずだ。
しかし、それにしてもおかしい。
黙って考え込んだゾロに、友人達は取り繕うように声を掛ける。
「大丈夫だって、もし月曜にも学校に顔見せないようだったら、俺らで自宅突撃するわ」
「まあ、まずはお前がゆっくり休め。まだ学校に取材とかちょくちょくあるかもしんねえから、ここで大人しく寝てんのが一番だ」
友人達のありがたい気遣いに感謝しつつ、ゾロはもう気もそぞろだった。

血相を変えて涙目になって、慌てて駆け付けるサンジの姿をずっと待っていた。
それで、ゾロの無事な顔を見たらホッとしつつ怒り出すんじゃないか。
そう想像していた。
それなのに、いくら待っても顔を見せず、業を煮やしてこちらから友人に尋ねればまさかの引きこもりだと言う。
一体、サンジになにがあったのか。

居ても立ってもいられず、夕方面会に来た姉に携帯を貸してもらった。
自宅の番号はわからないから、バラティエを検索して店に直接掛ける。
『はい、レストランバラティエっす』
相変わらずガラの悪い胴間声が聞こえ、少し安心した。
「ご無沙汰しています、ロロノアです」
『え?あ、ああ?坊主か?!』
この声はパティだろうか。
「はい」
『お前さん大丈夫だったか?こっちでもそりゃあ心配してたんだぞ』
「はい、大丈夫です」
その「心配していた」中に、サンジはいただろうか。
『ちょっと待ってろ、オーナーに代わる』
「はい」
保留音が流れた後、『はい』と重低音の声が届いた。
「ロロノアです」
『元気そうだな』
「はい」
声に笑いを滲ませて、ゾロは早速切り出した。
「グルま…サンジは元気ですか?」
『―――・・・』
一瞬の沈黙の後、ふんと鼻息がした。
『あいつァ、部屋にこもって出てこねえ』
「いつから?」
『そうだな、そろそろ一週間経つ』
やはり、ゾロが怪我をした日からか。
「全然、出てこないんですか?」
『ああ』
「でも、顔くらい見てますよね」
『顔も出さねえ』
思わず絶句した。
一緒に暮らしているのに、まさか一週間の間、一度も顔すら見ていないなんて。
『もともと定休日以外は店に出ているから、チビなすが手伝いに来なけりゃろくに顔を合わせない日だってあったんだ。それが、あいつが意図的に部屋に閉じこもるとなると、口すら利けやしねえ。扉越しに話しかけると返事をするからいるのはいるが、頑として出てこねえ』
「部屋、鍵掛かってんすか」
『なんか積んで籠城してるっぽい。いざとなりゃあドアを蹴破るが、そもそも俺は二階に上がってない』
ゼフは片足が義足で、自宅の2階部分はサンジのみが使っていた。
様子を見に行くのも、おおよそパティやカルネが代わって階段を昇ったのだろう。

『まだ扉を破るまではやってねえんだが、そろそろ潮時かとも思う』
「そうですか、わかりました」
ゾロは努めて、明るい声を出した。
「俺は元気だって、あいつに伝えてください」
『わかった。坊主が無事で、チビなすも喜ぶだろう。俺も、だ』
最後の方は少々照れ臭そうに言って、ゼフは通話を着る。
ゾロは通話が切れた携帯を姉に返し、腕を組んで考え込んだ。

一週間、部屋から出ないとはどういう状況だろう。
ゼフが店に出ている時に、階下に降りて食事など済ませているのだろうか。
まさか一週間、飲まず食わずということもあるまい。
そこまで考えて、すっと背筋が冷えた。
サンジが初めて学校に来た時、異常に痩せ衰えていた。
まるで木切れのように細い手足、こけた頬、色褪せた金髪。
もし、サンジが部屋に閉じこもったまままたあんな風にでもなっていたら、大変だ。
そうでなくとも、ゾロにもよくわからない屈託をずっと抱えているように見える。

そう考え出したら、心配でたまらなくなった。
もうじっとしていられない。

ゾロは一度決断したら、行動に移すのは早い方だった。
その翌日、ゾロは朝からこっそりと病院を抜け出した。







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