きつねの嫁入り
-5-


祭りの夜の出来事はゾロにとって大きな進歩だったが、踏み出した歩みの分だけサンジが後退してしまった。
ぶっちゃけ、あれからあからさまに避けられている。
昼休みに教室に顔を出すこともなくなったし、ゾロから赴けば入れ替わるようにして教室から出てしまう。
放課後はゾロが道場へ直帰するから、元から一緒に帰ることはなくなっていたが、それだって休み時間など帰る前に雑談くらいはしていたのに、それもない。
宿題をしに家に行くと言えば「都合が悪い」とすげなく断られ、窓の下で待ち伏せしていたら休日なのに一歩も部屋から出てこなかった。
こうなると、ゾロだって意地になる。
迷うことなく、一番手っ取り早い方法を選んだ。

「なんだロロノアの坊主、チビなすに用事か」
店に顔を出したゾロに、顔見知りのスタッフが声を掛けた。
「こんちは」
ゾロはぺこりを頭を下げ、ポケットに手を入れる。
「あいつに会いたいんですが、最近口も利いてくれねえんで、今日は客として来ました」
そう言って、財布を取り出した。
パティが驚いて、軽く仰け反る仕種をした。
「こりゃおどれえた、いらっしゃいませイカ野郎」
「なんでえなんでえ、チビナスと喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩をした覚えはない。あいつが一方的に俺を避けてんだ」
ゾロがムッとして言い返すと、「どうだか」と巨体を揺すりながら踵を返した。
「いま、チビナスを呼んで来てやる」
「それはいいです、あいつを訪ねるのは店じゃなく自宅でと決めてますんで、今日は客で」
「坊主も硬ェなあ」
パティが呆れながら、席へと案内した。

バラティエのランチはリーズナブルなので、中学生のゾロでも小遣いの範囲内でなんとかなる。
ラストオーダーギリギリで入ったから、店も比較的空いていた。
それでも、カップルや年配の女性客の間でゾロの存在は若干浮いて見える。
さり気ない好奇の目を気にせず、ゾロは早速やってきたCランチを、頬袋を膨らませながら黙々と食べた。
サンジが作るおやつや昼食も美味いが、やはり店の味は洗練されている。
だが、サンジだって本気を出せばいっぱしの料理は作れるんじゃないだろうか。
そんな風に考え、すぐに脳内で打ち消した。
あいつだって自分と同じ、中防坊でまだガキだ。
でもいつだって、本気を出してないような印象を受けるのはなぜだろう。

「ほら、持ってけ」
粗方食べ尽くしたところで、パティの小声に気付いて横を向く。
厨房で、デザートをトレイに乗せたサンジが渋っているのが見えた。
「お客さんが待ってっぞ」
「だからって、俺が持ってかなくてもいいだろ」
「仕事だろうが、そら行け」
気を利かせてくれたのだろう。
ゾロはパティに目礼して、サンジをじっと待った。

サンジはゾロとわざと視線を合わせないように、少々不貞腐れた表情で歩いてくる。
「デザートです」
「頼んでねえぞ?」
自分でも少々意地悪だなと思う。
案の定、サンジはカッと目元を赤くした。
「サービスですから」
「お前の?」
「違うし!」
素で言い返すサンジに、ゾロはハハッと笑った。
「やっぱりお前、面白いな」
「てめえを面白がらせてんじゃねえよ」
サンジがどう文句を言おうが、ゾロはこうして二人で話せることが嬉しくて堪らない。
「なあ、俺ァお前が嫌がることはしねえ」
「え、あ、あ?」
いきなり話を切り出したので、サンジはぱちくりと目を瞬かせた。
「だから、俺を避けるのはやめてくれ」
きっぱりと言い切るゾロに、サンジはまだ躊躇うように視線を泳がす。
「別に避けてなんか・・・」
「てめえがいいって言う前、手も出さねえ」
「え、おま、ちょっ・・・」
幸い、客は皆引けていた。
だが、スタッフ達の目がある。
ぶっちゃけ、パティとカルネはすぐそこで聞き耳を立てている。

「変なこと言うなよl」
「だから、無駄に警戒すんなっつってんだ。前みたいにつるんだり、一緒に宿題したりすりゃいいじゃねえか」
「そりゃ、そうだけど」
「お前の許可なしに、変なことしねえ」
「変ってなんだ。つか、許可するとか思ってんのかよ」
「大人になれば、いいんだろ?」
サンジはまた、キョロキョロと視線を彷徨わせた。
ゾロの言葉に、心揺れているようだ。

「大人って、いつ」
「そりゃお前が決める。18歳か20歳か、お前がいいって思ったら言ってくれりゃいい」
「そんなの、ずっと言わなかったらどうすんだ」
「その内言わせる」
「あ、アホか!」
サンジはトレイでパコンとゾロの頭を叩き、反射的に厨房を振り返ってワタワタと慌てた。
パティとカルネは、タイミングよく隠れたらしい。

「とにかく、もう店には来るなよ」
「また、お前の飯食わせてくれるか」
「わかった、わかったから」
焦るサンジに、ゾロはにかりと笑った。
「じゃあ、約束な」
そう言って、デザートのプリンをぺろりと平げ席を立った。
会計を済まそうとポケットを探れば、珍しいことにレジにはゼフが立っている。
「ご馳走様でした」
「――――…」
ゼフはギロリと睨みを利かせると、ゾロが差し出した札を受け取って釣り銭を数える。
「チビなすに避けられてんのは、なんかちょっかい出したからか?」
「あ、そうです」
ゾロは素直に肯定し、後ろで聞いていたサンジが頭を抱えた。
「でも、今度からはあいつの許可がない限り、手は出しません」
「・・・お前、まだ中学生だよな」
「はい、自重します」
あっけらかんと言い放ったゾロに、ゼフはふんと鼻息だけ吐いて釣りを渡した。
「ならいい」
「いいのか!」
突っ込むサンジに、ゾロは「はい」と元気よく返事する。
そうしていい笑顔のまま、サンジに「じゃあな」と手を振った。
様子を見ていたパティとカルネも出てきて、ニヤニヤとサンジの後ろ頭を眺めている。
サンジはと行けば、もう火を噴きそうなほど真っ赤だ。
「うるせえクソ毬藻!二度と来るなボケ!」
精一杯の悪態さえ可愛く感じ、ゾロは軽い足取りで店を出た。

正面突破で道は開けた。
またサンジと、元通りに付き合える。
それであわよくば、もう少し大きくなったらあれやこれやと更に進展が望める。
そう考えて、少し浮かれていたのかもしれない。



店から自宅へとまっすぐ戻るはずが、なぜか街中へと出てしまった。
まあそれはそれで、散歩も悪くない。
美味い物で腹いっぱいになったし、腹ごなしにはちょうど良かった。

夕暮れ時に差し掛かり、街全体が黄昏色に染まって見える。
狐の幻を見たのもこんな時間帯だったなとふと思い出し、足を止めた。
「危ない!」と悲鳴が上がったのと、ゾロが視線を上げたのは同時だった。
外装工事中だったビルの外壁が、まるでスローモーションのようにゆっくりと剥がれ落ちる。
見た目よりずっと幅が広く分厚いそれは、ゾロのすぐそばにいた親子連れ目掛けて降り注ぐように見えた。
ゾロは咄嗟に子どもを庇い、身体を捻った。



――― 随分と、大ごとになった。
ゾロは大の字に寝転んだまま、ぼんやりとそんなことを思っていた。
多くの人に取り囲まれ、端では右往左往している気配もあった。
ゾロの耳元にしゃがみ込んで大声で呼びかける人もいて、うるさいとは思えど何を言っているのかまではわからない。
ただ、空の色が血のように赤い。
視界の端から暗闇が襲ってきて、随分と陽が暮れるのが早いなと思った
ゾロの視界は闇に閉ざされ、すぐに思考も途絶えた。






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