きつねの嫁入り
-4-


霜月村の恋稲荷は、いつの間にか観光名所になっていた
縁結びをお願いすれば、6割は願いが叶う。
残り4割は早い段階で失恋に至るけれど、それよりもっと良い人に巡り合えて結果的にはやっぱり幸せと、惚気半分に噂が広がった。
自分が見つけた幻の祠が徐々に規模を拡大していることなど、ゾロは興味もないから気にも留めていなかった。
そこで祭りが行われると聞いても、感慨深いとか誇らしいとか、そういう感情は湧かず「じゃあ遊びに行くか」くらいのノリだった。
家族で出かけるなんて選択肢は、すでに中学生のゾロにはない。
さりとて特定の女子と行動を共にする気もなく、ゾロは当然のようにサンジを誘った。

「11日?その日、無理」
サンジにあっさりと断られ、ゾロは愕然とした。
なんでこんなにダメージを喰らっているのか、自分でもよくわからないがなかなかのショックだ。
「お前、祭りとか好きじゃねえのか?」
「え、や、好きだよ。でもその日って、連休のど真ん中じゃねえか。しかも祭りがあるなら人出も多いし、当然、店が混むんだよ」
今の時点で、ディナーの予約はいっぱいなのだと言う。
中学に入ってから、サンジは店のディナータイムも手伝わせてもらえるようになった。
そのことが嬉しいのだろうが、それにしたってたまの祭りの日くらいは、休んでもいいんじゃないかとゾロは思う。
道場だって、その日は休みだ。
「昼間だけ手伝って、夜は早めに上げさせてもらえるだろ?」
「だーかーら、夜のが混むんだって」
子どもに言い聞かせるように宥められると、余計に面白くない。
そもそもサンジは、今までゾロからの誘いや願いを断ったことがなかった。
だから、今回の誘いをあっさりと無下にされたのは想定外だった。
そのことに今さら気付いて、なおさら面白くない。

「祭りは今年初めてだが、主催者側の気合が入ってるらしい。出店もたくさん出るとよ」
「へえ」
「リンゴ飴とかチョコバナナとかクレープとか」
「・・・へえ」
「姉貴達が、揃いの浴衣着るらしい」
「う、そうか」
「花火もあるぞ」
ゾロの言葉にいちいち心動かされているようだが、サンジなりに努力して耐えているようだ。
そんな無駄な努力など、しなくていいのに。
「かき氷は、どの色選んでも結局おんなじ味だってよ」
「へー…ってか、だから俺は行かないっての!」
しつこいゾロに、とうとう切れて返す。
「そんなに行きたかったら、他の奴と行けばいいじゃねえか。それに、リアちゃんやユウナちゃん達から誘われてたの、俺知ってんだぞ」
そうだ、元々は恋稲荷で祭りがあるとの情報はクラスの女子から得たのだ。
ロロノア君、一緒に行かない?とクネクネしていた女子達より先に、頭に浮かんだのはサンジだった。
「他の奴じゃなく、俺はてめえと行きたいんだ」
ゾロがきっぱりと言うと、サンジは片方だけ覗く目を軽く見開いてから、困ったように眉尻を下げた。
「俺はごめんだ、もし行けるとしたら可愛い女の子と行くんだ」
台詞は憎まれ口のようなのに、どこか寂しげに響いた。
これ以上ゴリ押しすればするほど、サンジは頑なになる。
そう判断して、ゾロは矛先を変えた。



本当は、サンジだって行きたいんじゃないか。
そう感じて、帰り際に店の方に回ってオーナーであるゼフに直接交渉した。
「祭り?ンなもん、いくらでも行って来い。チビなす一人がいようがいまいが、店は勝手に回る」
ゼフにあっさりと許可され、サンジの方が慌てていた。
「んなことねえって、めっちゃ忙しいって」
「いつものことだ」
「ってか、ゾロ!てめえ余計なこと言いやがって――――」
サンジが目を怒らせて振り向きざまに蹴り掛かるのを、咄嗟に後方に避けてそのまま表に出る。
「じゃあな、7時に西口で待ち合わせだぞ」
「バーカ、誰が行くかバーカ!」
子どもっぽく悪態を吐くサンジだが、ゾロからの誘いは絶対に断らないことはわかっていた。
だからゾロは一旦帰宅して、意気揚々と祭りに出かけた。


――――ほら、やっぱりいるだろ。
7時過ぎに、待ち合わせ場所に辿り着いた。
先に着いたらしきサンジが、スマホを弄りながら待っている。
遅れた詫びを口にするより先に、驚いたように顔を上げた。
「あ、もう来た」
「ああ、遅れただろ?」
「まだ7時10分にもなってねえじゃねえか。こんなんじゃてめえにとって、遅れたうちに入らねえだろ」
ゾロにそのつもりはなくとも、予定していた時間通りに目的地に着いた試しがないので、抗弁できない。
これでも実は、1時間前から西口を目指して家を出ていたなんて、なおさら言えない。
それよりも―――

「おまえ、浴衣じゃねえのか」
「はあ?」
サンジは真顔で聞き直した。
なんとなく、祭りだからサンジは浴衣で来るかなと思ったのだ。
でも実際は、素っ気ないTシャツにカーゴパンツ。
これはこれでまあ、可愛いからいいのだけれど。
「なんで、お前と出かけるのに浴衣着るんだよ。彼女とのデートじゃあるまいし」
「いいじゃねえか、てめえは浴衣似合うぞ」
ゾロが断言すると、サンジは戸惑うように視線を泳がせた。
「そんなん、初めて言われた」
サンジの外見は完璧に欧米人だから、普通は浴衣が似合うと思わないだろう。
だが、ゾロの中でサンジのイメージは最初から着物姿だった。
白地に白の刺繍糸、半襟が紅く白い肌によく映える。
「今度、着て来いよ」
「だから、野郎とつるむのに浴衣なんか着ねえって」
ゾロを適当にあしらって、サンジは先に立って駅前通りを歩く。
商店街主催の小さな祭りだが、それなりに寄付が集まって花火も上がると宣伝されたせいか、なかなかの人出だった。
恋稲荷へと続くかつての獣道も、いつの間に石畳が敷かれ立派な参道に変わっている。
「こんな場所だったかなあ…」
ポツリと呟くと、サンジは「お前はいつでもどこでも初めての場所、だろ」と笑う。

ゾロの中では、恋稲荷で見た幻の狐=サンジとなっていたはずなのに、こうして二人でこの場所に出掛けるのは初めてだった。
ゾロ自身が足を運ぶのも、数年ぶりだ。
「結構、人が来てるな」
サンジはきょろきょろしながら周囲を見渡し、浴衣姿の女性に目を止めてはその度立ち止まる。
「ああ、あの子すっごく可愛い。あ、あの子も。あのお姉さんは、なんてセクシー」
あちこち見過ぎてクルクル回るサンジを、ゾロは呆れながらも見守っている。
来るのを渋っていたサンジだったが、実際来てみれば楽しそうだ。
やはり、強引にでも連れてきてよかった。

「ぶどう飴っての美味そう」
「チョコバナナ食え、一番でかい奴」
「なんで俺に指図すんだよ、てめが食え」
「俺は甘いもんはいらん」
「だから、なんで俺に食わせようとすんの」
ゾロと軽く言い合いをしながら、人ごみの中を縫うように歩くサンジかは心なしか仄かに光って見えた。
どれほど人が多かろうと、決して見失うことはない。
サンジを取り巻く薄い空気の層が、それ自体発光しているかのように浮かび上がって見える。
人の賑わいも出店の灯りも、笛や太鼓のBGMもサンジのためだけに存在する単なる背景に過ぎず。
ゾロにとって、サンジだけが唯一の灯火のようだ。
普段、学校で見ているのとは違う印象に、なぜだろうと首を捻る。
夜の祭りの雰囲気に当てられたのか、それともゾロの目がおかしいだけだろうか。



恋稲荷自体、祠を少し大きくしただけの小さな造りだ。
祭り目当てだけで来た人は、これが本殿?可愛い、と感想を口にして、それでも神妙な顔で手を合わせている。
「なに、お前がお参りするとか、なんか似合わねえ」
サンジの軽口に、片眉だけ顰めてみせる。
ゾロはそもそも、神頼みはしないし神なんてもの自体信じてはいない。
ただ、サンジと引き合わせてくれたこの社には、感謝を述べて置きたかった。
ゾロが勝手に思い込んでいるだけだけれど、ここで狐の幻を目にしなかったら、サンジのことなんてなにも気に掛けたりしなかっただろう。
小銭を賽銭箱に投げ、二回お辞儀をしてからに二回手を叩目を閉じる。
隣でサンジお同じようにしているのを気配で感じながら、ゾロは昔一度きり見た幻のことを頭に思い浮かべた。
晴れた夕空に飛沫くように、ポツポツと降る雨。
鮮やかな萩の花。
金色の髪に雨の滴を纏った、怖いほどに綺麗な狐の姿。
――――あれ?
そうだったけかと、目を閉じたまま考える。
なんだか、夢の景色とごっちゃになっているような気もする。
そもそもが幻だから、夢でもなんでも同じことだ。
金色の、サンジに似た面差しの白い貌がゾロを認めて微笑んだのだ。
とても寂しげな、それでいて例えようもなく美しい表情で。

顔を上げ、小さな祠を見つめてから振り返った。
隣で、すでに祈りを終えたサンジが横を向いている。
提灯の灯り以外ない仄暗い闇に、白い横顔がくっきりとした輪郭を形作っていた。
見間違いではなく確かに、サンジの存在だけが異質だ。
「お前」
「ん、あ―――」
サンジがふっと顔を上げた。
釣られて仰向くと、夜の空にひゅるひゅると気が抜けたような音を立て光の帯が上がる。
間をおいて、大輪の花が開いた。
「おー…」
「なかなか」
パーン、パパーンと続けて、小ぶりの花火が上がった。
寄付で賄った初めての花火大会だから、規模は小さいと聞いているしさほど期待もない。
けれど、それだけに一発一発を大事に打ち上げ観客も消えるまでじっくりと見守る。
これはこれで、なかなか見応えがある。
「綺麗だなー」
サンジは、蕩けるような笑顔を夜空に向けていた。
花火が開いた時だけ、辺りが明るく照らされる。
ゾロは周囲に視線を走らせた。
家族連れもカップルも、友人同士のグループも、皆一様に空を見上げて花火に見入っている。
一際大きな花火が夜空を焦がし、パチパチと爆ぜながら光の帯を四方に散らしていく。
その隙をついて、ゾロはそっとサンジの顔に顔を寄せた。

「―――――― …」
一瞬だけ、唇を付けて離れる。
我ながら、かなり素早い動きだった。
素早過ぎてもしかしたら気付かれないかもと思ったが、サンジは花火に照らし出された色より頬を赤くして、パクパクと口を開け閉めする。
「おま・・・いま、なに…」
蹴られる、と身構えたが特にアクションはない。
それどころか、口元を抑え呻くように俯いて首を振った。
「この、ばか。まだ俺ら子どもだろうが!」
子どもだから、なんなのだ。
というか、怒るポイントはそこなのか。
子どもでなければ、別にいいということか。
俺でも、いいのか。

ゾロはゴクンと唾を飲み込んだ。
たっぷりと間合いを取って、花火はまだ続いている。
真っ赤になって狼狽えるサンジと、どこか呆然と見やるゾロを時折り照らし出しては、また闇に誘った。
サンジの真意を確かめようと、もう一度顔を寄せたら今度こそ脛を蹴られた。





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